お盆と言えば、
8月中旬の前半の数日位の認識だったが、
今回、母の初盆を迎えるに当り、
いろいろ調べて、初めて上記以外の事を知った。
…初盆自体も、実は、認識していなかった。
父が亡くなった四半世紀前は、
当時からぜん息で弱かったとはいえ、
母が喪主で取り仕切ったので、
私はぼーーっとしていたのだと思う。
今回は私がひとり喪主で、
父の時のようにはできないし、
母も「焼くだけでいい」と言い続けたので、
本当にそれに近いのだが(父の時に、
うちには過度な仏壇も購入したし)、
初盆もできる範囲でやらないと…
今月になって、スーパーにお盆コーナーができ、
8月中旬まで大分先なのに、随分早いな、
といぶかしく思っていたら、
7月盆(新盆)と8月盆(旧盆、月遅れの盆)があることを
本当に初めて知ったのだ。
しかも、私が住む神奈川県は、7月盆らしい。
…でも、お盆は8月と信じてきたので、8月にした。
でも7月盆も気になるので、今日、墓参りしてきた。
家の中で線香を焚けないので(私も苦しくなる)、
お墓に持参し焚くことにしている。
マンションを覆う足場作りの片面が終わり、
今日の午後、完全に黒い幕が張られた。
日差しや風の通りを心配したが、意外と大丈夫そうだ。
夕方、工事の責任者が後片付けしていたので、
いろいろ聞いてみたが、
「前回(の大規模修繕)は、白い幕だったのでは。
(黒の方が日の通りがいいと説明会でも話していたが)
(幕も)良くなっているから」
とのことで、そこは、よかったっす。
子供の頃の車には冷房が無かったので山形へ向かうには夜の走行となりました。高速道路網もまだ建設中で東北道に乗るには埼玉県の岩槻まで行き、福島西ICで降りてからは真っ暗な夜中の国道で列島を横断して日本海側を目指しました。
お盆休みに故郷に帰省して墓参りする習慣も消えてしまいそうですね。
みなみさんは人生の前半で様々な過酷なことに出会い体験し、克服されてきたのですね。
マンションの大規模修繕工事をきっかけに、みなみさんの心の大規模修繕工事も徐々に進み、やがて自分でも予想もしなかったような見事な完成を見ることになるでしょう。
これからかなり長い間、洗濯や物干しをはじめ、制約されることも多くなると思いますがより快適な生活のためだと思って頑張り過ぎずに頑張ってください。
応援していま~す。
急に7月盆と言われても(言われてないけど(-_-;)、
お盆は8月と信じてきたので、8月にします。
お墓は…母の兄の先祖代々の墓も、どうなることか…
こども(私のいとこね)が、息子と娘で、息子は独身子なし、
娘は結婚してからずっと茅ヶ崎住いで、墓を守り続けるのは
大変なことだと思いますよ…
確かに、過酷ですねえ…克服したというか、生き続けただけというか…
大規模修繕工事は、マンションに必須だから、仕方がないですよね。
この暑い時期に当てなくてもと、昨日も住民と話しましたが、
そのせいか、工事費が少し安い気がします。
もう始まったんで、仕方がないですよね。
こちらでは初盆も 8月の旧盆にやるのが多いようです。
実家は神式で 父の時もやっていますがその時は母が全てやったので記憶になくて
お葬式・五十日祭をお願いした神官さんに聞いてご指示通りやることになります。
8月13日に母を家に迎えて 神官さんに来てもらいお唱えをあげてもらって
8月16日にはお墓へ帰ってもらう と神官さんには言われています。
マンションの塗り替えら修繕が昨年あって 3ヵ月近く白いカバーで覆われていました。
台風時と同じくベランダの花鉢を家の中に取り込んで3ヵ月は 狭くて閉口しました。
花はほとんどが枯れました。仕方がないです。
何年かに一度こうした大規模修繕があるみたいで毎月引かれる修繕積立費
だけでは足りないそうです。
くりまんじゅうさんも初盆ですね…
さすが、きちんとされるんですね…
私はもう、気力もなく、悼む気持ちがあればいいと…
コロナ禍で、葬儀や法要が簡素でも誰も何も言わなくなりました。
…コロナがなくても、うちは簡素だったと思いますが。
マンションは白いカバーだったんですね。
黒の方が、外から見た目は暗いけれど、実は透過性がいいそうで、
ベランダの花鉢は、うちはありませんが、外の植栽に紛れ込ませて
皆さん置いています。外の植栽が豊かなので、問題なく…
気が重いですが、母が居たらもっと大変でした。
7月半ばと言うと、まだ梅雨が明けてないし、地方では二期作で麦を作っていたころは田植えが7月までずれ込むことも普通だったので、8月がいつの間にか定着したのかなと思います。
素人考えですが。先祖のおつまりで親族が集まるのも楽しみでしたが、今はその集まる親族もないし、時代とともに変わって行くことでしょうね。
生きている者の心が安らぐように供養するのがいちばんと思います。
コロナはいいことはなかっのですが、葬式、法事が簡単になったのはよかったと思います。この流れはこのままいくでしょうね。
日本初の発電所が広瀬川沿いにあり、その電力で紡績工場を動かしていました。戦時中の日本経済は紡績が主力でしたので、仙台は織姫と彦星が出会う七夕祭りに力を入れてたみたいです。
また、織姫と彦星は一年に一度会える。つまり、七夕はお盆到来準備の祭りでもあります。
織姫・彦星は天の川、亡くなった人は三途の川を渡って戻ってきますので。
だから昔は7月7日の一週間後がお盆となります。現在、仙台の七夕祭りは8月6~8日ですが、その一週間後がお盆となります。
「生きている者の心が安らぐように供養するのがいちばん」は、
霊園のスタッフさん達も言っていました。
こうしないといけない、はないと。
私がひとりで大変がっていたので、特に言われたと思います。
父の時は、儀式に則って?一通りやりましたが、本当に変わりました。
コロナもありますが、高齢化で亡くなる人が増え、
法要に高額な費用を掛けられない人が増えたのも大きいですね。
よくできていますね。
はあーーー知らないことが多過ぎます。