ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

平和なときの平和論

2024-08-31 11:00:00 | 言葉・ことば・言葉
現代日本では平和論が盛んである。しかし、平和なときに平和を唱えるのに勇気はいらない、誰にだってできることである。新聞は勇気があるようにおだてるが、なに読者に媚びているのである。勇気は戦争になってから唱えるほうにいる。言えば袋叩きにされる。うしろに手が回る、牢屋に入れられる。このとき袋叩きにするのは、ほかでもないあの平和なときに平和論を唱えた者どもである。>―山本夏彦



 

暴落はトレンド、トレンドはフレンド 13

2024-08-25 07:00:00 | トレンド・フォロー
今回の調整は、225・topix共に月足で見るとなかなかとエグいピンバーになっている。やはり4万円奪還となりそうである。

225月足

topix月足


さて、まだトレードは終わってはいないが、この後は5日移動平均線を割ったらエグジットする最終工程だけなので、少し早いが再現してみよう。



6月26日 図のようにレンジを、出来高を伴って上に抜けたのでエントリー。0-10

7月2日 上値の目処は前の高値だが、早め早めにツナギ売りを入れて利益を確定していく算段である。酒田新値5本目なので、2-8

7月9日 酒田新値7本目、出来高を伴って吹いたので、ここでスクウェアにする。第一工程完了。5-5

7月12日 大きく下げて、陰線で5日移動平均線を割ったので、買いを外し売りを増やしていく。7-3

7月18日 大きく下げる。25日移動平均線を下に抜けるかに注目。10-0

7月25日 結局25日・50日・75日・100日移動平均線を難なく抜けて大きくギャップ・ダウン。そろそろ戻りがありそうだし、出来高が突出して大きいので、一旦リバウンドすると判断、半分を利確。日柄は10日目なので、底打ちにはまだ早く、買いは入れない。5-0

7月31日 5日移動平均線が水平になり、長い陽線で上に抜けたのでヘッジを入れる。5-2

8月1日 翌日、直ぐに5日移動平均線を陰線で下に抜けたので、ヘッジを外す。7-0

8月5日 300日移動平均線も突破し、長い陰線。この2日間の下げは凄まじい。出来高も前回の底打ち時よりも大きく底打ちを示唆しているが、日柄が17日とまだ早いので半分の4を利確するに留め、買いはまだ入れないで置く。例によって残りの3に、この日の高値21725+1の21726にストップを入れて置く。

8月6日 あらら、上髭にストップが引っ掛かり、0-0。やれやれ。しかし、ここは「我事に於て後悔せず」である。

8月7日 長い陽線。出来高も最大で、終値で8月5日から2割(普通は1割が目安)逆行しているので明らかに底打ちと思われるが、日柄は19日目なのでちと早い。日足が5日移動平均線に掛かってきているが、5日移動平均線の傾きがまだ急なので、エントリーは見送って、様子見。

8月9日 陰線だが、下髭で5日移動平均線に支えられている形になっていて、実体部分が5日移動平均線の上に出たので、ここでエントリー。0-2

8月13日 週明け、ギャップ・アップして陽線。5日移動平均線もV字回復で相当に強い。暴落時にこのように5日移動平均線が鋭角のV字になるのは珍しく、こういう時は得てして「行ってこい」の場合が多い。つまり、2番底の可能性は殆どないと見てよい。0-4

8月14日 下髭が長い十字線。強いが「乗せ」はあまり増やさないで置くのが鉄則なので、ここで打ち止め。0-5

ということで、現在は述べたように5日移動平均線を割らない限りホールドして、上昇について行くだけの状態になっている。今回の暴落については円キャリーの巻き戻しだとか、植田ショックだとか、都知事剥離骨折ショック(嘘、笑)だとか、色々と言われているが、私に言わせるとそれらは皆後講釈で、<利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか>と小林秀雄に倣って言いたくもなる。

