ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

続・隣の芝生

2024-09-23 12:00:00 | 投資理論
前の文章を書いてから、そういえばと、思い出した本がある。

それは、『にっぽんの商人』イザヤ・ベンダサン著である。



この本の出版は昭和50年(西暦1975年)で、これから日本がバブル景気に向かおうという時期に、当時も現在も一般通念となっている「モノづくり大国ニッポン」論に対して、「商人大国ニッポン」論を打ち出した異色の日本論である。

これはまた、なぜ日本だけがアジアの中で資本主義が高度に発達したのかという、歴史家の間で議論されているトピックに、一つの明快な答えを出した著作でもあって、ベンダサンは<日本を今日のように発展させたのは、勿論商人だけではない。そこには郷士という、非常に重要な役割を演じた忘れることのできない存在がある>とも述べていて、この<郷士>については述べられてはいないという留保を付した上で、この著作の内容を端的に述べている文章を、最終章「世界に冠たる商人大国日本」から、以下に引きたいと思うが、この文章をどのように読まれるであろうか。

このベンダサンの見地に立てば、日本の総合商社というのは、「にっぽんの商人」の現代的進化形であり、バフェットがこれまでにもなかったバルク買いをしたのは、この「にっぽんの商人」というビジネスモデルの優位性を余程確信したからであろうと考えることも出来る。

また、外から見た方が、この「にっぽんの商人」というビジネスモデルの優位性が良くわかるということかも知れない。従って、世界に冠たる「にっぽんの商人」であるから、重箱の隅をつつくトヨタへの「是正命令」の例が示す如く、その行動には、政府は下手に口を出して足を引っ張らない方が良いということにもなる訳である。


以下の言葉は、皮肉と考えないでほしい。外部から見ていると、日本とは、広い意味の商行為に従事するもの、いわば広い意味の商人だけが、国際間にあって、全く引けを取らずに大活躍をしているが、他には、何も存在せず、商人以外は全く無能な人たちの国のように見えるのである。そしてこれは戦後だけのことではなく、実は、日本が西欧に接したそのときからの実情なのである。日本は、軍事ではなく実は「商事」に関する限り、明治以来、不敗であったといってよい。そしてこの「商事」が敗北した如くに見えた場合も、実は、日本国内の他の要素、たとえば軍事が商事を妨害した場合に限られるのである。

この事情は今も変わらない。日本には国際的指導力をもつ政治家がいるわけではない。また世界の世論を指導する言論機関があるわけでもない。日本の言論機関は、国内では大きな発言力をもっているようにに見えるが、国際的には沈黙しているに等しい。また、世界的な指導力を持つ思想家がいるわけではない。外部から見ていると、日本には思想家は皆無だとしか思えない。政治においては、国会は不能率というより麻痺しているように見え、外交は拙劣の一語につき、だれもこれらを自国の模範にしようとは考えないであろう。また世界の学者をひきつける大学は存在せず、原子力の開発のような世界的な大発見・大発明をした研究機関があるわけでもなく、またその技術はほとんどが欧米から導入したもので、日本独特のものは少ない。さらに世界的な大芸術家がいるわけではない。また、世界が注目せざるを得ない膨大な資源をもっているわけでもない。勿論軍事力というべきものもない。

各人が静かに自問されればよい。一体日本に何があるので、世界は日本に注目し、日本を大国として扱い日本の動向に注意を払い、日本に学ぼうとするのかを。言うまでもなくそれは日本の経済的発展であり、それ以外には何もないのであるーこの言葉を、たとえ日本人がいかに嫌悪しようと。

そして日本の経済的発展は、原料を買入れて、下請けに加工させて、製品としてこれを販売した徳川時代の町人の行き方を、国際的規模で行うことによって、徳川時代の町人が富裕になったと同じ方法で達成されたのであった。そして日本で国際的評価に耐えうるもの、というよりむしろ高く評価されるものは、これを達成した「商人」しかないである。

そして面白いことに、この事実を一番認めたがらないのが、実は日本人なのである。


隣の芝生

2024-09-08 00:00:00 | 投資理論
バフェットが日本の商社株を買った理由については、色々としたり顔で穿った説明がなされてきたが、どうも私には今一つピンとこないものばかりであった。以前のバフェットの日本株に対する否定的な発言から考えると、そこには、バフェットの日本株に対する見方に何らかの変化があったようにも思われるのだが、まあ、わからないものはわからないので、そのままになっていた。

ところが、つい先日、知人が教えてくれたこの2つの動画を見て、なるほどそういった考えだったのかと改めて腑に落ちた次第、従って文章にして残しておくことにした訳である。

この動画内の発言からすると、どうやらバフェットの商社株購入の背後には、日本式経営文化に対して、より評価する方向にシフトした事実があるように思われる。考えてみれば、商社というのは日本特有の企業形態であり、アメリカにもこのような業態は見られないので、このシフトには、2つ目の動画で述べられているマンガーの比較文化論的な考えに基づいた日本式政治・経済運営文化に対する高評価が裏打ちしているのではないかというのが、知人の見方である。

