徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:恩田陸著、『ネバーランド』(集英社文庫)

2017年05月26日 | 書評ー小説:作者ア行

恩田作品第三弾として2003年発行の『ネバーランド』(集英社文庫)を手に取ってみました。

商品説明では:

伝統ある男子校で寮生活をおくる少年たち。年末、4人の少年が居残りすることに。人けのない寮で起こる事件を通して明らかになる「秘密」とは。奇蹟の一週間を描く青春ミステリー。

とありましたが、どこらへんがミステリーなのかよくわかりません。

他の商品説明では:

舞台は、伝統ある男子校の寮「松籟館」。冬休みを迎え多くが帰省していく中、事情を抱えた4人の少年が居残りを決めた。ひとけのない古い寮で、4人だけの自由で孤独な休暇がはじまる。そしてイブの晩の「告白」ゲームをきっかけに起きる事件。日を追うごとに深まる「謎」。やがて、それぞれが隠していた「秘密」が明らかになってゆく。驚きと感動に満ちた7日間を描く青春グラフィティ。

とあって、どんな「謎」なのかワクワクしていたのですが、まあ、「事件」と言っても殺人事件とかではないし、「謎」と言っても、誰がとあるいたずらをしたのか、または幽霊の正体はなんだったか、みたいなレベルのもので、あんまり「ミステリー」という感じがしませんでした。

それでも少年たちの抱える事情は興味深いですし、トラウマとかそれを乗り越えて行こうという意志、将来の夢などが生き生きと描かれていて、青春群像小説として楽しめます。

少年4人の濃厚な2週間を描かれています。4人だけで一緒に過ごすうちにそれぞれの秘密を打ち明け合う密な関係になる少年たち。途中、かなり緊迫感のあるケンカがあったり、両親が訪ねてきてキレちゃったり、というドラマが展開し、そうかと思えばスポーツに夢中になるさわやかシーンも生き生きと描かれて、とてもメリハリのある小説になっています。

どの子も、いろいろ事情がある割には素直というか真面目というか、擦れてない感じで、かわいらしい。でもそういう子たちが、毎日のように酒盛りをして、タバコ吸ったりもするのがちょっとちぐはぐな印象を受けます。

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2017年05月22日 | 書評ー小説:作者ア行

恩田陸著、『錆びた太陽』(朝日新聞出版)は今年3月に発売された、直木賞受賞後最初の長編です。一応SFに入るのでしょうか?私には近未来予想図のようにしか思えません。政府や政治家に対する痛烈な批判を含んでいる一方、過激な環境保護団体への皮肉も効いています。

時代設定は今から100年ちょっと後位と思われます。「最後の事故」で、人間が立ち入れなくなった地域をパトロールしているロボット「ウルトラ・エイト」。彼らの居住区に、ある日、国税庁から来たという20代の女性・財護徳子が現れます。彼女の意図は話が進行するうちに徐々に明らかになっていくことなので、最初は取りあえず「謎」です。「マルピー」と呼ばれるゾンビを調査しに来たので協力を願います。「ボス」というロボットたちを統括するロボットはひとまず彼女の要請に従い、「しぶしぶ」協力します。ロボットが「しぶしぶ」というのはおかしな感じがしますが、このロボットたちはおよそ100年分の学習ヒストリーを蓄積したAIを持っているので、状況判断が比較的柔軟になっているようで、個性もあり、かなり人間臭いです。彼らは、モラル三原則:

  1. ロボットは、暴力および生命を脅かすもの(疾病、有毒物質を含む)から人間を守らなければならない。
  2. ロボットは、M1.に反しない限り、人間に損害を与えてはならず、その命令に従わなければならない。
  3. ロボットは、M1およびM2に反しない限り、自分を守らなければならない。

に従い、それを運用する際に、「人間の三前提」と呼ばれる項目を考慮することになっています。

  1. 人間は、物理的にも精神的にも不安定な生き物である。
  2. 人間は、利己的であり、しばしば過ちを犯す。
  3. 人間の取る行動は、必ずしも合理的ではない。
そして、さらに「ロボットの大前提」として「ロボットの最終目的は、人類の利益に奉仕することである」ということが定められています。
これらのことに一々照らし合わせながら状況判断をすることになっているロボットたちは、100年も経つと実に高度な議論も可能な人間臭いものになるらしい。。。

また、作成者の趣味がかなり影響したと思われる設定があり、妙に笑いを誘います。彼らはベットの形をしたメンテナンス装置でパジャマを着て(!)布団をかけて休み、朝は目覚まし時計を止める作業からスタート。神棚にお参りをし、作業着に着替え、ラジオ体操までするんです( ´∀` )

そして、始業の掛け声は「安全第一!火の用心!整理整頓!大魔神!今日も元気で行ってらっしゃい!」

え?なぜ、「大魔神」

他にも笑える設定がいくつかあり、ロボットとゾンビしかいない汚染地域で、何やら危機的な事態が進行中だというのに、かなり脱力してしまうのですが、危機に対処しているのはあくまでもロボットなので、そのくらいのシュールな距離感がむしろぴったりと嵌っているのかも知れません。

唯一の人間である財護徳子の言動も相当場違いで、ロボットの方がむしろ常識的に見えることも、ある意味皮肉なのかな、と思います。

そして進行中の危機は、目の前のお金のことしか考えない政治家や官僚たちによって極秘裏にもたらされます。それを知るきっかけはシュールですが、ロボットたちが導き出した結論と対策は少々「奇策」だけれども、実に筋の通ったものでした。その結論が導かれる過程も非常に読みごたえがあって、面白かったです。

すっかり恩田陸のファンになってしまいました。

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スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

2017年05月22日 | 旅行

スペイン・アンダルシア旅行記もいよいよ最終章となりました。最後を飾るのはグラナダから東へ約60㎞の高原にあるグアディックス(Guadix)です。旅行記の最後を飾りはしますけど、ここが旅行の最終ポイントだったわけではありません。旅行記(1)でも述べましたが、最初にセビリアに1泊してからグラナダに向かい、そこに3泊してまたセビリアに戻って3泊という旅程でしたので。

グアディックスはグラナダからの「遠足」みたいなものです。同じグラナダ県ですし。ただ、60㎞も離れていれば天気も違うかもと期待して、雨の降るグラナダ市を離れて遠出したのですが…

天気はもっと悪かったというか、高原なだけあって、気温が低く(9℃くらい)、いきなりドイツに引き戻されたようで、凍える羽目になりました。

それで、ここは何が見所なのかというと、「Cueva(英語のCaveに当たります)」と呼ばれる洞窟住居です。

さて、グアディックスの街に北側のAvenida de Buenos Airesから入るとすぐに目につくのが少し小高い所に建つ教会です。16世紀から18世紀に建てられたため、例によってゴシック、ルネサンス、バロック様式がミックスされています。

下の写真が教会の東側。北側に見える鐘楼とのスタイルの違いがはっきりと分かります。

天気が悪く、教会も閉まっていたので、これ以上詳しくは見ませんでした。主目的は洞窟住居でしたしね。

この教会前にツーリストインフォがあり、観光トレインもここから出ています。一人5€で、Cueva Museo(洞窟住居博物館)と展望台のある所に連れて行ってくれます。その目的地で降ろされた後、30分後にまた来るので、その時に一緒に下りるか、さもなければ歩きで下りることになると言われたので、取りあえず展望台とそのすぐ下の洞窟住居を見学しました。

この家の屋根に当たる部分が展望台になっています。

そこからの風景。分かりにくいかもしれませんが、ところどころ地中からにょっきり生えている白いまたは白っぽい穴の開いた小さい塔みたいなのが洞窟住居の煙突です。なんだかムーミンみたいに見えるのは私だけでしょうか。

 

ダンナが雨の中頑張って、ビデオにも撮ったので、カメラワークとかはあれですが、それを見れば、地形とかはもうちょっと良く分かるのではないかと思います。

洞窟住居と言っても、家全体が洞窟の中にすっぽり収まっているわけではなく、地面から出ている部分(大抵は玄関と台所)は普通の家のように屋根も窓もあり、その他の部屋が地中に掘られた穴に作られているので、遠景でちょっと見ただけでは分かりにくいかと思います。

グアディックスのこの住居形態には約2000年の歴史があります。ここには鉄、銅、そして銀山もあったそうで、その貴重な金属を求めて、古代からここに人が集まり、ローマ時代も、イスラム時代も、レコンキスタ以降も結構栄えていたようです。18世紀になって衰退し始め、洞窟住居からどんどん住民が居なくなったらしいですが、それでもまだ2000件以上人が住んでいて、ヨーロッパ最大の洞窟住居集落だそうです。

住居を改造してレストランにしたり、別荘として貸し出したりしているところもあるようです。

展望台を頭上に頂く住居、ホセの家(Cueva de Jose)は、一般公開されています。ホセさんご本人が「入ってて。ただだよ。」と招き入れてくれるのです。玄関の間は小さなショップになっていて、絵葉書やちょっとした小物、飲み物も置いてありました。その玄関の間を除けば、本当に住んでいたころのままの調度品が置かれていて、外から見ただけでは想像できない中の生活を垣間見ることができます。

  

台所。

 

ダイニング。天井部が丸いのがこの部屋でははっきりと分かります。

寝室。

 

意外と広々として、驚きました。もちろん、台所と玄関の間以外は自然光が一切入らないので、常に電気をつけていなければならないし、窓のない閉塞感というのもあるかもしれませんし、部屋と部屋がきっちりドアで仕切られているわけではないので、プライベートがないという欠点もあるでしょうけど。プライベートの問題はともかく、閉塞感に関しては、「天気がいい日が多いから、外に出れば済むこと」なんだそうです。そこらへんはやっぱりスペインだな、と思いましたね。