改めてリバモアの言葉の凄さを見せつけられた暴落であったと思う。ま、ポジション・トークですけどね。

株価を動かす要因が何か、多大の時間をかけて答えを見つけようとするのは愚かである。株価が変動する姿にのみ意識を集中させよ。変動の理由に気をとられてはならない。>(ジェシー・リバモア

終戦記念日に考える 3 ー 「終戦」記念日の意味するもの

2024-08-18 00:00:00 | やまとごころ、からごころ
終戦記念日」をググってみると、大体こういった同じような内容の文章がヒットする。曰く、第二次世界大戦「終戦日」の認識は国によって異なっているとして、ロシア、アメリカ、中国などの諸外国の日付が参照されるのだが、これらの文章にはある重要な視点が欠落しているのが、お判りだろうか。

Wikipedia終戦の日

日本人だけが8月15日を「終戦日」とする謎


それは、この戦争に勝ったか負けたかと言う視点で、「戦勝記念日」と「終戦記念日」とでは、その意味合いが全く異なると言わなければならない。つまり、こういった文章で書かれている<第二次世界大戦終結の日の認識>という見方は、この「戦争における勝者と敗者=戦勝国と敗戦国と言う本質的な差異を覆い隠し、日付の差異という別の差異への論点ずらしになっているということである。

そもそも、「戦勝記念日」というのは、勝利を記念するという意味で、至極当然の記念日であって、多くの国で設けられているのも良くわかる道理だが、恐らく「終戦記念日」なる摩訶不思議な記念日が存在するのは、わが国だけであろう。この摩訶不思議さは、「終戦」という言葉を「敗戦」と言い換えてみればすぐにわかることで、よく自虐史観などと言われるが、さすがに自虐史観であっても「敗戦記念日」はあり得ないだろう。

この私の感ずる「終戦記念日」に対する違和感を、表立って表明した識者や知識人を、残念ながら私は知らないのだが、このように、この”論点ずらし”が、全く意識されていないという点で、それだけ根は深いと思わざるを得ないとも言える訳である。

そしてまた逆に、多くの国にあって、わが国にない記念日がある。それは「独立記念日」で、この二つの相補的な事実ー「終戦記念日」の存在と「独立記念日」の不在・欠落は、戦後における日本人の、表立って意識されてはいない考え方の特異性を先鋭且つ顕著に表しているのではないかと私は考えているのだが、それがこの文章を書いている理由でもある訳である。

日本の「独立記念日」というと、普通に考えれば、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ平和条約を締結した4月28日ということになろう。知らない人も多いと思うが、→ようやくにして2013年(平成25年)になって、第2次安倍内閣が4月28日を「主権回復の日」として定めたが、「記念日」ないし「国民の祝日」ではないため、カレンダーには載ってはいない。これら事実としての行動様式から考えると、「主権回復の日」(=「独立記念日」)よりも、「終戦記念日」の方が重要だと我々日本人は考えていることになると言えよう。

では、この「終戦記念日」の体現している思想、見方や考え方とは、一体なんなのであろうか。

そのことは、8月15日という日付に端的に表れていると言えよう。日本の「敗戦」が決まったのは、前日のポツダム宣言受諾8月14日である事実から考えれば、日本人にとってはポツダム宣言受諾よりも記念日とすべき、重要なある歴史的な事件が8月15日に起こったということである。その重要なある歴史的な事件とは、何を隠そう「玉音放送」で、この8月15日に、我々日本人は「敗戦」を「終戦」として受け入れたということある。

つまり、「終戦記念日というのは、「敗戦」=戦に敗れた日ではなくて、日本国民が「敗戦」を「終戦」として受け入れ、納得した日として記念する日なのだと言うことが出来る。言い換えると、戦後の我々日本人にとって、記念日として今後未来永劫に渡って記念していく日としては、ポツダム宣言受諾の日でもなく、サンフランシスコ平和条約締結の日でもなく、玉音放送の日こそが、そして玉音放送の日だけが、それに相応しいと考えていると言うことである。

