平成不況の20年近くをよく生き抜いた。
ぼくはぼく自身に、ありがとう、そして生き抜いたぼく自身をちょっぴり褒めてあげたい。
カメ漫だらだら石ちゃん散歩 の 石めはそう思う。
ぼくの絶好調は、1987年の個展からわずかの数年間でありましたねえ。
本来、個展とは、営業上の有利さとかお金儲けのためにやるものではない、と今なら思います。( でも、積極的にアッピールしなければ、世の中の人の多くは知ってくれませんことも事実です。) そうなんです、アッピールすることが大事だと思うんですねえ。そのために、個展を企画するのが本来の筋ではないかと思うのです。
好きで、好きで、止むに止まれずにバシャバシャカメラで撮っているうちに、
こんなもん、出来ましたが、こんなテーマでまとめられるもんではないでしょうか…などと、ぼくの場合に限ってですが、個展を開いたりするもんなんですねえ、いえ、本音を言えばそうでしたでした。
恥ずかしい話ですが、ぼくはぼく自身の写真を自分でディレクション出来なかったのです。ぶっちゃけて言えば、それが出来るカメラマンってほんの数人しかいらっしゃらないようにぼくには見えますが。( でも、実に幸運なことに、真実幸運だと思ったのです、写真人生の中で、何人もの優秀なデザイナーとの出会いはありました。びっくりするくらい名の通ったデザイナー諸先生との出会いは実はあったのです。第一、最初の個展から、新人のカメラマンに高名なデザイナーの方がディレクションしていただける幸運に・・・恵まれたのでした。)
さて、個展がお金を生む場合もあろうけれども、多くのぼくの知る限りそれはあり得ない?ならば、世の多くのカメラマンはどうやって暮らしているのかというと、じつは、実はですねえ、広告なり、あるいは新聞雑誌などから依頼の注文を受けたり、あるいは自分でスタジオを開設したりしてポートレイトを撮ったりなどして日々の生活を維持している場合がほとんどだと思うのです。
そして、独創的な思いで写真作品を撮ったりつくったりして、それをプリントにしてずいぶん高価なお題をいただいて生活を成りたてている人々も稀にいます。そういう人々は世界にほんの数人ではないでしょうか?
いわゆる、「オリジナルプリント」が数十万とか、もっと高い値で、一点がですよ、売れる人々も確かにいらっしゃいますようです。
ぼくの最も好きな写真家、森山大道氏などがそういう稀に見る幸運な写真家だと思うのです。ぼくが写真の道に入ったのも、森山氏の写真に大きな感銘を受けて出版社のいち編集者が、大胆にもカメラマンを目指したということなのでしたから。・・・・・・・
ここで、端的に、初めての個展から後になって、大好きな写真で食っていく道を、ぼくは初めての個展以降、実は見つけてしまったのでした。・・・・・
以後、ちょっとしたブレイクを体験いたしましたのです。
前篇 ここまで。
フォト・文 石郷岡まさを
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