ポルトガルへ行った時もそうでしたが、家の中に対するこだわりがドイツ人に比べてかなり弱く、みんな外に出てるんですね。それで外には人が集まって座るところがたくさんあって。ドイツでは、お金を払わずに外で座れるところを探そうとすると結構苦労しますが、イベリア半島では違う。そういうところに気候の違いが出るのだな、となんか感心してしまいました。

展望台の上でビュービューと吹き付けて来る雨風の中で凍え、ホセさんの家でちょっとほっこりしながら見学を終えたころに観光トレインが来たので、私たちは一度下山して、遅い昼食を食べた後に、今度は車で戻ってきて、博物館の方へ行きました。

博物館は洞窟住居を改造拡張したもので、住居の構造や暮らしぶり、歴史などが分かるように展示されています。まずは玄関。スペインのどこでも見かける玄関ドアの前のカーテン。ドアを開けて風通しを良くし、カーテンでプライベートを守っている、という感じでしょうか。

玄関ドアは二つに分かれていて、上部だけ開けることもできます。こうして空気の循環をしたり、自然光を入れるのだそうです。

玄関の間にはテーブルと椅子があって、自然光の入る居間の役割を果たしていたことが分かります。

この博物館になっている洞窟住居の構造。水色で緑色の丸が書いてある部分が玄関の間。右側のオレンジや薄緑の部分と左側の紫や青の部分やその先にあるWCが拡張した部分です。

洞窟住居にはトイレはなかったので、増設せざるを得なかったそうで。確かにないと困りますものね。中世の住居ではトイレがないのが普通でしたが。今は寝たきり患者くらいにしか使用しない持ち運びのできる便器が当時は普通にベットの下に置かれていたんですよね。ドイツ語ではBettpfanne(ベットプファンネ)と言い、その名Pfanne(フライパン)の通り、丸い金属製の蓋つき便器。そういうものがスペインでも普通に使われていたようです。洞窟住居では結構長いこと(19世紀まで)それだったそうで…

台所は玄関の間のすぐ左で、窓があります。この玄関と台所で空気の流れを作り、換気するのだそうです。これは洞窟住居の基本です。その後ろをどれだけ深く掘って、何部屋作るかはそれぞれですが。

台所。

この台所のかまどの使用済みの灰を専用のお皿に取り分け、隣の玄関の間のテーブルの下に置いて、暖房したんだそうです。

 

寝室に至る中間の部屋。色んな道具が展示されてます。

その奥の寝室。

キッチンの奥の貯蔵庫と元家畜部屋(今は道具類を展示)。

 

家畜を中で飼っていたというのには、少なからず衝撃を受けました。毎朝一番に家畜の寝藁を外に出して取り替えていたから、臭いはそれほどでもなかったはずだとのことです。

色んな資料があって、結構じっくりと読んでたら、同時に入館した人たちが誰も居なくなってました。( ̄∇ ̄;)

博物館の近所でなかなかしゃれた家を見つけました。改装したばかりのように見えました。

 

一見その後ろに家が続くのかのように見えましたが、単なる飾り壁で、その後ろには何もありませんでした。( ´∀` )

 

余談ですが、グアディックスは田舎のためか、商店街は午後1時半くらいから17時までクローズでした。レストラン以外は本当にどこも開いてなくて、祭日かと思ったくらいでしたが、単に昼休み中とのことで、17時からまた開店する、と聞いてびっくりでした。

スペインでは生活時間帯がドイツとはずれていることは既に学習済みでしたが、セビリアやグラナダではお店が閉まっているのを見たわけではなかったので、「昼ごはんが遅くまで食べられる」程度の認識だったのですが、それはつまり「遅くまで昼休み」ということを意味しているのだとここではっきりと認識したわけです。

色々と勉強になりました。グラナダ地方ではずっと天気が悪くて、とても残念でしたけど。

 


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ


書評:恩田陸著、『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎単行本)~第156回(2016年下半期)直木賞受賞作品

2017年05月21日 | 書評ー小説:作者ア行

恩田陸という作家の作品を読むのは初めてで、第156回(2016年下半期)直木賞受賞作品ということで手に取ってみました。私が読んだのは電子書籍ですが、紙書籍の方では507pのようです。読み応えのある量です。

読み終えた最初の感想は「なんかすごいものを読んだような気がする」でした。なんというか、ミューズに愛された綺羅星のごときピアニストの卵たちの奇跡的とも運命的とも言える出会いと成長を芳ヶ江国際ピアノコンクールという舞台とその舞台裏を通して描かれた青春群像みたいな?

なんか言葉にしてしまうとちょっと陳腐な感じがしてしまうのですが。

私はこれほどまでに音楽を語る小説を読んだことありませんでした。クラシック音楽を語るマンガなら、「のだめカンタービレ」を読みましたけど、マンガなら「絵」という視覚媒体がありますので、ある程度感覚的に音楽的雰囲気というのを表現できると思いますし、読者が曲を知っていればより「ピンとくる」何かが視覚的刺激を通して感覚を共有できることが可能だと思います。でも、小説だと媒体は文字・言葉だけです。だから余計にすごいな、と。言葉に力があると言ったらいいのでしょうか。音を、音楽を、そして曲にあるイメージとその物語を強く感じることができ、「ああ、自分も(ピアノじゃないけど)弾きたい」と思ったり、「あの曲を聞きたい」という衝動に駆られたりするのです。

それと同時に彼ら彼女らの悩みや苦しみがひしひしと伝わってきて。コンクールの不条理さとか、残酷さとか。

その中で異色を放つのが「爆弾」と評された天才少年風間塵、16歳。養蜂家の息子で、ピアノを持ったことがなく、旅する先々でピアノを弾かせてもらう生活を送ってきて、正規の音楽教育を受けたことも、もちろんコンクール経験もない彼。でも遠縁にあたり、多くのピアニストが師と仰ぐ巨匠ユウジ=フォン・ホフマン(作中ではすでに死亡)が推薦状を書いたために、風間塵はコンクールに参加でき、父親に「入賞したらピアノを買ってやる」という約束を励みに彼なりの個性的な頑張りを見せます。彼は色々規格外で、思考も行動も全く読めないのですが、そこがまたワクワクします。次にどんな彼なりの理屈をつけて、何をやらかしてくれるんだろう、と。この子の最大の悩みは、ホフマン先生と約束した「(今箱詰めになっている)音楽を外に連れ出すこと」をどうやって実現するか。そう、唯一この子だけが純粋に音楽的な悩みしか持ってないんです。そしてだからこそ、他のピアニストの卵たちの感覚・感情を揺さぶり、いい触媒になることができるんだろうと妙に納得してしまうのです。

この少年に最も影響を受けるのが、天才少女として数々のコンクールに出演し、CDデビューもしていた栄伝亜夜20歳。13歳の時の母の死を機に長らくピアノを弾かなかった彼女。ずっとジャズバンドとかで活動はしていたが、クラシックからは離れていた彼女をかつての母の友人で大学の学長でもある人が会いに来て、彼女の才能を確信し、彼女を音大に誘いました。そこから彼女は徐々にクラシック音楽の世界に戻って行くのですが、迷いも相当のもの。コンクールへの出場も恩師の顔を立てるためだけに決めた感じで、本人はそれほど納得していなかったのが、風間少年の演奏に出会い、自分の中に眠っていた音楽的本能とでもいうようなものを再発見していく、そういうドラマ。

もちろんこの彼女に幼い頃に出会ってピアノに入ったという少年、通称マー君もこのコンクールで偶然の再会を果たし、この二人のドラマというのも面白いですし、他に楽器店勤務28歳、既婚で1児の父という人の参加も興味深いです。

さらに興味深いのは審査員たちの視点ですね。特に風間少年の「規格外」さに彼ら彼女らの音楽性が問われ、挑戦されている、というところでしょうか。

音楽の蘊蓄を語る人というのは結構いると思います。「あの楽章のなんたらが~」とか「あそこの和音が~」とかそういう感じの。私は音楽は好きでも、音学は苦手で、従ってそういう蘊蓄も聞くに堪えません。でもその分、音楽を聴いて感じたことを言葉に表現することにも不自由を感じるというのもあるかもしれません。

しかし、この恩田氏はすごい。この小説は本当に音楽を、音楽のドラマを「語って」います。蘊蓄じゃなくて。

この作家の他の作品も読んでみたくなりました。

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スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

2017年05月20日 | 旅行

薄闇に包まれつつある中、山道をくねくねと上り下りしながら、モテフリオからグラナダ市に向かいました。グラナダ県首都で、人口約24万人ほどの地方都市ですが、紀元前500年頃に既にフェニキア人とイベリア人の居住地として文献に言及されているくらい歴史の古ーい町です。紀元前500年と言えば、アンダルシアを支配していたタルテソス王国がカルタゴに滅ぼされた頃ですね。ローマ人による支配が700年、西ゴート族による支配が300年弱。そして711年から1492年までイスラム教徒の支配下にあったグラナダは、イベリア半島最後のムスリムの砦だったわけで、500年以上経った今でもそのイスラムの影響が濃厚に残されており、そのイスラム文化の頂点を成すのが、かの優美なアルハンブラ宮殿と言えるでしょう。

このページ最初の写真はそのアルハンブラ宮殿の中のPatio de los Leonos(ライオンの中庭)ですが、私が撮影したものではありません。ちょっと状況を甘く見てまして、旅行前に忙しかったこともあって、アルハンブラ宮殿の前売りチケットを買うように観光ガイドブックでも推奨されていたにもかかわらず、前日くらいでも何とかなるのではないかと思って、チケット買わなかったんです。で、いざグラナダに着いて、ツーリストインフォで聞いてみたら、「No chance」と言われる始末。ネットで調べてみたら、実際に5月21日くらいまで前売りチケットが売り切れになってました。

