六年が経った。
2012年の春先に書いた文章を再アップしたが、これは彼女が「人間活動」中に書いたもので、自分としては、すでに賞味期限切れという認識でいた。しかし友人から手渡された五冊、『1998年の宇多田ヒカル』『宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌』『宇多田ヒカルの言葉』と二冊のROCKIN'ON JAPANの二つのロングインタビューを読んでみて、少し考えを改めた。彼女に対する基本的な認識は現在でも変ってはいない事でもあるし、思い入れのある文章でもあるので、少しく手を入れて再アップすることにした次第である。
思えばその登場以来、日本のミュージック・シーンで彼女程天才の名を欲しいままにしたミュージシャンはいないだろう。この点で異論を唱える人はまず見当たらないと思われる。だが、その高評価や熱狂とは裏腹に、この類稀なるミュージシャンの天才性に切り込んだ文章は未だに書かれてはいないのではないかというのが、友人の見立てである。私はこの見立てが当たっているのかどうか、語る資格も関心もないが、この五冊を読んだ感触から想像する限り、強ち間違いでもなさそうだという感想を持った。
現在においては、天才という言葉は乱発乱用され、それに加えて意図的に誤用悪用さえされている始末で、投機市場と同じくバブルの末期的様相を呈していると私には思われるが(なんせ現在では天才とは自称するものでさえあるらしい)、この言葉はある特定の才能に関する究極のマッチョ的極限概念として、あっけらかんと至極単純な意味合でしか使われていないようだ。私は彼女が天才であることにも異存はないし、それどころか現在の日本においてはその名に値する真に天才らしい天才は、彼女くらいしかいないのではないかとさえ考えているが、現在広く流通しているぶくぶくと野放図に肥大した空虚な概念とは異なり、私はこの天才という言葉をもう少し濃い陰影を持った奥行きのある、いささか複雑な概念だと捉えている。
芸術というものが人類の歴史上に登場した時期は定かではないが、その発展を鑑みれば、そもそも芸術とは人類の生存ためのコミュニケーション技術の一つとして発展してきたと言うことが出来る。そのメイン・チャンネルは勿論言語であろうが、それを補完するものとして言語では言い表せない、いわば言語に絶する精妙な精神的なコンテンツをコミュニケートするために芸術は発展してきたと考えることが出来る。勿論、その一形式である言語芸術についてもこの間の事情は全く変わらない。一流の詩や小説等は、いわば通常の自然言語生活言語の使用法を逆手に取って、言語に絶するコンテンツを超絶的に表現している訳である。だが、この芸術の出現と共に、散発的にではあるが、ある種異形の人類が出現することにもなったのである。この補完的なコミュニケーション技術に驚異的に長けて特化した人々である。これが最も安直な芸術的天才の定義であるが、これ等芸術的天才等は、そのためにある大いなる代償を払わざるを得ない宿命を背負うことになった。これは実に不思議なことだが、補完チャンネルに特化したがために、逆にメイン・チャンネルたる言語表現においては、一種の欠語症患者或は失語症患者たらざるを得ないこととなったのである。極く希な例外は別として。音楽を例にとれば、音楽的天才にとっては、音楽がその精神の最も深い所ににまで食い込んでいるために、音楽自体が根本的な思考原理にまでなっていると言って良い。例えばモーツァルトが「自分は音楽でしか自分の考えを現すことは出来ない」と手紙に書いている如く。最もこの手紙の真偽については議論がある様だけれども。言い換えれば、天才音楽家というのは、その精神の深奥部は音楽で出来ているのであって、音楽でしかその精神を十二分に現すことが出来ないという事である。ここに人間的実存の不可解で巧妙な一形式がある。
従って宇多田ヒカルの際立った一つの特徴として、音楽活動或は芸術表現における高度な自由自在さと人間活動或は生活言語表現における拙劣不器用さという、対極的とも言える性質の奇妙な同居が挙げられる訳である。