考えてみれば、現在のバークシャーは、毛色の違った様々な企業を擁する”一種のウルトラ超巨大総合商社”であると見る事も出来るので、この意味では、そういったバークシャー特有の多種多様な様々な企業を運営していく経営上の経験による学びが、今回の商社株購入に至った最大の理由ということになるのかも知れない。

一つ目の動画自体の趣旨は、例によってしょうもないものだが、中で引用されているバフェットの発言は、バフェットらしい非常に肯首出来る内容で、恐らくかなり正確なものであろうと思われる。この発言によって、どういった考えのもとに日本の商社株を買ったのかが、私には非常に納得がいったのである。と共に色々と考えさせられる内容でもあるけれども。

「中国の方が日本より上ですよね?」日本を無視していた中国放送、”投資の神様”ウォーレン・バフェットの一言で沈黙した理由


私(バフェット)は日本に無限の可能性を見た。多くを日本に投資するとともに、今後も日本と良好な関係を維持していきたい。
・・・・
中国人は中国があらゆる分野で完全に遅れているという事実を認めるべきだ。そうした中国の現実は、長期的で安定した価値を重視する我々投資家にとって最悪だ。

我々は慈善家ではなく起業家であり、投資が成功する可能性が高い国に投資するのは当然だ。過去において私の目に狂いはなく、そうした経験から中国より日本を選んだのだ。日本は誰が何と言おうとも、華々しい復活を遂げた国だ。戦争で荒廃した都市を現代の先端都市に変え、多方面で発展した姿を見せており、世界最高の地位を固めている。この点で日本の可能性を確信し、日本に我々のすべてを投資しようとしたのだ。

一方的で利己的な外交方針で成長した中国を、調和のとれた合理的な外交方針を持つ日本と比較するのは筋が違う。中国は国内で日本企業の製品が売れないように制限しておきながら、なぜ中国製品を日本に無差別に輸出しようとするのか?世界で中国のように一方的で利己的な外交方針を持つ国はない。中国人たちは依然として過去の考えに囚われて生きている。そうした考えを変えない限り、我々が中国に投資することは永遠にないだろう。

50年後の日本は今より成長した国になると確信している。5大商社は今後100年どころか永遠に生き残る企業だと評価して投資したのだ。


そして、もう一つの動画における故マンガーの、日米財政状況を比較する中で述べられている日本評も、日本人としてなかなかと考えさせられる内容である。

【もう一人の賢人チャーリー・マンガー】備えよ、世界の変化は加速する!これに気を付けろ!


<近代国家が大量のお金を刷ると借金が増えて株が上がる。その規模は世界的に新領域に入っている。なかでも日銀は想像を絶する金を印刷した。しかし日本はインフレを起こさず、未だに立派な文明*を維持している。政府が大量の金を印刷したにもかかわらず、最悪事態にならず、経済は25年間の停滞に止まっている。

日本が大量の金をばらまいても、文明*を維持して落ち着いていることに米国人の私は勇気づけられている。
米国も日本同様の結果になることを望んでいる。

しかし、日本が落ち着いているのは民度が高く義務を果たす文明的な人が多く、我慢して国に協力しているからだと思う。日本は単一民族の国家であり、日本人は自らにある種の誇りを持っているため、他国に比べて協力して諸問題に対処できるのだ。

それに対し、米国には多民族、多くのグループ間の対立が強い緊張状態を作っており、国の運営は非常に難しい。政府が多くの金をばら撒けば、いずれ最悪事態が発生する。例えばアルゼンチンなどの南米の国々である。我々米国人は その最悪事態に近づいている。

日本のように停滞に止まるか、もっと悲惨なことになるのか。私はそうなりたくない。

日本は過去に例がない信じられない量の金を印刷してきたが、今でも文明国家として存在している。莫大な有利子負債があるのに、利息を払わない当座預金で返済している。金利の支払いなしにマネーサプライが上がってゆくのは天国であり、政治家にとっては魅力的なことである。



ただ、この二人の日本に対する高評価というものは、日本人経営者や知識人のアメリカ式経営に対する憧れや高評価と同じで、多分に「隣の芝生は青く見える」バイアスが掛かっているように、私には思われるのも事実である。

例えば、同様の事例として、経営学で有名なドラッガーは日本の終身雇用や年功序列などの仕組みを高く評価していたし、これはあまり知られていないと思うが、バフェットの師匠と言われるフィリップ・フィッシャーも日本企業を評価基準にしていたことが挙げられる。