フェースブックのお友達の中には、1時間くらい並んだら入れた、という人もいたのですが、私のダンナは並ぶのが超・超・超嫌いな人です。時間が経つほどどんどん不機嫌になっていく人の隣で、1時間も耐える忍耐力は私にはありません。というわけで、今回はダルロ川を挟んだ対岸のアルバイシン地区からアルハンブラ宮殿を眺めることで良しとしました。元々何回かに分けてアンダルシア旅行する予定でしたので、次回にはしっかり前売りを買って、アルハンブラ宮殿とその美しい庭園を堪能する予定です。

下の写真はアルバイシンの丘の中腹あたりのMirador de los Carvajalesというちょっとした展望台から撮影したアルハンブラ宮殿。

次の写真はアルバイシンの丘の上の展望台になっているMirador de San Nicolasから撮影したアルハンブラ宮殿。

外側から見ると中の優美さが想像できない、要塞色の濃い外観です。まあ、実際要塞でもあったわけですが。王と貴族たちの街で、庶民から隔絶した世界です。その意味ではフランスのベルサイユと比較できると思うのですが、高台という立地と頑丈な壁に囲まれた要塞機能は、いかにも中世の戦略的な城という感じです。

アルハンブラ自体の長い歴史などは今度中に入ったときに旅行記に書くことにしまして、対岸のアルバイシンに目を向けましょう。

私たちはこの地区を無料のガイドさん付き散歩ツアーに参加して回りました。残念ながらガイドさんはあまり英語ができず、いろんな説明が不十分になりがちでした。定期的にやっているなら、もうちょっと英語での説明を準備して来ても良かったのでは、と思わずにはいられませんでした。無料と言っても、ツアー後にチップを払うことになっています。私たちは1人5€払いました。

ツアーのスタート地点はPlaza Nueva(新しい広場)。

 

そのすぐ近くにあるIglesia de Santa Ana(聖アンナ教会)。特にすごい教会というわけではないのですが、鐘楼などにイスラム建築の影響が色濃く見られます。

この教会の前にかかっている橋を最後にダルロ川は地下に隠れます。この教会の川を挟んだ左側がアルバイシン地区になります。

Casa de los Pisaの中庭。中庭に噴水と言うのがイスラム風ですが、16世紀に建設されたピサ家のパレスで、1550年にここで亡くなったという聖人、San Juan de Diosの追憶に包まれているそうです。現在は宗教美術館。

こんな狭い路地を通りながら、徐々に丘の中腹へ。

 

La granada(ラ・グラナダ)は「ざくろ」を意味します。この為、グラナダ市中では至る所にザクロを形どった杭のようなものや、電柱を見かけます。また通りの名前を示すタイルにもザクロが描かれています。

 

グラナダ市内にはローマ時代の水路や天水桶の他、イスラム教徒たちの時代に敷かれた水路もあり、複雑な水系を形成しているそうです。特にアルバイシン地区には公衆の水場が数多くあり、しかも飲み水だそうです。

ガイドさんの話によると、以前どこぞの大企業がグラナダ市の水道事業を買収しようとして、市と住民に水の供給路に関してしつこく聞き回ったらしいのですが、自分たちの水を取られたくなかった住民は誰一人として、その水路の秘密を明かさなかったとか。誰も正確なところを知らなかった、と言うのが真相なのではないかと考えられなくもないですが。

この水場の上が前述の展望台というかちょっとした広場のMirador de los Carvajalesです。

ここから結構下ったところにParroquia de San Gregorio Bético(聖グレゴリオ・ベティコ牧師館)があり、その前は結構にぎわいのある広場(Plaza San Gregorio)で、カフェやレストランがあります。

このPlaza San Gregorioから商店街と言うのでしょうか、狭い路地にごちゃごちゃと小さいショップがひしめいています。必ずしも地元のものを扱っているわけではないので、お土産を買う時は要注意かも。素敵なイスラム風のスカーフだなと思ってみたら中国製だったり、インドの織物とかもありした。

この通りを降りていくと、アルバイシン地区を出て、チェントロ(中央)地区に入ります。

途中で立ち寄った生鮮市場Mercado San Agustinで地元ワインVermutを頂きました。名前の由来はドイツ語のWermut(ニガヨモギ)らしいですが、白ワインをベースにした香草入りフレーバーワインで、食前酒として好まれているものです。

 あんまりおいしかったので、お土産に1本(0.75ℓ、4€)買いました。

チェントロ地区の一番の見ものはLa Catedral de Granada(グラナダ大聖堂)です。徒歩ツアーはここで終了でした。

私たちは昼休憩をして(食べたものの解説は、「スペイン・アンダルシア旅行記(1)」にまとめてあります)、ちょっとCorral del Carbónという隊商宿跡に寄りました。

特に何があるというわけではないのですが、この中庭に入ると街の喧騒がほとんど聞こえなくなるんです。中庭の真ん中に石柱2本に挟まれた水場があり、ラクダや馬などにここで水を飲ませたと思われます。1336年以前に建設され、メインモスク(現在グラナダ大聖堂が建っている位置)に行く人たちのための市も開かれていたそうです。建築様式はオリエンタルモデルに相応しますが、ディテールの装飾などはグラナダ独特のスタイルらしいです。またこの場所は実はムスリム支配よりずっと以前から市場として使われており、その起源はギリシャのアゴラにも遡れるとのこと。

色んな所に行って、そこの歴史とかをそれほど詳しくはないにせよ学ぶたびに思うのですが、時代や支配者が変わっても、その場所の根本的な機能が不変であることがよくあります。地形的なもの、地政的なもの、水利とか、すでにできてしまっている街道とかの関係かもしれませんが、支配者の居住する場所や、宗教的に重要な建物(教会やモスクなど)が建てられる場所や、市が立つ場所などが変わらなかったりするんですね。

とまあ、ちょっとばかり遠い過去へ思いを馳せた後に、大聖堂の中を見に行来ました。

大聖堂は困ったことに、周りが建物で囲まれているため、全容が掴めないくせものです。既に書いた通り、グラナダで最大だったモスクの跡地に当然のように建てられました。これにはもちろん政治的意味があります。モスクの上にキリスト教会が建つのですから。

 

セビリアの大聖堂もそうでしたが、シンプルな大聖堂ではなく、建物の複合体なため、ますます訳が分からない感じです。この建物の一番古い部分は南側の1517年に完成したCapilla Real(王家チャペル)ですが、実は18世紀まで増築があり、建築様式はゴシック、ルネサンス、バロックが混じってます。ここにはアラゴンのフェルディナンド2世とカスティリアのイザベル女王、その娘ホアンナとその夫であるハプスブルク家のフィリップなどのお墓があります。下の写真に写っている部分はゴシック様式だけのような気がするのですが…

 

Capilla Realと同じ側に隣接しているのがIglesia del Sagrario(サグラリオ教会)で、普通の教区教会として使われてますので、入場料なしに入れます。

  

お隣の大聖堂に比べれば小さいですが、これはこれでなかなか素敵な教会です。柱と天井のアーチが優美です。

複合体の建物の図解。

1.大聖堂

2.Capilla Real

3.Iglesia de Sangrario

4.聖具室

 

 

 

 

 

さて大聖堂の方ですが、礎石が置かれたのが「グラナダに豪華な大聖堂を建設すべし」と命令したイザベル女王の死後で、1523年のことでした。何度も建築家が交替し、設計図も何度か改変され、最初ゴシック様式だったのが、途中ルネサンス様式のバシリカに変わり、ファサードはバロックになってしまう程長い期間(181年間)かけて完成されました。

大聖堂の入場料は5€。オーディオガイドを貸してもらえます。中に入ってすぐに感じることは「白い」「明るい」ということでしょうか。光の教会です。

そして2台あるキンキラキンのパイプオルガン。Leonardo Fernández Dávilaの作品で、1740年代に作成されました。もろにバロックですね。

 

祭壇と聖歌隊席の方も豪華絢爛です。

そして身廊の両側にはずらっとチャペルが並んでます。これらのサイドチャペルは主に17-18世紀につくられたものです。

  

教会にはきれいなものばかりではなく、時に結構えぐいというかグロいものがあるものです。このグラナダの聖母大聖堂の北西(?)角に宝物保管庫のようなところがありまして、そこには豪華な法衣とかタペストリーとか燭台とか食器とかそういう価値のあるものが保管展示されています。

しかし、陳列ケースの一つにぎょっとするものが…!!!

 

近づいてよく見るまで分からなかったのですが、生首の作り物!San Juan Bautista、つまり洗礼者ヨハネの首と解説されていました。18世紀半ばのDel Peraiとかいう人の作品とのことです。戯曲「サロメ」では「預言者ヨカナン」として登場する洗礼者ヨハネですが、首をはねられ、銀皿に載せられてサロメの元に運ばれるという気の毒な最期を迎えたとされる人。だからこの不気味な作品も銀皿なんですね。キモ!