「ぼくはくま」(振付&演出:WARNER)
この歌は、彼女自身を歌ったものであるが、なぜ「くま」なのかという点は置いておいて、注目すべきは「歩けないけど踊れるよ しゃべれないけど歌えるよ」という歌詞である。私には、これが彼女の天才たる所以の核心を衝いた表現だと思われるのだ。
「歩けないけど踊れるよ」というフレーズを初めて聞いたとき、舞台で踊っている時よりも、通りで歩いている時の方が苦しそうだったというニジンスキーの逸話を私は思い出したが、「しゃべれないけど歌えるよ」というのは彼女の実感であろう。あえて説明するまでもないと思うが、この歌詞は彼女は歌うという行為には自在を得ているのに対して、じゃべるという行為には自在を得ていないという真実を語っている。つまり、自分や自分のしている事を語るに当たっては先に述べたように、舌足らずの一種の欠語症患者或は失語症患者たらざるを得ないのであって、天才の名を欲しいままにした宇多田ヒカルとてこの事情に変りはなく、彼女自身このことを強く自覚していることをこの歌詞は示している、そう私には思われるのである。
勿論、この「歌えるよ」というのはミュージシャンとしての行為全般を象徴する比喩であって、作詩という行為もこの中に含まれる事は言うまでもない。彼女の歌詞については『宇多田ヒカルの言葉』という本の出版が如実に表しているように「意味深い」とか「味わい深い」という定評があるが、この本は私の目には前二著『点―ten―』『線―sen―』と全く対照的ななものとして映る。この本の歌詞から天才宇多田ヒカルに至る道は開けてはいても、前二著からは、天才宇多田ヒカルに至る道は開けてはいないとまでは断言はできないにしても、その道のりは非常な困難を伴う迷い道であると言って良い。即ち、取り扱いには注意を要するという事である。勿論、ROCKIN'ON JAPANの二つのロングインタビューも同様であることは言うまでもない。なお、この『宇多田ヒカルの言葉』という本の歌詞表記はいささか問題無しとはしない。例えば『ULTRA BLUE』のブックレットでは、「BLUE」には一部の歌詞に下線が引かれているし、「MakingLove」では「私たちの仲は 変 わ ら な い」というように間隔を取った表記になっているが、これらの表記法が変えられ、下線も間隔もなくなっている。ために前者の強調による暗黙のメーッセージ性や後者のアイロニーといった意味合いが消し飛んでいる。勿論、これらは今回この本に収録するに当たっての彼女の意図的な改変と考えることも出来ようが、私はそうは考えない。それはともかく、彼女は文学少女であったようで、将来物書きになる希望を持っており、その時のためにペン・ネームもすでに用意してあるとどこかで書いていたが、二冊の『点―ten―』『線―sen―』という本を造ることで、どうやらこれを断念したようである。この二冊を作る過程に置いて「しゃべれないけど歌えるよ」という自らの資質を痛感させられることになったと私は密かに想像しているのであるが、さてどう思われるであろうか。
さらに、彼女についてはもう一つの特徴も挙げて置かなければならない。実は、これは先の特徴とパラレル、というか相補的でもあるのだが、英語の天才ーgeniusという言葉は、ラテン語で「守護霊」や「守護神」を意味するゲニウス(genius)が語源であって、日本語とは異なりこの言葉には、「守護霊」や「守護神」に取りつかれた人間といった意味合い、ニュアンスがある。これはどういうことかというと、人間としての天才の人生の主導権を握っているのはこの「守護霊」の方であって、取りつかれた人間の方にはないということである。つまり、天才を背負された人間には殆ど自由はないと言って良い。例えば天才音楽家とは、一生をその「守護霊」たる天才性に翻弄され引きずり回され、音楽に携わるよう宿命付けられた一種の奴隷に他ならない。普通には、努力しなければ天才にはなれないという風に考えられているが、むしろ事実は全く逆であって、常人が容易と見る所に敢えて困難を見い出すその天才性が、その人生に過酷な努力を強要するのである。