初めに、全国の幾千?いや幾百、いえいえ、
幾十人のこのブログを読んでくれる読者に
謝らなければならないことがありまして・・・
失礼いたしました。
誤りが見つかったので一部削除することに致しました。
まさか当記事が、どこかの大学入試の現代国語の試験に使われ、
後から記事内容に誤りが見つかり大問題に……などという事は
700パーセント考えられませんが。
丙申 ひのえさる と読んでくださいな、
の、2016年もやがてそのひと月が終わろうとする時に、
誤記についてただし、正確なことを追記致しまして、
はやくこの問題を、忘れてしまおうという?もとへ
明日へ向かってまた歩もうという積極的な一歩を
どうしても踏み出すためにけじめをつけたかったのですね。
サッカーは、韓国戦に大逆転で勝って大喜びの石メも、
自分のブログの記事中、誤りが見つかりまして、・・・
ついに記事を削除、あらたに書き表すことに致しました。
丙申 という年は、大変革の年になると言うお噂に飛びつき
これはいい兆しだととびついたのは良いとしても、詰めが甘い
事実のチェックが甘かったのですねえ。( 反省する猿・・ )
一般的に言って、人は幼少年の頃、どこまで記憶を遡れるだろうか、
と考えたことがございます。
老人と呼ばれる年齢になって、とみにそんなことを思うようになりました。
( ぼくのブログは、過去に向かうことが多いように思うなあ。)
人には、それぞれ気になる光景、思い出があると思います。
懐かしさや思い出に生きたいと思う裏にはつらすぎる現在が
きっとあるのかもしれません。
思い出はつねに美しくまた甘美なモノかも。
既視感
デジャビューとか、デジャブーとか呼ばれるものですね。
あれえ、この光景って前に見たことがあるぞ、等々。
ぼくには、こんな風景が思い起こされます。
家で家族がそろってラジオを聴いている光景が思い出されるのでした。
家族そろって?いえ、みんな揃っていたかなあ。
そして、それが
思えば、1952年のオリンピック中継をラジオで聴いている光景なのでした。
ぼくが4歳の時、誕生日を過ぎていた夏の頃なら5歳の頃だったでしょうか?
今日は、ここまで。
フォト・文 石郷岡まさを