さて、大聖堂はもうちょっとゆっくり見たかったのですが、閉館時間になってしまったので、仕方なく外へ。

次はCapilla Realの正面にあるPalacio de la Madraza。マドラサはアラビア語で「学校」。ナスリ朝グラナダ王国の時代の大学だったところです。1349年にユスフ1世によって建立され、現在ではグラナダ大学に所属しています。現在の外観は主に16世紀にMudéjar様式で改築されたものです。元の建物で現存しているのは一階の祈りの間くらいです。

ここは閉館時間が少しばかり遅くて、最後の案内に間に合いました。

下の写真が美しい祈りの間。

祈りの間の手前のエントランス広間は既にクリスチャナイズされています。

二階は吹き抜けと回廊。

そして16世紀初頭に造られた「騎士たちの間」。

天井が面白い細工になってます。木片がジグソーパズルのように組まれたフレームワークはMudéjar様式、ペイント装飾はルネサンス風、1492年1月のレコンキスタの勝利・グラナダの陥落を語る金色の文字はゴシック風。

階段室は17世紀にバロックテイストが加えられたそうです。

マドラサ見学の後は、ダルロ川沿いの道Carrera del Darroをちょっと散歩しました。

Iglesia San Pedro y San Pablo

 

教会脇を通り抜けると広いテラスになったパティオ。左側にレストランが何件か並んでいます。観光客向けのお値段(割高)。

4月27日のグラナダ見学はここまで。翌日はグアディックスに行き、29日にまた少しグラナダの街を歩いてからセビリアに向かいました。

余談ですが、グラナダ市内にはあちこちにオレンジの木が街路樹として使われています。

 

結構いい感じにオレンジがなっているんですが、普通に手の届く高さには1個もありません。ガイドさんの話によると市の美化局(?)が定期的に集めているんだそうです。

アラビア語のカリグラフィーで名前を書いてくれるところも。

私の名前はこんな風に。私にはもちろん読めませんけど、カリグラフィーと言うだけあって、形状の美しさは感じられます。

これが私がグラナダで買った唯一のお土産になりました。

グラナダを出発する日、グラナダ市街地の西側にある駐車場に車を止めて、もう一度旧市街を見学することにしました。駐車場はJardines del Triunfo(凱旋公園)のちかくでした。なんか放射線状に設計された庭園に噴水とモニュメンタルな柱や彫刻があるのですが、あまり興味がわかなかったので、ちょっと見てだけで素通りした感じです。「憩いの場」という感じはしました。

そこからえっちらおっちらとまだアルバイシンの高台まで登り、物凄い息を切らしてこの記事の最初の方で言及したMirador de San Nicolasまでたどり着きました。でもそこは物凄い人だかりで…(天気で分かると思いますが、下の写真は私が撮影したものではありません)。

なかなかいい場所が取れる感じではなかったので、そのすぐ隣にあるモスクのお庭に入りました。

下の2枚の写真がこのモスクの庭から見えた風景です。

グラナダは海抜800m近くの高地にあるためか、天気も悪くて、アルハンブラ宮殿に入り損ねたことも含めてあまり満足のいく滞在ではありませんでしたが、より濃厚に残るイスラムの影響とキリスト教徒のせめぎあいで生まれた独特の「グラナディアン」の雰囲気が少しは体感できたと思います。

秋に絶対リベンジだ!と決意を新たに…


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)


スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

2017年05月20日 | 旅行

セビリアからグラナダへレンタカーで向かっていた私たちは、高速道路(Autovia)A92を東に走っていたのですが、グラナダ市の手前にモンテフリオ(直訳すると「寒い山」)という小さな村があり、崖の上に教会があって、見晴らしがよいと観光案内に書いてあったので、ちょっと寄ってみることにしました。National Geographicに「世界で最も見晴らしの良い場所」トップ10に選ばれたらしいです。

というわけで、GoogleMapに「Montefrio」と入れて、その村に向かったのですが、いつまで経ってもオリーブ畑の広がる山。変だなと思っているうちに「目的地に着きました」とのアナウンスが。えーっ!?山の中だよ!?とびっくりして、マップを拡大。

 

村は遠くはなかったけど、山道を結構戻ることになってしまいました。今度は間違いのないように、とナビにモンテフリオにある教会「Iglesia de la Villa」を入力しました。「村の教会」と言う何の変哲もない16世紀に建てられた教会ですが、立地が崖の上で、要塞の態を成しているのが面白いところです。

村の入り口に着いたところで、車から降りました。そこに住んでいる人たちは平気で狭くて急な坂を車で登っているようでしたが、よそ者の私たちにはその勇気がなく、崖の上に聳え立つ教会に歩いて行くことにしました。

車では絶対に通れない、狭い階段のある路地を登りました。

そして見えてきたのが絶壁に掘られた墓穴。そこは駐車場にもなっていて、別ルートなら車でここまで来れたことを確認して、ちょっと悔しい思いをしましたが、別ルートがどんな道か分かったものではないので、まあ良しとしましょう。

上の写真の右下に見える門が開いていれば、車で上の教会まで行けるようになっています。

私たちの徒歩ルートはこんな感じ。

勾配がきつすぎて、信じられないくらい息切れしました。距離的には大したことないはずなんですけど…

上の教会の入り口。かつてモーロ人たちの要塞だったところに、レコンキスタで勝利したキリスト教徒たちが、自分たちの勝利を形にするために何をするかと言えば、やはり「教会を建てる」のが王道だったのでしょうね。現在では中は博物館になっています。

上から見下ろしたモンテフリオの町並み。

石灰岩が多い地域なので、家の壁も石灰岩で白くて涼しそうなのが特徴的です。分かりにくいかもしれませんが、中央よりやや右側手前に移っている茶色っぽいドームに塔がついている建物は、18世紀に建てられた古典主義様式の教会、Iglesia de la Encarnación(受肉教会)です。

モンテフリオは豚肉の生産でも有名らしいのです。「イベリコ豚」の一部はここで飼育されているわけですね。小さな檻に閉じ込められたりせず、放し飼いなのが特徴的です。

 

次はグラナダ市へ。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)


ドイツ:世論調査(2017年5月19日)~メルケルがシュルツを大きくリード

2017年05月19日 | 社会

 

首相は誰がいいかという質問に、「メルケル現首相がいい」と答えた人の割合が一段と増えました。政治家評価ランキングでも、2015年8月の転落以来初めてトップに返り咲きました。別に彼女が特別に何かしたわけではありません。もしかしたらそれがいいのかもしれませんが。ヨーロッパの唯一の「定数」のような位置づけ。先日彼女はマクロン新フランス大統領の訪問を受けましたが、彼は彼女の任期中4番目のフランス大統領です。この「変わらなさ」がなんとなく人に安心感を与えているのかも知れません。SPD首相候補のシュルツの指名と共に一時「シュルツ旋風」のようなものが巻き起こり、久々に新規入党が増加したというのが今ではウソのようです。

そして、今最も望ましいとされている連立政権はCDUとFDPです。一見現在のCDUとSPDによるいわゆる「大きな連立」を倒して、政治的変化を求めていると解釈もできますが、CDUとFDPの連立政権はその前にあったのです。その当時の政府に対する満足度は現政府よりも低かったのですが、誰も何も覚えていないようです。今日のニュース風刺「Heute Show(ホイテショー)」では、この現象を「Wählerdemenz(有権者痴呆症)」と呼んでいました。

では、以下に最新の世論調査ポリートバロメーターの結果をご紹介します。

次期首相候補

連邦首相にはどちらが望ましいですか?

メルケル 57%
シュルツ 33%

二人の差はなんと24ポイント。シュルツ人気は2月半ばをピークに下がり続けています。やはり現職首相に比べて今SPD党首である以外に役職のないシュルツは日常的に存在感を示せないという事情もあるのかも知れませんが、現政権のにおいを着けたくないばかりに(?)党首義務を果たすべきところで代理人を送ったというのが戦略的な間違いだったという可能性もあります。

さて、両首相候補が9月に控えた連邦議会選挙で勝利するために役立つかという問いです。

アンゲラ・メルケルはCDU/CSUにとって:

役立つ 72%
害になる 11%
どちらでもない 12%

マルティン・シュルツはSPDにとって:

役立つ 42%
害になる 18%
どちらでもない 34%

メルケルの選挙に「役立つ」イメージは今年あった三つの州議会選挙で、CDUが3回とも勝利したことと、その際に「メルケル効果」のようなものがあったと考えられていることによります。その辺の事情は「ドイツ・ノルトライン・ヴェストファーレン州議会選挙(2017)」で言及しましたので、興味のある方はそちらをご覧になってください。

連邦議会選挙

とにかく州議会選挙で三連勝したCDUですが、だからと言って連邦議会選挙の行方がもう決まったようなものなのかというと、それがそうでもないようです。

今日既に誰が連邦議会選挙で勝つかはっきりしていますか?:

はい 33%
いいえ 66%

回答者の2/3は「連邦議会鮮魚の行方はまだ決まってない」と見ており、支持政党別でもその見方にほどんど差がありません。AfD支持者の57%は多少目には着きますが。まあ、AfDが連邦議会入りするのは確実なことなので、その影響があるのかも知れませんね。ただこのまま党内抗争が続いたり、ナチス色の濃い発言をする議員がまた表面化したりすれば、もっと支持率を下げて、議会入りの危うい5%ラインまで落ち込む可能性もなくはないです。


現時点で、誰が連邦議会選挙で勝つと思いますか?:

CDU/CSU 73%
SPD 9%
その他の政党 5%
分からない 13%


もし次の日曜日が議会選挙ならどの政党を選びますか?:

CDU/CSU(キリスト教民主同盟・キリスト教社会主義同盟) 38%(+2)
SPD(ドイツ社会民主党)  27% (-2)
Linke(左翼政党) 9%(変化なし)
Grüne(緑の党) 7%(-1)
FDP (自由民主党) 8%(+2)
AfD(ドイツのための選択肢) 7%(-1) 
その他 4% (+1)