天才とはある種呪われた存在であると言わなければならない。これを彼女に当て嵌めて言えば、取り付いている宇多田ヒカルという「守護霊」が宇多田光という人間を振り廻し引きずり回しているのであって、彼女自身がどう思っているにせよ、「人間活動」もこの「守護霊」が強いたものと言わなければならない。これは例えば「人間活動」後の彼女に、母親を亡くし結婚して子供を生んだ経験から俗耳に入り易い人間的成熟を見い出すといったような、いわばありきたりな私小説的世俗的人間理解の方程式とは全く対極にある天才理解の方程式であって、この宇多田光と宇多田ヒカルの二重人格的主従関係性を最も端的に、象徴的に表しているのが「Devil Inside 」という彼女の文章であることは前に書いて置いた通りである。
人間は拒絶し嫌悪するものには苦しまない。本当の苦しみは愛する者からやってくる。今にして思えば、「人間活動」直前のSINGLE COLLECTION VOL.2の為に新たに作られた楽曲から「Fantôme」の内容は予告されていた。この事実が端的に示しているように、彼女の音楽活動の創造の源泉は母親藤圭子であったと言ってよい。私はこれを古めかしい宿命という言葉で呼びたいのだが、音楽活動とは当初からこの母親藤圭子という宿命に対する強いられた戦いの記録であった。「音楽やってるの、親のためだったんだよね。猫とか犬とかが芸をするような感じでさあ」と。そして、この圧倒的な宿命に対する自己救済のための悪戦苦闘が、無類の芸術を造り、独特の形式でポップ・ミュージックをさらなる高みに高めたのである。だが、「分かり合えるのも、生きていればこそ」という歌詞が「嵐の女神」にはあるが、母親の逝去によって、計らずもこの戦いは全くの不戦勝に終わったようである。しかし、この不戦勝は敗北よりも大きな空虚を彼女にもたらしたのではなかったか。それがどれ程のものであったのか、母親の逝去以降の曲が明確に示していることは私が今更言うまでもないことだろう。それらの楽曲はこの大きな空虚に捉えられ、その美しい透明なBLUEの球体の中に琥珀の中の虫のように閉じ込められている彼女の姿を物語っているように私には思われる。直近の曲から窺えるのは、この球体は時と共にその美しい色合いを益々濃くしその透明度を増して、よりはっきりと中にいる彼女の姿を露わにしつつあるようだ。例えば「Forevermore」にせよ「あなた」にせよ、歌詞の表面的な字面を辿れば熱烈なラブソングと言えようが、私にはいよいよ深まってゆく母親に対する切実で絶望的な思いを歌った曲としか思えないのであるが、どう思われるであろうか。言い換えれば、時と共に益々増していく悲しみの中で、彼女の切実な思いはむしろ絶望的なるが故に殆ど絶対的な希求性にまで昇華されつつある様に思われるのだ。私がここで絶対的なというのは、彼女にとってこの希求性が、殆ど生きてゆく理由そのものとなっている事実を指して言うのであるが、誤解を招く言い方をするなら、この希求性に私は、嵐のような一方的な宿命に囚われ極限の苦悩に苦しみ抜いた人間だけが持つ孤高と狂気を見る。孤独というのにはあまりに凄絶な孤高と錯乱というのにはあまりに静謐な狂気を見る、そう言ったら果して理解して頂けるであろうか。だが、私の不味い演繹はこれくらいにして置こう。
現在、彼女はプロデュサー業へも軸足の重点を移しつつあるようだ。彼女自身この事をどう考えているのか知らないが、これもまたさらなる獲物を求める「守護霊」の渇望によるものと見るべきであろう。新たなステージへ一歩を踏み出したと言って良いが、恐らく彼女自身、次の言葉以外には、これを明瞭に語る言葉を持ち合わせてはいまいと思われる。
「自分で育てたもの、はぐくんだものを、
自分でそうあってほしいと思ってなった世界を、
自分で壊すっていうのが、
ホント・・・・なんでだろうって・・・・。
そういうことの繰り返しのような気がしたのね、
人生が。」
やはり、この天才にとって変化し続けるのは、その基本的な生得の資質であるようである。
