207『自然と人間の歴史・世界篇』スペイン継承戦争(1701~1714)
スペインでは、1700年に国王カルロス2世が跡継ぎがいないまま死んで、王家が断絶する。すると、どうなったのか。
その事の次第からいうと、フランスのルイ14世の孫フィリップはブルボン分家の出であった。その彼が、フェリペ5世として即位する。とはいうものの、このスペイン王位の継承は、身内のオーストリアのハプスブルク家にとって容認し難いものであった。
それというのも、当時のスペインは広大な海外植民地を領していた。そのほかにも、ヨーロッパではネーデルランド南部(カトリック系の住人たちで構成されており、後のベルギー)、シチリア王国、ナポリ王国、ミラノ王国、サルデーニャ島といったところがスペインになびいていたのだ。
ところが、これらの領土を虎視眈々と狙う勢力があった。その名は、オーストリアばかりでなく、フランス、イギリス、それにオランダなども、そのままではスペイン王室の継承を認めたくない、いや、認められないというのであった。
こうして翌年からのスペイン継承戦争が勃発する。戦争は、これに北アメリカなどにおいても、これに参加する国々による局地戦としても戦われ、長期化した。その戦後処理であるところの1713年のユトレヒト条約においては、ブルボン分家のフィリップがスペイン王フィリップ5世として正式に認められるも、その海外を含めての権力行使には、大いなるたががはめられた。
すなわち、スペインはジブラルタル・ミノルカ島をイギリスに割譲、フランスは北アメリカのハドソン湾地方、ニューファンドランド、アカディアをイギリスに割譲、スペインはネーデルランドの一部などをオーストリアに割譲することなど。なお、これに関連して、1714年に神聖ローマ帝国とフランスのルイ14世とのあいだでラシュタット講和条約が結ばれた。
(続く)
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