もう十年近く前の事であるが、私は以下のインタビューの中で語られている、この<私の物差しである「日本企業」>という一節を読んだ時、雷に打たれた如く驚き、「ああ、そうだったのか!」と目が覚めるような気がしたのを今でも覚えている。つまり、この<私の物差しである「日本企業」という凝縮された短い言葉の方が、彼自身のまわりくどい著作の総てよりも、はるかに彼の理想とする企業像を明確・端的に表していることを、一瞬で悟ったのである。

従って、これまた穿った見方をしたり顔で述べれば(笑)、このフィッシャーの考えを、バフェットは2020年になって実行に移したと見ることも出来る訳である。

Forbes【完全版】バフェットが師匠と仰ぐフィリップ・フィッシャーインタビューアーカイブ

<——あなたにとっての中核株の基準とは?
フィル・フィッシャー:まず、いずれも生産コストが低い企業ばかりです。次に、いずれも各業界で世界一か、あるい私の物差しである「日本企業」に比肩する競争力を持つ企業であるか、です。どの企業も期待できる新製品を開発しており、平均レベル以上の経営陣を有しています。>

東西投資理論の変遷を考える 5

2024-07-06 12:00:00 | 投資理論
この点を考えるに当たっては、ダーバスがスランプに落ち入り、一旦獲得した<感覚>も喪失してしまい、そして、この最悪の状態から、どのように考えて行動してスランプを克服し、再度この<感覚>を取り戻すに至ったのかという、言わば投資家ダーバスの再生・復活の過程が参考になろう。

その経緯を「第9章二度目の危機」で、ダーバスは克明に記述しているが、この章はまたこの本の白眉でもあろう。この自らのスランプの原因に対する洞察力からも、ダーバスという人は相当な知性の持ち主であったということが判ろうというものである。


<自分には間違いようのないシステムがあるので、マーケットに今まで以上に近づくことさえできれば、毎日資産作りをする妨げになるものは何もないと考えた。>

そのために彼が選んだのは、マンハッタンにある、あるブローカーのディーリングルームであった。そして、このディーリングルームで、ダーバスはスランプに陥ることになるのである。

<取引を始めて数日のうちに、過去6年間にわたって学んだことをすべて放り出してしまった。自らを激しく律して禁じたすべての事をやるようになった。ブローカーと話をした。うわさに聞き耳をたてるようになり、ティッカーマシンのそばを離れられなかった。・・・・最初に失ったものは第6感だった。「感覚」がまったくつかめなかった。・・・わたしは理性に見放され、完全に感情に支配されるようになった。>

<取引はすべて壊滅的な結果に終わった。・・・日がたつにつれて、私の投資活動の悪循環は次のような様相を呈した。
天井で買い付ける→買ったとたんに下落し始める→あわてふためく→底値で売却する→売った途端に上昇し始める→強欲心が出てくる→天井で買い付ける >

<悲惨な状態で数週間を過ごしたあと、なぜこんなことになったのか、その理由を真剣にじっくりと考えてみた。香港やカルカッタ、サイゴンやストックホルムでは、どうしてあの感覚を持てたのだろう。そして、ウォール街から1キロも離れていないところにいるのになぜその感覚を失ったのか。・・・この問題の解決は容易でなく、わたしは長い間思い悩んだ。

<解決策をささやく声が聞こえたが、最初は信じることが出来なかった。・・・その声は、私の耳が私の敵だと言っていた。>

<答えはただひとつだと思った。・・・直ちにニューヨークを離れて、遠くへ行かなければならない。・・・それからパリ行きの飛行機に乗った。・・・私がブローカーに求めたのは、いつものとおりウォール街の株価に関する毎日の電報だけだった。>

<電報が毎日届いたが、その内容が理解できなかった。完全にカンを失っていた。・・・パリについて2週間ほどたったある日、・・・電報を手にしたとき、数字がいくらか明るさを増して見えるような気がした。・・・その後数日間、電報がだんだん鮮明になってきて、昔に戻って相場が読めるようになった。再び、力強い銘柄もあれば、軟弱な銘柄もある事が理解できた。同時に「カン」が戻り始めた。・・・私は教訓を得ていた。・・・わたしに必要なのは株価の電報だけで、それ以外には何もいらない。



ここで言われていることは、ダーバスが<感覚>を取り戻し、再度<相場が読めるようになった>のは、株価以外の情報を遮断した状態においてであったということである。言い換えれば、彼は株価(の数字)という最も基本的な一次情報以外の、一切の副次的な情報を遮断しなければ、この感覚を取り戻すことが出来なかったということである。

現在のそれこそ情報が溢れかえっている現在からは、なかなかと想像しにくいことだが、ここで、取り分け私が注目するのは、ダーバスがチャートさえも必要としていなかったという点である。いや、むしろ、チャートを見ないからこそ、ティッカー=株価の数字から<感覚>を得ることが可能になり、<相場が読めるようになった>ということである。




