まず、しばらくブログをお休みしていた間に、頂いたコメントを見落としていて、公開していなかったことをお詫び申し上げます。今後はそのようなことがないように注意したいと思います。
村上春樹の自伝的エッセイ『猫を棄てる』は、簡単に解説できる単純な話ではありません。
内容は、村上春樹が少年時代に飼っていた猫にまつわる二つのエピソードに挟まれる形で、中国で従軍していた父親の軍歴と父から聞いた話が明かされています。
そこには父の戦争責任の問題を息子であり職業作家である自分がいかに引き継ぐかが語られていて、それは村上の小説創作の秘密にも関わっています。
村上は「いちばん語りたかった」こととして、自身が「ひとりの平凡な息子に過ぎ」ず、「集合的な何かに置き換えられて消えていく」「一滴の雨水」のような者だけれども、そうであるからこそ「責務」があると言います。「集合的な何かに置き換えられて消えていく」からこそ「責務」があるとは、一見わかったようでわからない難解な言い回しです。これをどう理解したらよいか、私の『猫を棄てる』論では、そのことを中心に論述しています。
村上春樹の自伝的エッセイ『猫を棄てる』は、簡単に解説できる単純な話ではありません。
内容は、村上春樹が少年時代に飼っていた猫にまつわる二つのエピソードに挟まれる形で、中国で従軍していた父親の軍歴と父から聞いた話が明かされています。
そこには父の戦争責任の問題を息子であり職業作家である自分がいかに引き継ぐかが語られていて、それは村上の小説創作の秘密にも関わっています。
村上は「いちばん語りたかった」こととして、自身が「ひとりの平凡な息子に過ぎ」ず、「集合的な何かに置き換えられて消えていく」「一滴の雨水」のような者だけれども、そうであるからこそ「責務」があると言います。「集合的な何かに置き換えられて消えていく」からこそ「責務」があるとは、一見わかったようでわからない難解な言い回しです。これをどう理解したらよいか、私の『猫を棄てる』論では、そのことを中心に論述しています。