「変化なし」云々は2週間前の世論調査と比較した値です。4月7日の世論調査でCDU/CSUは35%でしたので、+3ポイント、SPDは同時点で32%でしたので、-5ポイントになります。この「トレンド」が9月まで続くのか分かりませんが、私はその可能性が高いと思っています。こうしたトレンドがひっくり返るには、大きな外的要因の影響が必要でしょう。例えば「アゲンダ2010」で大胆な改革をしたシュレーダー元首相(SPD)などは2002年の連邦議会選挙で2期目は無理だろうと目されていましたが、選挙直前の晩夏にエルベ川で「世紀の大洪水」が起き、その時の彼の危機管理が功を奏して、直前までの世論調査の傾向を吹き飛ばし、SPD/緑の党連立政権フェーズ2が誕生しました。

シュルツは現職首相ではないので、シュレーダーのように何かで活躍して選挙に勝つのは不可能ですが、現職のメルケルが大失政を犯して、CDUが支持率を下げる可能性はなくはないです。

 

1998年10月以降の連邦議会選挙での投票先回答推移:

 
 
いいと思う連立政権は…?:
 
前述の通り、CDU/CSUとFDPの連立が43%で、最も好ましいと思われています。次が「大きな連立」ことCDU/CSUとSPDで、39%。割と根強い人気とも言えますね。他の連立の可能性と比べると、この二通りがダントツで支持されていると言えます。最後のSPD、左翼政党と緑の党のいわゆる「左派連立」は21%で最も人気がないのですが、これはSPD自体が「左翼政党とは協力体制を取らない、連立しない」と宣言している事実も反映されていると思います。


政権満足度(スケールは+5から-5まで):1.2

赤線はSPD/緑の党の連立政権、青線はCDU/SPDの「大きな連立」、黒線はCDU/FDPの連立政権。FDPは現在連邦議会には入っていませんが、このまま行くと次の連邦議会には復活しそうです。なんでも自己責任で、企業ばっかり優先するネオリベラル政党なんかいらないのに。平均的な満足度はFDPとの連立政権よりも「大きな連立」の方がずっと高いです。それなのになぜFDPの支持がまた広がっているのでしょうか?確かにFDPはパッケージをちょっと変えましたが、言っていることは前と全く同じです。やはり「有権者痴呆症」ですかね?

 

政治家評価

政治家重要度ランキング(スケールは+5から-5まで):

  1. アンゲラ・メルケル(首相)、2.2(↑)
  2. ヴォルフガング・ショイブレ(財相)、1.9(↑)
  3. ヴィルフリート・クレッチュマン(バーデン・ヴュルッテンベルク州首相、緑の党)、1.8(↓)
  4. ジーグマー・ガブリエル(新外相)、1.0(↓)
  5. トーマス・ドメジエール(内相)、0.9(↓)
  6. グレゴール・ギジー(欧州左翼代表)、0.7(↓)
  7. マルチン・シュルツ(SPD党首・前欧州議会議長)、0.6(↓)
  8. チェム・エツデミール(緑の党党首)、0.5(↓)
  9. ホルスト・ゼーホーファー(CSU党首・バイエルン州首相)、0.5(↑)
  10. ウルズラ・フォン・デア・ライエン(防衛相)、0.3(↓)

フォン・デア・ライエン防衛相は連邦軍のスキャンダル続きで、かなり評価を下げたようです。連邦軍の将校「フランコ・A」が極右思想を持ち、難民への風当たりを強くする目的でシリア難民として移民・難民局に登録し、政治家へのテロを企んでいたというもので、しかもなぜか一時的な保護をうける決断が下されていたという珍妙な話です。これは防衛省だけの問題ではなく、移民・難民局のある内務省の問題でもあるのですが、風当たりは防衛省の方が強いです。なぜならこの「フランコ・A」は修士論文ですでにその極右的思想が読み取れるくらいだったのに、軍隊に入隊するどころか、あまつさえ出世して将校になっていたので、それを許す体質が連邦軍にあるのではと疑念を持たれているからです。まあ、連邦軍の体質に関しては、フォン・デア・ライエンの責任ではないのですが、問題が表面化した後の彼女の対処法がまずかったというか、毅然と問題解決に望む姿勢があまり感じられず、軍の指導部を非難してしまったのがマイナスに働いてますね。「フランコ・A」に関しては、その後協力者らしき人たちが二人見つかり、逮捕されました。移民・難民局の方にも内通者がいるはずで(普通に考えてアラビア語を一言も話せない人間がシリア難民で通るはずがないので)、これからこのスキャンダルは大きくなっていくみたいです。

 

トルコ

トルコはここのところやりたい放題です。ドイツがトルコ出身のNATO軍人に亡命を認めたことがきっかけで、ドイツ連邦軍が駐屯しているトルコ内基地インチェリックへの国会議員の立ち入りを(また)禁止しました。またドイツ国籍のトルコ系ジャーナリストなども何人かテロを計画した疑いで逮捕されています。エルドアン大統領がギューレン運動関係者を本当の関係者かどうかはともかく、片っ端から逮捕してるので、身の危険を感じた多くのトルコ人がドイツに亡命申請しています。実際にこの人たちがリアルな危険にさらされていると判断されれば、亡命が認められるわけですが、それは同時にエルドアンの要求する容疑者引き渡しを拒否することも意味するので、彼がそれを自分に対する挑発と受け取っても仕方ないわけです。その報復がトルコにある基地に駐屯するドイツ連邦軍の運営阻止に値する議員の立ち入り禁止なのですが、これは同じNATOに属する同盟国として本来全く容認できない強硬策です。それが2度目ということもあって、ドイツはインチェリックからの引き上げを検討しています。世論調査ではこの引き上げ案が回答者の81%から肯定的に評価されています。

しかし、メルケル首相を始めとするドイツの政治家たちの反応は実に弱気です。本来ならトルコに憤然と抗議してもいいはずのスキャンダルなのに、「好ましくない状況だ」(byメルケル)としかコメントしなかったり、「連邦軍の引き上げの必要はない」とまで言う政治家が居たり。とにかくできる限りエルドアンを刺激しないという態度を示し合わせているようです。確かに選挙のある年に、エルドアンの切り札である「難民カード」を切られると、折角落ち着いてきた難民問題がまた国内で炎上することが予想され、メルケルが再び政治的に苦しい立場に追いやられるシナリオが考えられるので、少なくとも選挙が終わるまでは穏便に済ませようという意図が透けて見えなくもないです。でも、エルドアンのようなマッチョタイプはパワーゲームを好み、パワー言語しか理解しないと言ってもいいので、相手が下手に出るならどんどんつけあがることが予想されます。それがどこまでエスカレートするのか分かりませんが、場合によっては「難民カード」が切られなくても、政府のトルコ懐柔策自体が非難の対象になることが十分に考えられます。なんだか第二次世界大戦前のイギリスのヒトラーに対する懐柔政策を彷彿させる感じがします。

 

アメリカ

トランプ大統領も世界の不安ファクターですね。現在はもっぱら内政的なもので立場が悪くなっていますが、それを速く忘れさせるために国民の興味を国外に向けさせる手段として何かしら外交爆弾を落とさないとも限りませんので油断禁物です。

ドナルド・トランプの政治に大きな不安を感じますか?:

2017年5月

はい 78%
いいえ 21%

2017年1月時点

はい 62%
いいえ 37%

「心配だ」とする人が1月に比べて16ポイントも増加しています。

トランプが就任以来初の外国訪問をするのに、真っ先にサウジアラビアに行くというのもかなり象徴的な行動で、イランの選挙の結果も含めて世界情勢を悪化させる要因だと思います。(2017.05.20補足:イランでは改革派のロハニが大勝したので、取りあえずイラン側からの緊張増加はなくて済みそうです)

 

EUとフランス

さて、大統領就任後早速ドイツへ表敬訪問したマクロンですが、ドイツ人には割と期待されているようです。

EUの問題をマクロン仏大統領とならより容易に解決できると思いますか?:

はい 62%
いいえ 28%
分からない 10%

フランスに容認範囲以上の借金を認めますか?:

はい 48%
いいえ 43%
分からない 9%

支持政党別借金容認割合

CDU/CSU 47%
SPD 60%
左翼政党 60%
緑の党 52%
FDP 51%
AfD 24%

AfD支持者の間ではフランスの借金に対する理解が極端に少ないようです。きっと彼らの頭の中では「ドイツが第一」で、「フランスのためにドイツがお金を払うことはない」とかいうフレーズが渦巻いているのでしょう。

確かにドイツはその人口の多さと経済力のためにEUへの支払額が一番多いですが、EUの低金利政策も含めてドイツは払い込んでいる以上の経済効果を得ています。そしてドイツは今でこそ好景気で輸出量も貿易黒字も新記録を出すほど絶好調ですが、10年ちょっと前はマーストリヒト条約の3%規定を超える財政赤字を抱えていて、その違反に対する罰金支払いを求められたことがありました。私の記憶では、ドイツは罰金を結局払わずに済み、立ち直る猶予をもらったはずです。それならフランスにも立ち直るチャンスが与えられてもいいはずですよね?