そして、同様にリバモアもチャートは使ってはおらず、株価の数字だけに基づいて、売買の判断を下していたことを挙げなければならない。


<私個人としては、チャートには全く興味がない。私にとってチャートは混乱を来すもとである。>(『リバモアの株式投資術』)

リバモアの場帖


場帖に価格を書き入れ、その動向を観察すると、価格が語りかけてくるようになる。・・・それは、形成されつつある状況を明確に伝えようと、必死に訴えかけてくる。・・・その値動きを注意深く分析して優れた判断が下せれば、どうすべきかが分かるはずだと語りかけてくるのである。>(『同』)




リバモアはこれ以上の事は書いていないが、興味がないだけではなく、なぜ<チャートは混乱を来すもと>になるのであろうか。

私には、ここがクリティカル・ポイントだと思われる。

ネットでダーバスやリバモアの投資法をググると、膨大な量(その殆どは英文)の記事がヒットするが、彼らの売買例をチャート上に図示・再現したものが非常に多い、というかほとんどすべてがそうだと言って良い。また、ダーバスの著作『200万ドル』にさえも、付録としてアメリカン・リサーチ・カウンシルが作成したダーバスの売買事例チャートが添付されているといった有様である。勿論、こうした方が一目瞭然で判り易いからであろうが、このことは、そもそもダーバスやリバモア自身がチャートなぞは使ってはいなかったという事実を見過ごさせるという一種の死角をも生むことになると言わなければならない。

このことの認識論上の意味合については、また後で考察してみたいと思っているが、チャートに基づいた視覚による事後的・空間的・静的な理解は、それと引き換えに、その時点時点における実践での、場帖(=数字の羅列)に基づいた想像力による、株価変動に対する動的な運動感覚の獲得である<変動感覚>を損なうものと言わなければならない。

私にとってチャートは混乱を来すもとである>というリバモアの言葉を見逃してはならない。

また、『欲望と幻想の市場』には、自分の<直観>について、<ジェームズ・R・キーンらの先輩相場師がこぞって磨こうとしたという、いわゆるティッカー・センスといったものかもしれない。>という一文も出てくるので、こうしたティッカーに基づいたある種のセンスの存在自体については、当時の相場に関わる者の間では、ある程度の共通認識があったとも思われる。何より、この<ティッカー・センス>という言葉の存在自体が、それを証しているとも言えよう。


さて、先にダーバスやリバモアの<神秘的な、説明のつかない本能>、<直観>や<カン>について述べている文章は、林輝太郎氏の本の中の文章をどうしても思い起こさせると書いたが、それは氏の相場技法論は、こうした言語化し難い「暗黙知」としての<変動感覚>の養成を旨とし、そのために場帖を最重要視するからである。

つまり、繰り返しになるが、この場帖最重要視という方法論も含めたロジックとして、本質的に相通ずる記述、いわば同じ中心を巡って同心円を描いていると思われる記述>だと私には思われるということであるが、それをさらに敷衍して言えば、ここにおいて場帖(=株価数字)に基づいた暗黙知としての変動感覚=ティッカー・センスという、現在の投資理論ではほとんど看過されている概念を基軸に据えることによって、(東西の)投資理論について、新たなパースペクティブが開けてくることになるのではないか、そう考えている次第である。






東西投資理論の変遷を考える 4

2024-06-16 12:00:00 | 投資理論
そして、ダーバスだけではなく、リバモアの本にも(彼は<直感>や<>という言い方をしている)、その性格は違うが、同じく<神秘的な、説明のつかない本能>について述べているくだりが出てくるのである。

なお、今回この文章を書くに当たって、ネットで探して、かなりの量のダーバスやリバモアについての文章や書評を読んでみたが、英語で書かれたものを含めて、この点に触れたものは、皆無であった。

まあ、普通に考えれば、彼らの判り易いピボット・ポイントとかボックス理論といった、いわゆる手法に目が行く方のが当然で、投資実践という彼らの人間的営為における、こういった一種の言語化し難い「暗黙知」とでも言うべきものが看過されるのは、致し方ないとも言える。しかし、彼らが明敏にも書いているように、その投資家としての成功には、その人間の生死と共に生成消滅するこうした「実存的暗黙知」というものがかなりの程度関わっているのも確かな事実で、それをこの際、再度考えてみたいというのが、この文章を書いている理由でもある訳である。




<いつだったか、おれがコスモポリタンの店でシュガーを3500株空売りしていた時に、直感的に手仕舞ったほうがよい、と感じたという話をしたけれど、おれはしばしばそうした奇妙な衝動を感じることがある。そういう時には、そのに従うことにしていた。しかし時には、盲目的にに従って自分のポジションを変えるのは愚かなことだと自分に言い聞かせることもあった。・・・・しかし、直感に従わなかった時にはいつも、後悔する羽目になるのだった。>(『欲望と幻想の市場』第6章)

