虐待を受けて育った人って損くさい。
とあるカウンセラーさんが、「ねぇ、そう思わない?」と問いかけてきた。
「?」
どうしてそう思うんですか?
と、聴いてみた。
すると、仕事をしていて、妙に腹が立つクライエントさんがいて、どうしてだろう??と自己分析もしながら、文献をいろいろ読んだらしい。
そして、結論は・・・。
子どものときに身につけた習慣。
本人は、なにもしていないと過程して・・・。
なんとなく、他人をいらいらさせるオーラを持っている。
そして、理不尽な経験を繰り返す。
イライラさせる・・・・というのは、なんとなく言動だったり行動だったり、いい子ぶっていたりとかも入るかな。
「だってさ・・・・子どものときは子どものときで、親にひどいことされてさ。そして、耐えて耐えて生き延びてさ。でも大人になっても、習慣になってしまったことで人間関係がうまくいかなくってさ、そして悩んで、苦しんで。
こんな損くさいことってないよね!!」
私はそんな風に怒ってくれる人ってそんなにいないから、妙にうれしかったけれどね。
自分だけの意見を言えば、確かにそんなことばっかりで、損くさい人生だったなとも、思うし、思っていた。
そして私のせいじゃないものと、少しばかり、逃げていた。
けど、10年かけて、快復作業を振り返ってみれば、いいこともあってさ。
家族もできたし、三っちゃん宅は最強の家族だと思えるしね。
つまりは反面教師で頑張ってきたってことになるのだけれど、苛められやすいことも確かだし、妬まれることもままあったり、本人的には何も思い当たることはないけれど、つっかってこられたり、ひどいこともされたかな。
でもさ。
私
逆じゃなくてよかったなって思うのですよ。
虐待を受ける側で、する側じゃなくてよかったなとか。
苛められる側で、苛める側にならないでよかったなとか。
連鎖をする側じゃなくて、切る側にいるし、切ったと思えるし。
家族関係学的にいうと、軽く3代以上は虐待の連鎖があったと思われる家に生まれて、それを切れたことは自分のたぶん誇りになると思うんだ。
罵りあう家族じゃなくて、助け合う家族でいられるし、もちろんそれは私一人の力じゃなくて、夫や娘の存在は不可欠。
昨日、マーガレットが好きなんだ~~っていうと、本当にたくさん株を分けてくれて、足りなかったらいつでも持って行っていいからねって、真剣に何度も何度も、言ってくれて。
「みちえちゃんは、小さい時から賢い子どもだったのよ、だから生きてこれたんだよ。いろんなこと身に着けて、自分で工夫して、もって生まれた優しさがいっぱいあって、なんでも受容して生きてきたんだよ、だからさ・・・」
いつもそう言ってくれた。
「賢い子ども」って言われると小さい私がうふふ・・・って笑うんだよね。
いっつも、馬鹿だとか、くだらないって言われてたから、「賢い子ども」って言葉、きっと好きなんだと思う。
失敗するのか怖かったけど、今日かすみ草を買ってきて、庭に植えてみた。
マーガレットも、畑に植えてきた。
来年いっぱい咲くといいな・・・。
損くさいけど、それで終わらないで生きてきたことは、ちょっと威張りたいかもしれないな。(笑)
そんな気持ちのときに、ペンダント送ったよ~~~。
一つはみちえさんにプレゼントだよ~~~って、メールが来たよ。
今年の夏は、ちょっとうれしいことがいっぱいかもしれません。(*^^)v