敬老の日、だそうです。
つい、何年か前は他人事のような日でした。
ところが、…最近やっとこのぼくが、いわゆる老人と呼ばれて不自然じゃあないなあと思うようになりました。
街に出ると、高校生や勤めている婦女子から青年まで、いや結構のお年とみられる人にまで、スマフォの普及は著しく、極端なこと言えば学校に上がる前と思われる子供まで、ケータイ持っていたり・・・( 今日そんな風景を見ました。)
若い、たぶん20代か30代のお母さんらしき人がスマフォを見るのに夢中で、話しかけたかったんでしょうどう見ても小学校に上がる前の女の子と見えましたが、母親が応じてくれないので?自分の小さなバッグよりスマフォを取り出してみている、そんな光景を見たばかりなのです。これはいかんでしょ、と思いましたが・・・。
電磁波、大丈夫か?
ぼくはケータイもスマフォも持っていないのですが、だいいち両者の違いが判らないのです、こんな化石のような人間もどんどん少なくなった感がありますね。
パソコンなら幾台か使っておりますよ、パソコンなら使いますけれども、断固としてスマフォは、ケータイは使ってこなかったのです。世の中不便を身に染みて感じております、でも使わないで来ました。
これからはどうなるかわかりませんが、出来れば一生、ケータイもスマフォも使わないで一生を生きたいと思っております。
デジタルの凄さは半ば感心もしているのです。
実際上、カメラはもう20年近くもデジタルですし、実際デジカメの方に完全にシフトしているのです、でも、ケータイは、スマフォは使いたくないのです。
理由は、いたって簡単、個人上の情報を、誰にも、まして悪用するような人々に、見られたくないのです。便利さを捨てても、個人の自由さを大事に思いたいという、岩が現代に通用するかどうかわからない、勝手な理由から、スマフォを使わないで頑張ってきたのです。
ぼくの得た情報では、高校生や大学生を多数、調べてきた学者さんが言うことによれば、「スマフォ」を1日、1時間ほど使う人の成績が一番良かったということです。
どうしても必要な時だけ使うという使い方でしょうか、こんなふうに使うのは、結構自分を抑制できるタイプの人だということから、成績もよかったということに結びつくのでしょうか?多くの人はついずるずると、…いろんな楽しみがありましょうからねえスマフォの中には・・・使ったことがないからつい想像で描きますんですが。
実は写真だって、デジタルの技術は使いますけれども、保存上も長持ちするのは、じつは昔からある銀写真の方が、ずうっと長持ちするということは言われているわけでして。
これからぼくが期待したいのは、デジタル上のスキルは使いますけれども、最後は写真の世界でいうならば、プリントで勝負だあ、ということなのだと思います。
それと老人パワーがどのように絡むのかということは、・・・いつかまた書いてみたいと思いますが、これにて今日は失礼いたします。