2012年の春先に書いた文章を再アップしたが、これは彼女が「人間活動」中に書いたもので、自分としては、すでに賞味期限切れという認識でいた。しかし友人から手渡された五冊、『1998年の宇多田ヒカル』『宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌』『宇多田ヒカルの言葉』と二冊のROCKIN'ON JAPANの二つのロングインタビューを読んでみて、少し考えを改めた。彼女に対する基本的な認識は現在でも変ってはいない事でもあるし、思い入れのある文章でもあるので、少しく手を入れて再アップすることにした次第である。
思えばその登場以来、日本のミュージック・シーンで彼女程天才の名を欲しいままにしたミュージシャンはいないだろう。この点で異論を唱える人はまず見当たらないと思われる。だが、その高評価や熱狂とは裏腹に、この類稀なるミュージシャンの天才性に切り込んだ文章は未だに書かれてはいないのではないかというのが、友人の見立てである。私はこの見立てが当たっているのかどうか、語る資格も関心もないが、この五冊を読んだ感触から想像する限り、強ち間違いでもなさそうだという感想を持った。
現在においては、天才という言葉は乱発乱用され、それに加えて意図的に誤用悪用さえされている始末で、投機市場と同じくバブルの末期的様相を呈していると私には思われるが(なんせ現在では天才とは自称するものでさえあるらしい)、この言葉はある特定の才能に関する究極のマッチョ的極限概念として、あっけらかんと至極単純な意味合でしか使われていないようだ。私は彼女が天才であることにも異存はないし、それどころか現在の日本においてはその名に値する真に天才らしい天才は、彼女くらいしかいないのではないかとさえ考えているが、現在広く流通しているぶくぶくと野放図に肥大した空虚な概念とは異なり、私はこの天才という言葉をもう少し濃い陰影を持った奥行きのある、いささか複雑な概念だと捉えている。
芸術というものが人類の歴史上に登場した時期は定かではないが、その発展を鑑みれば、そもそも芸術とは人類の生存ためのコミュニケーション技術の一つとして発展してきたと言うことが出来る。そのメイン・チャンネルは勿論言語であろうが、それを補完するものとして言語では言い表せない、いわば言語に絶する精妙な精神的なコンテンツをコミュニケートするために芸術は発展してきたと考えることが出来る。勿論、その一形式である言語芸術についてもこの間の事情は全く変わらない。一流の詩や小説等は、いわば通常の自然言語生活言語の使用法を逆手に取って、言語に絶するコンテンツを超絶的に表現している訳である。だが、この芸術の出現と共に、散発的にではあるが、ある種異形の人類が出現することにもなったのである。この補完的なコミュニケーション技術に驚異的に長けて特化した人々である。これが最も安直な芸術的天才の定義であるが、これ等芸術的天才等は、そのためにある大いなる代償を払わざるを得ない宿命を背負うことになった。これは実に不思議なことだが、補完チャンネルに特化したがために、逆にメイン・チャンネルたる言語表現においては、一種の欠語症患者或は失語症患者たらざるを得ないこととなったのである。極く希な例外は別として。音楽を例にとれば、音楽的天才にとっては、音楽がその精神の最も深い所ににまで食い込んでいるために、音楽自体が根本的な思考原理にまでなっていると言って良い。例えばモーツァルトが「自分は音楽でしか自分の考えを現すことは出来ない」と手紙に書いている如く。最もこの手紙の真偽については議論がある様だけれども。言い換えれば、天才音楽家というのは、その精神の深奥部は音楽で出来ているのであって、音楽でしかその精神を十二分に現すことが出来ないという事である。ここに人間的実存の不可解で巧妙な一形式がある。
従って宇多田ヒカルの際立った一つの特徴として、音楽活動或は芸術表現における高度な自由自在さと人間活動或は生活言語表現における拙劣不器用さという、対極的とも言える性質の奇妙な同居が挙げられる訳である。
