gooブログはじめました!散歩写真の達人 石ちゃんのフォトエッセイ ーーー30年の私写真散歩 少しずつお見せしましょう。

「東京原色図鑑」散歩とスナップ写真1万点。
80年代の東京も。大好きな写真家に、濱谷浩、石元泰博、森山大道氏等。

カメまんだらだら石ちゃん散歩 今、政治が、選挙がとっても面白い。

2016年06月21日 | 下流老人
18歳の高校生らしい人が街でテレビのインタビュウを受けていた。 小さな2つの札を渡されたのか、その青年は「行かない」と言う札を差し出しながら、 マイクを向けられて何か話しているようだった。 一般的に言って、テレビ局の専門家からマイクを向けられて、平静な心を維持しながら 自分の普段思っていることをきちんと必要にして十分なことを言うことは、相当に訓練 された人でもない限り無理だ。  ぼくも2、3回そういう場面を経験したが・・・だめだったねえ。 舞い上がってしまうのである。 それが普通であろう、まして相手はプロである。 一般的に言って、多くの国民は、テレビと言うメデイアに不信感を持っているのでは? 今の時代に、好き嫌いは別にしてテレビ番組全体がある特定の意見のCMじゃないか という疑問を持っている人も多いように思う。 数十年前はそんなに酷くはなかった、とも思うのだが・・・ でもよく考えて御覧なさい、新聞社とその関連会社の わずか11社のマスコミのみ 大新聞とテレビ局を持っているのでしょ。集中された一握りのマスコミは、国民にとって 大変なマイナスでしかない。 自由な言論、報道機関がいくつもなければ報道の自由など期待できないとぼくは考える。 地方の街でもそれは同じことでしょう、 それは、東京キー局の系列化のテレビ局というだけだろうからね。  ( 話は横道にそれたようで、失礼。)だけれどこのことは大いに問題である。 ぼくの18歳の頃は、やっぱりいきなりテレビ局の人からマイクを向けられたら きっと何を答えたらいいかわからずに何もいえないであろうなあ。  ところで、今度の選挙から、18歳や19歳の人々も選挙に投票できるようになった。 投票率がどんどん下がって、5割を大きく下がって、そんな選挙も珍しくなくなった。それでも、トップ当選の人が国会議員や県議会議員や、市議会議員などとして認められたことになりうる。わずか2、3割の票しか集められなくっても、である。 つまり、議会制民主主義というものは、有権者も投票をするという権利を行使してくれないと幾分困ったことになるのである。国民のレベルしだいの議員であり、政治であり、民主主義と言うことなのだと思う。 だから、どの党派でもよい、投票に行かない人が一番日本の政治を未熟なものにしていると言うことだと思う。白紙で投票してもかまわない、極端に言えば投票所に足を運ばない人が一番悪いとぼくはかねがね思ってきた。  せっかく、ちっぽけな権利だけれども、選挙で投票できる権利を持ったのだから、いろいろ考えて、あくまでも各党の政策を比較検討しながら、自分はこの候補が比較的いいなと思うという人に、そんな政党に一票を入れなければ民主主義というものは始まらない。 テレビ局は、どうしても与党勢力の圧力があるのかないのか、現状の政治勢力に組した報道をしがちなものだと思う。大新聞も一部を除いて基本的にそうだと思う。記者クラブということばを聞いたことがあるでしょう。特に今の大新聞、テレビ局は実に情けないと思う。それをいっても仕方がないのだが。( 国民の力で変えるしかないのだと、きっと。) ところで、あの高校生はぜひ投票に行ってほしいな。きっと選挙の投票が楽しみになるだろう、とぼくは考える。 何故か分かりますか?  国民の一人ひとりが主人公であると、わが国の憲法ではうたっている。 国民主権、と言うことが実際に分かるのが選挙のときなのである。 いままでぼくは何十回と選挙時、投票をしてきたが一度も棄権などしたことがない。 票を入れた方が全員当選したわけではないが、悔いはない。 どうしてもこの20年近くの格差拡大の日本にノーと言いたい、貧富の格差をかってないほどまでに拡大した人々が許せないのだ。 でも、あなたが、君が、どのような政治を望むのか、そのことに関してはまったく干渉する気はないのである。 議会制民主主義の根っこをこの日本に育てていただきたいだけなのであります。  ( 幸いなことに現代はインターネットでいろいろな情報を集められる時代でもある。)       フォト・文 石郷岡まさを