ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

東西投資理論の変遷を考える 5

2024-07-06 12:00:00 | 投資理論
この点を考えるに当たっては、ダーバスがスランプに落ち入り、一旦獲得した<感覚>も喪失してしまい、そして、この最悪の状態から、どのように考えて行動してスランプを克服し、再度この<感覚>を取り戻すに至ったのかという、言わば投資家ダーバスの再生・復活の過程が参考になろう。

その経緯を「第9章二度目の危機」で、ダーバスは克明に記述しているが、この章はまたこの本の白眉でもあろう。この自らのスランプの原因に対する洞察力からも、ダーバスという人は相当な知性の持ち主であったということが判ろうというものである。


<自分には間違いようのないシステムがあるので、マーケットに今まで以上に近づくことさえできれば、毎日資産作りをする妨げになるものは何もないと考えた。>

そのために彼が選んだのは、マンハッタンにある、あるブローカーのディーリングルームであった。そして、このディーリングルームで、ダーバスはスランプに陥ることになるのである。

<取引を始めて数日のうちに、過去6年間にわたって学んだことをすべて放り出してしまった。自らを激しく律して禁じたすべての事をやるようになった。ブローカーと話をした。うわさに聞き耳をたてるようになり、ティッカーマシンのそばを離れられなかった。・・・・最初に失ったものは第6感だった。「感覚」がまったくつかめなかった。・・・わたしは理性に見放され、完全に感情に支配されるようになった。>

<取引はすべて壊滅的な結果に終わった。・・・日がたつにつれて、私の投資活動の悪循環は次のような様相を呈した。
天井で買い付ける→買ったとたんに下落し始める→あわてふためく→底値で売却する→売った途端に上昇し始める→強欲心が出てくる→天井で買い付ける >

<悲惨な状態で数週間を過ごしたあと、なぜこんなことになったのか、その理由を真剣にじっくりと考えてみた。香港やカルカッタ、サイゴンやストックホルムでは、どうしてあの感覚を持てたのだろう。そして、ウォール街から1キロも離れていないところにいるのになぜその感覚を失ったのか。・・・この問題の解決は容易でなく、わたしは長い間思い悩んだ。

<解決策をささやく声が聞こえたが、最初は信じることが出来なかった。・・・その声は、私の耳が私の敵だと言っていた。>

<答えはただひとつだと思った。・・・直ちにニューヨークを離れて、遠くへ行かなければならない。・・・それからパリ行きの飛行機に乗った。・・・私がブローカーに求めたのは、いつものとおりウォール街の株価に関する毎日の電報だけだった。>

<電報が毎日届いたが、その内容が理解できなかった。完全にカンを失っていた。・・・パリについて2週間ほどたったある日、・・・電報を手にしたとき、数字がいくらか明るさを増して見えるような気がした。・・・その後数日間、電報がだんだん鮮明になってきて、昔に戻って相場が読めるようになった。再び、力強い銘柄もあれば、軟弱な銘柄もある事が理解できた。同時に「カン」が戻り始めた。・・・私は教訓を得ていた。・・・わたしに必要なのは株価の電報だけで、それ以外には何もいらない。



ここで言われていることは、ダーバスが<感覚>を取り戻し、再度<相場が読めるようになった>のは、株価以外の情報を遮断した状態においてであったということである。言い換えれば、彼は株価(の数字)という最も基本的な一次情報以外の、一切の副次的な情報を遮断しなければ、この感覚を取り戻すことが出来なかったということである。

現在のそれこそ情報が溢れかえっている現在からは、なかなかと想像しにくいことだが、ここで、取り分け私が注目するのは、ダーバスがチャートさえも必要としていなかったという点である。いや、むしろ、チャートを見ないからこそ、ティッカー=株価の数字から<感覚>を得ることが可能になり、<相場が読めるようになった>ということである。




そして、同様にリバモアもチャートは使ってはおらず、株価の数字だけに基づいて、売買の判断を下していたことを挙げなければならない。


<私個人としては、チャートには全く興味がない。私にとってチャートは混乱を来すもとである。>(『リバモアの株式投資術』)

リバモアの場帖


場帖に価格を書き入れ、その動向を観察すると、価格が語りかけてくるようになる。・・・それは、形成されつつある状況を明確に伝えようと、必死に訴えかけてくる。・・・その値動きを注意深く分析して優れた判断が下せれば、どうすべきかが分かるはずだと語りかけてくるのである。>(『同』)




リバモアはこれ以上の事は書いていないが、興味がないだけではなく、なぜ<チャートは混乱を来すもと>になるのであろうか。

私には、ここがクリティカル・ポイントだと思われる。

ネットでダーバスやリバモアの投資法をググると、膨大な量(その殆どは英文)の記事がヒットするが、彼らの売買例をチャート上に図示・再現したものが非常に多い、というかほとんどすべてがそうだと言って良い。また、ダーバスの著作『200万ドル』にさえも、付録としてアメリカン・リサーチ・カウンシルが作成したダーバスの売買事例チャートが添付されているといった有様である。勿論、こうした方が一目瞭然で判り易いからであろうが、このことは、そもそもダーバスやリバモア自身がチャートなぞは使ってはいなかったという事実を見過ごさせるという一種の死角をも生むことになると言わなければならない。

このことの認識論上の意味合については、また後で考察してみたいと思っているが、チャートに基づいた視覚による事後的・空間的・静的な理解は、それと引き換えに、その時点時点における実践での、場帖(=数字の羅列)に基づいた想像力による、株価変動に対する動的な運動感覚の獲得である<変動感覚>を損なうものと言わなければならない。

私にとってチャートは混乱を来すもとである>というリバモアの言葉を見逃してはならない。

また、『欲望と幻想の市場』には、自分の<直観>について、<ジェームズ・R・キーンらの先輩相場師がこぞって磨こうとしたという、いわゆるティッカー・センスといったものかもしれない。>という一文も出てくるので、こうしたティッカーに基づいたある種のセンスの存在自体については、当時の相場に関わる者の間では、ある程度の共通認識があったとも思われる。何より、この<ティッカー・センス>という言葉の存在自体が、それを証しているとも言えよう。


さて、先にダーバスやリバモアの<神秘的な、説明のつかない本能>、<直観>や<カン>について述べている文章は、林輝太郎氏の本の中の文章をどうしても思い起こさせると書いたが、それは氏の相場技法論は、こうした言語化し難い「暗黙知」としての<変動感覚>の養成を旨とし、そのために場帖を最重要視するからである。

つまり、繰り返しになるが、この場帖最重要視という方法論も含めたロジックとして、本質的に相通ずる記述、いわば同じ中心を巡って同心円を描いていると思われる記述>だと私には思われるということであるが、それをさらに敷衍して言えば、ここにおいて場帖(=株価数字)に基づいた暗黙知としての変動感覚=ティッカー・センスという、現在の投資理論ではほとんど看過されている概念を基軸に据えることによって、(東西の)投資理論について、新たなパースペクティブが開けてくることになるのではないか、そう考えている次第である。






東西投資理論の変遷を考える 4

2024-06-16 12:00:00 | 投資理論
そして、ダーバスだけではなく、リバモアの本にも(彼は<直感>や<>という言い方をしている)、その性格は違うが、同じく<神秘的な、説明のつかない本能>について述べているくだりが出てくるのである。

なお、今回この文章を書くに当たって、ネットで探して、かなりの量のダーバスやリバモアについての文章や書評を読んでみたが、英語で書かれたものを含めて、この点に触れたものは、皆無であった。

まあ、普通に考えれば、彼らの判り易いピボット・ポイントとかボックス理論といった、いわゆる手法に目が行く方のが当然で、投資実践という彼らの人間的営為における、こういった一種の言語化し難い「暗黙知」とでも言うべきものが看過されるのは、致し方ないとも言える。しかし、彼らが明敏にも書いているように、その投資家としての成功には、その人間の生死と共に生成消滅するこうした「実存的暗黙知」というものがかなりの程度関わっているのも確かな事実で、それをこの際、再度考えてみたいというのが、この文章を書いている理由でもある訳である。




<いつだったか、おれがコスモポリタンの店でシュガーを3500株空売りしていた時に、直感的に手仕舞ったほうがよい、と感じたという話をしたけれど、おれはしばしばそうした奇妙な衝動を感じることがある。そういう時には、そのに従うことにしていた。しかし時には、盲目的にに従って自分のポジションを変えるのは愚かなことだと自分に言い聞かせることもあった。・・・・しかし、直感に従わなかった時にはいつも、後悔する羽目になるのだった。>(『欲望と幻想の市場』第6章)