<・・・相場ボードを眺めていた。多くの銘柄は、値上がりしていたのだが、おれはユニオン・パシフィックの値を見たところで、この株を売るべきだと感じたのだった。それ以上は詳しく説明できない。ただ、とにかく売るべきだと感じたのだ。なぜそう思ったのか自ら問いただしてみたけれども、この株を空売りすべき確たる根拠は見つからなかった。・・・とにかくこの株を売りたい。しかし理由は自分でもわからない。>(『同』)

この数日後、サンフランシスコ大地震が起き、リバモアはこの空売りの取引で、それまでで最大の利益を得ることになったということであるが、本人自身の手になる『リバモアの株式投資術』にも同様の記述が出てくる。



<1920年代後半の大強気相場において・・・この期間中、・・・けっしてポジションに関して不安を抱くことはなかった。だがそのうち、マーケットが閉まったあと、そわそわして心を落ち着けられないときが来た。その晩は熟睡もできない。何かが私を覚醒させ、マーケットについて思いを巡らせ始めた。翌朝は新聞を見ることさえ恐ろしかった。何か不吉なことが今にも起こりそうに思われた。・・・翌日、状況は際立って変化した。悲惨なニュースがあったわけではない。一方向へ進む長期にわたる変動の後に起きる、よくある突然のマーケットの転換である。その日、私の動揺は本物になる。急いで大量のポジションを清算する羽目に陥った。前日であれば、天井から2ポイント以内で建玉総てを手仕舞えたはずだ。昨日と今日で何たる違いだろう。・・・正直に言えば、私はこの内なる警告には疑念を持っており、通常は冷静な科学的手法を優先させる。しかし、静かな海を航海しているようなときに感じた大きな不安に注意を払うことによって、かなりの恩恵を得てきたというのも事実である。>(『リバモアの株式投資術』第6章)

ここで私が注目したいのは、リバモアがこの<直感>について、このように述べていることである。

それはマーケットを長年研究し、実践を積んできたことで身につく、特異な能力のひとつである。>(『同』)

<やがて、マーケットが教えてくれるより前に、自ら過ちに気づくことが出来る〔変動〕感覚が磨かれてくるようになる。それは潜在意識からの警告だ。過去のマーケットパフォーマンスから得た知識に基づく、自己の内面からのシグナルである。時に、それはトレードメソッドの発するシグナルに先んずる。>(『同』)

なお、この文章の<変動感覚>という訳語に違和感があったので、〔変動〕とカッコに入れて横棒を引いて置いたが、原文でも、以下のように、単に<This sense>とあるだけである。

<This sense of knowing when you are wrong even before the market tells you becomes, in time, rather highly developed. It is a subconscious tip‐off. It is a signal from within that is based on knowledge of past market performances. Sometimes it is an advance agent of the trading formula.>

どうして、<変動>という言葉を補って訳したのか、文脈から言って唐突で、私にはいささか疑問符が付くのではあるが、それにもかかわらず、これから述べる内容に関しては、論理展開の上で、一種の論点先取になっているのは、あらら、これってセレンディピティっていうやつ?と思わざるを得ないのも事実である。

というのは、これらのリバモアの文章は、私にはどうしても、林輝太郎氏の本に出てくるこの文章を、連想させずには置かないからだ。

<ある時、買った後にとても嫌な気がしたんだ。買うべきでないところで買った。つまり、いけないことをしたという気分の悪さとでもいうか、とにかく二日間もそんな気分の悪さが続いたので損になるが売ってしまった。どうしてこんなことになったのかと考えたが、一週間くらいたって分かった。そして涙が出てきた。俺にも変動感覚が出来てきたことがわかったんだ。変動感覚と売買技術-林の本には相場で儲けるためにはこの二つが必要だと書いてあったが、その変動感覚が少し俺に備わったのではないかと思われた。林は笑うだろう。笑われても良い、俺は少しだけだが上達の道に乗ったんだ。それから2年、相場をはじめて10年で、損した分をほとんど取り返した。>(『勝者へのルール』)

また、前回引いたダーバスの文章も、同様に次の文章を思い起こさせると言ったら、或いは自らの言いたいことに、あまりにも引き付け過ぎた解釈だと言われるであろうか。

<FAIクラブのメンバーで400銘柄の月足を描いている人がいます。2005年の8月初めに7月の月足を描き終わったとき、『今月から騰がるな』と思ったそうです。それこそ、はっきりと上がると感じたので、15銘柄3日に分けて買った結果、見込みどおり12月にかけて暴騰しました。『わかってきたのだ、ありがたい』と、うれしく感じたそうです。>(『同』)


さて、これらを、例外的な事例、特殊な才能を持つ人物の特異な<直感>や<>、或いは<感覚>の問題として片付けてしまうのは簡単だが、もう少し、事実の襞に分け入って考えてみることも大切であろう。つまり、問題なのは、リバモアやダーバスが、どのように<マーケットを長年研究>し、どのような<実践を積んできた>のかということである。





