虐待を受けた人、わりと30代に近い人たちがテレビに出て、辛い思いを打ち明けて…という作りが多い。
今まで、その番組を見ながら、「そんな甘いもんじゃない」と少し怒りが入ったり、感情移入というか、同化したりして、フラッシュバックみたいになったりとかして、交通整理にもなるけれど、体調も悪くするみたいな時間も過ごしてきた。
今回は、それを客観的というか、「そうだね・・・・。そんな思いもあってもいいかもね」「あ~~あった、あった、その感情」のような他人事みたいな気持で見ていた。
もちろん他人事じゃないのだけれどね。
客観視できるようになったんだなと、自分では思うのだ。
父や母に、憎しみみたいな感情はあまり持っていなかったし、母はしつこいので、「いい加減にしてくれ~~」とは思っていたけれど、「死ねばいいのに」という気持ちもなかった。
父が一番の加害者なのだけれど、3歳までは、優しかった記憶があるので、その父に受け入れてもらいたかったという想いはあっても、「死んでしまえ」とも、思ってなかった。
ただ、逢いに出かけても結果悲しい想いをするので、離れたままでいる。
今では、かわいそうな人生だったね・・・みたいに、寄り添えるかもしれない可能性もあるかな。
認知症が進んでいるので、私をみちえだとは思っていないだろうし、私も患者さんくらいにしか思っていない。
患者さんであれば、いくらでも接することができる。
30代の時に3年くらい認知症の患者さんと接する仕事をしていたけれど、この日のためにその経験は生きるかもしれない。
人生の楽しい時間で止まる人、もっとも苦しいところで止まる人、人それぞれだったけれど、できれば楽しいところで止まって入れたらいいのにと、思う。
今日、パブザビーツに行って、セッションができる日などを知る方法を教えてもらった。
進めてくれた人たちが言っていた通り、「来てみたらいいよ」みたいに、ものすごく気が楽だった。
先日タッカがミッキーに作った曲をなにげに弾いていたので、pianoを合わせてみた。
Cで始まる曲なので、なんとなくスケールも楽に入るし楽しかった。
「これくらいだったら、ちょろいもんだぜ・・・って感じだね」と、タッカは笑っていた。
そんなふうには思わないけれど、曲調もわかるし、ここでためるだろうとか、なんとなくわかるので初だったけど、手が止まることはなかった。
楽しい。
それだけだった。
小さなkasumi全開なのかなと。
やこうでんしゃもある程度固まって来たので、そろそろ自分用の楽譜を作る。
どきどき、おろおろした3年間から、いろいろ変わって来た。
楽しいって思う自分に感謝。
震災も、虐待も被害者には変わらない。
我慢しろとか、逃げるのか?とか、理不尽なことを言われる必要なんてない。
できることをできる時に、して生きていけばいいんだと私は思う。
震災の中で、性被害に逢っている人だっているだろう。
そうやって、二次災害に逢っている人たちを傷つけないでほしい。
被害者のままでいることはとても苦しい。
憎しみを持ったまま生きることも、とても辛い。
自分に嘘をついたままでも、とてもしんどい。
語れる仲間が居てくれるそれだけで軽くなる荷物。
誰かと出会って、誰かと語って、そうすればなんとかなるさ。
生きていて、生き延びて。
そう思いながら、長かった回復作業の時間を降り返った。
今年で10年目。
過ぎてしまえばあっという間。
時間と仲間がいれば傷は薄くなる。