<・・・相場ボードを眺めていた。多くの銘柄は、値上がりしていたのだが、おれはユニオン・パシフィックの値を見たところで、この株を売るべきだと感じたのだった。それ以上は詳しく説明できない。ただ、とにかく売るべきだと感じたのだ。なぜそう思ったのか自ら問いただしてみたけれども、この株を空売りすべき確たる根拠は見つからなかった。・・・とにかくこの株を売りたい。しかし理由は自分でもわからない。>(『同』)

この数日後、サンフランシスコ大地震が起き、リバモアはこの空売りの取引で、それまでで最大の利益を得ることになったということであるが、本人自身の手になる『リバモアの株式投資術』にも同様の記述が出てくる。



<1920年代後半の大強気相場において・・・この期間中、・・・けっしてポジションに関して不安を抱くことはなかった。だがそのうち、マーケットが閉まったあと、そわそわして心を落ち着けられないときが来た。その晩は熟睡もできない。何かが私を覚醒させ、マーケットについて思いを巡らせ始めた。翌朝は新聞を見ることさえ恐ろしかった。何か不吉なことが今にも起こりそうに思われた。・・・翌日、状況は際立って変化した。悲惨なニュースがあったわけではない。一方向へ進む長期にわたる変動の後に起きる、よくある突然のマーケットの転換である。その日、私の動揺は本物になる。急いで大量のポジションを清算する羽目に陥った。前日であれば、天井から2ポイント以内で建玉総てを手仕舞えたはずだ。昨日と今日で何たる違いだろう。・・・正直に言えば、私はこの内なる警告には疑念を持っており、通常は冷静な科学的手法を優先させる。しかし、静かな海を航海しているようなときに感じた大きな不安に注意を払うことによって、かなりの恩恵を得てきたというのも事実である。>(『リバモアの株式投資術』第6章)

ここで私が注目したいのは、リバモアがこの<直感>について、このように述べていることである。

それはマーケットを長年研究し、実践を積んできたことで身につく、特異な能力のひとつである。>(『同』)

<やがて、マーケットが教えてくれるより前に、自ら過ちに気づくことが出来る〔変動〕感覚が磨かれてくるようになる。それは潜在意識からの警告だ。過去のマーケットパフォーマンスから得た知識に基づく、自己の内面からのシグナルである。時に、それはトレードメソッドの発するシグナルに先んずる。>(『同』)

なお、この文章の<変動感覚>という訳語に違和感があったので、〔変動〕とカッコに入れて横棒を引いて置いたが、原文でも、以下のように、単に<This sense>とあるだけである。

<This sense of knowing when you are wrong even before the market tells you becomes, in time, rather highly developed. It is a subconscious tip‐off. It is a signal from within that is based on knowledge of past market performances. Sometimes it is an advance agent of the trading formula.>

どうして、<変動>という言葉を補って訳したのか、文脈から言って唐突で、私にはいささか疑問符が付くのではあるが、それにもかかわらず、これから述べる内容に関しては、論理展開の上で、一種の論点先取になっているのは、あらら、これってセレンディピティっていうやつ?と思わざるを得ないのも事実である。

というのは、これらのリバモアの文章は、私にはどうしても、林輝太郎氏の本に出てくるこの文章を、連想させずには置かないからだ。

<ある時、買った後にとても嫌な気がしたんだ。買うべきでないところで買った。つまり、いけないことをしたという気分の悪さとでもいうか、とにかく二日間もそんな気分の悪さが続いたので損になるが売ってしまった。どうしてこんなことになったのかと考えたが、一週間くらいたって分かった。そして涙が出てきた。俺にも変動感覚が出来てきたことがわかったんだ。変動感覚と売買技術-林の本には相場で儲けるためにはこの二つが必要だと書いてあったが、その変動感覚が少し俺に備わったのではないかと思われた。林は笑うだろう。笑われても良い、俺は少しだけだが上達の道に乗ったんだ。それから2年、相場をはじめて10年で、損した分をほとんど取り返した。>(『勝者へのルール』)

また、前回引いたダーバスの文章も、同様に次の文章を思い起こさせると言ったら、或いは自らの言いたいことに、あまりにも引き付け過ぎた解釈だと言われるであろうか。

<FAIクラブのメンバーで400銘柄の月足を描いている人がいます。2005年の8月初めに7月の月足を描き終わったとき、『今月から騰がるな』と思ったそうです。それこそ、はっきりと上がると感じたので、15銘柄3日に分けて買った結果、見込みどおり12月にかけて暴騰しました。『わかってきたのだ、ありがたい』と、うれしく感じたそうです。>(『同』)


さて、これらを、例外的な事例、特殊な才能を持つ人物の特異な<直感>や<>、或いは<感覚>の問題として片付けてしまうのは簡単だが、もう少し、事実の襞に分け入って考えてみることも大切であろう。つまり、問題なのは、リバモアやダーバスが、どのように<マーケットを長年研究>し、どのような<実践を積んできた>のかということである。





東西投資理論の変遷を考える 3

2024-06-02 12:00:00 | 投資理論
これは投資本に限った話ではないが、古典の評価というものは難しい。

私の場合、数年、時には十年以上の間隔を空けてから蔵書を読み返すのを心がけているが、それは評価がガラリと様変わりする場合が往々にしてあるからである。それは単に読書技術の拙劣さということもあろうが、特に投資という分野においては、量は兎も角として、とりわけ質的な経験値の蓄積がものを言うので、自分の実力レベルの内容までしか読み取ることが出来ないからである。それを、今回ダーバスやリバモア、さらに進んでワイコフ、バルークなどを読んで、今更ながらに思い知らされることになったと言っても良い。

ダーバスについては、今から考えると、林輝太郎氏の次の否定的な文章がどうも先入観になっていたように思われる。

<この本の初版は1981年である。自費出版で、全11話であったが、このたび同友館から改訂版を出すことになって、第3話の「ボックス売買法」を除外した。「ボックス売買法」は、ニコラス・ダーバスが『私は株で200万ドル儲けた』という本で紹介した方法で、この本はベスト・セラーになった。
第3話を除いた理由。ニコラス・ダーバスは、上記の本を1960年に出した。14年後の1974年に『ウォール・ストリート・ギャング』という本を書いたといわれる(筆者所有の『ウォール・ストリート・ギャング』の著者はリチャード・ネイになっている。筆名なのか筆者の聞き違いなのか詳細不明)。そしてさらに十年後の1984年、ロンドンの下町で落ちぶれた彼の姿が目撃されたのを最後に消息不明になったといわれている。要するに、彼は相場において有終の美を飾れなかったのだ。一時的に大成功した投資家は多いが、有終の美を飾ってこそ、本当の成功者である。>(『脱アマ相場師列伝』はしがき)

恐らく林氏は『私は株で200万ドル儲けた』以外は読んではいないと思われるが、現在手に入るダーバスの本は『200万ドル』以外にも幾つかあって、これらの内容からすると、上記の林氏の評価は、正確性を欠いた裏付けのない伝聞に、いささか引っ張られ過ぎたように思われる。

『ウォール・ストリート・ギャング』もざっと目を通したが、一口で言えば、インサイダー達による組織的暗躍活動の暴露本といった内容で、『金融市場はカジノ』(1964)で描かれているダーバスのマーケット制度観とは、関心の持ち方の点で、いささかそぐわないように思われるし、そもそも一介のダンサーであるダーバスに、こうした情報が知り得たとも思えない。また、リチャード・ネイは『The Wall Street Jungle」という同様の暴露本を他にも書いていて、やはり別人と考えるのが自然であろう。

また、<1984年、ロンドンの下町で目撃された>という情報の出所は確認できなかったが、ダーバスがアメリカを拠点に活動していたことから考えると、これも相当に怪しい伝聞だと言わざるを得ない。

そして、ダーバスが、『The Anatomy of Success』(1965)の中で次のように書いていることも挙げなければならない。というか、そもそもこの本自体が、良くあるような功成り遂げた人物が書き下ろした、”成功法則本”なのであるが。

<I myself have worked in many fields and, at the risk of sounding self-laudatory, I can honestly say I have been very successful. At one time, I became world famous as an acrobatic dancer. And during a subsequent period of my life, I made a name for myself, creating a brand-new image, as an author. Later, I went on to explore and become successful in other fields—the fashion industry, theatrical producing, real estate are a few examples. >

<私自身、さまざまな分野で仕事をしてきた。自画自賛に聞こえるかもしれないが、正直なところ、とても成功したと言える。アクロバットダンサーとして世界的に有名になり、その後の人生で、私は作家として新しいイメージを作り上げ、その名を世に知らしめることになった。その後、さらに未知の分野に進出し、私はファッション業界、演劇プロデュース、不動産など、他の分野でも成功を収めたのだ。>

尤も、出版年はどれも皆1984年よりも前で、一番新しい『「株で200万ドル儲けたボックス理論」の原理原則』(『You Can Still Make It In The Market』)の出版が1977年なので、この伝聞を完全に否定する決め手にはならないけれども。

