イタリアのおばちゃんとオット´s 日記

イタリアのおばちゃんが語る、ローマでの平々凡々な人生&オットの腎移植体験記と透析生活回想録

たらこ唇のラウラ

2008-12-20 03:51:58 | 思ったこと
が戻ってきた
2年半前、我々の結婚式の時、しばらくご無沙汰してはいたものの、、、ケンカしていたわけでもなく、単にしょっちゅう会わなくなっただけの状態だったし、ましてや我々夫婦を引き合わせた張本人のひとりなのだから、勿論招待状を出して出欠の問い合わせをしたところ、、、当時、もうひとりの引き合わせの張本人と仲たがいをし、その人と顔をあわせたくないからパーティーには欠席・・・と言い出した
もうひとりの引き合わせの張本人も、別の理由で来ないようなことを言ってたからそれを強調し、また、パーティーの主役は我々であって、例えその人に会おうとも知らん顔しとけばいいじゃんと延々説得してなんとか出席してくれるよう説き伏せた
が、、、当日、結局最後まで姿を現さなかった
パーティー開始時間が少し遅くなるから、遅めに来て大丈夫・・・と当日の午後、留守電まで残したのに
月日は流れ、、、4ヵ月後事故に遭い、命拾いしてサンジョヴァンニ病院のトラウマセンターから普通病棟の病室に移った直後、そのラウラからオット経由で“お見舞いに行きたいけど、会ってくれるか?”って連絡があった
当時、怒りとかの感情はすっかり二の次だったイタリアのおばちゃんは、勿論『喜んで・・・』ではないけど、お見舞いに来てくれる人に『来るな』とは言えない状況で、それに、声が戻ってきたばっかりでおしゃべりするのもままならずな状態、あんまり深く考える暇もないまま、或る日、毎日色んな人が入れ替わり立ち代わりお見舞いに来てくれる人々のひとりになってくれた
更にリハビリ病院の2ヶ月の入院も終え、退院した直後ごろまた携帯に連絡があったけど、“しばらくはリハビリ通院やら家の片付けやらで忙しいから、落ち着いたらまた私から連絡する”と言ってそのままにしていた
何度か携帯でメールをやりとりしたが、『会おう』と思うまでかれこれ2年近くかかった
先日、「連絡してみようかなぁ」っと思ってた矢先に彼女からまたもや連絡があって、彼女の勇気に便乗して今回前向きに会う決意をした
色々世間話やら、近況やら、事故当時とその後の話やらおしゃべりして、我々の結婚パーティーの話になった
“私ね、あの週末彼氏と携帯が繋がらない海に行ってたのよ”
“アンタの結婚式、その翌週だと信じ込んで・・・”
“海から帰って来てアンタの留守電聞いて真っ青
“即、電話したけどつながらなくって、携帯でメール送ったけど返事もなかったから、怒って電話にも出てくれないんだと思ってた”
結婚パーティーのさらに翌日には、イタリアのおばちゃん家族と共にコブ付き新婚旅行で日本に里帰り旅行したから繋がるはずもなければ、メッセージも届かずじまいで終わったみたい
それにしても・・・
とにかく、ラウラおかえり
勇気出してくれてありがとう

イタリア行きたいけど透析が・・・

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