検察審査会の存在理由は、司法制度の中に国民感覚を取り入れる事にあるそうだが。法律の素人である国民の感覚(私には、証拠の厳正な判断と言うより、あの人はやっているに違いないって言う感情論的判断が入っている様に映るんだ!)で起訴か不起訴かを決めるのであれば、最早、それは、魔女裁判と同じではないのか!声を大に 声を大にして言いたい・・・
私は、どうも法律の世界に・司法の世界に国民感覚を取り入れるのは、法治国家の根幹を犯す事に成ると思うのだが。大体、法律の素人の国民の、国民感覚なるもので裁判に掛けられる人の人権は、一体如何なっているのか・・・
『 十月 暮れ易き事 今更に 長き散歩で 思い知る夕 』
石 兎