  


しかし、まあ、私にとっては、晩年のダーバスが落ちぶれようが落ちぶれまいが、こうした詮索はどうでもいいように思われる。それほど『私は株で200万ドル儲けた』の中で描かれているのは、傑出した投資家がどのように誕生してゆくのか、その試行錯誤の成長過程が、見事に、生き生きと活写されているからだ。また、この本は投資本というジャンルを超えて、自伝としても傑作の部類に入ると言っても過言ではないとも思う。



といったようなことで、今回読み直して、以前には読み飛ばしていた多くの部分に注目することにもなった訳である。

今回新たに気付いたのは、林輝太郎氏の投資技術理論と本質的に相通ずる記述、いわば同じ中心を巡って同心円を描いていると思われる記述が幾つか見られたことである。例えばこのようなところであるが、この文章をどのように読まれるであろうか。

<投資技術をマスターしたことにも疑問の余地はなかった。電報を通じて取引をしていたことで、ある種の第六感も冴えてきた。これが自分の探している株式だということが「感覚」で分かった。・・・わたしはたいていの場合、好ましい株式を見つけることができた。ある株が8ポイント値上がりしたあと、4ポイント下落しても警戒感を持たなかった。そうなることを予想していた。また、ある株価が堅調になると、それが値上がりするのはいつかを言い当てたこともしばしばあった。これは神秘的な、説明のつかない本能だったが、そんな本能がわたしの体のなかにあることは事実だった。そのおかげで非常に大きな力を得た気になった。>









東西投資理論の変遷を考える 2

2023-12-15 19:00:00 | 投資理論
さて、どうしてリバモアやダーバスを再読する気になったのかというと、興味深い投資本を続けて幾つか続けて読んだのが切っ掛けである。

その1つは Oliver Kellの「Victory in Stock Trading Strategy and Tactics of the 2020 U.S. Investing Champion」という本である。



Oliver Kellという名前には聞き覚えの無い人がほとんどだと思うが、本の題名に「2020 U.S. Investing Champion」とあるように、Oliver Kellは2020年の→Financial Competitionsで+ 941.1%という、2位のTomas Claroの + 497%を大きく引き離して、文字通りブッチギリの成績で優勝している。翌年の2021年には、ミネルビニが+ 334.8%で優勝していることは前にも書いたが、2020年の好調なマーケット環境に恵まれたとは言え、テン・バガーというのはちょっと最近の記憶にない数字だなと思っていたら、新記録を更新したとのことである。いや、素晴らしい。その彼が投資本を出したというだから、読んでみようという気にもなろうというものである。そのうち翻訳も出版されるかも知れない。

読んでみると、彼もまた「リバモア・ダーバス村のスーパー投資家たち」の一人であることが良くわかる内容であるが、そのことは巻末の推薦本を見てみても一目瞭然である。

<Reading List to Speed Up the Learning Curve

Reminiscences of a Stock Operator by Edwin Lefevre
How to Trade in Stocks by Jesse Livermore
How to Make Money in Stocks by William O’Neil
Trade Like a Stock Market Wizard by Mark Minervini
Think & Trade Like a Champion by Mark Minervini
Trade Like an O’Neil Disciple by Gil Morales and Chris Kacher
Japanese Candlestick Charting Techniques by Steve Nison
Technical Analysis Using Multiple Timeframes by Brian Shannon
Secrets for Profiting in Bull and Bear Markets by Stan Weinstein
One Up on Wall Street by Peter Lynch
Market Wizards by Jack Schwager
New Market Wizards by Jack Schwager
Stock Market Wizards by Jack Schwager
Hedge Fund Market Wizards by Jack Schwager
Unknown Market Wizards by Jack Schwager>

そして残りの2冊は、Bharath Koteshwarの「THE PERFECT STOCK:: How a 7000% move was set-up, started and finished in an astonishing 52 weeks」と「The Perfect Speculator」で、スタンガンの製造販売会社Taserの 2004年に起こった大相場に関する2部作とも言うべき内容の、すこぶる面白い2作である。

 

これらは、私が今年読んだ投資本の中のベスト・スリーであるが、Bharath Koteshwarは「The Perfect Speculator」のなかで、3冊の推薦本を挙げているだけ、あとは実践で学べと言っている。最も、そのうちの一冊は自著であるけれども。

<THE ONLY OTHER BOOKS A SPECULATOR NEEDS

1. “How I made $2 million in the stock market” by Nicolas Darvas
2. “How charts can help you in the stock market” by William Jiler
3. “The Perfect Stock” by Brad Koteshwar

All other lessons have to be learned by actual trade executions and experiencing a complete cycle consisting of an entire bull trend and an entire bear trend.>

リバモアもダーバスも古典なので、推薦本に挙げている人も多いと言えば多いのだが、日本では総花主義な意味合いで推薦本に挙げることはあっても、厳選した少数の推薦本として、まず読むべき本としてリバモアやダーバスを挙げる人は少ないだろう。

だが、私の狭い見聞からいうと、アメリカ人投資家でまず読むべき本としてリバモアやダーバスを挙げる人は、かなりの割合で多いように見受けられる。

ミネルビニも自著以外で推薦本に挙げているのは

・ウィリアム・オニールの本全て
・『マーケットの魔術師』シリーズ by ジャック・D・シュワッガー
・リバモアの株式投資術 by ジェシー・ローリントン・リバモア
・Superperformance stocks by Richard S. Love(見つけられれば)
・How Charts Can Help You in the Stock Market by William L. Jiler
・私は株で200万ドル儲けた by ニコラス・ダーバス
おまけ
欲望と幻想の市場 伝説の投機王リバモア by エドウィン・ルフェーブル 

といったラインナップで、これ以上のものはいらないとまで言っている。

私はこれまで、リバモアについてはルフェーブル の「欲望と幻想の市場 伝説の投機王リバモア」、ダーバスは「私は株で200万ドル儲けた」しか読んでいなかったのだが、このようなことから「私は株で200万ドル儲けた」を何気なくふと再読しだしたところ、愕然としたのであった。俺はこれまで一体何を読んでいたのかといった、目の覚めるような感銘を受けたのある。そのため興に載ってこれまで読んでいなかった二人に関する関連本を読み漁るという羽目に陥った次第である。やれやれ。

     
  

 

東西投資理論の変遷を考える 1

2023-12-13 17:00:00 | 投資理論
このところ、ジェシー・リバモアやニコラス・ダーバスを再読、さらにこれまで読んでいなかった関連本を色々と読んでいた最中に、チャリー・マンガーの訃報に接した。



99歳とのことで、まあ大往生といって良いだろうが、多くの追悼文で言われているように、偉大な投資家という評価には全く異存はないものの、その評価軸に関しては、いささか気になる点がないこともないので、この機会に文章にしておくのも良いだろう。

言うまでもないことだが、マンガーが、バフェットに多大な影響を与えたことは良く知られている。実際、バフェット自身も、自分に優れたフランチャイズの価値や定性分析の長所を教えてくれたのはマンガーであったと述べている。このように、バフェットが、グレアム流の定量的シケモク投資法から定性的成長株投資法への転回・発展を成すにあたって、マンガーが決定的な役割を果たした功労者であったことはほとんど公定の評価であると言って良いだろう。

問題は、この点をどう評価するのかであるが、最大限に評価する私には、マンガーをグレアム流の投資家という括りに入れて限定してしまうのは、過小評価に過ぎるのではないかということは言って置きたいと思うのである。

実際、マンガーによる

「ベンジャミン・グレアムは投資家として多くを学んだ。彼が会社を評価する手法はすべて、大暴落と大恐慌に打ちのめされた経験によって形作られた。そこには恐怖というトラウマが色濃く反映されており、すべてはそれを寄せつけないように設計されている。」

というグレアムに対する、例によって辛辣な発言も残されている訳だが、最近もパン・ローリングから『チャーリー・マンガーの実践グレアム式バリュー投資法 世界最高の投資家の智慧と思考の統合力』なる本が出版されている。原題は『Charlie Munger : The Complete Investor』で、私は未読なので、「実践グレアム式バリュー投資法」という邦題が内容に相応しいものかどうか判定する立場にないが、この邦題がミス・リードでないことを祈るばかりである。

そしてまた、かねてより私に不可解なのは、『証券分析』の出版五〇周年を記念して、一九八四年にコロンビア大学で行われた有名な講演の中で、バフェットがマンガーを「グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち」の中に加えていることである。いや、バフェットのグレアム推しもちょっとばかし度が過ぎるのではないかと私は思うのだけれど、この点どう思われるであろうか。むしろマンガーは「フィリップ・フィッシャー村のスーパー投資家たち」に加えるべきではないのか、と私は訝るのである。

グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち

この意味で、Investors Business DailyのCURT SCHLEIER氏の記事は、私には読み応えのある文章であったので、ここで紹介しておこう。

What Charlie Munger Taught Warren Buffett About Investing


ところで、このIBDを創刊したウィリアム・J・オニールも、今年5月28日に90歳で亡くなったのだが、アメリカと比べると、日本のSNSでは、このオニールの逝去は、さほど話題にならかったようだ。この点、投資ビジネス界隈では同じくレジェンド級の人物でありながら、マンガーと好対照をなしているのは、興味深い現象である。



私は、リバモアやダーバスを読み込んでいた最中であったせいか、どうしても、このオニールの逝去に関する日本での関心の薄さというものを、改めて考えざるを得ないのである。何といってもオニールは、「リバモア・ダーバス村のスーパー投資家たち」の一人であるのだから。

逆に言えば、このことは日本における「グレアム・ドッド村」の圧倒的な影響力というものを考えざるを得ない訳であるが、これに対してオニールを筆頭に「リバモア・ダーバス村」の影響というものは、実際のところ、日本ではほとんど見られないのではないかと考えられる。例えば、SNSを覗いてみても、投資に当たって、「成長性」を副次的に加味することはあっても、「成長性」をメインに据えて投資している日本人投資家は、ごく少数であろう。

日本人のマンガー推しという現象には、そこに彼我の投資に対する考え方の違いというものが、覗いて透けて見えているように思われるのだ。


二番煎じトレンド・フォロー再論 

2023-10-09 11:00:00 | 投資理論
前の文章を書いてから、知人達と色々と話をしたり、メールでやり取りもしたりしたのに加えて、STF氏の講演後のツイキャスも追加されたので、その反響をつらつらと眺めていて、色々と考えさせられるところもあったので、もう少し文章を書いてみようという気になった。まあ、内容的には二番煎じの感を免れないけれども、二番煎じには、二番煎じの効用というものがあろう。

講演後のツイキャス
モイ!iPhoneからキャス配信中

このツイキャスを聞いていて抱いた感触は、やはりSTF氏も天然系であったのか、やれやれといったある種の感慨である。これはどういうことかというと、永年日本のカリスマ投資家や著名な投資家の本や文章、発言などを理解しようと努めてきた経験から言わせてもらえれば、ロジックを明確に言語化して述べるという点において、どうも日本人は今一つで、どちらかと言えば苦手の部類に入るようだ。残念ながら氏もこの例外ではないと言わざるを得ないということである。

不言実行」という言葉があるが、この言葉は一般に解されているような「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと実行しろ」といった意味ではなくて、そもそも「実行」という形式でしか表現できない思想、一種の言語化し難い暗黙知=「不言」という知の在り方があるという真実を表している言葉の様に思われてならない。そう言ったら或いは深読みに過ぎると言われるかも知れないが、まあ、実行という営為に限らず、そもそも自分の事については、自分が一番わかっているなどと思っている事自体が大間違いであることが、なかなかと解りづらい時代に我々は生きているとは言えるだろう。

前回のツイキャス→うっしの株談義 ゲストSTFさん

といったようなことで、今回改めてこの2つのツイキャスを通して聴いてみたが、やはり対談の中で私が一番注目した発言は、勿論暗算?や体力??のくだりなどではなく、前回のcis氏について述べたくだりであった。

cisさんの本がすごい参考になりました。上がるものは上がる、下がるものは下がるっていう。そういえば、そうだよなって。

であるから、一般に、cis氏の考え方というのは、典型的なトレンド・フォローであるとは捉えられていないようでもあるし、cis氏の考え方を合わせ鏡にすることで、トレンド・フォローについてもう少し掘り下げてみたいと思うのである。




cis氏の言葉を、前回述べたようなテクニカル的な考え方や見方を念頭に置いて見てみれば、彼もまた典型的なトレンド・フォロワーであることが良くわかるだろう。表現は多少違うが、言っていることは、STF氏と全く同じである。

<投資家や投資を始める人に「何かアドバイスください」と言われたとき、僕は「上がり続けるものは上がり、下がり続けるものは下がる」とだけ言うことが多い。・・・・僕は基本は「順張り」だと話している。>

<けれども現在買われていることで上がっている、売られていることで下がっているというのは明確な事実としてそこにある。であればマーケットの潮目に沿って行動するのがいちばん勝つ可能性が高い。

上がっている株を買う。下がっている株は買わない。買った株が下がったら売る。

<勝手な予想はしないで、上がっているうちは持っておくのが基本。

どこで反転するのかは誰にもわからない。そのタイミングや値段を予想するのは、勝手な予想を当てはめているだけ。相場は相場に聞くしかない。

<買った株が下がり損切りしたとして、そのあと損切りをあざ笑うかのように上がりだしたとき、上昇株として買うことができるかどうか?・・・でも僕はそれを気にしない。いつも平気でやっている。一回ごとの売買で勝ち負けを考えていないから抵抗がない。買った株が下がったら売るし、上がっている株は買う。

<運や流れという発想はロジックを優先する思考の妨げになる。相場は相場の法則に従うしかない。

株で一番大切なのは迅速な損切り。

企業の価値を株価が正しく反映していないと考えるよりも、株価こそが答えであり、世の中の総意として適正だとみなされている数字だと考える方が正しい。

<「どうやって勉強したか?」とよく聞かれる。僕の場合、ただひたすら値動きを見た。マーケットのことはマーケットでしか学べない。


先のSTF氏の<そういえば、そうだよなって。>という言葉やこのcis氏の言葉から判るのは、二人ともに、対峙しているうちに、マーケット観について、ある種のコペルニクス的転回を強いられたという事実である。この二人には、言わば天動説から地動説への転回に比すべき認識論的転回、企業の価値を株価が正しく反映していないというマーケット観から株価こそが答えだというマーケット観への転回が起こっているという事実を私は強調したいのである。いや、何をまた大げさなことをと言われるだろうか。

これは言い換えると、株価というものを考えるに当たって、ファンダメンタル分析というのは、一旦企業価値という概念へと迂回し、この迂回路を通ったのちに株価に戻って来て、株価の高安を判定するという一種倒錯的とも言いうる間接的・相対的な認識方法だということである。これに対して、二人が行きついたのは、そういった迂回路を経ずに、株価こそが答えだという直接的・絶対的な認識だと言うことが出来る。つまり、ここにおいて相対的な認識から絶対的な認識へのコペルニクス的転回が、二人には起こっているという、体験上の学びにおける考え方の柔軟性に、私は注目したいのである。

cis氏の本の第一章は「本能に克てねば投資に勝てない」と題されているし、STF氏も「本能に反するやり方」と発言しているが、ここで本能と言い表されているものは、私に言わせれば、ファンダメンタル的固定観念に他ならない。一般には、株式投資にはバリュー投資とグロース投資の二つがあるといった初心者向けの説明が氾濫しているが、これを搦め手から見れば、というか一つ進級を繰り上げたより高次の視点から眺めれば、株式投資はファンダメンタルが基本であるという暗黙の刷り込みを、熱心に行っている日本投資教育界隈特有の景色が目に入ってくる。これは今風の言葉を使えば、一種のサブリミナル・スピンと言って良いだろうが、この本能という言葉は、初心者にとっては、この刷り込み=初心を離れることが如何に難しいかを表してもいるとも言えよう。まあ、初心を捨てられないから、何時までたっても初心者なのだけれどもね。

「初心忘るべからず」

勿論、ファンダメンタル投資で勝っている人も多数いる訳だけれども、その成績はファンダメンタル的な考え方に制約されているという事でもあって、この制約の軛から解放されたトレンド・フォロワーの実績とファンダメンタル投資家の実績を比べて見れば、事は一目瞭然であると私は思うのだけれども、この点について今一度考えてみてはどうだろうか、というのがこの文章の趣旨でもある訳である。

日本の伝統芸能では守破離とよく言われるが、この言葉はこの間の事情を良く表しているように思われる。さらなる高みへと昇るのには、現在のってれることが必要不可欠であるということであるが、最もこれは、が出来ていることが前提の話であって、が出来ていないのは型無しと言われているように、勿論、そこにはスクラップ・アンド・ビルドに付きものの型無しへと転落してしまう可能性もない訳ではないのだけれども。


先の文章では、ファンダメンタル分析が、静態的な割安度という量を分析する方法であるのに対し、テクニカル分析は、市場価格の変動という動態的な質を分析する方法だという言い方をした。そのためファンダメンタル分析が、株価の需給地合いについては、お手上げであるという点を指摘して置いたのだが、これはそもそも、株価変動という運動は、本質としてはある種の質であるという事実から来る訳で、詰まるところ、株価変動という質を捉える絶対的な認識方法へのコペルニクス的転回が、トレーダーの成功にとっては、必要不可欠なのだと私は言いたいのである。そこから当然の帰結として、必然的に実践を通した修練・鍛錬による株価の「変動感覚」の獲得・深化という命題が浮かび上がってくる。要はこの「変動感覚」の会得・体得という一種の暗黙知が、STF氏やcis氏のエッジであり、パフォーマンスの源泉なのである。

