自分の気持ちに忠実にまっすぐ生きていこう、という話。
10月下旬の日曜日、新作映画「猿の惑星 創世記 ジェネシス」を観た。
僕にとっては、面白くなかった。時間とお金の無駄だった。この映画の存在を最初に知ったときに、自分の路線じゃないな、と直感で思った。でもしかし、ネット上や雑誌上のコメントやコラムを見たりしているうちに観てもいいかな、と思うようになってしまった。僕の奥さんも観たいと言う。近くのシネコンでは他に観たい作品は上映していなかった。そんないきさつがあり、観に行った。
失敗だった。やっぱり自分の気持ちと直感を信じれば良かった。そしてまた仮に、自分が観たいと感じて観に行って面白くなかったら、「俺ってまだまだ」と気持ちよく反省できる。
ちょっと大袈裟で陳腐だがよく使われる表現で、自分の人生の主役は自分しかいないのだ。いくら評判がよくても自分の直感や食指が動かないのに同調したら、それは他人の人生を歩むことになってしまう。
それから、これが本だったら、立ち読みができて、買うか買わないか判断ができる。場合によっては図書館から借りてきて判断ができる。映画やコンサートなどはお金を払って実際に始まってからじゃないとわからない。もちろん、もし面白くなかったら、会場から我慢しないでさっさと退場すればよいのだけれど。
と、ここまで書いたけれど、人生そう簡単で単純な構造ではない。僕は興味がなかったけれど、奥さんに誘われて以前に観た映画「オペラ座の怪人」は実は面白かった。過去にそんな例はたくさんある。「日本人ばかりのあんなところ僕は行きたくない」と奥さんに言っていたハワイのワイキキだけれど、1度行ったら好きになってしまった。
それから、すごい美人に誘われてしまったら、その映画に興味がなくても一緒に観に行くに決まっているし、もしその内容が面白くなくても、軟弱な僕は「ああすごくいい作品だった」と感じてしまうに違いない。
10月下旬の日曜日、新作映画「猿の惑星 創世記 ジェネシス」を観た。
僕にとっては、面白くなかった。時間とお金の無駄だった。この映画の存在を最初に知ったときに、自分の路線じゃないな、と直感で思った。でもしかし、ネット上や雑誌上のコメントやコラムを見たりしているうちに観てもいいかな、と思うようになってしまった。僕の奥さんも観たいと言う。近くのシネコンでは他に観たい作品は上映していなかった。そんないきさつがあり、観に行った。
失敗だった。やっぱり自分の気持ちと直感を信じれば良かった。そしてまた仮に、自分が観たいと感じて観に行って面白くなかったら、「俺ってまだまだ」と気持ちよく反省できる。
ちょっと大袈裟で陳腐だがよく使われる表現で、自分の人生の主役は自分しかいないのだ。いくら評判がよくても自分の直感や食指が動かないのに同調したら、それは他人の人生を歩むことになってしまう。
それから、これが本だったら、立ち読みができて、買うか買わないか判断ができる。場合によっては図書館から借りてきて判断ができる。映画やコンサートなどはお金を払って実際に始まってからじゃないとわからない。もちろん、もし面白くなかったら、会場から我慢しないでさっさと退場すればよいのだけれど。
と、ここまで書いたけれど、人生そう簡単で単純な構造ではない。僕は興味がなかったけれど、奥さんに誘われて以前に観た映画「オペラ座の怪人」は実は面白かった。過去にそんな例はたくさんある。「日本人ばかりのあんなところ僕は行きたくない」と奥さんに言っていたハワイのワイキキだけれど、1度行ったら好きになってしまった。
それから、すごい美人に誘われてしまったら、その映画に興味がなくても一緒に観に行くに決まっているし、もしその内容が面白くなくても、軟弱な僕は「ああすごくいい作品だった」と感じてしまうに違いない。