中井英夫の『虚無への供物』は、先日読んだ恩田陸の『EPITAPH東京』の中で何度か言及されていたので、どういうものか興味を持って読んでみました。
昭和二十九年の洞爺丸沈没事故で両親を失った蒼司(そうじ)・紅司(こうじ)兄弟、従弟の藍司(あいじ)らのいる氷沼(ひぬま)家に、さらなる不幸が次々と襲います。まず密室状態の風呂場で紅司が死に、次に叔父の橙二郎(とうじろう)もガスで絶命――殺人あるいは事故?
蒼司らの遠縁にあたる牟礼田俊夫(むれたとしお)は婚約者の奈々村久生(ななむらひさお)にこれから氷沼家に起こるであろう悲劇をほのめかし、彼がパリから戻るまで、蒼司を守って欲しいと頼み、それを受けて久生は彼女の友人であり蒼司と同窓生でもあった亜利夫に氷沼家の様子を見るように頼んだことから、素人探偵たちと氷沼家の関係ができます。紅司の死後、『ザ・ヒヌマ・マーダー』として密室殺人の謎を解こうと、久生・亜利夫・藍司らによる推理合戦が始まるわけですが、重度の探偵小説好きの久生をチャーミングととらえるか、死を弄ぶ非常識女ととらえるか微妙なところです。
この推理合戦の結果、仲の悪さや利害関係の対立を考慮して最も殺人動機があると見られた叔父の橙二郎が、氷沼家の書斎でガス漏れによって死亡。この書斎もやはり密室となっていたので、素人探偵らによる『ザ・ヒヌマ・マーダー』の推理合戦がさらに続きます。
この推理合戦の過程で、ノックスの『探偵小説十戒』や様々な推理小説のトリックが取り沙汰されて、推理小説の百科事典的な様相を呈してきます。同時に非常に奇妙な符合らしきものが事件と関連付けられ、幻想的な推理が展開されたりするので、私などはちょっとうんざりしました。
最初に死んだ紅司自身が密室連続殺人事件の推理小説の構想を残していたので、それが尾を引いて、関係のない放火事件まで関連付けられてしまうあたりが面白いととらえるか、ややこしいと思うか、それも微妙なところですね。
下巻では、紅司のでっち上げた恋人(男)と思われていた人物が登場し、アパートの一室で毒殺されます(または自殺)。彼は氷沼家の番頭的な人物の義弟だったので、あながち無関係とも言えず、密室連続殺人事件の1つとしてカウントされてしまいます。紅司の連続殺人構想は4件で完結することになっていたので、その4件目を先取りすることでそれが実際起こらないように予防できるなどと牟礼田俊夫が言い出し、彼の推理に基づいて短編推理小説を書きます。この小説中小説が話をかなりややこしくしていると感じました。しかも「きれいに謎が解ける」という触れ込みだったのに、ちっとも解けてない感じなので、かなりイラつきます。
最後に真犯人の告白がありますが、意に反して、本当に意図された殺人は1件のみで、あとは気分的に「犯人の資格がある」と言うだけなんですね。洞爺丸沈没事故を始め、あまりにも多くの人たちが無意味に死んでいったことに耐えられず、彼らの死を意味あるものにするために、どうしても強い意志を持った殺人者に連続して殺されなければならなかった、という観念的な動機と言うか、死を受け止めるためにもがいた末の傷ついた心と頭の産物のようなもののようです。
この作品は作者曰く「アンチ・ミステリー」であり、「読者が犯人」ということになる推理小説が構想されています。久生が亜利夫にそういう小説を書けと諭し、亜利夫は「読者が犯人」的なものは書きたくないが自分なりに『ザ・ヒヌマ・マーダー』について書きたい、というところで話が終わります。
話しがどこに辿り着くのか気になったので一応最後まで読み通しましたが、入れ子構造もここまで来ると興醒めですね。あと、古い推理小説のトリックが仄めかされているので、元を知らないとピンとこないため、余計に攪乱されます。
ある意味興味深い作品ですが、私はミステリーファンとはいっても、トリックにこだわるタイプではないので、「ついていけない」というのが正直な感想でしょうか。