ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

『ベルクソン思想の現在』

2023-03-20 16:00:00 | ベルクソン



どうやら2022年という年は、ベルクソンに関する高度な専門書が陸続と出版された年だったようだ。それを締めくくるように、福岡で開催された著者5人の組み合わせによる連続トークイベントの内容をブラッシュアップし、増補して書籍化したのが本書とのこと、好企画本である。一応ベルクソン入門書という体裁をとっているが、簡単な紹介の後に、連続トークイベントの内容そのままに、いきなり最先端の高度な内容が語られていくという、なかなかとスパルタンな構成になっている。そういう意味では読者を選ぶ本ではあろうが、それがまた大きな魅力にもなっている。個人的には、世に氾濫する毒にも薬にもならない通り一遍の入門書や概説書などより、余程好ましい内容と構成である。

出版元は書肆侃々房という聞きなれない名前だが、所在地もイベントが行われた福岡で、この連続トークイベントはネット配信もされたようなので、一種のメディア・ミックス戦略の一環としての出版と言って良いだろう。出版不況の現在にあって、こうした方法論の下に、地方都市からこのような本が出版されるというのは、新しい可能性を感じさせる出版でもある。また一方では、福岡という都市の文化レベルの高さが感ぜられる本でもあって、あとがき等から推察するに、どうやら九州という地は、主要なベルクソン研究者が大学に在籍していることから、今後の日本のベルクソン研究の要になっていく場所だと言っても良いのかもしれない。近い将来、ひょっとしたら、九州のどこかに、ベルクソン研究者の集落が出来て、べるく村という村が出現するかもしれない(笑)。

内容については、著者5人のそれぞれの本を読んではいないので、コメントのしようもないが、藤田氏の本に関しては、何を隠そう→けいそう ビブリオフィルの連載は密かに注目していて、ベルクソンのテキストを参照しながら熟読していたので、目覚ましい論考であることは、古くからのベルクソン愛読者としては、はっきりと断言できる。書籍化に伴ってその全部を読めなくなってしまったのは残念であるけれども。


といった様なことで、ベルクソンに関する高度な議論はここでは差し置いておいて、それらとは別の意味で興味をひかれた「序章 ベルクソンに出会う」を出汁にして、思うところを述べてみたいと思う。

5人の文章を読んでみて思ったのは、いささか得手勝手な感想かも知れないが、なぜベルクソンを選択したという点については、スルーしている人、良く解らないと書いている人等様々だが、一応理由を書いている人にしても、自身どうもうまく言語化出来ていないのではないかという感じを私は受けた。例えば、平井靖史氏である。哲学研究者としては美術大学油絵科出身という変わり種であるが、ベルクソン哲学を良く知る者にとっては、この経歴あっての選択であったことは疑いようのない事実であるように思われるのだが、どう思われるであろうか。結局のところ、これは、或いは個人的な経験の投影であるのかも知れないが、私には、5人が5人とも良く解らないままに、ベルクソンに魅入られているように見受けられるのである。私の直観がそう囁くのだ。

そして、こういった考え方自体、実にベルクソン的であるのだけれど、この私の直知から、ベルクソンの「呼びかけ」に応和するものが、そもそも我々日本人の考え方や感じ方の中には備わっているのではないかという考えに、私は自然と誘われるのである。私の関心は、この事実線の方向へと向かうのである。

これは言い換えると、「やまとごころ」とベルクソニズムとの親和性、響合或いは共振性とでも言うことが出来ようが、そのためには比較文化論的な視点が要請されるように思われる。

以下、非常に大雑把な見取り図を述べてみる。

ベルクソンの哲学というのは、反理性とかスピリチュアリズムといった文脈で語られるが、いわゆる実証主義的な考え方が主流を占め、正統となった近代西洋社会の時流に対して、もともと西洋にあったキリスト教以前の、そういった反理性とかスピリチュアリズム文脈の異端的な考え方を掘り起こし、復興させようとしたある種の哲学上のルネッサンス運動であったと見ることが出来る。例えば「二源泉」における神秘主義の肯定的な評価などは、その好例である。

そして、この近代西洋の実証主義的な考え方の文脈の根底には、キリスト教の創造神という発想が鎮座しているように私には思われる。すなわち、この世界は神よって創造された訳だが、この創造は神による摂理=何らかの設計思想に基づいて行われているといった発想である。従って、実証的科学というのは、世の中のあらゆる事象の中に、神によるこの設計思想たる摂理=抽象的な公理や法則を読み解くために発達してきたと言うことが出来る。そして、実証主義的な科学の驚異的な発展に伴って「神は死んだ」(ニーチェ)後も、こういった発想そのものは依然としてそのままであることは、ボーア・アインシュタイン論争における有名なエピソードー「神はサイコロを振らない」と言ったアインシュタインに対し、ボーアは「神がなさることに注文をつけるべきではない」と応酬したというーが物語っていよう。

