ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

日本精神分析再考(講演)(2008)ー柄谷行人

2017-09-27 00:00:00 | 小林秀雄
とても興味深い文章を見つけたので、紹介しておきます。

日本精神分析再考(講演)(2008)

「こう見ると、丸山真男がいう「日本の思想」の問題は、文字の問題においてあらわれているということがわかります。特に「歴史意識の古層」というようなもの、あるいは、集合無意識のようなものを見なくてもよい。漢字、かな、カタカナの三種のエクリチュールが併用されてきた事実を考えればよいのです。それは現在の日本でも存在し機能しています。日本的なものを考えるにあたって、それこそ最も核心的なものではないか。私はそう考えたのです。ところが、調べてみると、不思議なことに私が考えようとしたことを誰もやっていないんですね。どんな領域でも何かをやろうとすると、すでにそれに手をつけている先行者が必ずいるはずなのですが、いない。しかし、実はいたのです。それがラカンでした。」

いやいや、もう一人誰か大事な人を忘れてはいないですかね、柄谷さん。

「彼(宣長)は、思想があって、それを現す為の言葉を用意した人ではない。言葉が一切の思想を創り出しているという事を見極めようとする努力が、そのまま彼の思想だったのである。」(『本居宣長補記Ⅱ』)




『座右の秀雄』

2017-09-01 00:00:00 | 小林秀雄


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『座右の秀雄』が出版される運びとなりました。

 出版の企図やそもそもこのような文章を書くに至った意図については、以下の「まえがき」と「あとがき」を読んで頂ければと思うが、以前からこういった文章はネットとはあまり相性が良くないというか、どうも居心地が悪いように思われて仕方がないという気持ちがあったのも事実である。その依って来る理由が何であるのかは良く解らないものの、例えば媒体のプロトコルやインターフェイスによって、読み方もまた微妙に影響を受け、その意味合いが変ってくるとも言えそうである。私自身どうかと言えば、機械端末に対するのと紙の書籍に対するのとでは、心的態度が明確に異なるのは確かである。それぞれ読んでいる時に流れている時間の質が異なると言い換えても良い。従って、紙の書籍の方が好ましく感じられるということは、私はこの本に纏めた文章をどの様に読まれたいのかをある程度想定しているという事になるのかも知れない。

 なお、出版に当たって改めて校正がてら全文を読み直す必要があった訳だが、頻発する誤字脱字に加えて自分でも呆れるほどのうっかりした事実誤認や論理的不整合性などのアラが目立ち、それを訂正するのにものぐさとしては一向に面白くもない苦行とも言える日々を過ごすこととなった次第である。やれやれ。ただし、作業中どうしても私に取りついているダイモンが加筆修正を要求すると言って聞かないので、量としては微々たるものとは言え、ロジックの上では重要な加筆や修正を行ったということは言い添えて置かなければならない、とここで勿体ぶった宣伝をして置くことにする。従って、当初の心づもりとしては、旧来の文章はそのままネット上に置いておくつもりであった訳だが、先の様な意味合いもあって、これまでの拙劣未熟な文章をこのままネット上に置いておくのは、色々と差し障りがあると判断し、引っ込める事とした。了とされたい。




まえがき

「この本に収められた文章は、もともとはブログ上にアップして置いてあったものである。ひっそりとネットの片隅に置いておくことで、少数の心ある人に読んで貰えればよい、そう漠然と考えていた。まあ、そのうちに機を見て本にするつもりではいたものの、それが自分でもいささか意外な事に、急転直下この本を今回上梓する気になったのは、書店でツンデレ本『ドーダの人、小林秀雄』鹿島茂著を見付けたからである。生前の小林秀雄高評価に対する反動もここに極まれりとの感を抱いたからである。機が熟したのを知ったと言っても良い。

 とは言っても、何も私は鹿島氏の小林に対する否定的なスタンスが必ずしも気に入らない訳ではない。また「ドーダ」とか「ヤンキー」だとか「ユース・バルジ」とか「集団的アモック」だとかの道具立て自体が気に入らない訳でもない。ただ、その道具立てが道具立て倒れに終わっているのが単に頂けないだけなのである。呆れる程と言ったら言い過ぎであろうが、底の浅い読みやピント外れの考察が文字通り「ド―ダ」と言わんばかりに陸続と繰り出されるのに、読んでいて辟易したのは私だけであろうか。ここでその一例を挙げれば、長谷川泰子と小林の恋愛である。SだのMだの鹿島氏はノリノリで書いているようだが、私にはあくびが出る体の退屈な文章であった。ここには恋愛における人間的眞實に対する洞察の一片の閃きすらも何ら見られない、そう言ったらあんまりな評であろうか。思うにこの恋愛の本質は小林が中原中也の恋人を奪ったという点にあるのであって、この三角関係についてはこれまでにも色々と取り沙汰されて来てはいるが、私には「韋駄天お正」の洞察が唯一事の本質をピンポイントで打ち抜いていると思われる。その恐ろしい文章を鹿島氏の考察との対比の意味で、ここで引いて置くのも良いだろう。なお文中「お佐規さん」とあるのは泰子のことである。