 

経済

ドイツ経済の絶好調ぶりは世論調査にも表れています。一般人に全く感じられることのなかったどこぞの国の「景気回復」とは質が全然違います。

ドイツにおける一般的な経済状況:

いい 65%
悪い 5%
どちらでもない 30%

 

自分自身の経済状況:

いい 65%
悪い 7%
どちらでもない 28%

65%の人が自分の経済状況を「いい」と判断しているということは、好景気が一般人に届いているということだと思います。勿論地域別にみると、ある地域のほぼ全体が「置いて行かれてる」状況もあります。

 

今後のドイツの経済トレンド:

良くなる 41%
変わらない 46%
悪くなる 11%

なんか凄い楽観主義者が多いようです。既に絶好調なのに、更によくなると考えている人が4割もいるとは!この絶好調が「変わらない」、つまり続くと考えている人も46%いますが、こちらも楽観的ですよね。まあ、楽観的だからこそ個人消費も増えて、国内経済も潤うことになるのでしょうが。

でも、年金受給開始年齢は67歳からで、年金受給レベルは過去平均収入の43%。平均収入の人でも年金受給額は生活保護レベルになり、【下流老人】リスクは依然としてあります。今は景気がいいから、老後の問題に蓋をして見ないようにしてるのでしょう。

この世論調査はマンハイム研究グループ「ヴァーレン」によって実施されました。インタビューは無作為に選ばれた1,344名の選挙権保有者に対して2017年5月16日から18日までの間に電話で行われました。世論調査はドイツ選挙民のサンプリングです。誤差幅は、40%の割合値において±約3%ポイント、10%の割合値においては±約2%ポイントあります。世論調査方法に関する詳細情報は www.forschungsgruppe.de で閲覧できます。

次のポリートバロメーターは2017年4月28日に発表されます。

参照記事:

ZDF heute, Politbarometer - Merkel mit großem Abstand vor Schulz, 19.05.2017


ドイツ・ノルトライン・ヴェストファーレン州議会選挙(2017)

ドイツ:シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州議会選挙(2017)

ドイツ:3州同時選挙。右翼政党「ドイツのための選択肢」大躍進

ドイツ:世論調査(2017年4月7日)~首相候補。メルケル再びシュルツをリード


ドイツ・ノルトライン・ヴェストファーレン州議会選挙(2017)

2017年05月15日 | 社会

昨日、5月14日は、ドイツで最も人口の多いノルトライン・ヴェストファーレン州の州議会選挙でした。ドイツ有権者の5人に1人(1310万人)がこの州に住んでいることになるため、「小さな連邦議会選挙」とも言われ、その注目度は先週のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の比ではなりません。ここでの結果が実際にどれだけ9月に控えた連邦議会選挙に反映されるかについては意見が分かれるところです。政治家たちはどちらかと言うと「州政治」と「連邦政治」は分けて考えるべき、と言う人が多いようですが、メディアは分けて考えない方に傾いているようです。

投票結果

SPD(ドイツ社会民主党、現政権)31.2%(-7.9)
CDU(キリスト教民主同盟) 33%(+6.7)
緑の党(現政権) 6.4%(-4.9)
FDP(自由民主党) 12.6%(+4.0)
海賊党 1.0%(-6.8)
左翼政党 4.9%(+2.4)
AfD(ドイツのための選択肢) 7.4%(+7.4)
その他 3.7%(-0.9)

直前の世論調査ではSPDとCDUがほぼ同点でしたが、予想外にはっきりとSPDが負けました。現職州首相ハンネローレ・クラフトはこの大敗の責任をとって、全ての党内職を辞任しました。引き際は潔いですね。
ノルトライン・ヴェストファーレン州は歴史的にSPDの牙城と言われている州で、そこで史上最悪の得票率を出したことで、SPDはこれから連邦議会選挙に向けて苦しい戦いを強いられることになる模様です。特にSPDの連邦首相候補マルティン・シュルツは、彼が1月に党首に就任してから、ザールラント州、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州に続いて3度目の敗北を喫したことになるので、かなりインパクトのある選挙プログラムを打ち立てて、9月の連邦議会選挙で成果を出さないことには相当苦しい立場に追い込まれることになるでしょう。彼の就任当初「シュルツ効果」とか「シュルツ・ハイプ」とか言われた支持率の増加はあっという間にしぼんでしまいましたね。

 

ノルトライン・ヴェストファーレン州議会の議席は199議席あり、その割り当ては以下のようになります。

勝者であるCDUがこれから連立相手候補と交渉に入ることになりますが、CDUとFDP(黒・黄連立)が連立する場合、100議席でかなり危うい過半数となるため、2党連立ではなく、3党連立になる可能性もあります。今のところ誰もが「色んなオプションを検討し、話し合う」という回答に始終して、明言を避けています。新州首相ラシェットは「とりあえず左翼政党やAfDとの連立は論外」としています。左翼政党は得票を伸ばしたとはいえ、5%に達しなかったため、州議会入りは果たせず、どちらにせよ対象外です。

 

投票動機

投票先の決断に最も重要だったテーマはTagesschauの調査によると:

学校の状態 29%
きな臭い世界情勢 22%
警察による治安活動 15%
州首相候補 13%
連邦首相候補 11%

このうち州議会の管轄またはそれに関連するのは学校と警察と州首相のみです。

投票先別にみると投票動機にかなりの違いがみられます。

CDU投票者では、52%が治安問題、47%が学校の状態、40%が連邦首相候補を自分の投票決断に重要だったと言っています。CDUの連邦首相候補は現職首相のアンゲラ・メルケルです。彼女は州政治とは関係ありませんが、連邦レベルの政党の在り方が州議会選挙の投票行動に影響を与えたことになり、「メルケル・ボーナス」と言えるでしょう。

それに対してSPD投票者では37%が州首相候補、35%が学校の状態、35%がきな臭い世界情勢を自分の投票決断に重要だったと言っています。SPDの州首相候補は現職のハンネローレ・クラフトでしたので、彼女の「現職ボーナス」がものを言ったことになりますが、それだけでは選挙に勝つことはできなかったということですね。「きな臭い世界情勢」がなぜSPDに投票する理由になるのか、その辺の関連性は私には意味不明です。もしかしたらCDUに比べると平和志向が強いと思われているのかも知れませんが、ドイツ連邦軍のアフガニスタン派遣を決定したのはSPDのシュレーダー政権下のことでしたので、説得力のあるイメージではありません。

学校・教育政策に関して言えば、争点となったのは「Inklusion(包括)」のスローガンで実施された障害のある子どもたちの普通学校への統合措置です。これは国連条例をドイツで実施したものですが、教師や生徒の親たちの多くがこの措置で最終的にみんなが苦しくなってると見ているようです。理想はともかく、現実問題として普通学校に障がい児を受け入れる態勢が整備されておらず、養護教諭不足で、普通の教師たちは障がい児の扱いに困り、障がい児自身も必要なサポートが学校で得られずに困る結果となったらしいです。この措置を推し進めたのは教育相シルヴィア・レアマン(緑の党)でした。きちんとした受け皿を作らずに無理に障がい児受け入れを進めたのは失策以外の何物でもありません。その不満が下に述べる州政府の業績評価にも顕著に表れています。

現州政府の業績評価:

「不満」の割合:

道路の補修 77%(満足:20%)
学校・教育政策 70%(満足:24%)
子供の貧困対策 67%(満足:24%)
犯罪対策 63% (満足:34%)
NRWの経済促進 44%(満足:52%)


下のグラフが示すように、NRWでは州政府に対する満足度が群を抜いて低かったので、連立政権を成す両政党SPDと緑の党がそれぞれ7.9及び4.9ポイント得票率を失ったのは当然の帰結と言えます。

ノルトライン・ヴェストファーレン州(2017) 45%
バーデン・ヴュルッテンベルク州(2016) 70%
ザールラント州(2017) 69%
ラインラント・プファルツ州(2016) 61%
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州(2017) 56%

治安の悪化、失業率・貧困率の増加、依然として改善されない道路の渋滞、無理な学校政策などによる現政権への不満が前回投票しなかった人たちをも投票に向かわせたようで、投票率は2012年の59.6%から65.2%に上昇しました。


年齢別統計

有権者の投票先を年齢別に見た統計も興味深いです。若い人がSPDに投票し、年寄りがCDUに投票するという老若間の断然もあるようです。

下のグラフは今回初めて有権者となった人たちの投票先を示しています。SPDが26%で、22%のCDUをリードしています。

18-24歳の有権者の投票先を見ても、やはりSPDが26%で、23%のCDUをリードしています。

しかし、70歳以上の有権者の投票先を見ると、CDUが46%も占め、34%のSPDに大きく差をつけています。つまり今回の選挙はジジババの投票行動が勝敗を分けた、と言えますね。

60歳未満と60歳以上の投票行動を比較したのが以下のグラフです。60歳未満ではCDUとSPDの得票率が同じです。差がついているのは60歳以上。高齢化社会では高齢者の考え方の傾向が政治により大きく影響する典型的な例と言えるのではないでしょうか。

「社会的公正」を公約に掲げながら貧困率・失業率を増加させてしまったSPDと緑の党に対する不満の受け皿になったCDUですが、彼らの掲げる「NRWをナンバーワンに」という公約も到底守られそうにありません。人口約1790万人を擁するNRWは、炭鉱を中心に繁栄したルール工業地帯を抱え、経済成長期の1970代に多くの移民労働者を受け入れてきた歴史があり、産業構造の変化の真っ最中で、ドイツの中でも特殊な位置を占めています。人口が多いこと、外国人の割合が多いこと、旧産業関係者の既得権益など一筋縄ではいかない状況があるため、政権交代して、CDUが政治をするからと言って、そう簡単に色々変えられるわけがないのです。予算も限られていますから、治安の改善一つとってもどこまでできるものなのか疑問です。

参照記事:

ARD Tagesschau, Landtagwahl Nordrhein-Westfalen 2017, 15.05.2017
Zeit Online, Schulz hofft auf den Kraft-Effekt, 14.05.2017
Zeite Online, NRWeg, 15.05.2017


スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

2017年05月11日 | 旅行

少し間が空いてしまいましたが、スペイン・アンダルシア旅行記の続編です。前回は日程、ホテル、食べ物について報告しました。今回は観光スポット等について。その前にアンダルシア地域の歴史概略をまとめておきたいと思います。歴史的蘊蓄を長々書くつもりはありませんが、概略くらいは知っておいた方が観光スポットとなっているものの位置づけや意味が理解しやすいかと思います。世の中には取りあえず有名な観光スポットに行って、セルフィーを撮って、はい次、で満足しちゃってる方も結構いらっしゃるようですが、私はいつも、なぜそこにそれがそういう状態で存在するのか、を問わずにはいられません。