東西投資理論の変遷を考える 3

2024-06-02 12:00:00 | 投資理論
これは投資本に限った話ではないが、古典の評価というものは難しい。

私の場合、数年、時には十年以上の間隔を空けてから蔵書を読み返すのを心がけているが、それは評価がガラリと様変わりする場合が往々にしてあるからである。それは単に読書技術の拙劣さということもあろうが、特に投資という分野においては、量は兎も角として、とりわけ質的な経験値の蓄積がものを言うので、自分の実力レベルの内容までしか読み取ることが出来ないからである。それを、今回ダーバスやリバモア、さらに進んでワイコフ、バルークなどを読んで、今更ながらに思い知らされることになったと言っても良い。

ダーバスについては、今から考えると、林輝太郎氏の次の否定的な文章がどうも先入観になっていたように思われる。

<この本の初版は1981年である。自費出版で、全11話であったが、このたび同友館から改訂版を出すことになって、第3話の「ボックス売買法」を除外した。「ボックス売買法」は、ニコラス・ダーバスが『私は株で200万ドル儲けた』という本で紹介した方法で、この本はベスト・セラーになった。
第3話を除いた理由。ニコラス・ダーバスは、上記の本を1960年に出した。14年後の1974年に『ウォール・ストリート・ギャング』という本を書いたといわれる(筆者所有の『ウォール・ストリート・ギャング』の著者はリチャード・ネイになっている。筆名なのか筆者の聞き違いなのか詳細不明)。そしてさらに十年後の1984年、ロンドンの下町で落ちぶれた彼の姿が目撃されたのを最後に消息不明になったといわれている。要するに、彼は相場において有終の美を飾れなかったのだ。一時的に大成功した投資家は多いが、有終の美を飾ってこそ、本当の成功者である。>(『脱アマ相場師列伝』はしがき)

恐らく林氏は『私は株で200万ドル儲けた』以外は読んではいないと思われるが、現在手に入るダーバスの本は『200万ドル』以外にも幾つかあって、これらの内容からすると、上記の林氏の評価は、正確性を欠いた裏付けのない伝聞に、いささか引っ張られ過ぎたように思われる。

『ウォール・ストリート・ギャング』もざっと目を通したが、一口で言えば、インサイダー達による組織的暗躍活動の暴露本といった内容で、『金融市場はカジノ』(1964)で描かれているダーバスのマーケット制度観とは、関心の持ち方の点で、いささかそぐわないように思われるし、そもそも一介のダンサーであるダーバスに、こうした情報が知り得たとも思えない。また、リチャード・ネイは『The Wall Street Jungle」という同様の暴露本を他にも書いていて、やはり別人と考えるのが自然であろう。

また、<1984年、ロンドンの下町で目撃された>という情報の出所は確認できなかったが、ダーバスがアメリカを拠点に活動していたことから考えると、これも相当に怪しい伝聞だと言わざるを得ない。

そして、ダーバスが、『The Anatomy of Success』(1965)の中で次のように書いていることも挙げなければならない。というか、そもそもこの本自体が、良くあるような功成り遂げた人物が書き下ろした、”成功法則本”なのであるが。

<I myself have worked in many fields and, at the risk of sounding self-laudatory, I can honestly say I have been very successful. At one time, I became world famous as an acrobatic dancer. And during a subsequent period of my life, I made a name for myself, creating a brand-new image, as an author. Later, I went on to explore and become successful in other fields—the fashion industry, theatrical producing, real estate are a few examples. >

<私自身、さまざまな分野で仕事をしてきた。自画自賛に聞こえるかもしれないが、正直なところ、とても成功したと言える。アクロバットダンサーとして世界的に有名になり、その後の人生で、私は作家として新しいイメージを作り上げ、その名を世に知らしめることになった。その後、さらに未知の分野に進出し、私はファッション業界、演劇プロデュース、不動産など、他の分野でも成功を収めたのだ。>

尤も、出版年はどれも皆1984年よりも前で、一番新しい『「株で200万ドル儲けたボックス理論」の原理原則』(『You Can Still Make It In The Market』)の出版が1977年なので、この伝聞を完全に否定する決め手にはならないけれども。

  


しかし、まあ、私にとっては、晩年のダーバスが落ちぶれようが落ちぶれまいが、こうした詮索はどうでもいいように思われる。それほど『私は株で200万ドル儲けた』の中で描かれているのは、傑出した投資家がどのように誕生してゆくのか、その試行錯誤の成長過程が、見事に、生き生きと活写されているからだ。また、この本は投資本というジャンルを超えて、自伝としても傑作の部類に入ると言っても過言ではないとも思う。