なぜこのような事になっているのか。その背後にある、表立っては意識されてはいない思想、見方や考え方については、日本の歴史的・文化的な深い理解に基づいた洞察が要請されると考えられるが、ここで私見を述べてみたい。


結論を先ず述べれば、この背後にあるものは、「やれやれやっと終わった」という安堵の気持ちではないかと私は考えている。つまり、前にも書いたが、日本は明治・大正と無理をして「軍国主義」へと舵を切ってきたのだが、やっとその無理難題から解放されたということである。制度的に見れば、江戸時代の朝廷・幕府二極体制から、明治になって国際情勢による圧力に対抗するために、相当な無理をして現人神である天皇(=朝廷)一極体制にもっていったのだが、敗戦によってこの無理難題から解放されたと言うことである。この意味で、戦後の象徴天皇・代議制民主主義という二極体制は、江戸時代の朝廷・幕府という二極体制へと、言わば先祖返りしたと見ることが出来る訳である。

このことは、なんせ江戸時代は三百年も続いたのであるから、江戸時代に培われた我々日本人の考え方や見方は、たかだか文明開化による近代化や、その帰結である近代戦争に敗れたぐらいでは変わりはしなかったとも言えよう。この意味では、戦後の昭和・平成の日本は、戦前の明治・大正の日本を飛び越して、文化的・精神史的には、江戸時代に地続きで繋がっているということになる。従って、戦後の日本社会は表向きは近代民主主義国家の体裁をとっているが、実際には江戸時代的秩序としての「世間」として弾力的に運用されているということでもある。「近代社会という建前」と「世間という本音」の矛盾や軋轢を内包しながら。



そして、この安堵はまた、勿論一部には反発もあったが、占領軍に対する日本国民の熱烈な歓迎ぶりに表れていると思われる。その歓迎ぶりは占領軍というよりもまるで解放軍といった有様で、そのことは異様なとも言える当時のマッカーサー人気からも伺える。何とマッカーサーに全国の日本国民から、数十万通の結婚の申し込みや娘の婿にといった手紙が殺到したというから凄まじい。これだけではないだろうが、こういった様々な進駐軍に対する日本人の態度が、マッカーサーの眼にどう映ったのかは、<科学、美術、宗教、文化などの発展の上から見て、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、(敗戦国である)ドイツ人はそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人は生徒の段階で、まだ12歳の少年である>という後年の発言から窺い知ることが出来る。

ただ、私がこのことを指摘するのは、「玉音放送の日を境にして、日本人の考え方が、反米から親米へ、「鬼畜英米」から「ギブ・ミー・チョコレート」へと、一変した事実に注目したいからである。

このように日本人は、8月15日に、言わば「心を入れ替えて出直した」訳だが、この変わり身の鮮やかさは、アメリカが予期していたような、亡命政府樹立による地下レジスタンス運動などの動きも全く見られず、アメリカにとってみれば、言わば拍子抜けしたといった格好で、アメリカ進駐軍は歴史上最も寛容な占領軍であったなどと評価する向きもあるが、それはこういった日本側のある意味では卑屈とも言い得る従順な態度を抜きにしては、片手落ちの評価だと言わなければならないだろう。

そして、様々な多くの歴史書をこれまで読んできたが、この日本人の豹変ぶりを指摘し考察した著述家は、私の知る限り山本七平だけである。この点で、現在良く知られている司馬遼太郎史観半藤一利史観などに対して、歴史に対する洞察力という点で、山本七平史観は一つも二つも頭抜けていると言っても良いと思う。