何やら認識論的な、ややこしい話をややこしく述べているので、難しい文章になってしまったが、本来ややこしい話というのはややこしく述べるのが筋である。であるから、この議論はベルクソンの至って明晰な筋金入りの文章に引き取ってもらって、これくらいでお開きにしよう。

たとえば空間の中に一つの物体が運動しているとする。私はその運動を眺める視点が動いているか動いていないかによって別々の知覚を持つ。私がその運動を関係づける座標や基準点の系に従って、すなわち私がその運動を翻訳するのに使う記号に従って、違う言い方をする。この二つの理由から、私はこの運動を相対的と名づける。前の場合も後の場合も私はその物の外に身を置いている。ところが絶対運動という時には、私はその運動体に内面的なところ、いわば気分を認め、私はその気分に同感し想像の力でその気分のなかに入り込むのである。その場合、その物体が動いているか動いていないか、一つの運動をとるか別の運動をとるかによって私は同じことを感じないだろう。私の感ずることは、私がその物体の中にいるのであるからそれに対してとる視点には依存しないし、元のものを把握するためにあらゆる翻訳を断念しているのであるから翻訳に使う記号にも依存しない。つまりその運動は外から、いわば私の方からではなく、内から、運動のなかで、そのまま捉えるのである。そうすれば私は絶対を捉えたことになる。>(アンリ・ベルクソン「形而上学入門」)


さて、トレンド・フォローというビジネス・モデル(投資と言うのは本来ビジネスである)について、cis氏は非常に重要なことを述べている。

<僕の場合、銘柄それぞれの勝敗を考えるなら、利益になる取引は3割くらいしかない。残りのほとんどがトントンくらいかちょい負け。けれども、時々負け額に対して10倍や20倍の金額を勝つことがあるから、勝率は低くともトータルではプラスになる。>

これは、勝率と損益比率の関係についての指摘で、日本の投資本ではほとんど語られることのない事柄である。

前提として、まず以下の文章(後半に出てくる)で、勝率と損益比率の関係について頭に入れて頂きたいと思う。

暴落はトレンド、トレンドはフレンド 5

日本では「億り人」という言葉が象徴するように、普通にはどれだけ儲けたといった結果の数字だけが重視されているが、日本人の著名な投資家で、勝率と損益比率の関係について明確に述べているのは、私の知る限りcis氏のこの本だけである。

勝率3割、損益比率1対10~20とのことであるが、この数字にcis氏の、引いてはトレンド・フォローという投資法のエッジの特質が表現されているのがお判りであろうか。

多分、ピンとこない或いは判らない人がほとんどだと思うが、一度自分の勝率と損益比率を出してみることをお勧めする。言うなれば、この作業は自分の投資というビジネスの決算数字を出すという作業だと言って良いが、投資家というのは、自らの投資というビジネスのCEOであるから、このビジネスの決算数字を分析して、ビジネスのマネージメントをしていかなければならないはずなのだが、寡聞にしてこの作業を意識的にやっている日本人投資家というのを私はほとんど聞いたことがない。言い換えると(勝率と損益比率という)数字を基にして投資を語れない、と言うかそういった発想さえないというのが実情である、cis氏を除いては。

ロジックを優先する思考>ともcis氏は述べているが、自らの勝率と損益比率の数字を明確に把握しているという事実と合わせて考えると、<どの勝負事でも同じだけれど、自分を客観的に見られない人はやっぱり勝てない。>という言葉はセルフ・マネージメントと言う意味で、なかなかと蘊蓄に富んだ深い言葉だと言わざるを得ない。


そして、この勝率3割、損益比率1対10~20という数字が物語るものは、トレンド・フォローの逆コツコツドカンという特徴である。正常な?コツコツドカンというのは、心当たりのある人も多いと思うが、コツコツと積み上げた利益を、ドカンと大きな損失で一発で吹き飛ばしてしまうという結果属性を表した言葉であるが、この逆コツコツドカンというのは、これとは真逆の、コツコツと積み上げた損失を、ドカンと大きな利益で一発で一気に大幅なプラスに持っていくという結果属性を表した私の造語である。これがトレンド・フォローの特徴でありまた醍醐味である。

いわゆる損小利大ということになるのであるが、述べたように心当たりのある人が多いと思うが、普通はこれを実行するとなると、非常に困難な難事で、私に言わせれば、損小利大を心がけてはいても、往々にしてコツコツドカンという正反対の損大利小の結果になってしまうのは、ファンダ的な考え方をしているからである。言い換えると、ファンダ的な考え方から抜け出さない限り、この損小利大という目標と損大利小という結果がセットになったダブルバインド状態からは抜け出せないということである。

そのことは、難平という手法に象徴的・典型的に表れている。リスク・マネージメントの観点から言えば、損失が出ている場合は、ポジションを減らさなければならないのにも関わらず、難平という手法は、逆にポジションを増やすという、リスクをさらに増大させるウルトラ・ハイリスクな手法だからである。従って、ドカン!という結末が待ち構えているのは、至極当然の話であるとも言える。また先に、「誰でもが納得できる利確の明確な基準を示せないのがファンダメンタル派の弱点である」と述べたが、ファンダ派の投資家は利確に苦労しているようで、SNSでは<売った途端に暴騰の法則発動!>などと言われていたりするが、彼らの間では、一般に利確は難しいというのが常識になっているようだ。色々な数字を引き合いに出して上値の予想価格を出してはいるものの、上手くいかないので、どうしても利が伸びず、微益がコツコツという結果に甘んじざるを得ないことになってしまうので、そのため利を伸ばすために、半分は利確しないで残して置くといった中途半端な妥協案なども出されているようだ。そもそもなぜ逆張りという発想が出てくるのかと言えば、利幅を大きく取りたいからであろうが、これは精度の問題は別にしても、分析によって天底が判るという前提に立っている訳だが、しかし、この前提自体が破綻しているということは、実際の経験や成績を冷徹に見てみれば、言うまでもないことだと私なぞは思うのだけれども・・・。改めて<どこで反転するのかは誰にもわからない。そのタイミングや値段を予想するのは、勝手な予想を当てはめているだけ。相場は相場に聞くしかない。><自分を客観的に見られない人はやっぱり勝てない。>というcis氏の言葉は重いと言わざるを得ない。

これに対し、トレンド・フォローは全く逆のアプローチを取っている。<株で一番大切なのは迅速な損切り。><買った株が下がったら売る。>(cis氏)<さっさと切る>(STF氏)ので、自ずからコツコツという損小になる。利についても、<どこで反転するのかは誰にもわからない。そのタイミングや値段を予想するのは、勝手な予想を当てはめているだけ。相場は相場に聞くしかない。>ので<上がっているうちは持っておくのが基本。>(cis氏)<当たりを引っ張ること>(STF氏)ということで、トレンドが続く限り利を伸ばせばよいので、自ずからドカンと利大になる訳である。なお、私は順張りという良く言われている言葉を使うのを極力避けているが、それはトレンドという概念ではトレンドの終わりが即ち利確ポイントになるという風にロジックが明確であるのに対し、この順張りという言葉では、利確のポイントが明確ではないからである。つまり、本質的ではない言葉だからである。

ただここで注意しなければならないのは、cis氏が勝率3割と述べているように、トレンド・フォローは勝率が非常に悪いという事実である。良くは知らないので間違っていたら訂正するのに吝かではないが、名だたるファンダ派の投資家たちは、恐らくもっと良いはずで、悪くても4割くらいで、5割とか6割といった辺りの数字になるのではないか。或いはもっと良い数字なのかもしれない。STF氏は勝率について述べていないので、正確なところは判らないが、恐らく同じような数字、低い勝率だと思われる。ここで果たして勝率3割でも、自分は投資を続けられるだろうかと、一度自問して見て貰いたいと思うが、この意味でもトレンド・フォローは本能に反する投資法だと言わなければならないだろう。思い込みとは恐ろしいものである。

この低勝率はまた、そもそもトレンドというものがさほど市場においては発生しないし、また発生するかどうかも事後的にしかわからないという事実によるもので、この意味で年度によって成績に相当なばらつきがあるということにもなる。例えばアベノミクス相場がいい例で、市場においてトレンドが多く且つ長く発生する年度には、驚異的な成績を齎すことに成る訳で、STF氏は10倍になった年度が複数あるようだが、レバレッジ分を割り引けば、3.3倍で+230%という数字が出てくるが、cis氏の成績も好調時にはやはり+三桁%の成績であったように記憶している。ミネルヴィ二のコンペの成績(レバレッジ無し)も、1997年は+155%、2021年は+334.8%である。

