バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1998年8月1日 北海道ツーリング 35日目

2025年02月26日 | 1998年 北海道ツーリング
8月1日(土)  夕張・石炭の歴史村キャンプ場(連泊)


 7時には起床。今日から8月だ。もう1ヶ月北海道にいる計算だ。
 9時ほどからのんびりとシュウパロ湖のある夕張の裏側を流す。三夕トンネルを過ぎると数キロでダート。そこで引き返す。行き交う車もなく、静かすぎる自然の中を走る。夕張川に沿って、シュウパロ湖近くまで戻ってくる。集落はほとんど空き家だ。地図には鹿島小・中とあるが、どうやらそこも廃校になっているようだ。

 バイクで校門から中にはいり、正面玄関前までいってみる。広いグランドは荒れ果てて、草ぼうぼう。3階建ての鉄筋校舎には「思い出をありがとう」と垂れ幕が掛けられている。まだ新しいようで、廃校になって、それほど年月はたっていないようだ。大きな体育館もしんとして、風の音が微かに聞こえる。こんな場面だと映画ではよく、子供たちが歓声をあげて校庭を走り回る音が、だぶって聞こえたりするものだ。ためしに、じいっと耳を澄ましてみるが、当然ながらなにも聞こえない。ただ想像はできる。校庭を走り回る児童の姿。自分の小学校時代がオーバーラップして、ちょっとセンチメンタルに浸る。

 道と平行に走っていた線路も廃線になって、南部という集落では廃車になった客車が4、5両、錆びついたまま放置してある。夕張岳の近くまでいってみようと、林道を3、4キロ入ってみる。妙にトンボが多い。徐々に道が荒れてきて引き返すが、トンボが一匹右ミラーに掴まったまま、走り出しても離れようとしない。必死で掴まっていて、20キロくらい一緒に走る。センチメンタル気分が抜けていないのか、まるでそれが誰かの分身のように思えてくる。数年前に死んだ身内のものじゃないかとか……。

 夕張の町に戻り、市街地を見下ろすような高台にある石切夕張神社の200段ほどの階段を上る。景色はいいが、疲れる。以前は階段と並行してミニケーブルカーが動いていたようだが、今はケーブルも錆びて、向かい合いになっている色褪せたシートの上ではネコがのんびり寝ている。

 12時前後からキャンプ場の前にある「石炭の歴史村」内にある博物館を見学する。入館料800円也。敷地内には石炭の原料となったメタセコイアなどが植えてある。この植物は生きている化石植物といわれ、1時期、もう絶滅していたと思われていたらしいが、50年ほど前に中国で再発見されたという。アメリカで育てられた苗を日本に移植して広まったらしい。地下千メートルまで下りるというエレベーターの設定。実際は地下3階くらいのものだが、そんな遊び心もあり意外に面白い。入り口でヘルメットにヘッドランプなどを渡される。キャンプするにはちょっと重すぎるかなと思いながら、かぽんと被り、中を見学。恐ろしいような掘削機も当時のままに動いている。佐渡の金山跡よりは面白いかもしれない。昔使われていた坑道にも入ることができ、これが一番面白い。上の博物館では、炭坑夫たちの間に「友子」というきびしい上下関係の制度があるのも、はじめて知る。パーク内のテラスハウスでカレーライス。

 キャンプ場近くからの細い道を進み、保育園の裏から小川を遡る。博物館にあった空撮写真によると、でかいボタ山は、山を越えた池のそばにあるらしい。だが、山を越える前の小川沿いにもボタ山らしきものがある。木々が生い茂り、よく見ないとそれとはわからないが。山の麓を流れる川横に縦坑が残っている。ちょっと覗いてみると、途中に蓋がしてある。どこまでも深い底なしの穴のようだ。

 川沿いに沿って引き返していると、乾いた河床にあちらこちらに石炭が剥き出しになっている。昔は露天掘りをやっていたというから、こんなものを採っていたのだろう。クズの石炭だとは思うが、中には漆黒の輝きをもったものもある。手にもってみると、意外にも軽い。3、4個よさそうなのを持ち帰る。
 カメラのフィルムがないので、メープルロッジという温泉施設ある道を回って岩見沢市までいこうと思ったが、途中で気が変わり、栗山町の栗山温泉にはいる。500円。サウナ付き(しかも中にはテレビまで備えつけてある)、露天風呂もあり、なかなかいい。近くに「坂本九・思い出記念館」というのがある。この町の出身なんだろうか。夜はインスタントスパゲティ。缶ビール3本にプチトマト。
 

夕張キャンプ場。
去年かおととし、訪ねたときにはもう閉鎖されていた。



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