といったようなことで、今回読み直して、以前には読み飛ばしていた多くの部分に注目することにもなった訳である。

今回新たに気付いたのは、林輝太郎氏の投資技術理論と本質的に相通ずる記述、いわば同じ中心を巡って同心円を描いていると思われる記述が幾つか見られたことである。例えばこのようなところであるが、この文章をどのように読まれるであろうか。

<投資技術をマスターしたことにも疑問の余地はなかった。電報を通じて取引をしていたことで、ある種の第六感も冴えてきた。これが自分の探している株式だということが「感覚」で分かった。・・・わたしはたいていの場合、好ましい株式を見つけることができた。ある株が8ポイント値上がりしたあと、4ポイント下落しても警戒感を持たなかった。そうなることを予想していた。また、ある株価が堅調になると、それが値上がりするのはいつかを言い当てたこともしばしばあった。これは神秘的な、説明のつかない本能だったが、そんな本能がわたしの体のなかにあることは事実だった。そのおかげで非常に大きな力を得た気になった。>









東西投資理論の変遷を考える 2

2023-12-15 19:00:00 | 投資理論
さて、どうしてリバモアやダーバスを再読する気になったのかというと、興味深い投資本を続けて幾つか続けて読んだのが切っ掛けである。

その1つは Oliver Kellの「Victory in Stock Trading Strategy and Tactics of the 2020 U.S. Investing Champion」という本である。



Oliver Kellという名前には聞き覚えの無い人がほとんどだと思うが、本の題名に「2020 U.S. Investing Champion」とあるように、Oliver Kellは2020年の→Financial Competitionsで+ 941.1%という、2位のTomas Claroの + 497%を大きく引き離して、文字通りブッチギリの成績で優勝している。翌年の2021年には、ミネルビニが+ 334.8%で優勝していることは前にも書いたが、2020年の好調なマーケット環境に恵まれたとは言え、テン・バガーというのはちょっと最近の記憶にない数字だなと思っていたら、新記録を更新したとのことである。いや、素晴らしい。その彼が投資本を出したというだから、読んでみようという気にもなろうというものである。そのうち翻訳も出版されるかも知れない。

読んでみると、彼もまた「リバモア・ダーバス村のスーパー投資家たち」の一人であることが良くわかる内容であるが、そのことは巻末の推薦本を見てみても一目瞭然である。

<Reading List to Speed Up the Learning Curve

Reminiscences of a Stock Operator by Edwin Lefevre
How to Trade in Stocks by Jesse Livermore
How to Make Money in Stocks by William O’Neil
Trade Like a Stock Market Wizard by Mark Minervini
Think & Trade Like a Champion by Mark Minervini
Trade Like an O’Neil Disciple by Gil Morales and Chris Kacher
Japanese Candlestick Charting Techniques by Steve Nison
Technical Analysis Using Multiple Timeframes by Brian Shannon
Secrets for Profiting in Bull and Bear Markets by Stan Weinstein
One Up on Wall Street by Peter Lynch
Market Wizards by Jack Schwager
New Market Wizards by Jack Schwager
Stock Market Wizards by Jack Schwager
Hedge Fund Market Wizards by Jack Schwager
Unknown Market Wizards by Jack Schwager>

そして残りの2冊は、Bharath Koteshwarの「THE PERFECT STOCK:: How a 7000% move was set-up, started and finished in an astonishing 52 weeks」と「The Perfect Speculator」で、スタンガンの製造販売会社Taserの 2004年に起こった大相場に関する2部作とも言うべき内容の、すこぶる面白い2作である。

 

これらは、私が今年読んだ投資本の中のベスト・スリーであるが、Bharath Koteshwarは「The Perfect Speculator」のなかで、3冊の推薦本を挙げているだけ、あとは実践で学べと言っている。最も、そのうちの一冊は自著であるけれども。

<THE ONLY OTHER BOOKS A SPECULATOR NEEDS

1. “How I made $2 million in the stock market” by Nicolas Darvas
2. “How charts can help you in the stock market” by William Jiler
3. “The Perfect Stock” by Brad Koteshwar

All other lessons have to be learned by actual trade executions and experiencing a complete cycle consisting of an entire bull trend and an entire bear trend.>

リバモアもダーバスも古典なので、推薦本に挙げている人も多いと言えば多いのだが、日本では総花主義な意味合いで推薦本に挙げることはあっても、厳選した少数の推薦本として、まず読むべき本としてリバモアやダーバスを挙げる人は少ないだろう。

だが、私の狭い見聞からいうと、アメリカ人投資家でまず読むべき本としてリバモアやダーバスを挙げる人は、かなりの割合で多いように見受けられる。

ミネルビニも自著以外で推薦本に挙げているのは

・ウィリアム・オニールの本全て
・『マーケットの魔術師』シリーズ by ジャック・D・シュワッガー
・リバモアの株式投資術 by ジェシー・ローリントン・リバモア
・Superperformance stocks by Richard S. Love(見つけられれば)
・How Charts Can Help You in the Stock Market by William L. Jiler
・私は株で200万ドル儲けた by ニコラス・ダーバス
おまけ
欲望と幻想の市場 伝説の投機王リバモア by エドウィン・ルフェーブル 