STF氏は100銘柄と非常に多くの銘柄を取引しているとのことだが、本当のところは本人に聞いてみないと解らないが、恐らく発生するかどうか、事後的にしかわからないトレンドを逃さないために、このような信用全力による一網打尽的なスタイルを取るに至ったのではないか。トレンドを取り逃がしたくないという思いが非常に強いのかもしれない。

最もこういったトレンドが稀だという事実に対処する方法もあって、一つはアップ・トレンドだけでなく、ダウン・トレンドも取るという方法で、もう一つは対象を株以外の先物や債券、商品や通貨などにも広げるという方法である。それは株でトレンドが出ていない年度であっても、必ずと言って良いほど他の物ではトレンドが出ているからである。言い換えれば、トレンド・フォロー戦略は、テクニカル分析であるから、こうした全方位、マルチ・マーケット戦略と非常に相性が良いと言うことが出来る。

この点で、日本市場にも様々な数多くの種類のETFが上場されるようになったのは慶賀に堪えない。私も以前はFXやCFDもやっていたが、申告が面倒なので辞めてしまったが、FX・CFD取引の欠をETF取引で埋めて余りがあると言わなければならない。金ETFは前に述べたように数年前から基本買いホールド(=buy and hold)であるし、FRBが利上げに転換した2022年半ば以降は、米国債券ETFは売りっぱなし(=sell and hold)である。


さて、最後にカリスマ投資家を天然呼ばわりした落とし前は付けておくのが筋と言うものであろう。

トレンド・フォローと同じく、日本では冷や飯を食わされている投資ジャンルに、システム・トレードと言うのがある。これは、出来るだけやり方を言語化・ルール化して裁量部分を最小にしシステム化しようという試みで、私見ではこのシステム・トレードとしてはタートルズ方式はその嚆矢であり、至高であり究極である。裁量部分がほとんどないと言って良いほどシステム化されているからである。

ここでこの議論にはあまり立ち入る気はないが、日本の言語化・ルール化を阻む名人芸賞賛、素質・才能賞賛風潮に対するアンチ・テーゼとして、簡素ではあるが、トレンド・フォローをシステム化したモデルをここで一つ披露したいと思う。勿論、これは実践記録ではなく、机上のシミュレーションではあるが、エントリーやエグジットに悩まれている人には、参考になるのではないかと思うからである。

例としては、STF氏のツイキャスで出てきた3053ペッパーフードサービスが、アップ・トレンドの見本として好例に思えたので、これをサンプルにシミュレーションしてみた次第である。

シミュレーションとしては3種類、同じシステムを、それぞれ日足、週足、月足で動かしてみた結果を用意したが、御覧のように日足トレード>月足トレード>週足トレードという結果となった。勿論、これに裁量を加えれば、難易度は高いと言えども、さらに利益を伸ばすことも可能であることは言うまでもないだろう。なお、数字を見れば一目瞭然だと思うが、簡素化するために、売買は1株単位で行い、途中での買い増しなどの高度はポジション・ワークは行っていないことを付言して置く。

・日足(週足、月足)トレード、アップ・トレンド時のエントリールール

条件1 パーフェクト・オーダーであること(図の移動平均線は5(日、週、月)、25(同)、75(同)、100(同)、300(同))。
条件2 5日(週、月)移動平均線が、水平又は右肩上がりであること。

*エントリー1 条件1及び2を満たす時に、5日(又は5週又は5月)移動平均線の下から上にローソク足が出た(グランビルの法則)翌日(翌週、翌月の初日)、寄り付き成り行き買いでエントリー。

*エントリー2 条件2だけを満たし、条件1を満さない場合に、5日(又は5週又は5月)移動平均線の下から上にローソク足が出た(グランビルの法則)場合には、条件1のパーフェクト・オーダーになるの待ってから、すなわちパーフェクト・オーダーが完成した翌日(翌週、翌月の初日)、寄り付き成り行き買いでエントリー。


・エグジット・ルール

*終値が、5日(週、月)移動平均線を明確に下抜けた(グランビルの法則)翌日(翌週、翌月の初日)、寄り付き成り行きでエグジット。




日足トレードの場合



9勝6敗 勝率 60% 損益比率 1対5.97  最終損益 +4463

① エントリー 640  エグジット  815  損益 +175

➁ エントリー 923  エグジット  818  損益 -105

➂ エントリー 1050 エグジット 1294 損益 +244

④ エントリー 1375 エグジット 1538 損益 +163

⑤ エントリー 1695 エグジット 1553 損益 -142

⑥ エントリー 1765 エグジット 2005 損益 +240

⑦ エントリー 2100 エグジット 2030 損益 -70

⑧ エントリー 2150 エグジット 2178 損益 +28

⑨ エントリー 2275 エグジット 2215 損益 -60

⑩ エントリー 2300 エグジット 3290 損益 +990

⑪ エントリー 3625 エグジット 3295 損益 -330

⑫ エントリー 3495 エグジット 3545 損益 +50

⑬ エントリー 3600 エグジット 5300 損益 +1700

⑭ エントリー 5330 エグジット 7100 損益 +1770

⑮ エントリー 7380 エグジット 7190 損益 -190


週足トレードの場合


3勝2敗 勝率 60% 損益比率 1対2.88 最終損益 +4302

① エントリー 698  エグジット 790   損益 +92

➁ エントリー 944  エグジット 2080  損益 +1136

➂ エントリー 2315 エグジット 6680  損益 +4364

④ エントリー 6000 エグジット 5480  損益 -520

⑤ エントリー 6280 エグジット 5510  損益 -770

月足トレードの場合


1勝0敗  勝率 100% 損益比率 ー  最終損益 +4319

① エントリー 761 エグジット 5080 損益 +4319




トレンド・フォロー再論

2023-09-18 15:00:00 | 投資理論
殆どのファンダメンタル投資家は、効率的市場仮説を批判することから始めて、最終的には自らの投資行為の成果によって、効率的市場仮説を実証する結果に終わるのが常である。ー名無し



先日、仲間内の飲み会で投資の話になり、名証IR の講演会に行ってきた友人を中心に、STFというカリスマ投資家の話題でひとしきり盛り上がった。私はこのSTFなる投資家については、全く知らなかったので、もっぱら聞き役であった訳だが、話の内容にいささか違和感があったので、色々と質問したり、意見を述べたりしたのだが、酒の席のせいか、話が上手くかみ合わないままに会はお開きとなった次第、まあよくある話である。

ただ、私自身STF氏の投資法にはかなり興味を引かれたこともあって、後日改めてネットで調べてみたところ、やはりこの違和感をぬぐい去ることが出来なかったので、文章を書く気になった。トレンド・フォローについて新しい光を当てることになるかもしれないと思うからである。

なお、参考にしたのは、複数のSTF氏の講演会に関するまとめメモと以下のツイキャスである。

うっしの株談義 ゲストSTFさん

私が違和感を感ずるのは、STF氏の投資法についていろいろと言われているが、その思想というと大げさだが、考え方の理解がどうも核心の部分でズレていて、今一つ十二分に理解されていないのではないかという点である。そうした理解の大本にあるのはファンダメンタル的な先入観だと思われるが、STF氏の投資法の根底にあるのは、ファンダメンタル的な考え方とは、ある意味で対極にある考え方である。

じゃあ、それは何かと尋ねられれば、トレンド・フォローだというのが私の答えである。今回のSTF氏の件で今更のように痛感させられたのは、私の仲間内だけではなく日本のSNSでも、このトレンド・フォローという考え方がほとんどと言って良いほど理解されていない、というかその基本的な知識さえ知られていないという事実で、逆に言えばそれだけファンダメンタル的な考え方が、いかに根強いかを物語ってもいよう。

例えば、氏の投資法については、”モメンタム投資”という言葉が使われているが、この”モメンタム投資”という言葉も、ロジックがどうもよくわからない言葉である、そう思うのは私だけであろうか。ググると「相場の勢いに乗る投資法」とか「株価チャートが上昇トレンド(右肩上がり)を示している銘柄を狙っていく投資法」とかの説明が出て来て、”モメンタム投資”を冠した書籍も色々と出版されているようだが、私に言わせるとこれらのロジックの中身は、どれも皆トレンド・フォローである。後で紹介するミネルヴィ二も、”モメンタム投資”と言われているし、著書の邦題には原題にはない”成長株投資”という言葉が冠されているといった有様である。やれやれ。

