良く小林の本質は「詩人」だといったことが言われるが、彼の文章は一種の「詩」としてしか読まれていないように思われてならない。例えば『モオツアルト』なども「疾走する悲しみ」といったキラー・フレーズばかりが注目され、この文章全体に一貫して流れている古典派からロマン派への発展を堕落と捉える小林の音楽史的理解が注目されることはほとんどない。散文としての論理性はほとんどの場合理解されていないのが通例である。同様に小林の『本居宣長』も、精緻に読もうとすると見た目以上に難しいテキストであって、その論理構造を正確に読解した試みは、これまでにはほとんど見られなかったように思う。勿論、その総てを読んだ訳ではないが、日本文学大賞受賞時の評などが典型で、これまで書かれた『本居宣長』評は、この意味で殆どが印象批評の域を出ていないものばかりであった、そう言って良い。
「あった」と書いたのは、ところが、先日、久しぶりに「本居宣長」で検索していたら、この文章を見つけたからである。
小林秀雄「本居宣長」全景 ー池田 雅延
私としては、これまで池田氏にはあまり良いイメージを抱いていなかったこともあって、さほど期待もせずに読み出した。それは生前中公開を厳に禁ずるという小林の明確な意思表示があったにも拘らず、死後氏が多くの講演音源を精力的にかき集めて公開し、さらに未完の「ベルクソン論」までをも全集に収録するに至ったのは、小林に対する基本的な理解という点で欠けるところがあるのではないかと思っていたからである。ところが最新の五回まで読み進んで、一読大いなる感銘を受けてしまったのである。我が意を得たり。よくぞ書いてくれた、とさえ思った。その読解は、私の氏に対する先入観なぞ吹き飛ばす見事なものであった。
<ただし折口は、直感に留まっていた。小林氏が見通しきったほどには、宣長における「歌の事」から「道の事」へを見通してはいなかった。この見通しは、小林氏の独創であった。>(四 折口信夫の示唆)
<「本居宣長」の第一章で、小林氏は、折口の思い出を語りながら、宣長の「もののあはれ」が世帯向きのことまで取り込んで「はちきれて」いたればこそ、後に一〇〇〇年以上もにわたって誰にも読めなかった「古事記」が宣長には読めたのだ、暗にそう言っていたのである。>(五 もののあはれと会う)
私が思うに、これは小林の宣長理解の核心をなす部分であって、その核心部分をここで池田氏は的確に述べている。私の知る限り『本居宣長』に触れた文章で、この事を指摘した人物はいない。いわゆる「宣長問題」が良い例で、普通、宣長の古道論については「狂信的誇大妄想」だとか「国粋主義的」だとか言われるのが落ちであるが、『本居宣長』でその宣長を小林は全面擁護するだけでなく、その理解への筋道をつけて示してもいるのである。この言わば『本居宣長』という著作の肝心要の急所部分を、池田氏は我々の目の前に「ほら、これだよ」と指し出して見せている、そう言っても良い。その深い理解に私は感銘を受けたのある。
小林は、宣長の言説とベルクソニズムの本質的アナロジーを指摘しているが、宣長の言う「もののあはれ」とは、認識論的であり、深い意味で倫理的なものであって、これをベルクソンの用語で言えば「道徳と宗教の源泉」としての「もののあはれ」ということである。従って、ここのところの理解があればこそ、宣長の古道論への思想的発展への論理的理解の筋道がつけられる事になる訳である。さらに言えば、宣長の古道論が「狂信的誇大妄想」だとか「国粋主義的」だと揶揄されるのは、ここの処の理解を踏み外しているがために、「もののあはれ」との深い関係が判らず、表面上の理解に留まっているために一見そう見えるのに過ぎない、とここで私も池田氏に倣って言えば、そう暗に小林は言っているということである。
池田雅延氏と言えば、『本居宣長』執筆時の小林担当であった元新潮社編集者というのが現在の世間的な「肩書き」になろうが、むしろ私はここに注目すべき一人の真正な”批評家”の登場を発見したとあえて言いたいと思う。ここで”批評家”というのは、肩書や経歴以前に本質として、資質が大きくものをいうのは言うまでもない。私の見るところ、同じく小林に深く関わった編集者でありながら、この資質は郡司勝義氏にはなかったものである。