ところが、日本においては、例えば古事記を見れば解るように、この創造神という発想自体がないので、これが実証的な科学というものが、我国では発達してこなかった一番の、そもそもの理由ではないかと考えられる。抽象的な公理や法則を見出すという発想自体がそもそも欠落していると言い換えても良い。端的に言えば、古事記における日本の神々というのは”成る”もの=生成するものであって、神羅万象すべてもが同様に生成変化するものである。

従って、この総てが生成変化するという考え方、近代西洋では異端であったベルクソン哲学の考え方というのは、日本においては古来から連綿と続いている、まことに伝統的な、正統的な考え方だと言うことが出来る。そして、このあたりの事は、「やまとごころ」と「からごころ」のややこしい問題があるので詳述しないが、近代に入って西洋文化が入ってきた後も、こういった我々日本人の伝統的な発想や考え方は、西洋思想との相克にさらされても、今だしっかりと無意識的に受け継がれている様に見受けられる。巷間「日本の常識は世界の非常識」などと言われるが、哲学的な考え方に関しては、「西洋の異端は、日本の正統」と言うことが出来るのかも知れない。というか、全歴史的全地球的規模で俯瞰して見れば、むしろ近代西洋における実証主義的一元的世界観という考え方の方が特異なものであって、異端的なのだと言うことも出来よう。

そして、私見では小林秀雄の『本居宣長』は、まさしくこの問題を巡って書かれている。宣長は、古事記に体現されている原始神道を「古道」と称した訳だが、この古道とベルクソン哲学とは、発想や考え方の上で、言わば”同心円を描きつつ、動いている”と言って良い。『本居宣長』本文においては、ベルクソンのべの字も出てこないために、この小林の深く隠された主張は、ほとんどと言って良いほど理解されてはいないが、対談の中で小林は、宣長の仕事についてこのように語っている。私は最後に出てくる「哲学」という言葉に注目するのである。


<ところで、この「イマージュ」という言葉を「映像」と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っている「かたち」という古い言葉の方が、余程しっくりとするのだな。・・・ベルクソンは、「イマージュ」という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋直截な知覚経験を考えていたのです。更にこの知覚の拡大とか深化とか言って良いものが、現実に行われている事を、芸術家の表現の上に見ていた。宣長が見た神話の世界も、まさしくそういう「かたち」の知覚の、今日の人々には思いも及ばぬほど深化された体験だったのだ。
 この純粋な知覚経験の上に払われた、無私な、芸術家によって行われる努力を、宣長は神話の世界に見ていた。私はそう思った。「古事記伝」には、ベルクソンが行った哲学の革新を思わせるものがあるのですよ。私達を取りかこんでいる物のあるがままの「かたち」を、どこまでも追うという学問の道、ベルクソンの所謂「イマージュ」と一体となる「ヴィジョン」を掴む道は開けているのだ。たとえ、それがどんなに説き難いものであってもだ。これは私の単なる思い付きではない。哲学が芸術家の仕事に深く関係せざるを得ないというところで、「古事記伝」と、ベルクソンの哲学の革新との間には本質的なアナロジーがあるのを、私は悟った。宣長の神代の物語の注解は哲学であって、神話学ではない。>



最後に、先の画像にある『ベルグソンの哲学』は、アルベール・チボーデの手になるもので、本書のブックガイドには漏れているので、ここで紹介しておきたい。これは昭和十八年刊といささか古いものだが、私が読んできたベルクソン論の中では、ブックガイドに上がっているジャンケレヴィッチのものと共に、直接ベルクソンに教えを受けた世代のベルクソン論という意味合いを超えて、現在でも読むに堪えるベルクソン論だと思われるので、出来れば、どなたか奇特な方が新しく訳して頂けるとありがたいと思う次第である。


座右の秀雄 57

2023-03-04 12:00:00 | 小林秀雄
ここで言われている吉本隆明の「内観」という方法については、小林の「本居宣長」に対する吉本自身の評から伺い知ることが出来る。


