散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

桜田門外ノ変

2010年10月20日 | ☆たまに娯楽
何につけても、時代的背景、時代考証を知っているなら、ドキュメンタリー風の時代劇、それも倒幕から明治維新へと至る契機のひとつとなった「桜田門外ノ変」を映画化しても、観ている方は、何の問題もなくストーリーを追うに違いない。
原作のあるものを描くことの難しさはそこにある。
小説を読んでいないからわからないけれど、実行部隊の指揮をとった主人公・関鉄之介を通して物語が組み立てられている。
映画全体の流れを思うと、襲撃を決行した18人の浪士の取扱いに持て余している感じが見える。
話をうまく繋ぎきれずに、ついついナレーションで説明し、時間軸をスライドさせて、ますます「?」という状態に、観客を置き去りにしてしまっているようだ。
公開初日だというのに、混んでいないし、歴史好きの年配者ばかりが目立っているのは、「大奥」が満員御礼だけに、やるせない。

幕府が動揺するのは、清国のアヘン戦争のこともあるし、ペリー来航による圧力外交が影響した。
それまで、内政のことさえうまくやっていればよかったものが、突然、世界のうねりの中に放り込まれたのだ。
そして、諸大名をはじめ、横丁の八っつぁん熊さんまでもが注目する外交を小手先で対処したからいけなかった。
御三家のひとつ、水戸藩主・徳川斉昭が、この幕閣の手法に異を唱えたことで、内政のバランスも崩れていく。
将軍継承は、御三卿の次に御三家となる訳だが、水戸徳川家は継承権がない分、副将軍職として将軍のご意見番の格付けを与えられていた。
「尊皇攘夷」
武をもって国を守るのが将軍の役目であり、国交問題は天皇の勅許なくして開国はない。
これまでの法体系の中心は「絶対君主、臣下は君主に従う」「慣例は固く守り、例外は必ず許しを得る」だ。
それを将軍補佐役の大老が、攘夷を唱える天皇の意向を無視して、開国の条約を結んだ。
次には、出来もしない条約破棄を約束して、天皇の行動を封じ込め、攘夷派を安政の大獄に捕らえていく。
そして、誰もが気がついた。
法の大原則は守らなくてもいい・・・世の中の仕組みを変えられるかもしれない・・・。
法度に縛られる藩主よりも身軽な、隠居した斉昭、藩主の父・島津久光が国元と江戸とを自由に行き来し、政治に意見する。
そして、武士の身分でありながら最下層から這い上がれない者達が躍動しはじめる。
そのことは、大佛次郎著「天皇の世紀」に、こと細かに書かれている。

それにしても、NHKの「龍馬伝」でも「桜田門外ノ変」でも登場する“脱藩浪士”とは、いったいどうゆう身分なのだろう?
忠臣蔵の赤穂浪士は、赤穂藩が取り潰されたことで、職を失った藩士をいう。
つまり、会社が倒産したことによる失業者だ。
それなら、脱藩浪士は、退職願を出した離職者ということになるかというと、そう簡単な話ではない。
江戸時代、人はすべて生まれたときから土地に縛られており、転居ばかりか、移動の自由もなく、居続けるべき場所から離れるときも、身分により定められている仕事を休むときも、すべてその領主にお伺いを立て、許可を得なければならなかった。
決められた身分・職分に従って、許された場所、作業を日々繰り返すことのみ、許しを乞う必要がない訳だ。
そのため、藩主の許しを得ず、藩から脱出することは「大罪」となる。
それでも「尊皇」の大義の下、志士として諸藩の同志と行動するために、脱藩した。
水戸浪士は、大老井伊直弼に永蟄居とされた斉昭の意思を「斬奸」として決起する。
大老暗殺は、今で言う「テロ」だ。
同時に、京都の「天皇奪還」計画は、不発に終わる。
結果「我こそが正義」と信じて行動したものの、犯罪人として追われてしまう。

劇中、首謀者の一人・金子孫二郎に「読み誤った」といわせているが、尊皇思想の水戸学に傾注し、斉昭に郡奉行にまで取り立ててもらったという忠誠心からの義挙であり、先鋭化した行動をとっているから、反省の弁はありえないと思うがどうだろう?
「内憂外患」という背景を、今の国会議事堂にオーバーラップさせる映画の前後のカットは、どうしても必要だったんだろうか?

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