石兎の風流日誌

日常に考えた事を俳句・短歌で綴る。

ハイ・ボール

2010-06-25 02:53:32 | 日記
 私の飲酒のピークは、二十代後半で、それ以後は、大酒(酔う程には、飲まないと言う事)とは、殆ど無縁の生活を送って来たが・・・最近テレビのCMの影響で、ウィスキーをハイ・ボールで毎晩飲むように成ってしまった。
 
 私は、この二,三ヶ月の間に、ウィスキーのボトルを八本も空にしてしまった。飲み過ぎなのかどうかは、毎晩酔う程には飲んでいないので、私には、解らない。

 しかし、私の内なる声は、(これじゃ、朝夕の鍛練が、無駄になるぞ)と警告を発している。


    =  悩 み と 憂 鬱  =

   悩みと憂鬱は、違うと、私は思う。
   悩みは、生きて行くことで生じる、 
   諸問題に対する苛立ちだが。
   憂鬱は、生きている事に対する、
   疑問と嫌悪感なのだ。

                        石     兎

 
 一昨日、六月二十三日は、六十五回目の沖縄戦終結の日である祈霊の日(慰霊の日)であった・・・どんなに時が経っても沖縄戦の遺族達は、沖縄本島南部の糸満のマブニに集い慰霊の泪を流す。

 今年は、鳩山前総理の言葉で、戦後沖縄の米軍基地の歴史が変わるかも知れないと、沖縄県民は、希望を持ったが、結局それは、糠喜びに終わった。

 事有る毎に、日米両政府は、沖縄はアジアの平和に貢献しているのだと持ち上げるが、私(大多数の沖縄県民もそうかも知れない)には、何の嬉しさも無い。(全く、煽てて使う積りか)・・・今年、私はテレビニュースに映し出された慰霊式の来賓者を睨みながら、苦いハイ・ボールをを飲んだ。

 御霊に語りながら美味しい酒が飲めるのは、何時の日か・・・


   『 祈霊の日 時は経てども 泪湧く 』

   『 六月の 沖縄戦の 終わった日  マブニに集い 慰霊の祈り 』
                                            
                                        石    兎

梅雨・・・

2010-06-23 00:56:11 | 日記
 沖縄は、梅雨が明けた途端に、完全に冷房の世話に成る生活になってしまった・・・兎に角、暑い。

 私は、梅雨の半ば頃に、洪水の夢を見て、梅雨の成り行きを心配したのだが、南西諸島(沖縄本島と沖縄の離島)の梅雨は、何事も無く終わりそうな梅雨明け間際に成って、私は、テレビのニュースで中国やフランスまた昨日は、ブラジルにおいても洪水で死者が出た事を知って驚いた。(まさか、正夢か。いや、いや、梅雨の関連で見たただの夢だ・・・。)

 何れにしても、北海道を除く都府県では、梅雨が始まったばかりなのだが、私は、今年の梅雨の季節が何事も無く終わる事を祈念している。


   『 梅雨明けや 雲は流れて 北へ行く 』           石    兎

癇癪玉小父(カンシャクダマオジ)さん・・・

2010-06-22 05:00:24 | 日記
 U市運動公園の陸上競技場には、天下御免の癇癪玉小父さんがいる・・・

 その癇癪玉小父さんは、年の頃は、四十二,三の厳つい男なのだが、自分の短距離練習の邪魔をしたと認定した者(あくまでも、小父さん目線の主観である)は、誰彼無しに、「邪魔だ。退け。危ないぞ」と怒鳴り付けるのだ。
 先週末金曜日も、例によって、「三コース、開けろと言っただろう」と、癇癪玉小父さんは、突然、長距離練習をしていた常連の小父さん達を、怒鳴り付けた。が、しかし、長距離練習の常連の小父さん達は、馬耳東風で何の反応も示さず走り去って行った。癇癪玉小父さんは、無視されて、顔を真赤ににして肩を怒らせていた。

 いや、全く以って、癇癪玉小父さんは、勇気が有り余っているのかただの馬鹿なのか。何時か、罵声を聞き流してくれない短気な男に遭遇した時に、一体どうなるのか。


   『 玄関の 小さな花壇の 芭蕉は  風情たっぷり 夜風に揺れる 』            石    兎

勝機・・・

2010-06-19 03:39:50 | 日記
 ヨーロッパ・チャンピオンであり、世界ランキング第二位のスペインが、さして強豪ではないスイスに負けた・・・いや、全く、サッカーというスポーツには、絶対と言う事は無い。
 どんなに実力差が有っても相手にがっちり守備を固められたら、簡単には点は取れないのだ。スイスは、鉄壁の守りで、ワン・チャンスを生かして得点を上げて、正に、優勝候補を破ると言う大金星を上げたのだ。

 さあ、日本代表チームの選手諸君、オランダを撃破して、日本対カメルーン戦を退屈な試合だと侮辱したオランダ国営放送局を見返そう。鉄壁の守備に勝機有りだ。


    =  咸 臨 丸 異 聞  =

  それは、不思議な写真だ。
  日本のサムライとその姿を半永久的に、
  写真にとどめる事になったアメリカの美少女。
  その写真は、福沢諭吉のイタズラ心から、生まれた写真なのだが。
  当時も今も、その理由を知らない人が見たら、
  あれこれ、想像せずに入られない写真だ。
  ああ、人と人との縁(エニシ)の不思議さ。
  私は、写真館の主人の娘に、一緒に写真を撮ろうと、気軽に声を掛けた、
  福沢諭吉の勇気有るサムライ魂に、感動する。

                                         石    兎

街並み・・・

2010-06-17 13:47:01 | 日記
 変わらぬ街、変わリ行く街・・・私の琴線に触れる街並み。

 先週の金曜日、運動公園で運動(走る)した後、宵のU市内を漫歩きしたくなって、何時もの帰路を変えたのだが。漫然と市内をさ迷い歩いた揚句に私の足は、何時の間にか、青年時代に通い詰めていた喫茶店の有る方向に向かっていた。
 私は、その喫茶店の前を通った時、感傷で胸が一杯になった。店内に足を踏み入れたら、まだ、私の青春の残滓が有るような気がして、死んだ弟(弟もその喫茶店の常連だった)の事を思い出せそうな気がして、泪が溢れそうになった。

 いや、全く、感傷は、手に負えない。

    =   共  鳴   =

  心は、さざ波、揺れて定まる事がない。
  私の物思いは、私の物であって、私の物ではない。
  遠く過ぎ去った時の彼方からの波動のメッセージ。
                                
                                石    兎 


 街の通りを歩いている時に、不意に寂しさに襲われる時が有る。それは、二,三日前までは、開いていたはずの店や事務所が閉店や閉鎖になっている事に気が付いた時だ。

 月曜日(六月十四日)にも、私は、この四,五年、市の運動公園(夕方日課のジョギングをする)からの帰路何時も覗く事を楽しみにしていた囲碁道場が閉鎖になっている事に気が付いて、愕然として寂しい気持ちに襲われた。

 いや、まあ、余り流行っていない道場だったので仕方が無いかという気持ちが直ぐに起きたが、矢張り帰路の間中寂しい気持ちが続いた。

 過ぎ行く者、過ぎ去る景色・・・私は一人感傷と供にここに留まっている。 


  『 アマリリス 岩の窪みに 咲いている 』      石    兎