<宣長が戦後の現在もなお生きているところがあるとすれば、実証的な古典研究者としてだけだといってよい。古典語の語義を盲目的な手さぐりと味読・体読・翫読のたゆみないつみかさねの経験と勘とで切開いていった驚くべき努力のあとだけが、誤解と正解とをおりまぜて、近世から戦前までの古典研究の方法におおきな先蹤となった。この意味では現在もまだ古典学者たちは宣長を嗤うことはできない。
・・・・
けれども宣長の方法と思想は、小林秀雄が繰返し熱心に説くほど上等なものではない。せいぜい博学、読み込みを積み重ねた挙句の正確で鋭敏な経験主義のうち、近世で抜群に行き届いた成果というくらいにしか評価できない。その『古事記』研究は、原理的にも実証的にも、だれがどうかんがえても虚妄だとおもえるところと、わたしが独断で虚妄だと断じ得るところに充ち充ちている。わたしは宣長にも、それに追従する小林にも哀しい盲点をみつけだす。日本の学問、芸術がついにすわりよく落着いた果てにいつも陥るあの普遍的な迷妄の場所を感じる。そこは抽象・論理・原理を確立することのおそろしさに対する無知と軽蔑が眠っている墓地である。「凡庸」な歴史家たちや文学史家たちや文芸批評家たちが、ほんとうの意味で論理を軽蔑したあげく、原理的なものなしの経験や想像力のまにまに落ちてゆく誤謬・迷信・袋小路に小林も落ち込んでいるとしかおもえない。>(「小林秀雄」『悲劇の解読』)


なかなかと辛らつな意見だが、<宣長が戦後の現在もなお生きているところがあるとすれば、実証的な古典研究者としてだけだ>という断言が端的に示しているように、吉本の「内観」という方法は、正に小林が批判している当の「近代科学の実証主義に強く影響された」方法と言って良いだろう。

それにしても、小林のベルクソンへの度々の言及にも拘らず、宣長学者の菅野覚明氏は言うに及ばず、こうした吉本から現代にいたる評論家の小林の批評方法に対する無知と無理解、それと裏腹の関係にある実証主義至上主義的傾向というものは、私には不可解を通り越していささか不思議な気がする。というのは、少しでもベルクソンを齧ったことがあれば、小林の批評方法がベルクソン哲学直伝の方法であるのは、自明であると思うからだ。

また、この事は何も小林を批判する批評家だけでなく、評価する側の評論家にも言えることであって、これまでも他の哲学者たち、例えばハイデガーだとかウィトゲンシュタイン等を依り代にして小林秀雄が論じられて来た。また、一方では小林批評とは詰まるところ実感主義だとか、勘による断定主義だとかいった通俗的な小林評もなされてきた訳だが、そういえば、対談<「本居宣長」を巡って>では、このようなやり取りもあった。何気ない一言に江藤淳の小林観が図らずも露呈しているが、江藤淳にしてこの体たらくである。

江藤 そうすると、宣長の著作では最初に「古事記伝」をお読みになったのですね。
小林 そうです。「古事記」をしっかり読もうと思い、どうせ読むなら「古事記伝」で読もうと思った。
江藤 それもやはり、勘のようなものですか。
小林 それは、勘ではない。

結局、どちらにしても、小林の批評方法に対する無知と無理解という点では、全く変わりがないのであって、これでは、<ほんとうの意味で論理を軽蔑したあげく、原理的なものなしの経験や想像力のまにまに落ちてゆく誤謬・迷信・袋小路に落ち込んでいる>のは、一体どちらなのかと言いたくもなるが、この点は、百歩譲ってベルクソン哲学による認識論的転回という洗礼を受けていないと、なかなかと判り辛いという点は別にしても、不勉強の誹りは免れ得ないであろう。





では、この小林批評におけるベルクソン直伝の方法とは何か。それはベルクソン哲学において<もっとも入念につくられた方法>(ドゥルーズ)である”直観”である。

ベルクソンは、物を知るには原理的に異なった二つの仕方があると言う。第一の知り方はその物の周りを回ることであり、第二の知り方はその物の内部に入ることである。前者の方法として発達してきたのが、実証主義的方法であり、後者の方法としてベルクソンによって練り上げられたのが直観という方法である。

<たとえば空間の中に一つの物体が運動しているとする。私はその運動を眺める視点が動いているか動いていないかによって別々の知覚を持つ。私がその運動を関係づける座標や基準点の系に従って、すなわち私がその運動を翻訳するのに使う記号に従って、違う言い方をする。この二つの理由から、私はこの運動を相対的と名づける。前の場合も後の場合も私はその物の外に身を置いている。ところが絶対運動という時には、私はその運動体に内面的なところ、いわば気分を認め、私はその気分に同感し想像の力でその気分のなかに入り込むのである。その場合、その物体が動いているか動いていないか、一つの運動をとるか別の運動をとるかによって私は同じことを感じないだろう。私の感ずることは、私がその物体の中にいるのであるからそれに対してとる視点には依存しないし、元のものを把握するためにあらゆる翻訳を断念しているのであるから翻訳に使う記号にも依存しない。つまりその運動は外から、いわば私の方からではなく、内から、運動のなかで、そのまま捉えるのである。そうすれば私は絶対を捉えたことになる。>(ベルクソン「形而上学入門」)

