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東響オペラシティシリーズ第139回(6月1日)

2024年06月02日 | 東響
沼尻竜典指揮によるポーランドの音楽を並べたマチネーだ。メインは懐かしいヘンリク・ミコワイ・グレツキの交響曲第3番作品36「悲歌のシンフォニー」である。それにエリック・ルーを迎えてフレデリック・ショパンのピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21。前者は30数年前に英国のヒットチャートを飾って大ブレークし、その音盤が大売れしたという極めて珍しい「現代音楽」だ。何と1994年に日本初演を担ったのは、今回の指揮者沼尻と彼が当時常任指揮者を務めていた新星日響だったということだ。(私は当時このオケの定期会員だったが、その初演は特別演奏会だったので聞いた記憶はない)今回配布されていたチラシを観て、「悲歌」で終わるのは何とも気が重いので、ショパンを後に演奏してほしいなと思っていたのだが、残念ながら当日の順番はショパンが先だった。最初のエリックのショパンは実に楚々としたもので、余計な思い入れを排して美音で気品高く美しく音を連ねてゆく。沼尻が実に丁寧にそれに付けてゆくのでオケとの一体感が生まれた心地よさは十分にあった。しかし私としては今一つ物足りない印象だった。アンコールは「雨だれ」として知られる前奏曲集からの一曲。こちらは一音一音の響を大切にする繊細さが曲の持ち味を引き立ててなかなか聞かせた。休憩後はグレツキで、ここでソプラノの砂川涼子が加わったが、全身黒の喪服のような彼女の装束が今回この曲が選ばれた意味を多く語っていたのではないか。そもそもホローコストの犠牲者追悼のために1976年に生まれた曲であるが、ここでグレツキは決して声を荒げるのではなく、全てを心の中に押し込めて瞑想的な音楽の中で犠牲者を弔っている。楽章毎に添えられた三種の詞は子を失った母の哀れかつ悲壮な心情に貫かれていて、世界戦争の無い長い時代が明け何やらキナ臭さが漂う昨今、そこに居合わせる者が聞き、今一度向かい合っている世界を問い直すのに一番相応しい曲であることは確かである。砂川は静謐な音楽に乗せて切々と母の心を訴え、沼尻は一貫した流れの中でその心をいやがうえにも押し上げた。現代音楽としての音楽的価値はともかくとして、独特な手法により強烈なメッセージを感じさせる曲であることは確かであるし、それが音楽の価値であることも確かである。ヒットした時代とは世界の様相が変わってきた今、当時とは別の意味で我々の心に突き刺さるものを感じながら聞いた。

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