歴史概略

スペイン南部の先史時代は何と100万年前から始まります。ネアンデルタール人の居住は紀元前5万年辺りから、そしてホモ・サピエンスの登場は紀元前25,000年辺り。人類発祥の地であるアフリカ大陸から近いことを考えれば当然の帰結なのかもしれませんが。

新石器時代は紀元前7000年辺りにアフリカから来た部族たちによってもたらされます。フェニキア人が通商のためにイベリア半島を訪れるころにはタルテソス王国という非常に発達した文化圏が完成していたようです。次にケルト民族が入植し、ギリシャ人もイベリア半島北部から南下し、文化的融合も混血も起こります。タルテソス王国は紀元前500年にカルタゴによって滅ぼされた、と伝説は語っています。

紀元前206年にはカルタゴと戦争するために、ローマ人も来ます。まだジュリアス・シーザー以前のローマ共和国の時代から入植・侵略が始まり、200年後にはローマ帝国がイベリア半島全土を支配下に置き、いくつかのProvinciaに分割します。現在のアンダルシア自治州にほぼ重なるローマ時代の州はベーティカ(Baetica)と呼ばれ、コルドゥバ(Corduba、現在のコルドバ)が州都でした。オリーブオイルと小麦をローマに輸出していたと記録されています。現在でもアンダルシアは高原や山岳地方までオリーブ畑が一面に広がり、ドイツの鬱蒼とした森に慣れた目にはやたらと明るく映ります。

 

ローマの支配は約700年続き、西ローマ帝国崩壊後、ゲルマン民族大移動の中で、様々なゲルマン民族がイベリア半島に入りますが、415年にイベリア半島に来た西ゴート族は王国を建立し、476年にはイベリア半島全土を支配下に置きます。西ゴート王国の痕跡はローマ帝国の痕跡よりもさらに少なく、711年に来たモーロ人によるイスラム文化に破壊されたか、上書きされています。

モーロ人の帝国は「アル・アンダルス」と言い、その支配領域は北部を除くイベリア半島で、その名称が現在の自治州に受け継がれています。アル・アンダルスの首都はコルドバ。11世紀にはこの帝国は崩壊してしまい、いくつかの小国に分裂します。1086年には北アフリカから来たイスラム教徒がアンダルシア地方にアルモラヴィド朝(別名ムラビード朝)を打ち立てます。しかし長続きはせず、12世紀には新たにモロッコから来たムワヒッド朝(別名アルモハード朝)に滅ぼされます。ムワヒッド朝はセビリアを首都としました。この時代に建立された建物(例えば黄金塔、Torre del Oro = 写真)が今日のセビリアの観光スポットのベースとなっています。

キリスト教徒によるイベリア半島の再征服(レコンキスタ)の開始は一般に722年のトバゴンダの戦いとされ、1492年のグラナダ陥落を以て終了します。レコンキスタ第3期(1213–1492)ではグラナダを首都とするナスリ朝のみが唯一のイスラム国として生き残り、カスティリア王国の朝貢国として比較的安定した地位を保ち、アルハンブラ宮殿などの豪奢な建造物を残します。セビリアやコルドバは13世紀初頭に既にキリスト教徒の支配下になりましたが、イスラム建築技術がモーロ人の工夫たちによって維持され、アルカサル(王城)を始めとするキリスト教的要素を取り入れたイスラム建築が残されました。カスティリア王ペドロ1世は34歳の短い生涯を閉じるまで、まさに「戦に明け暮れた」と言っていい人生を歩んだにもかかわらず、現在のアルカサル城(=写真)の大部分を建造しました。

彼の時代のイベリア半島にはカスティリアとナスリ朝の他にポルトガル、アラゴン、ナヴァール王国が存在していましたが、1469年にアラゴン王フェルディナンドとカスティリア女王イザベラ1世が婚姻し、1479年にアラゴン王国の後継不足により、両国は統一されます。この二人の下でレコンキスタが終了しますが、グラナダにおいて正当な支配者と認められていたのはイザベラ1世のみで夫フェルディナンドはよそ者扱いでした。だからグラナダの街中にイザベラ1世の銅像(=写真)はあってもフェルディナンドの銅像は存在しないのです。

大航海時代の16世紀、セビリアは新大陸との貿易を独占し、黄金時代を迎えます。王朝は1516年にハプスブルク家に移り、建設様式はルネサンスからバロックへ移行していきます。スペインのハプスブルク家は近親相姦が続いたためか、18世紀初頭にほぼ御家断絶に陥り、13年間にわたる後継争いが勃発。1713年にフランスのブルボン王家がスペインの王権を獲得。イギリスによって一時的にフランス人は追放されましたが、ブルボン王家がスペインに復活した後、植民地をすべて失い、アンダルシアはスペインの最貧州に転落してしまいます。20世紀初頭の内戦、フランコ独裁政権を経て、1960-70年代の経済成長の際に、アンダルシアは特に観光業の発展によって長い停滞から抜け出し、1982年には自治州に。現在スペインで最も人口の多い州ですが、高い失業率に悩まされています。

セビリアの見所

セビリアの観光スポットは大抵旧市街の中心であるSanta Cruz地区にあるので、歩いて見て回ることができます。というか、道路が狭くて入り組んでいるため、車や観光バスでは殆ど侵入不可能です。楽をしたい方はセビリア大聖堂のLa Giralda側の広場から出ている馬車を利用するとよいでしょう。1周40分位だそうです。値段は業者によって違うような気がしますが、きちんと聞いたわけではないので、分かりません。

観光バスは2系統あり、世界各国で展開している観光バスチェーン、Sightseeing(赤いバス)とローカルなTour por Sevillaという緑のバスがあります。私たちは緑のバスを利用しました。チケットは2日間有効で、一人18€(2017年5月1日現在)。スタートはTorre del Oroで、ルート1「La Sevilla monumental」という史跡巡りツアーは10-19時まで30分置き、ルート2「La Sevilla romantica/La Sevilla illuminada」は19:30-21:00までやはり30分置きにバスが出て、セビリアの夜景を楽しめます。旧万博会場のExpo del 92や旧市街の対岸にあるTriana地区やマリア・ルイザ公園など歩いて行くにはちょっと距離があり過ぎるところに行けます。バスにはオーディオガイドがついています。チケットにはさらに「Tour a pie(散歩ツアー)」も含まれています。このツアーのスタート地点はLa Giraldaの近くのPl. del Triunfoだそうです。

Real Alcázar(アルカサル王城)

青池保子の作品に「アルカサル―王城」というマンガがあります。カスティリア王ペドロ1世(作品中ではドン・ペドロ)を主人公にした歴史ロマンです。この影響で、セビリアのアルカサル王城を実際に訪れたいとずっと思っていたのですが、ようやく念願がかないました。

「アルカサル」という名称はアラビア語の「宮殿」または「王城」を意味する単語al-qaṣr /に由来します。レコンキスタでセビリアを征服した13世紀のキリスト教徒たちにとって何の戦略的意味のない、ほぼ平地に建つ要塞機能のない城は未知のものだったので、アラビア語の名称がそのまま引き継がれました。Alcázarは固有名詞ではなく、一般名詞です。トレドやセゴヴィアやアヴィラなどにあるお城も「アルカサル」です。

セビリアの元の宮殿はアルモハード朝によって建立されたもので、かなり破壊されましたが、1364年からペドロ1世によってイスラム建築の影響を色濃く受けたムデハル様式で再建・新築されました。アルハンブラ宮殿を意識して建てられたと言われています。15-16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンス様式も混じってます。

入り口。開城は9時半。前売り券を買っておくと、あまり並ばずに入れます。私たちはガイド付きの見学ツアー(GetYourGuide)を利用しました。料金は日によって若干変わるようですが、私たちは一人28.60€でした。

パラシオのファサードに刻まれたペドロ1世の碑文:「最も高位の最も高貴な最も強力で最大の征服者、神の恩寵によりカスティリアとレオンの王ドン・ペドロが1402年(セビリア歴=西暦1364年)この王城と宮殿と玄関を建設させた」

 Pacio del Yeso

Salón de Embajadores (大使たちのサロン)

Salón de Embajadores (大使たちのサロン)の天井

アルカサル王城のどの部分だったかもう覚えていないのですが、ユダヤのシンボルである「ダビデの星」が入ってる装飾。ペドロ1世の異教徒に対する寛容性の表れ。ムスリムばかりでなくユダヤ教徒の工人も建設に携わっていたそうです。

これもどの部分か不明。

2階に上がるといきなりチャペル。この急激な変化に少々戸惑います。

Salón de los Tapices(タペストリーのサロン)

タペストリーは世界地図。地図の終わりに二本の柱と「Non plus ultra(これより先はなし=世界の終わり)」をラテン語で記すのがアメリカ大陸発見以前の慣習でしたが。これは世界が平らな円盤状で、海の彼方は滝になって水か落ち、その先はないと考えられていたことによります。しかしこのタペストリーはアメリカ大陸発見以後のものであるため、Nonが取り除かれ、「Plus ultra(その先もある)」(ここではUがVで代用されている)だけになっています。この二本の柱と両者を結びつけているリボンのようなものと「Plus ultra」の銘はスペイン帝国の象徴で、世界征服の野望を表現しているとか。

El estanque de Mercurio(メルキュールの池から撮影したPalacio gotico)。ガイド付きの見学ツアーはここで終わり。

Jardín de la Danza(ダンスの庭)