この続き物の文章は現在執筆中ではあるが、これまで書かれた内容から見ても、恐らく小林の『本居宣長』について書かれた文章の中でも、画期を成すものになるであろうことは間違いないと思われる。次回以降の文章が楽しみである。
「あった」と書いたのは、ところが、先日、久しぶりに「本居宣長」で検索していたら、この文章を見つけたからである。
小林秀雄「本居宣長」全景 ー池田 雅延
私としては、これまで池田氏にはあまり良いイメージを抱いていなかったこともあって、さほど期待もせずに読み出した。それは生前中公開を厳に禁ずるという小林の明確な意思表示があったにも拘らず、死後氏が多くの講演音源を精力的にかき集めて公開し、さらに未完の「ベルクソン論」までをも全集に収録するに至ったのは、小林に対する基本的な理解という点で欠けるところがあるのではないかと思っていたからである。ところが最新の五回まで読み進んで、一読大いなる感銘を受けてしまったのである。我が意を得たり。よくぞ書いてくれた、とさえ思った。その読解は、私の氏に対する先入観なぞ吹き飛ばす見事なものであった。
<ただし折口は、直感に留まっていた。小林氏が見通しきったほどには、宣長における「歌の事」から「道の事」へを見通してはいなかった。この見通しは、小林氏の独創であった。>(四 折口信夫の示唆)
<「本居宣長」の第一章で、小林氏は、折口の思い出を語りながら、宣長の「もののあはれ」が世帯向きのことまで取り込んで「はちきれて」いたればこそ、後に一〇〇〇年以上もにわたって誰にも読めなかった「古事記」が宣長には読めたのだ、暗にそう言っていたのである。>(五 もののあはれと会う)
私が思うに、これは小林の宣長理解の核心をなす部分であって、その核心部分をここで池田氏は的確に述べている。私の知る限り『本居宣長』に触れた文章で、この事を指摘した人物はいない。いわゆる「宣長問題」が良い例で、普通、宣長の古道論については「狂信的誇大妄想」だとか「国粋主義的」だとか言われるのが落ちであるが、『本居宣長』でその宣長を小林は全面擁護するだけでなく、その理解への筋道をつけて示してもいるのである。この言わば『本居宣長』という著作の肝心要の急所部分を、池田氏は我々の目の前に「ほら、これだよ」と指し出して見せている、そう言っても良い。その深い理解に私は感銘を受けたのある。
小林は、宣長の言説とベルクソニズムの本質的アナロジーを指摘しているが、宣長の言う「もののあはれ」とは、認識論的であり、深い意味で倫理的なものであって、これをベルクソンの用語で言えば「道徳と宗教の源泉」としての「もののあはれ」ということである。従って、ここのところの理解があればこそ、宣長の古道論への思想的発展への論理的理解の筋道がつけられる事になる訳である。さらに言えば、宣長の古道論が「狂信的誇大妄想」だとか「国粋主義的」だと揶揄されるのは、ここの処の理解を踏み外しているがために、「もののあはれ」との深い関係が判らず、表面上の理解に留まっているために一見そう見えるのに過ぎない、とここで私も池田氏に倣って言えば、そう暗に小林は言っているということである。
池田雅延氏と言えば、『本居宣長』執筆時の小林担当であった元新潮社編集者というのが現在の世間的な「肩書き」になろうが、むしろ私はここに注目すべき一人の真正な”批評家”の登場を発見したとあえて言いたいと思う。ここで”批評家”というのは、肩書や経歴以前に本質として、資質が大きくものをいうのは言うまでもない。私の見るところ、同じく小林に深く関わった編集者でありながら、この資質は郡司勝義氏にはなかったものである。
この続き物の文章は現在執筆中ではあるが、これまで書かれた内容から見ても、恐らく小林の『本居宣長』について書かれた文章の中でも、画期を成すものになるであろうことは間違いないと思われる。次回以降の文章が楽しみである。