虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

みっちーの活動

1 手話通訳活動を含めたミュージックサインアーティスト   &ピアニスト 2 人権活動(子ども、女性、障がい者、高齢者、メンタル系) 3 里親制度を広めたい 4 復興支援(体と心によいこと始めました) 楽しくて、優しい人に出逢って、自分も嬉しいを手渡しできるそんな活動がしたい。 すべては自分のための四苦八苦。 自分に優しく、他人にも優しくを心がける2014年。 合言葉は nice love song

ミュージックサイン アーティスト みっち~

「ファン」Byミック・サトー

NHK性被害の特集を見て思ったこと。

2012-02-05 18:59:58 | みちえの活動日記
虐待を受けた人、わりと30代に近い人たちがテレビに出て、辛い思いを打ち明けて…という作りが多い。

今まで、その番組を見ながら、「そんな甘いもんじゃない」と少し怒りが入ったり、感情移入というか、同化したりして、フラッシュバックみたいになったりとかして、交通整理にもなるけれど、体調も悪くするみたいな時間も過ごしてきた。

今回は、それを客観的というか、「そうだね・・・・。そんな思いもあってもいいかもね」「あ~~あった、あった、その感情」のような他人事みたいな気持で見ていた。


もちろん他人事じゃないのだけれどね。

客観視できるようになったんだなと、自分では思うのだ。

父や母に、憎しみみたいな感情はあまり持っていなかったし、母はしつこいので、「いい加減にしてくれ~~」とは思っていたけれど、「死ねばいいのに」という気持ちもなかった。


父が一番の加害者なのだけれど、3歳までは、優しかった記憶があるので、その父に受け入れてもらいたかったという想いはあっても、「死んでしまえ」とも、思ってなかった。

ただ、逢いに出かけても結果悲しい想いをするので、離れたままでいる。

今では、かわいそうな人生だったね・・・みたいに、寄り添えるかもしれない可能性もあるかな。

認知症が進んでいるので、私をみちえだとは思っていないだろうし、私も患者さんくらいにしか思っていない。

患者さんであれば、いくらでも接することができる。

30代の時に3年くらい認知症の患者さんと接する仕事をしていたけれど、この日のためにその経験は生きるかもしれない。

人生の楽しい時間で止まる人、もっとも苦しいところで止まる人、人それぞれだったけれど、できれば楽しいところで止まって入れたらいいのにと、思う。

今日、パブザビーツに行って、セッションができる日などを知る方法を教えてもらった。

進めてくれた人たちが言っていた通り、「来てみたらいいよ」みたいに、ものすごく気が楽だった。

先日タッカがミッキーに作った曲をなにげに弾いていたので、pianoを合わせてみた。

Cで始まる曲なので、なんとなくスケールも楽に入るし楽しかった。

「これくらいだったら、ちょろいもんだぜ・・・って感じだね」と、タッカは笑っていた。

そんなふうには思わないけれど、曲調もわかるし、ここでためるだろうとか、なんとなくわかるので初だったけど、手が止まることはなかった。

楽しい。

それだけだった。

小さなkasumi全開なのかなと。

やこうでんしゃもある程度固まって来たので、そろそろ自分用の楽譜を作る。

どきどき、おろおろした3年間から、いろいろ変わって来た。

楽しいって思う自分に感謝。

震災も、虐待も被害者には変わらない。

我慢しろとか、逃げるのか?とか、理不尽なことを言われる必要なんてない。

できることをできる時に、して生きていけばいいんだと私は思う。

震災の中で、性被害に逢っている人だっているだろう。
そうやって、二次災害に逢っている人たちを傷つけないでほしい。

被害者のままでいることはとても苦しい。

憎しみを持ったまま生きることも、とても辛い。

自分に嘘をついたままでも、とてもしんどい。

語れる仲間が居てくれるそれだけで軽くなる荷物。

誰かと出会って、誰かと語って、そうすればなんとかなるさ。

生きていて、生き延びて。

そう思いながら、長かった回復作業の時間を降り返った。
今年で10年目。

過ぎてしまえばあっという間。

時間と仲間がいれば傷は薄くなる。




ヘルシオちゃん

2012-02-05 17:21:30 | みちえの活動日記
スチームオーブンを買ってもらってからお菓子を作り始めた。

昔ガスオーブンを持っていた独身時代に、何度か失敗してからまったく作らなくなったお菓子類。

簡単だよと言われれば言われるほどに頑なに、拒否していたように思う。

通っていた教会の女性部でバサーの度にリングケーキを焼いていた。

その場にも、居るのが苦しくて当日は参加していたけれど、ケーキを焼く場には参加しなかった。

私のかすかな記憶の中に母の作ったプリンがある。

蒸して作っていたのか、どうかもわからないくらい小さい時の記憶だ。

母ははっきり言って料理のできない人で、苫小牧出身なので、「ホッキの炊き込みご飯」とその「プリン」が母の味だろうか?

父の方が料理の腕が良かったし、レパートリーも多かった。

私が作る味噌ラーメンは、まさしく父の作っていたもの&みちえ風味。


先日私が所属しているNPOの活動の新年会があった。

普段はあまり思わないのだけれど、から揚げと、チキンの香草焼きを作った。

立ち上げたころは、カステラを作って販売ブースを作ってもらって、少しでも資金をと思った。

カステラはそこそこに美味しいと言われることが多い。

シフォンケーキも、褒めてくれる人がいる。

みちえさんが、パン焼いたり、お菓子作るの?なんてことも言われる。

イメージ的には忙しすぎてそんな時間はないだろうということらしい。

私は焼きプリンが好きだから、ヘルシオちゃんが活躍してくれる。

新年会の時に、参加された方たちが、美味しいよと言ってくれた。

私は「ヘルシオちゃんが優秀だから」と笑ったが、「そのヘルシオちゃんをこよなく愛して使っているのはみちえさんだから、みちえさんが作る料理がおいしいのよ」と諸先輩から言われた。

その言葉の意味には、「いくらヘルシオちゃんが優秀でも、使い手がいなければ何も生まれない。

カステラも、から揚げも、みちえさんが作ろうと思って、ヘルシオちゃんお願いね!って会話をするんでしょう?
だから、ヘルシオちゃんもうれしいから、頑張るのよ」ということだった。

あらためて言われるとそうかな?なんて気がしてきた。

褒められたらうれしいのに、素直に受け取れない。(笑)

褒めてもらいたい気持ち満載なのに、すっと言葉が入らない。

それは~~だからと言い訳をする。

褒められ上手になりたいものだ。(笑)


本日はその時に買った手羽元をフライドチキン風味にして、家族で食べる。

そろそろ始めましょうか??