その他の庭

 

出口


セビリア大聖堂とGiralda

アルカサル王城から出てくるとすぐにセビリア大聖堂の塔(元はミナレット)が見えます。写真は5月1日に撮影。

全体像(4月26日撮影)

ミナレットは1198年に完成。14世紀に先端部のイスラム教のブロンズ球が十字架に代えられ、 1568年にルネサンス様式の小塔が増築されました。頂上に据えられたブロンズ像は信仰を象徴しているそうですが、この像の持つ天候旗(Giraldillo)からGiraldaと呼ばれるようになりました。セビリア大聖堂の鐘のある塔です。大聖堂は12世紀に建立されたモスクの跡地に1401年から建設され、1世紀ちょっとを経て完成。ヨーロッパ最大という話です。

 

周りの石材よりも濃い色の石材でカーブのある外壁のところはSacristia Mayorと呼ばれ、多くの美術品が収蔵されています。

セビリア大聖堂の正面入り口。シーズン中はかなり並ばないと中に入れないことがあります。この入り口の近くに1890年代に作られたコロンブスのお墓があります。中に入らなかったので、どんな感じか分かりませんが。並ぶのが大嫌いな人と一緒だと色々諦めることが多くなります。

Puerta de la Asunción(マリア昇天祭の正面玄関)。ペディメントのレリーフはマリア昇天祭を表し、1833年に完成。正面玄関のはずですが、現在は出入りできません。

この使えない正面玄関の左側にIglesia del Sagrario(サグラリオ教会)の入り口があります。そこは今日教区教会として使われているため、入場料なしに入れます。

 

この教区教会部分を出て、建物に沿って右に曲がるとPatio de los Naranjos(オレンジのパティオ)というモスクとして使われていた時代の名残である祈りの前に体を清めるための噴水がオレンジの木に囲まれています。そのパティオに繋がる門はPuerta del Perdón(ぺルドン門)と呼ばれ、イスラム建築に特徴的な装飾的なアーチが見られます。パティオにはこの門からは入れません。覗くだけです。

 

Hospital de la Caridad(慈善病院)

この慈善施設は1674年に創設され、今日まで老人ホームとして使用されています。写真は施設に付属するチャペルのファサードで、白いカルキの壁のタイル装飾(azulejos)が美しいセビリア・バロック建築の代表例です。

 

Torre del Oro(黄金塔)

歴史概要のところでフルサイズの写真を既に掲載したので、ここではサムネイルだけ。

この黄金塔はアルカサル王城と共に防衛設備の一部を成しています。1220年に見張り塔として建てられました。かつてはもう一つの塔が川の向こう岸にあり、船が街中に侵入しないように両塔の間に太い鎖が張られていました。1760年に上部の小塔が増築されました。名前の由来はかつて金色に染色したタイルが壁に貼られていたからとか、新大陸からの宝物が収蔵されていたからとか諸説あります。ペドロ1世が一時ここに愛妾を囲ったこともあります。現在はMuseo Martimo(海洋博物館)で、海図や航海道具などが展示されています。

 

Plaza de Toros de la Maestraza(闘牛場)

セビリアの闘牛場はスペインで最も美しいと言われています。収容キャパシティは12500人。1761-1881年に建設されたアーケードに縁どられた建物は確かに素敵ですが、闘牛はたとえ伝統でも動物愛護の観点からいただけませんね。

 

Palacio de San Telmo(聖テルモ宮殿)

聖テルモ宮殿はメトロまたはバス停Puerta Jerezのすぐ近くにあります。アルカサル王城から歩いてもせいぜい10分くらいのところです。この宮殿は1682年に海兵養成のための海軍研究所として建立されました。船乗りの守護聖人である聖テルモの像が入り口の上に鎮座しています。現在は地方議会議長の官邸。この建物の見所はスペインバロック、チュリゲレスク(Churrigueresque)様式の正面玄関で、1734年にAntonio Matias de Figueroaによって建立されました。

北側のファサードの上は数多くのセビリアの有名人の彫像(1895年)が飾られているらしいですが、そちらまで見ている時間はありませんでした。

 

フラメンコ

スペイン、特にアンダルシアはフラメンコなしには語れません。ちょっと街を歩くとあちこちでフラメンコのパフォーマンスが見られます。質は様々です。私が見たパフォーマンスはYouTubeにアップしました。

1つ目のカスタネットのパフォーマンスの方が良かったと思ったのですが、気が付くのが遅くて、最後の方しかビデオに収められなかったのが残念です。

フラメンコショーをやっているところもたくさんあります。その多くがディナー付きなのですが、私たちは「ピュア・フラメンコ」「伝統的なフラメンコ」という触れ込みのCasa de la Memoriaという劇場でショーを見ました。ドリンクや食べ物など一切なしで、お一人様18€。ショーは毎晩2回。劇場はすごく小さく、舞台と客席の距離もあまりないですし、座席も2列のみ。2階席もあります。

 

上演中は撮影禁止ですが、アンコールの時は撮影が許可されます。私たちが見たチームは男性と女性のダンサー、男性の歌手、男性のギター二人でした。それぞれソロもありました。歌とギターまたはギター演奏のみでもそれなりに味わい深いのですが、やはりフラメンコは歌・ギター・ダンス揃っていた方が面白く、迫力もあります。男性ダンサーがとってもセクシーでした。

  

最後の部分はビデオにしました。Flamenco Show in Casa de la Memoria in Sevilla

全体的にアラビア音楽の影響が濃厚な印象を受けました。ストリートパフォーマンスとはかなり毛色が違うと申しましょうか。フラメンコにもいろいろあるようですね。

 

Feria de Abril(4月祭)

Feria de Abrilは復活祭の2週間後にセビリアで開催されるアンダルシア最大のお祭りです。1864年にカタロニア人とバスク人によって家畜市として始められましたが、家畜小屋が姿を消した現在でもフェリア会場で重要な契約が締結されるそうです。会場はセビリア市の南西部Los Remediosという区域で、2017年のフェリアは4月30日から5月7日まででした。真夜中に会場のイリュミネーションが一斉に点火されてフェリアが始まります。昼間は馬車や馬に乗った伝統的なツーピース(男性)またはフラメンコドレス(女性)を着て飾り立てた人たちで街中も会場も溢れかえり、遅い時間帯になると歌って踊ってが佳境に達します。

ビデオ:Feria de Abril 2017

会場はテントというか小屋で埋め尽くされており、それだけでも壮観ですが、その大部分が個人の所有というからびっくりです。中に入れるのは基本的に招待客だけです。数は少ないですが、一般人向けの小屋もあり、チケットを買えば入れるとのことでした。残念ながらどこでそのチケットを手に入れるのか案内所で聞いてもらちが明かず、私たちは取りあえず見るだけ見て、夜は上述のフラメンコショーに行ったのでした。

馬車もフラメンコドレスも豪華で、見てるだけでも楽しかったです。

フェリアの期間中は路面電車も帽子をかぶっているようです。

フェリア会場の隣にはジェットコースターや観覧車などのある遊園地が設置されており、飲食店もありました。この観覧車は、ゆっくり1回回って終わりなどという悠長な乗り物ではなく、回転が非常に速く、何回も回ります。一人4€はちょっと高いなと思いましたが、乗ってみて、目が回りました( ̄∇ ̄;)

 

ドレスは母と娘でおそろいというのもよく見かけました。

フェリア会場の様子

    

街中を行く着飾った人々

     

馬車を引く馬をよく見ると、場合によってはしっぽがきれいに三つ編みにされて、鈴の付いた飾り紐が編み込まれていたりします。大抵は邪魔にならないようにしっぽがまとめられて、付け根のところに飾りまたは鈴が付けられています。頭部にもジャラジャラ鈴の飾りを着けられることもあり、大抵の馬はそれでもおとなしく耐えているみたいですが、何頭か頭の飾りが邪魔で、何とか取れないかと隙あらば頭をぶるぶる振ったりしている馬も見かけました。確かに馬にとってはいい迷惑ですよね。

このフェリアの前の枝の主日(復活祭前の日曜日)から聖金曜日までの期間をSemana Santa(聖なる週)といい、セビリアでは100体以上のPasos(聖体人形)の行列が出て、かなり見ごたえがあるようです。いつかSemana Santaに合わせてセビリアを訪れてみたいですね。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)


書評:奥田英朗著、『マドンナ』(講談社文庫)

2017年05月08日 | 書評ー小説:作者ア行

この『マドンナ』(初版2005年、電子書籍版2014年発行)は何と言うか「おじさんの小説」です。

表題作他「ダンス」、「総務は女房」、「ボス」、「パティオ」の短編5編が収録されてますが、どれも40代の中間管理職男性が主人公で、「マドンナ」は若い女性部下に懸想する話、「ダンス」はダンサーになるという息子の将来に悩む話、「総務は女房」は暇と言われる総務課に休憩がてら配属されて、そこにはびこる悪を見逃すか否か悩む話、「ボス」は女性の新任部長の下で部次長を務め、彼女にライバル意識を燃やす男の話、「パティオ」はパティオと呼ばれる「港パーク」の集客改善を担当する男と人のいないパティオで読書をする老人の話。

残念ながら、あまり主人公に感情移入はできない話ばかりですが、退屈とかつまらないという程ではなく、男性作家の書くエッセーを読むような感覚で興味深く読むことができました。特に感動したとか、面白いと思ったということもありません。なんとなく「ふーん」と納得した感じです。男性読者ならもっと共感とかあるのかも知れませんが、私にとってはこの短編集はいまいちでした。

女性を主人公にした短編集である『ガール』の男性版なのでしょうか。

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