そしてまた、同じようなのに”新高根ブレイク投資法”というのもあるが、これもその核心にあるロジックは、トレンド・フォローそのもので、こうやって新しい意匠を次々に着せ替えて新奇さや進化形を演出するのも結構だが(私には、そこに投資関係の出版社等のマスコミによる次々に流行を作り出そうという意図が透けて見えるのだけれども)、逆に返ってその本質が見えにくくなってしまうという欠点があることも事実である。最も、一方ではこうした新しい意匠を生権力化し構造化する考え方も、そこには存在しているのも事実なので、先に述べたようにそれはファンダメンタル的な考え方だと私には思われる。言い換えると、ファンダメンタル的な見方や発想法から見ると、どうやらトレンド・フォローという投資法は、”モメンタム投資”だとか”新高根ブレイク投資法”だとか”成長株投資”といった投資法に見えるらしいということである。

結局、私が違和感を抱くのは、そこに透けて見えるこうした抜きがたいファンダメンタル至上主義的な見方や発想法、という言い方が拙ければ、ファンダメンタル一元論的な見方や発想法による理解における硬直性が鼻につくからに他ならない。それはまた、STF氏の投資法について、異口同音に皆が口を揃えたように述べている「良い子はマネをしないように」という結論にも、異議があるということでもある。

普通、ファンダメンタル分析に対しては、テクニカル分析が対置されるが、こういった二つの分析方法が発達してきたのには、その根底に全く異なった考え方が存在していると言わなければならない。STF氏自身はテクニカルは使わないとのことだが、誤解を恐れずに言えば、氏の考え方や発想法は、全く持ってテクニカルのそれである。

という訳で、ここでこの両者の原理的な考え方の違いを対比して述べなければならないが、ざっくりと幾分早口で述べれば、こういったことになろうか。

ファンダメンタル分析の根底にあるのは、実証主義的な(一般的に言うと科学的な)考え方であって、表層的な株価の根底にはファンダメンタルという本質があるとする考え方である。従って、例えばバリュー投資で言えば、最終的には本源的価値によって価格が決定される、つまり、平たく言えば本源的価値というファンダメンタルが原因であって、価格形成はその結果であるとする「因果関係」モデルを想定している訳である。実際にはこの「因果関係」自体は解析・証明出来ないので、統計的手法=背理法による検定という作業を基に、有意性がある「相関関係」などと言うのであるが、まあ、「相関関係」と言おうが「因果関係」と言おうが、根底にある考え方は基本的に同じであると言って良い。

だが、繰り返しになるが、こういった考え方による分析は、よく「最終的に」とか「長期には」とか言われるように、「因果」または「相関」を決定または反映する過程の動態的なモデルは解明されていない、というか原理的に不可能なので、静態的な分析になりがちだといえる。実際には本源的価値自体も変動しているのであるが、普通は、その時点での本源的価値に対して、高い安い(割安かどうか)だけが問題にされるので、下がってきてその価格になったのか、上がってきてその価格になったのかといった、そこに至る市場価格の動的な過程というものは殆ど問題にされることはない。

近年、こういった古典的ファンダメンタル分析の限界が意識されるようになり、企業価値の成長性という企業業績の変化に注目する動態的なファンダメンタル分析が注目されるようになったが、いわゆるグロース株のファンダメンタル分析による割安度の判定というのは、相当に難易度が高いと言わざるを得ないようだ。企業価値の成長性に対するファンダメンタル分析には、定量分析プラス、ビジネスモデルなどの定性分析を重視しなければならないが、後者は当然のことであるが、主に言葉によってしか表現することは出来ないという根本的な矛盾を伴うため、割安度の判定は至難の芸当であると言って良い。ただ、ここで私が言いたいのは、こうした動態的なファンダメンタル分析であっても、この割安度の判定という行為自体は、どうしてもある種の数値の比較にならざるを得ないので、結果としては、量的な意味合いしか持ちえないので、原理的に静態的たらざるを得ないという点である。

これに対し、テクニカル分析は、基本的に効率的市場仮説の立場を取っている。従って、そもそも価格の根底にある本質などと言った考え方はしていないので、「因果関係」や「相関関係」などといったモデルは端から想定しておらず、言ってみれば、即時的に市場価格=本質とする考え方である。これは、ファンダメンタルは全て市場価格に表われているという考え方に立っていると言い換えても良いが、この点に関するファンダメンタル派の批判はややこしくなるので、ここでは触れない。そして、これはあまり言われていないことだが、先に述べたようにファンダメンタル分析が基本的に静態的な分析であるのに対し、テクニカル分析というのは基本的に動態的な分析だと言わなければならない。このことは、例えばファンダメンタル分析にはないトレンドというテクニカル分析に特有な概念を考えてみれば、すぐに判ることであろう。結局、これはそもそもテクニカル分析とは一体全体何ぞやという話になるが、ファンダメンタル分析が、静態的な割安度という量を分析する方法であるのに対し、テクニカル分析は、市場価格の変動という動態的な質を分析する方法だというのが私の意見である。

よく需給だとか地合いだとかいった言葉が使われるのを目にするが、これらの言葉はファンダメンタル派にはある種のエクスキューズとしてしか使われていないが、テクニカル分析とはまさに、この需給や地合いを分析する方法なのだと言ったら判り易いだろうか。


であるから、こういったファンダメンタルとテクニカルの根本的な考え方の違いを念頭に置いて、STF氏の説明を読んでもらえれば、まさしくSTF氏の投資法はテクニカル的な考え方に基づいた、トレンドフォローであることは容易に了解出来るであろう。

ここで反論があるかもしれない。

<銘柄の発掘は、Twitterや株探から始まり、気になる銘柄は企業のwebサイトに行き決算資料やIRニュース・月次の販売データに目を通し、セグメント別の売上高や利益の推移を確認する>というのは、これこそまさに典型的なファンダメンタル分析ではないかと。

確かにスクリーニングに、ファンダメンタル分析を使っているように見えるが、それは割安度を分析している訳ではなく、株価変動をもたらすカタリストとしてのファンダメンタルの変化を探していると言った方がより正確であろう。従って、ファンダメンタル分析は、スクリーニングのための言わば単なる必要条件という位置付けでしかなく、STF氏にとっての十分条件としてはあくまでテクニカルなトレンドが出ているかどうかが問題なのである。なので、氏のファンダメンタル分析は正統的な?ファンダメンタル分析から見ると、あまりに簡略で不十分な分析だと言わざるを得ないだろう。それは<財務分析はしないけどPLは見る><浅く広くやってる、深掘りはあんまやらない><Q:目標株価は設定するかA:しない><Q:業績に株価がともなわない場合、原因を考えますかA:損切りする><Q:株価の高い低いの判断基準はA:そういうのは判断しない、上がってるものを買う>といった言葉に明らかで、繰り返しになるが、STF氏にとっては、そういったファンダメンタル分析よりも、あくまで株価にトレンドが出ているかどうかの方が重要なのである。まず、トレンド有りき、ということである。<株価が上がっているものでより上がりそうなものを買う><決算直後でない場合チャートがきれいなものに寄せる><Q:きれいなチャートってどういうものA:右肩上がり><Q:業績やテーマの先取りはどうやってるA:先取りはしてない、出てきたものを追っかけてる><下がって減らしたものがトレンドが変わって上がりだしたかなと思ったら増やす>等々。

こうした考え方であるから、いわゆる正統的なファンダメンタル投資とは違って<好業績が出たが、株価が付いてこない銘柄は損切りする>のは当然であり、ファンダメンタル投資家としてはあるまじき<決算の内容から継続性がよくわからなくても他の人もわかってなさそうなら買う>という事にもなる訳である。勿論、これはトレンドが出ていることが前提の話であることは言うまでもないだろう。

<おそらく超過利益の源泉は講演会で語られなかったところにあって、その意味でも講演を聴いた人が真似して同じようなことをやろうとしても勝つことは難しいでしょう。「上を買いたくなるものを買う」という表現があったけれど、上を買いたくなるとはどういうことなのか、開示資料からどのようなシグナルがあればそう認識されるのか、そのあたりにSTFさんに固有のエッジがあって、それは簡単には説明できないものであるように思われます。・・・ただ講演を聴いていて1つ強く感じたのはSTFさんの投資行動は本人がそう意識しているかはさておきPEADを取ろうとしているということで、PEADって何って人はPost Earnings Announcement Driftでググってほしいのだけど、決算の内容から継続性がよくわからなくても他の人もわかってなさそうなら買う、という発言はとくにそれを示唆するものであったと思います。参加者が100%良いとおもう決算に突撃してもダメなんですよね。みんながみんな良いとおもうなら寄りでぜんぶ織り込んでしまうから。ただ見た目のよい決算に無差別で突撃してもそれはそれでパフォーマンス出ないはずで、そこになにかの秘密があるのかなというのが昨日の講演で感じたことでした。>