そして、その山本七平の著作で最も名高く、最も読まれている著作は『空気の研究』であろうが、またこれほど理解されていない著作も珍しいのではないかとも思う。



それはこの本が言及される場合は、殆どと言って良い程前半の部分のみあって、肝心な後半の「研究」の部分は、これまた全くと言って良い程言及されないからである。要は、ほとんどの読者は日常生活に感じている、上手くは言語化出来ない同調圧力の存在を、明確に言語化して説明・指摘されれば、それだけで言わばお腹一杯、それ以後は咀嚼できず、消化不良を起こしてしまうといった事のようなのだ。山本は「空体語」と「実体語」という彼一流の概念を使って説明しているが、山本が「実体語」として「空気」を語っているのにも関わらず、「空体語」として理解・消費されて、多くの読者を引き付けているというのは、逆にそれだけ「空気」の強固さを証明していることになってしまっていると言わなければならない。ここでもまた「名声とは誤解の異名である」というテーゼを証明する結果になっているのは、皮肉な巡りあわせである。やれやれ。

これは、山本独特の語法やプレゼンの流儀、さらには「山本学」の全体像を理解した上でないとなかなかと理解しにくいという点にもあると思われるが、この意味で少し前に「山本学」の全体像のアウトラインを掴むのに格好の著作が復刊されたので、ここで紹介しておくのも良いだろう。小室直樹によって、山本独特の語法やプレゼンの流儀の灰汁が中和されて、すこぶるリーダブルな著作になっているからだ。

日本教の社会学


それはともかく、山本はこの同じ日本人の豹変パターンを、尊王攘夷から開国文明開化へと舵を切った明治維新にも見ているが、この『空気の研究』の中で、先の「空体語」と「実体語」の天秤モデルとして説明している。詳しくは同書を参照されたいが、「空体語」と「実体語」でバランスを取っていた天秤が、バランスが取れなくなるとひっくり返ってしまい、一挙に反転してしまうことになるという動的なモデルを提示している。

これまでに述べたようにそれが敗戦時に反米から親米へという形で現れ、戦後が始まった訳だが、最近はまたこのバランスが危うくなってきているように見受けられる。これまで「ギブ・ミー・チョコレート=親米保守が本流だったのが揺らぎだして、「鬼畜米英=反米保守の言説が顕在化して来ているのはその表れであろう。


さて、現在「終戦記念日」に広く恒例行事として、靖国神社参拝が行われているのは承知の事実だが、私の眼から見るとこれもまた摩訶不思議な行動に映る。例えば、その趣旨からいえば、「主権回復の日」(=「独立記念日」)である4月28日の方が相応しいのではないかと思うのだが、どうやら参拝者達は「終戦記念日」自体にも、「終戦記念日」に靖国神社参拝をするという点にも、何ら違和感を感じていないように見える。

この靖国神社参拝については。その裏付けとなっている「保守主義思想」ともども、次に考えてみたいと思う。




ラリー・ウィリアムズのエピソード

2024-08-12 17:00:00 | 人の行く 裏に道あり 花の山
負けるトレーダーは彼自身を変えたいと思ってはいない。それは勝てるトレーダーがやることなんだ。ーエド・スィコータ


先日、株をやっている若い友人(STF氏の講演会に行った御仁である)に用事があって会った際、最近、STF氏について書いたブログの文章のアクセスが異様に増えているという話題を振ったところ、「ああ、それはたぶんこの動画のせいですよ」と、その場でタブレットを出して、松井証券の宣伝番組にSTF氏が出演した動画を見せてくれた。




観終わって、「STF氏も罪作りだなあ」とそのあと少し批判的なことを喋ったのだが、例によって、話がかみ合わない。

STFさんが昔書いていたブログでは、自分はファンダメンタル派だと言っていますよ

だから罪作りなんだよ

ということで、株の才能とプレゼンの才能は別だという話を、ラリー・ウィリアムズのエピソードやら→宇多田ヒカルの例まで持ち出して、色々と小一時間ほど説明したのだが、結局、怪訝な顔をされて終ったという顛末。やれやれ。

そしてその夜、この友人から、URLだけが記載されている短いメールが送られてきた。クリックして、今頃になってアクセスが急増した本当の理由を知った訳だが、なるほどねえ。コピーライター顔負けの名キャッチ・コピーで、ここまで理解してくれれば、文章を書いた甲斐があったというものだが、一方で果たしてどれだけの人が二行目のの意味を理解したであろうかとも思う。まあ、甘く見積もって、数パーセントといったところだろうか。やれやれ。