といったラインナップで、これ以上のものはいらないとまで言っている。

私はこれまで、リバモアについてはルフェーブル の「欲望と幻想の市場 伝説の投機王リバモア」、ダーバスは「私は株で200万ドル儲けた」しか読んでいなかったのだが、このようなことから「私は株で200万ドル儲けた」を何気なくふと再読しだしたところ、愕然としたのであった。俺はこれまで一体何を読んでいたのかといった、目の覚めるような感銘を受けたのある。そのため興に載ってこれまで読んでいなかった二人に関する関連本を読み漁るという羽目に陥った次第である。やれやれ。

     
  

 

東西投資理論の変遷を考える 1

2023-12-13 17:00:00 | 投資理論
このところ、ジェシー・リバモアやニコラス・ダーバスを再読、さらにこれまで読んでいなかった関連本を色々と読んでいた最中に、チャリー・マンガーの訃報に接した。



99歳とのことで、まあ大往生といって良いだろうが、多くの追悼文で言われているように、偉大な投資家という評価には全く異存はないものの、その評価軸に関しては、いささか気になる点がないこともないので、この機会に文章にしておくのも良いだろう。

言うまでもないことだが、マンガーが、バフェットに多大な影響を与えたことは良く知られている。実際、バフェット自身も、自分に優れたフランチャイズの価値や定性分析の長所を教えてくれたのはマンガーであったと述べている。このように、バフェットが、グレアム流の定量的シケモク投資法から定性的成長株投資法への転回・発展を成すにあたって、マンガーが決定的な役割を果たした功労者であったことはほとんど公定の評価であると言って良いだろう。

問題は、この点をどう評価するのかであるが、最大限に評価する私には、マンガーをグレアム流の投資家という括りに入れて限定してしまうのは、過小評価に過ぎるのではないかということは言って置きたいと思うのである。

実際、マンガーによる

「ベンジャミン・グレアムは投資家として多くを学んだ。彼が会社を評価する手法はすべて、大暴落と大恐慌に打ちのめされた経験によって形作られた。そこには恐怖というトラウマが色濃く反映されており、すべてはそれを寄せつけないように設計されている。」

というグレアムに対する、例によって辛辣な発言も残されている訳だが、最近もパン・ローリングから『チャーリー・マンガーの実践グレアム式バリュー投資法 世界最高の投資家の智慧と思考の統合力』なる本が出版されている。原題は『Charlie Munger : The Complete Investor』で、私は未読なので、「実践グレアム式バリュー投資法」という邦題が内容に相応しいものかどうか判定する立場にないが、この邦題がミス・リードでないことを祈るばかりである。

そしてまた、かねてより私に不可解なのは、『証券分析』の出版五〇周年を記念して、一九八四年にコロンビア大学で行われた有名な講演の中で、バフェットがマンガーを「グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち」の中に加えていることである。いや、バフェットのグレアム推しもちょっとばかし度が過ぎるのではないかと私は思うのだけれど、この点どう思われるであろうか。むしろマンガーは「フィリップ・フィッシャー村のスーパー投資家たち」に加えるべきではないのか、と私は訝るのである。

グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち

この意味で、Investors Business DailyのCURT SCHLEIER氏の記事は、私には読み応えのある文章であったので、ここで紹介しておこう。

What Charlie Munger Taught Warren Buffett About Investing


ところで、このIBDを創刊したウィリアム・J・オニールも、今年5月28日に90歳で亡くなったのだが、アメリカと比べると、日本のSNSでは、このオニールの逝去は、さほど話題にならかったようだ。この点、投資ビジネス界隈では同じくレジェンド級の人物でありながら、マンガーと好対照をなしているのは、興味深い現象である。



私は、リバモアやダーバスを読み込んでいた最中であったせいか、どうしても、このオニールの逝去に関する日本での関心の薄さというものを、改めて考えざるを得ないのである。何といってもオニールは、「リバモア・ダーバス村のスーパー投資家たち」の一人であるのだから。

逆に言えば、このことは日本における「グレアム・ドッド村」の圧倒的な影響力というものを考えざるを得ない訳であるが、これに対してオニールを筆頭に「リバモア・ダーバス村」の影響というものは、実際のところ、日本ではほとんど見られないのではないかと考えられる。例えば、SNSを覗いてみても、投資に当たって、「成長性」を副次的に加味することはあっても、「成長性」をメインに据えて投資している日本人投資家は、ごく少数であろう。

日本人のマンガー推しという現象には、そこに彼我の投資に対する考え方の違いというものが、覗いて透けて見えているように思われるのだ。