こういった意見もあったが、これはテクニカルなトレンドという概念が欠落したファンダ思考の人の目にはこういう風に映るのであろうが、なかなかと興味深いコメントである。どうしてもファンダが主で、価格が従という考え方から抜けられないので、こういった倒錯的なコメントになってしまうのであろうが、価格(の動き=トレンド)が主でファンダが従であるということは、素直にSTF氏の説明を読めばわかるはずだと私なぞは思うのだけれども・・・。言い換えると、後で見るが、はっきりと講演会で語られているように<見た目のよい決算に無差別で突撃して>トレンドが出ない銘柄は<さっさと切る>、トレンドが出た<当たりを引っ張る>という方法こそが<STFさんに固有のエッジ>であり、パフォーマンスの<秘密>であると、トレンド・フォロワーの私は理解するのですけどね。まあ、こうやってカリスマ投資家は、神格化されて行くという絶好の見本かも知れない。

なお、これまで私はトレンドという言葉を定義しないで使ってきたが、実はテクニカル分析におけるトレンドには厳格な定義が存在する。

暴落はトレンド、トレンドはフレンド 7

そして、STF氏は明確にルール化はしていないようで、氏自身の「変動感覚」に基づいてトレンドを判断し、売り買いをしていると思われるが、トレンド・フォローには、トレンド・ラインや移動平均線などに基づいたシンプルで明確なルールが確立されている。私自身は、日足トレードなので5日移動平均線を使っているが、アップトレンドを買いで取る場合、基本、株価が5日移動平均線の上に出たら買って、5日移動平均線の上にある限りずっとホールドし、株価が5日移動平均線を割ったら売るだけという至極単純なやり方をしている。最もそこには、5日移動平均線の上であっても、トレンドが鈍ってきた兆候が表れれば売るといった裁量部分もない訳ではないが、この兆候についてもルール化しているので、判断に迷うことはない。実際売り買いの判断は、ものの数秒で済んでしまう程である。STF氏も100銘柄ほどを売り買いしているということなので、ルール化はしていないにしても、同様に売り買いの判断は秒単位で行っていることは容易に想像できる。そこには確固とした明確な判断基準が存在すると推察されるので、おそらく判断に迷うことはほとんどないのではないか。

ただ一口にトレンドと言っても、時間軸によってトレンドの認識は異なるので、STF氏がどういった時間軸でトレンドを判断しているのかは、氏の説明からはわからないということは、指摘して置かなければならないだろう。

そしてまた、同様に氏の<当たりを引っ張ること、さっさと切ること>という言葉も、ファンダメンタル的な損小利大の意味で取ってはならない。ファンダ系の人で「損小利大がとにかく重要、だから握力を鍛えなければならない」といった表現をSNSでよく見かけるが、こういった修行僧的精神論的な方向?へ行くと、本人が自覚していないだけに、迷走は深まるばかりで何時までたっても抜け出せないという事態にもなりかねない。これは私に言わせると損切りはともかくとして、誰でもが納得できる利確の明確な基準を示せないのがファンダメンタル派の弱点であるということになる訳だが、それはともかく、この点で、氏の<引っ張る>という表現は、いささか誤解を招く言い方だと言わざるを得ない。<トレンドが出たら(当たりを引いたら)、トレンドが継続している限りホールドすること、トレンドが出なかったり、トレンドが終わったらさっさと切ること>とでも言い直せば、より判り易いだろう。

この言葉に限らず氏の説明を通して読んでみると、どうやらSTF氏自身もトレンド・フォローという言葉を知らないように見受けられる。あるいは言葉自体は知ってはいるのかも知れないが、説明の中に使うというレベル程には、この言葉の意味を明確に把握してはいないようだとは言えるだろう。

以上、どこかの国の選挙カーが立候補者の名前をしきりに連呼するごとく、いささかトレンド・フォローを連呼し過ぎた嫌いがないではないが、ここで興味を持たれた方のために、トレンド・フォローに関する書籍を幾つか紹介しておこうと思う。


まずは、トレンド・フォローの基本的な考え方や方法が、非常に判り易く述べられた基本図書4冊



『ルール トレードや人生や恋愛を成功に導くカギは「トレンドフォロー」』ラリー・ハイト

それから、マイケル・W・コベルの3冊も比較的解り易い。


『桁外れの利益をたたき出すトレーディング トレンドフォロー59の啓示 』


『トレンドフォロー大全 上げ相場でも下げ相場でもブラックスワン相場でも利益を出す方法』


『規律とトレンドフォロー売買法』

そして高度な応用編6冊(特にファンダしか知らない人には、いきなり読んでもこれらの本当の凄さは、多分判らないだろう)

まずは、タートルズ本2冊

『伝説のトレーダー集団 タートルズの全貌』(画像は旧版) マイケル・W・コベル
『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス

そして、現役バリバリのマーク・ミネルヴィニの3部作

『ミネルヴィニの成長株投資法 ━━高い先導株を買い、より高値で売り抜けろ』
『株式トレード 基本と原則』
『ミネルヴィニの勝者になるための思考法』

最後にジェシー・スタインの渾身の1冊

『スーパーストック発掘法 ──3万時間のトレード術を3時間で知る』


そして、皆さん否定的であるSTF氏の投資法の再現性の問題であるが、後で述べるようなレバレッジの問題は別にして、これはタートルズですでに決着がついている。先の2冊を読んでもらえれば判るが、以下の説明文を読むだけでもこのことは判るだろう。勿論、これは厳密な言語化、ルール化がなされているという前提あっての話であるが(この点は、先に挙げた書籍で補完できると思う)、巷間SNSで言われているような、向き不向きや性格に合う合わないとか、才能の在る無しの問題ではないということは、ここで強調しておきたい。そもそも才能の在る無しなんて、やってみた後で、事後的にしかわからない事柄だと思うのだが、どう思われるであろうか。

<謎のベールに包まれていた「タートル」の奥義を初公開!
「シンガポールの亀(タートル)牧場みたいに、トレーダーを育ててみよう」25年ほど前、カリスマ・トレーダー、リチャード・デニスは同僚のウィリアム・エックハートにそう語った。彼らは、トレーダーを育成することは可能か否かという賭けをするため、主要新聞に全面広告を打って大々的な募集をおこない、トレーダー養成塾「タートルズ」を作った。タートルたちは、わずか2週間の研修プログラムを終えると、それぞれ100万ドルの口座を任され、市場に参戦した。そして、ほとんどのメンバーが未経験だったにもかかわらず、次々と巨額の利益をあげ、業界に旋風を巻き起こした。相場は正しい訓練により成功できることが証明されたのだ。
しかし、タートルたちには厳しい掟があった。それは、教えられた投資手法を絶対、誰にも漏らしてはいけない、というものだ――。
タートルたちはなぜ、華々しい成功をおさめたのか?デニスとエックハートは、いかにして、たった2週間の研修で全員を凄腕トレーダーに仕立て上げることができたのか?
今日まで語られることのなかったタートルの全貌を、ついに明らかにします!>

<著者・カーティス・フェイスは、当時19歳の最年少タートルだったが、最も巨額の口座――200万ドルの運用を任され、わずか4年で3000万ドル以上を稼ぎ出した。こうしてリチャード・デニスの運用方法を受け継いだのち、自ら部分的に改良をかさね、メカニカル・トレーディングのシステム、およびソフトウェアの先駆者となる。
その運用実績は、年平均100パーセントという驚異のリターン、文字通り常勝無敗を誇っている。>

<全くの投資素人集団がわずか2週間の研修プログラムによって、次々と巨額の利益を上げていくというセンセーショナルなストーリーはトレーディングの世界では、あまりにも有名。その集団の名は「タートルズ」。

全米のトレード業界を驚愕させるパフォーマンスを実現させた舞台裏には、ある課題について意見の対立した2人のカリスマトレーダーの存在があった。わずか400ドルをトレーディングによって2億ドルにまで増やした伝説的トレーダー、リチャード・デニスとトレーダーにして数理論理学の専門家ウィリアム・エックハート。「トレーディングは訓練次第で成功できるか? 」2人の実験からすべてが始まった。
タートルズのメンバーは彼らにどのようなトレード手法を伝授されマーケットを席巻していったのか?トレードの手法やルールなどを含めた実験の全貌を描いた異色ノンフィクション>

派手好きの人には、こちらの方が良いかも(笑)。



それから最後に、レバレッジの話であるが、私には、資金が十二分に増えた現在でも、STF氏がどうして信用全力にこだわるのか、どうもよくわからない。本人も自覚していると思うが、ハイリスクであることは確かなので、利益の半分(あるいは全部)を引き出すというリスク・マネージメント方法は、FXなどでも良く使われているやり方だが、これはFX自体はそもそも証拠金取引であるという性格からくるので、私には、どうもそこにはSTF氏のギャンブル依存症的な性癖が覗いて見えるように思われるのであるが、さてどうであろうか。