「ぼくはくま」(振付&演出:WARNER)
この歌は、彼女自身を歌ったものであるが、なぜ「くま」なのかという点は置いておいて、注目すべきは「歩けないけど踊れるよ しゃべれないけど歌えるよ」という歌詞である。私には、これが彼女の天才たる所以の核心を衝いた表現だと思われるのだ。
「歩けないけど踊れるよ」というフレーズを初めて聞いたとき、舞台で踊っている時よりも、通りで歩いている時の方が苦しそうだったというニジンスキーの逸話を私は思い出したが、「しゃべれないけど歌えるよ」というのは彼女の実感であろう。あえて説明するまでもないと思うが、この歌詞は彼女は歌うという行為には自在を得ているのに対して、じゃべるという行為には自在を得ていないという真実を語っている。つまり、自分や自分のしている事を語るに当たっては先に述べたように、舌足らずの一種の欠語症患者或は失語症患者たらざるを得ないのであって、天才の名を欲しいままにした宇多田ヒカルとてこの事情に変りはなく、彼女自身このことを強く自覚していることをこの歌詞は示している、そう私には思われるのである。
勿論、この「歌えるよ」というのはミュージシャンとしての行為全般を象徴する比喩であって、作詩という行為もこの中に含まれる事は言うまでもない。彼女の歌詞については『宇多田ヒカルの言葉』という本の出版が如実に表しているように「意味深い」とか「味わい深い」という定評があるが、この本は私の目には前二著『点―ten―』『線―sen―』と全く対照的ななものとして映る。この本の歌詞から天才宇多田ヒカルに至る道は開けてはいても、前二著からは、天才宇多田ヒカルに至る道は開けてはいないとまでは断言はできないにしても、その道のりは非常な困難を伴う迷い道であると言って良い。即ち、取り扱いには注意を要するという事である。勿論、ROCKIN'ON JAPANの二つのロングインタビューも同様であることは言うまでもない。なお、この『宇多田ヒカルの言葉』という本の歌詞表記はいささか問題無しとはしない。例えば『ULTRA BLUE』のブックレットでは、「BLUE」には一部の歌詞に下線が引かれているし、「MakingLove」では「私たちの仲は 変 わ ら な い」というように間隔を取った表記になっているが、これらの表記法が変えられ、下線も間隔もなくなっている。ために前者の強調による暗黙のメーッセージ性や後者のアイロニーといった意味合いが消し飛んでいる。勿論、これらは今回この本に収録するに当たっての彼女の意図的な改変と考えることも出来ようが、私はそうは考えない。それはともかく、彼女は文学少女であったようで、将来物書きになる希望を持っており、その時のためにペン・ネームもすでに用意してあるとどこかで書いていたが、二冊の『点―ten―』『線―sen―』という本を造ることで、どうやらこれを断念したようである。この二冊を作る過程に置いて「しゃべれないけど歌えるよ」という自らの資質を痛感させられることになったと私は密かに想像しているのであるが、さてどう思われるであろうか。
さらに、彼女についてはもう一つの特徴も挙げて置かなければならない。実は、これは先の特徴とパラレル、というか相補的でもあるのだが、英語の天才ーgeniusという言葉は、ラテン語で「守護霊」や「守護神」を意味するゲニウス(genius)が語源であって、日本語とは異なりこの言葉には、「守護霊」や「守護神」に取りつかれた人間といった意味合い、ニュアンスがある。これはどういうことかというと、人間としての天才の人生の主導権を握っているのはこの「守護霊」の方であって、取りつかれた人間の方にはないということである。つまり、天才を背負された人間には殆ど自由はないと言って良い。例えば天才音楽家とは、一生をその「守護霊」たる天才性に翻弄され引きずり回され、音楽に携わるよう宿命付けられた一種の奴隷に他ならない。普通には、努力しなければ天才にはなれないという風に考えられているが、むしろ事実は全く逆であって、常人が容易と見る所に敢えて困難を見い出すその天才性が、その人生に過酷な努力を強要するのである。