「男同士の友情と言うものには、特に芸術家の場合は辛いものがあるように思う。中原中也の恋人を奪ったのも、ほんとうは小林さんが彼を愛していたからで、お佐規さんは偶然そこに居合わせたにすぎまい。彼女に魅力がなかったらそれまでの話だが、あいにく好みが一致しているのが友達というものだ。それは陶器にたとえてみればすぐ解ることで、親友が持っているものは欲しくなるのがふつうである。このことは同性愛とは何の関係もないもので、男が男に惚れるのは「精神」なのであり、精神だけでは成立たないから相手の女(肉体)がほしくなる。と、まあそんな風に図式的にわり切ったのでは身も蓋もないが、私はそういう関係を見すぎたために、無視することができないのだ。
「親友と云うものの中には此の世では親友としては交わって行けない、そういう親友だってあるのだから、仮にそれがピッタリいったとしたら余程めぐまれていると思っていいのだろう。併し、非常に低い処でしか、そんな幸運にはめぐまれないものである。」(『世間しらず』)
 この言葉は真実を語っている。「高級な友情」というものは、畢竟するところ濁世ではゆるされぬものなのだろう。」(白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』)

 結局のところ、本文中で触れておいた橋本治氏の『小林秀雄の恵み』を経由してこの『ドーダの人、小林秀雄』に至るに及んで、とうとう批評という文学形式の堕落もここに極まったのではないか、この本の出現は、批評という文学形式の自己解体も、行くところまで行きついたという証左ではあるまいか、そう私には思われたという事である。これは何も批評に限らないとは言え、文学がかっての輝きを失って久しいが、取分け批評という文学形式においてはそれが顕著なのは、マウンティングというこの形式に顕著な悪弊へとあまりに傾斜し過ぎたがためであると思うのは、私だけではあるまい。実はこの悪弊に対する平衡感覚こそが、批評家としての欠くべからざる必須の資質要件ではあるのだけれども。

 それはさておき、これまで書かれた総ての小林秀雄論に私が覚える不満は、一体全体小林秀雄という文学者はその批評家人生においてどのような難問に逢着し、ためにどのようなテーマを課題として持つに至ったのか、或は持たざるを得なかったのかという点に関する考察や洞察が、殆ど見られない点である。思うに、既存の小林秀雄論の殆どは、小林に寄り添うにせよ反発するにせよ、その基本的属性はこの意味においてスタティックなものばかりであって、その精神の持続におけるダイナミックな紆余曲折に迫ろうとした論考は殆ど見られないと言って良い。唯一、山本七平氏のものを覗いては。ここで大口を叩くつもりはないけれども、私としては、小林の言葉を借りれば、「小暗いところで、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握ったという具合なわかり方」をした私なりの小林像を手ずからに、いささかなりともダイナミックに描いてみたつもりある。この意味ではここに提示された小林像は、予定調和的なそれではなく軋轢型のそれである、そう言っても良い。言うまでもなく、それが成功したかどうかは、実際に読んで頂く他はないのではあるけれども。

 なお、ここに纏められた文章は2011年1月から2016年2月に懸けて断続的に書かれたものである。そのために吉本隆明丸谷才一両氏の逝去や雑誌「考える人」特別付録の小林・河上最後の対談音源の公開などの”偶発事”によって図らずも論理展開に曲折を強いられることになった。考えるところあって、必要最小限の加筆修正だけにとどめ、そのまま公表することとした。年数などの数字もあえて当時のままにして置いた。了とされたい。」




あとがき

「これでようやく四十数年来の宿題を果たせたという思いでほっとしている。ここで宿題というのは、言って見れば小林から渡されたバトンを次の世代の走者に渡すという独り善がりの勝手な思い込みのことであるが、独り善がりとは言え、長年に渡り重荷になっていた義務を果たすことが出来た達成感と開放感とがないまぜになった充実した空虚感の中にいる、というのが偽らざる気持ちである。小林を語るに当たって逸してはならない重要な論点は、一通り網羅して置いたつもりではあるが、これから小林を身を入れて真摯に読んでいこうという若い人には、私の描いた小林像を踏み台にして乗り越え、さらにその先へ、小林の全文業という豊富な沃野へと、ぜひとも突き進んで貰いたい、そう強く願う次第である。
 それから最後に付け加えて置かなければならないのは、小林に倣って私もまた「一度読んでもなかなかわからない工夫」をして置いたという事である。それを頭の片隅に置いて読んでいただければ、著者の喜びこれに過ぐるはない。」