つまり、ベルクソンは、実証主義的方法というのは相対的な認識方法であり、これに対して直観という方法は絶対的な認識方法だと言うのである。

ここにはそれまでの西洋哲学の伝統的な認識論に対する根本的な批判があるのだが、一般に実証主義的分析方法において我々が事象のうちから特定の属性を取り出すことを分節という。分節とは、文字通りにいえば、渾沌とした全体性としての事象を、ある特定のカテゴリーに切り分けることをいう。事象にはさまざまな属性がある訳だが、その多数の属性の中から特定のものに注目して、それを特定のカテゴリーに当て嵌めるのである。カテゴリーとは概念であるから、分節は渾沌とした具体的な事象を抽象的な概念へと転化させる作業だと言うことができる。そして実証主義的分析方法の常套的な手順としては、知覚をもとに知覚から概念的かつ理念的なものを創り出した後に、その抽象的な原理でもって知覚を説明するのである。ベルクソンが、これを相対的だというのは、<分析は対象をとらえようとして、永遠に満たされない欲望をいだき、対象の周りをまわる運命を負わされ、視点の数をどこまでもふやし、つねに不完全な表象を完全にしようとし、記号を絶えず取りかえ、不満足な翻訳を満足にしようとする>からである。言い換えると、知覚が基であり、概念は知覚から派生したものであるにも拘らず、伝統的な認識論というのは、抽象的な概念の方を優位に置き、それでもって具体的な知覚を説明しようとするという、言ってみれば転倒した方法だということである。

これに対し、直観によって捉えられた知覚の特徴は、分節されていない生の状態それ自体が直接に与えられている。つまり直観によって齎される知は、対象に対する抽象的概念ではなく、直接内面そのものの全体を絶対的な形で表していることになる。ベルクソンの哲学的営為は、人はいかにして対象の内面に入り込み、そのことを通じて対象を全体的・絶対的に把握できるのか、その道筋を明らかにすることだったと言っても良いだろう。

これはどういうことかというと、知覚には外的な世界の姿もあるが、我々自身の内的な世界もある。知覚は外に向えば自然を対象とする科学に結びつくが、内に向うと、純粋持続としての自我の把握につながる。我々にとって外的な対象は、分析を通じて、概念的・相対的に理解することができるが、知覚対象の中には、そのような分析に依らず、直観によって把握出来る特権的な対象がある。我々自身の自我である。我々は我々自身とは容易に同感できるわけであるから、我々自身の内部に深く分け入れば、絶対的な知に達することができる。哲学とはこの自我を対象とするもので、つまり、ここには純粋持続としての自我と、空間的な存在としての自然とは根本的原理的に異なっているという実存形式の二元性というものに対する理解がその根底にある訳である。従来の哲学は、自我を対象としているにもかかわらず、自然を扱う科学をロール・モデルとして、あたかも科学の一種であるかのように装ってきたが、それは根本的に間違っている。科学と哲学とは、原理的に異なった対象を扱っているのであるから、その方法論も当然に原理的に異ならなければならない。その両者を混同することは許されない。科学には科学固有のものを、哲学には哲学固有のものをという二元論がベルグソンの基本的な立場でる。

このような二元論の見地に立つ時、科学的実証主義的方法の最も大きな欠点は、知覚のもつ豊かさが犠牲にされ、我々の世界を見る眼が貧しくなることである。一方で芸術はその貧しから知覚本来の豊かさを回復してくれる。芸術は、事象をその渾沌とした豊かさのままに、全体として我々に見せてくれるからだ。そこでは分節によって阻害され排除された部分が回復され、事象の持つすべてのものが全体として可視化されるために、我々の世界についての経験は飛躍的に豊かになる。芸術によって我々の生体験は、深みと拡がりを獲得することになる。この意味で、芸術作品とは、その固有な形式において、知覚の深化或いは拡大を実現しようとしている試みだと言うことが出来る。

