どこからか魚の焼(や)ける香(こう)ばしい匂(にお)いが漂(ただよ)ってきた。「これは秋刀魚(さんま)だな」彼はそう呟(つぶや)くと、鼻(はな)を上へ向(む)けてひくひくさせた。どうやら、安治(やすじ)の家の方から来ているようだ。
「よし、今晩(こんばん)は秋刀魚を食(しょく)そうじゃないか」
彼は塀(へい)の上から飛(と)び下りると、足早(あしばや)に安治の家へ向かった。
台所(だいどころ)へ通(つう)じる戸(と)は、煙(けむり)だしのために開けられている。広くもない庭(にわ)の片隅(かたすみ)で、彼は中の様子(ようす)を窺(うかが)っていた。どうやらちょうど焼けたようで、細君(さいくん)は網(あみ)から獲物(えもの)を皿(さら)へ移(うつ)すところだ。その皿は、飯台(はんだい)の隅(すみ)へ置かれた。その時、玄関(げんかん)の方から声がした。来客(らいきゃく)のようである。細君はいそいそと台所を後にした。
彼はここぞとばかり、台所へ侵入(しんにゅう)をはかった。勝手(かって)知ったる何とかである。彼は飯台を見上げて、前肢(まえあし)を飯台の上にのせて立ち上がる。目の前には、食べ頃(ごろ)の秋刀魚が二匹、二つの皿に仲良(なかよ)く並(なら)んでいる。彼は一瞬(いっしゅん)躊躇(ちゅうちょ)した。以前(いぜん)、焼き魚を咥(くわ)えたとき、あまりの熱(あつ)さに飛び上がったことがある。彼は鼻を近づけてみる。どうやら、大丈夫(だいじょうぶ)のようだ。
細君の足音(あしおと)が、彼の耳(みみ)に入ってきた。彼は秋刀魚の腹(はら)の辺りに口を持っていき、軽(かる)く歯(は)を当(あ)てる。口の中に秋刀魚の旨(うま)みが充満(じゅうまん)する。もう、たまらない。――だが、こんなところでのんびりなどしていられない。足音はどんどん近づいていた。彼はガブリと秋刀魚を咥えると、一目散(いちもくさん)に表(おもて)へ飛び出した。後ろから、細君の悲鳴(ひめい)が聞こえて来た。
<つぶやき>猫(ねこ)たちは、獲物を得(え)るために日々努力(どりょく)しているのです。秋刀魚、食べたい!
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