天才とはある種呪われた存在であると言わなければならない。これを彼女に当て嵌めて言えば、取り付いている宇多田ヒカルという「守護霊」が宇多田光という人間を振り廻し引きずり回しているのであって、彼女自身がどう思っているにせよ、「人間活動」もこの「守護霊」が強いたものと言わなければならない。これは例えば「人間活動」後の彼女に、母親を亡くし結婚して子供を生んだ経験から俗耳に入り易い人間的成熟を見い出すといったような、いわばありきたりな私小説的世俗的人間理解の方程式とは全く対極にある天才理解の方程式であって、この宇多田光と宇多田ヒカルの二重人格的主従関係性を最も端的に、象徴的に表しているのが「Devil Inside 」という彼女の文章であることは前に書いて置いた通りである。
人間は拒絶し嫌悪するものには苦しまない。本当の苦しみは愛する者からやってくる。今にして思えば、「人間活動」直前のSINGLE COLLECTION VOL.2の為に新たに作られた楽曲から「Fantôme」の内容は予告されていた。この事実が端的に示しているように、彼女の音楽活動の創造の源泉は母親藤圭子であったと言ってよい。私はこれを古めかしい宿命という言葉で呼びたいのだが、音楽活動とは当初からこの母親藤圭子という宿命に対する強いられた戦いの記録であった。「音楽やってるの、親のためだったんだよね。猫とか犬とかが芸をするような感じでさあ」と。そして、この圧倒的な宿命に対する自己救済のための悪戦苦闘が、無類の芸術を造り、独特の形式でポップ・ミュージックをさらなる高みに高めたのである。だが、「分かり合えるのも、生きていればこそ」という歌詞が「嵐の女神」にはあるが、母親の逝去によって、計らずもこの戦いは全くの不戦勝に終わったようである。しかし、この不戦勝は敗北よりも大きな空虚を彼女にもたらしたのではなかったか。それがどれ程のものであったのか、母親の逝去以降の曲が明確に示していることは私が今更言うまでもないことだろう。それらの楽曲はこの大きな空虚に捉えられ、その美しい透明なBLUEの球体の中に琥珀の中の虫のように閉じ込められている彼女の姿を物語っているように私には思われる。直近の曲から窺えるのは、この球体は時と共にその美しい色合いを益々濃くしその透明度を増して、よりはっきりと中にいる彼女の姿を露わにしつつあるようだ。例えば「Forevermore」にせよ「あなた」にせよ、歌詞の表面的な字面を辿れば熱烈なラブソングと言えようが、私にはいよいよ深まってゆく母親に対する切実で絶望的な思いを歌った曲としか思えないのであるが、どう思われるであろうか。言い換えれば、時と共に益々増していく悲しみの中で、彼女の切実な思いはむしろ絶望的なるが故に殆ど絶対的な希求性にまで昇華されつつある様に思われるのだ。私がここで絶対的なというのは、彼女にとってこの希求性が、殆ど生きてゆく理由そのものとなっている事実を指して言うのであるが、誤解を招く言い方をするなら、この希求性に私は、嵐のような一方的な宿命に囚われ極限の苦悩に苦しみ抜いた人間だけが持つ孤高と狂気を見る。孤独というのにはあまりに凄絶な孤高と錯乱というのにはあまりに静謐な狂気を見る、そう言ったら果して理解して頂けるであろうか。だが、私の不味い演繹はこれくらいにして置こう。
現在、彼女はプロデュサー業へも軸足の重点を移しつつあるようだ。彼女自身この事をどう考えているのか知らないが、これもまたさらなる獲物を求める「守護霊」の渇望によるものと見るべきであろう。新たなステージへ一歩を踏み出したと言って良いが、恐らく彼女自身、次の言葉以外には、これを明瞭に語る言葉を持ち合わせてはいまいと思われる。
「自分で育てたもの、はぐくんだものを、
自分でそうあってほしいと思ってなった世界を、
自分で壊すっていうのが、
ホント・・・・なんでだろうって・・・・。
そういうことの繰り返しのような気がしたのね、
人生が。」
やはり、この天才にとって変化し続けるのは、その基本的な生得の資質であるようである。