こういう次第であるから、直観は世界を見る目を基本的に変えることになり、それゆえ、直観は、当然にも日常的な見方に疑いの目を向けることにもなる。従って、ここにおいては、いわば認識論的転回といったものが要求されることになることは言うまでもない。知覚における外的な世界から内的な世界を原理的に切り分けることによって、運動に動きを、変化に運動を、時間に持続を見い出し獲得することで、我々の生は本来の姿をとって現われる。連続的な創造、新しいものの絶えざる湧出になる。<そうすれば哲学は経験そのものになる。>

以上は、ベルクソンの直観という方法についての私なりのざっくりとした拙劣な説明であるが、この直観が、日常的な実感や勘や直感と異なる一番根底的な点は、「意識に直接与えられている」ものとして、外部を持たない純粋に内的な継起としての持続をその前提としている点である。この意味合いで、つまり経験の転回点を超えるという意味合いで、意識的な努力の非常な集中を要件とする認識営為であるということである。

<精神を直観的に深めることは、たぶんずっと苦しい仕事である。どんな哲学者であっても、見ることのできるものをその度ごとにちらっと見ただけなのだ。ところがそれとは反対に、私のいう直観的な方法を採用するとなると準備作業はいくらでも必要となり、もう充分ということは決してない。>

以上、いささか駆け足での説明になったので分かりづらい文章だったかもしれない。小林も言うように、未読の方はぜひ直接ベルクソンを読んでいただきたいと思う次第である。

従って、小林の批評というのは、この直観という方法の一生を通じた実践であったと言っても何ら大げさな物言いではない。勿論、別にベルクソンを読まなくても、小林の文章を理解することは可能であろうが、いらぬ回り道や迷い道に踏み込まぬためにも、ベルクソンを理解しておいた方が良いことは、私の経験からは確かに言えることである。

例えば、

<宣長の思想の一貫性を保証していたものは、彼の生きた個性の持続性にあったに相違ないという事、これは、宣長の著作の在りのままの姿から、私が、直接感受しているところだ。>(「本居宣長」)

という文章の、<彼の生きた個性の持続性>や<在りのままの姿から、直接感受>といった言い回しにおけるベルクソン的意味合いが判れば、まさしくここで述べられているのは、直観という方法の実践であることは直ちに了解できるであろう。


思うにこの点に関しては、やはり山本七平氏の読みは卓越して素晴らしいと言わざるを得ない。山本がベルクソンを読んでいたはずもないが、対比の意味で再度山本の文章から該当する箇所を引きたいが、言葉自体は似かよっているものの、吉本の言う「内観」と山本の言う「内部感覚」とでは、その批評的認識論的な意味合いにおける深度の違いは明らかであろう。この文章における「内部感覚」を、そのまま「直観」と読み替えて何ら差し支えないことが、その証左である。


<この問題も決して単純ではない。だがこれを「言葉と実感」「思想と実生活」という問題と結びつけてみれば、藤村と白鳥はそれを共有している。それを共有しているが故に、それが「己の天性を見定める道」にもなりうる。だがそれを共有していない対象への態度が同じであってよいとは言えまい。これは常に小林秀雄にあった「内部感覚」であったろう。氏の旧約聖書の読み方と万葉集の読み方は決して同じではないし、ドストエフスキーの読み方と本居宣長の読み方も決して同じではない。・・・・・
「言葉と実感」、「思想と現実」という関係は「作品と生活」という形でも現れうる。そこでまず『ドストエフスキイの生活』があり、それが終わったところで、すなわち「・・・彼の死という一事件とともに。今は、『不安な途轍もない彼の作品』にはいって行く時だ」となる。・・・・と同時に、なぜドストエフスキーでは分けられ、宣長では一体化しているかもわかる。というのは、宣長が極力「上代人になって上代人の目」で見ようとしているように、小林秀雄は「宣長になって宣長の目」で見ようとしている。いわば宣長と小林秀雄の間には「常套的な意味合いでは、作家批評家の別はない」という状態を目指す。確かにこれも批評の方法である。そしてそれが出来るのは、「言葉と実感」、「思想と現実(生活)」を共有しうるからだが、ドストエフスキーでははじめからそれが不可能なことを彼はよく知っている。知っているが故に『生活』と『作品』という腑分けをしているわけであろう。・・・・端的にいえばそれは「敵を狙う」という態度であっても、決して「宣長になって宣長の目」で見ようという態度ではない。小林秀雄の聖書やドストエフスキーに対する接し方は非常に用心深く、氏自身の言葉を借りれば、あらゆる方法で正確に狙い、対象を「射止めよう」としているのである。この違いは理論や方法論の違いというよりむしろ、彼の「内部感覚」のなせるわざであろう。>(「小林秀雄の流儀」『小林秀雄の流儀』)