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徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

2016年01月24日 | 書評―古典

清少納言の「枕草子」に続き、菅原高標女「更級日記」を同じビギナーズ・クラシックスシリーズで読みました。日本の古典文学を代表する女流作家なのに、どちらも本名が分からないのは残念なことですね。父の菅原高標は菅原道真の5代目、母は「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱母の異母妹、ということで菅原高標女はなかなかのインテリ家庭で育ったようです。父の赴任先である上総の国で10-13歳の間過ごし、その間に継母や姉から今はやりの物語(源氏物語など)を断片的に聞いて、その物語をいつか読みたいと強く願うところから日記が始まります。やがて父の任期終了で京に上ることになり、上総の国から京までの3か月の大旅行の様子が日記に記されています。当時女性がそんな旅をすることなどあり得なかったので、彼女の天地のひっくり返るような感動とかが生き生きと伝わってきます。

そしてこの彼女、京に着くなり、家人は引っ越しの片づけに大わらわだというのに、お母さんに物語が読みたいとねだるんですね。これ、すごく気持ちが分かります。私も本の虫なもので。ただ私は人にねだるわけではなく、自分で勝手に買い込んでくるわけですが。とにかくお母さんのおかげで早速いくつかの本が手に入り夢中になって読んだ、と菅原嬢はのたまうわけです。

でも源氏物語など断片的で、話が見えないので、一度最初から最後まで全部読みたいと切に望む菅原嬢。うん、うん、そうだよね、とうなずく私。

この菅原嬢はこと文学に関しては縁故に恵まれていたようで、なんとおば様から源氏物語全巻といくつかの現在では散逸してしまっている物語をプレゼントされたのです! 彼女はそれこそ昼も夜もなく自室に引きこもって物語を読みふけったそうで。またしても、うん、そうだよね、一気読みするよね!とうなずいている私。

菅原嬢は光源氏のような男性が現れることを夢見、また浮舟のように愛し隠され儚くなりたいと願ってましたが、そこはまあ現実になるわけでもなく、彼女も後年反省するわけです。だんだん信心深くなってきて、何それの夢を見た、とかいう段になってくると、さすがに共感できなくなってきますが、日記と言うだけあって、気取ったところもお堅いところもなく、彼女の願いや喜びや悲しみや迷いなどがかなりストレートに書かれていて、人としての親しみを覚えます。それと比べると、清少納言の「枕草子」は【上から目線】の感じが強いように思えます。

原文の方で、おや?と思ったのは、自分の子供のことを「幼き人々」と言っていたり、姉のことを「姉なる人」、兄弟のことを「はらからなる人々」、夫のことを「児(ちご)どもの親なる人」と言っていること。この「人(人々)」の用法はなんでしょう? 分からなくはないのですが、不思議な感じがします。

この本も、段ごとに現代語訳・原文・注釈という風に構成されていて、古文が苦手な人でも原文に触れつつ意味が分かるようになっています。

購入はこちら


書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)


書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

2016年01月23日 | 書評―古典

ビギナーズ・クラシックスという角川書店から出ている日本の古典シリーズの一つである清少納言の「枕草子」をつらつらと読みました。

私は「徒然なるままに」という徒然草の冒頭をブログ名に採用している割には、実は古典は苦手です。嫌ってはいませんが、とにかく苦手なのです。どこが苦手かと言えば、主語が省かれ過ぎて文脈がつかみづらいところです。古典に精通した方なら、尊敬語や謙譲語などの敬語体系がしっかりしている古文は主語が明記されてなくてもよく分かる、というのでしょうが、その敬語体系を覚えられなかった私には残念ながら全くちんぷんかんぷんなのです。

とはいえ、枕草子のように有名な古典は現代語訳もたくさんあり、漫画すらあるので、ただ内容を知りたいだけなら、そういうものを手に取る方がいいでしょう。ですが、私のように古文が苦手でも原文に触れたい、しかし今更古文を勉強するのはちょっとという方にはこのビギナーズ・クラシックスシリーズがお勧めです。抜粋ではありますが、まずは現代語訳、次に原文、その後に必要に応じて当時の行事や文物、あるいはその段が書かれた背景などを説明する解説部が続きます。こうして現代語訳と原文を読み比べると、古文の方も「ちんぷんかんぷん」さが緩和されてきて、原文を味わう余裕も少し出て来るようです。

清少納言は本名不詳の一条天皇の中宮定子に仕えた女房という10世紀末―11世紀初頭の人物ですが、華やかな宮廷生活を描き、あくまでも当時の貴族女性という規制の枠内で知り得たこと、感じ得たことを書き留めているという意味で、文化的・時代的な隔たりを感じずにはいられないところも多々あるのですが、こと人情に関してはいつの時代も人間は大して変わらないので1000年の隔たりを超えて共感できる部分も結構あります。たとえば、「ありがたきもの 舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀の毛抜き。主そしらぬ従者。(めったにないもの 舅のほめられる婿。また、姑にほめられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない使用人)」(笑)

もし彼女が現代に生きていたとしたら、最低でもブログなどで日々思うこと感じることを発信していたでしょうし、もしかしたらその知性・教養を活かして批評家として日本の情けない有様を一刀両断にしていたかも、と想像するのもまた、いとをかし。


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書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)