で、結局のところ、私がSTF氏のプレゼンが罪作りだというのは、地動説というコンテンツを天動説のマナーでプレゼンするからである。言い換えると、テクニカル的な考え方を、ファンダ的な考え方の文法に則った語法でもって説明するからに他ならない。この意味合いで、いささか辛口の言い方をすればボケのプレゼンだからで、従って、私としてはどうしてもツッコミを入れざるを得ないということになる訳である。

この事は先に挙げた、ラリー・ウィリアムズの書いているエピソードの例が判り易いと思うので、最後に紹介しておこう。最初にこのエピソードを読んだ時は、飲んでいたコーヒーを吹き出してしまい、結局パソコンのキーボードを買い替える羽目に陥ったという、私にとっては、いわくつきのエピソードでもある。


先週末、フロリダでセミナーを講演していたジェイク・バーンスタインは、こんな興味深い話を披露してくれた。

何年か前、ジェイクがある証券会社の顧客の集まりで講演した時のことである。顧客達は主に牧場主や農場経営者、数人のトレーダーも混じっていた。講演が終わると、一人だけトレーディングで成果を上げている顧客がいて、その人に会ってみないかと誘われたのである。その顧客は、特に頭脳明晰というわけではないが、トレーディングでは必ず儲けているという話だった。

この農夫とジェイクはとても話のウマが合ったようで、老農夫はジェイクに自分がどんな取引システムを使っているのか知りたいか、と言った。「もちろん」とジェイクは述べ、「どんな手法なのか、ぜひ拝見したいですね」と答えた。そこで老農夫は、ポーク・ベリーのチャートを開き、糸のついた振り子を取り出した。チャートの上に振り子をかざすと、彼はジェイクに言った。

「このページの上で、振り子が上下に振れたら買い、横に振れたら売りなんだよ。ジェイク、見てしまったね、俺のシステムを」

この話を引き気味に聞いていたジェイクは、しばしの間考えて、尋ねた。

「それだけですか? 他に何もありませんか?」

「えーと・・・」とこの老農夫は口ごもり、答えた。

「もう一つあるけど、あんまり意味はないと思うね。その日の終わりで損をしていたら、そのトレードは仕切ることにしているんだ」



暴落はトレンド、トレンドはフレンド 12

2024-08-06 07:00:00 | トレンド・フォロー
今回の暴落について、したり顔で暴落の原因がどうとか、暴落の責任犯捜しとか、例によってマスコミやSNSが騒がしいが、今更のように市場というのは戦場であると思った次第。

今回は引用だけ。小林秀雄の言葉


今日の様な批評時代になりますと、人々は自分の思い出さえ、批評意識によって、滅茶滅茶にしているのであります。戦に破れた事が、うまく思い出せないのである。その代り、過去の批判だとか清算だとかいう事が、盛んに言われる。これは思い出す事ではない。批判とか清算とかの名の下に、要するに過去は別様であり得たであろうという風に過去を扱っているのです。
・・・・
 戦の日の自分は、今日の平和時の同じ自分だ。二度と生きてみる事は、決して出来ぬ命の持続がある筈である。無智は、知ってみれば幻であったか。誤りは、正してみれば無意味であったか。実に子供らしい考えである。軽薄な進歩主義を生む、かような考えは、私達がその日その日を取返しがつかず生きているという事に関する、大事な或る内的感覚の欠如から来ているのであります。
>(『私の人生観』


宮本武蔵の「独行道」のなかの一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。これは勿論一つのパラドックスでありまして、自分はつねに慎重に正しく行動して来たから、世人の様に後悔などはせぬという様な浅薄な意味ではない。今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、そういう小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、そういう意味合いがあると私は思う。
・・・・
 昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。
・・・・
 それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。そこに行為の極意があるのであって、後悔など、先き立っても立たなくても大した事ではない、そういう極意に通じなければ、事前の予想も事後の反省も、影と戯れる様なものだ、とこの達人は言うのであります。行為は別々だが、それに賭けた命はいつも同じだ、その同じ姿を行為の緊張感の裡に悟得する、かくの如きが、あのパラドックスの語る武蔵の自己認識なのだと考えます。
>(『同』


僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。>(『コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで』


暴落はトレンド、トレンドはフレンド 11

2024-08-04 17:00:00 | トレンド・フォロー


以前に、方針はすでに決めてあって、それは「ツナギ」を入れながらの両建てによる「売り上がり」で、リスク・マネージメント最優先で、ドテン狙いと書いたが、現在まで図のような売買経過となっている。

ここでは、「ツナギ」を入れながらの「売り上がり」に重点を置いて説明をしたいと思う。なお、売買したのは1570日経平均レバレッジETFで、結局、休みを入れられなかったということである。ポジポジ病は、なかなか治りませんなあ。

3月18日 5日移動平均線が25日移動平均線と重なったところで、大きな出来高を伴って長い陽線が出たので、ここは明らかにエントリー・ポイント。翌日寄り成りで0-10。

ここから、上昇すれば、ツナギを売り上がりで入れて行き、理念型で言えば取り敢えずは10-10のスクウェアを目指す訳である。これが第一工程。ここまでが上手くいけば、この時点で、利益は固定されることになるので、この後、上がろうが下がろうが問題ない訳である。最も信用分の金利手数料は取られることにはなるが。

そして、この後第二工程として、株価の動きを見ながら、買いを外して行って下げを取る訳だが、どうも無理っぽいと思えば、この第二工程は省いても良い。つまり、売り買いの玉を同時に手仕舞ってしまえばよい。買いが現物なら現渡しで清算すればよい訳である。

つまり、リスク・マネージメント最優先というのは、こういった利点があるからで、売ってしまわないで、ツナギを入れるなどという、なんでこんな複雑なことをやるのかというと、こうやって利益を確保・固定して、難しい局面を切り抜けて行くことが出来るからである。

例えば、10-10のスクウェアにした時点で下げを予想している訳だが、このあと踏みあげられて上がっていった場合でも、清算しないで、じっくりと待って下げだしたのを確認してから、売りを増やすなり、買いを外すなりをしていっても良い訳である。

言い換えると、これには地合いを読む技術と分割して玉を増減させるポジション・ワーク技術が必要とされる訳で、よくあるような片張りの一撃必中一点集中買いといったやり方とは、対極にある徐々に分割して売買してゆく方法である。

4月1日 長い陰線で5日移動平均線を上から下に抜ける。この日の陰線一本だけで上値と下値を切り下げたことになるので、ダウン・トレンド確定。5日移動平均線も右肩下がりになって来ているので、一先ず天井を打ったようだ。7-3

4月5日 前日に5日移動平均線の上に出たが、終値では結局超えらずにこの日に下値を更新。10-0

4月9日 5日移動平均線の上に出たので、ヘッジを入れる。10-2

4月15日 5日移動平均線に絡んでちゃぶついていたが、この日に短い陽線だが、5日移動平均線から下に離れたので、12-0。50日移動平均線に当たって跳ね返っているようにも見えるが、5日移動平均線と25日移動平均線の間隔が開き出しているので、まあ、大丈夫だろうと判断。

4月19日 下がってきて長い陰線、下髭が100日移動平均線に当たって跳ね返されたように見えること、25日移動平均線、75日移動平均線という節目で跳ね返ることなく下げてきたのでそろそろ反発しそうに思われること、最近にない巨大な出来高であることから底を打ったと判断、ここでエグジット。0-0

このあと、6月26日に再度エントリーしているが、これは現在も継続中なので、終わってからまた説明したいと思うが、基本的な考え方は同じである。

今回は5日移動平均線の傾きから言っても、前回と違って暴落と言って良いが、一番下の300日移動平均線で跳ね返されるかどうかに注目、また日柄から言えば、来週の後半または再来週の前半辺りが底打ちになると思われる。