昨日、ドキドキしながらラジオを聞いてた。
どんな風に編集されているかも気になったけれど、自分の話し方がどのトーンなのかも気になった。
りぼんの二人+kasumiの時は、割とすなおな人というか気持ちになっているので、高校生の部活みたいな気持になる。
もちろん音楽部は女性合唱だったので、現実には経験していないけれど。
中学校の水泳部に似てるのかな。(笑)
収録の時になにげに気になってたのだけれどタッカが「本当に上手くなったんだよ」って言ったように思ったんだけど、気のせいかな?みたいに思ってて、昨日「あれ、本当に言ってる」と、何気に褒めてくれてのかなぁ?
夫もラジオを聞きながら車の雪かきをしていて、「ハープが入るとまた違った感じでいいね」と言っていた。
自分でも客観的に聞くと、いい曲じゃんって思うのはなぜでしょうか?
誕生日の夫の記事を読んで思ったことがある。
多重だから生きていたと、何人かのセラピストに言われた。
多分それは本当のことなんだろうと思う。
ゆりさんも、私が大人になるまで生きてこれたことが不思議(内面にどんな力があるのだろうか?)と思っていたと、言ったくらいだからいつ死んでも不思議じゃないということだったのだと思う。
何度も死のうとしたのも事実、そして、それが成し遂げられなかったことも事実。
ここに私は生きているから。
ただ人格の中にはいい人ばかりではない。
人間関係の多くを壊してきた人、お金を勝手に使ってしまう人、男性が苦手な人、男性性を持つ人、いろいろ。
私は自分をいいところだけとって、いい人でありたかった。
つまり、嫌な人は切り捨ててしまいたい。
でも、そこを切るということは、一番苦しい想いをした人を末梢してしまうことになるのだ。
それって、あんまりなんじゃないかなあ?と自分でも感じてきた。
記憶には残っていないのはその人が辛かったことを封印してくれているからであって、もっともっと、辛かったことはあるはずなのだ。
それを私に、知らせず頑張って来た人を私は今まで大切にしてこなかった。
表面だけをみて、嫌だなと思い、消えてしまえばいいのにと思ってきた。
こうして記事を書いていても苦しい。
葛藤しているからだね、ケンカしないで、共存できるといいのにね。
タッカがしつこいくらい「五十肩と2歳」って言ったけど、52歳になりました。
五十肩は順調に右へ移動してきました。(笑)