見出し画像

Tシャツとサンダルの候

古代の参道を行く


昨日




ここ数日の降雪で、九千部、背振山系はすっかり雪化粧に変わっている。

こんな雪の日も、私のやる事は同じである。



高良山である。

毎度毎度同じ投稿で、誠に恐縮である。



参道登り口。

どのコースで登ろうか?

今日の気分は・・・



神籠石コースかな。

参道から右に折れて、古代人が築いた不思議な遺物に沿って歩くとしよう。



このルートは、普段でも滅多に人が通る事は無い。

降り積もった雪には、人の踏み跡すら見当たらない。



それもその筈。

ここは墓場コースでもあるのだ。

中世の歴代の僧の墓に加え、



俗世の人間の墓も延々と続く。

このコースで高良山にアクセスするならば、なるべく、陽の明るいうちをお勧めする。



見えてはいけないものが見えるかも。



長い墓地歩きが終わると、やがて木橋が現れ、その先は石段となる。

石段を登り詰める手前の左手に、ちょっとした平地が見えてくる。



歴代高良山座主が眠る場所である。

吉見嶽ルート、王子池ルート等、数ある高良山墓地の中でも、ここは一丁目一番地なのだ。



座主の墓を過ぎ、一旦車道を100m程麓の方へと逆戻りすると、




再び神籠石が整然と並んでいるのが見えてくる。




何時、誰が築いたのか?

そしてその目的は?


山城の土塁の土留め、或いは宗教的な結界等々諸説ある。

が、今なお解明できていない。

一年の半分は、この山の神籠石を見続けている私である。

コッソリと呟いて置く。


これは、普通に『道路』であると考える。


言葉を付け加えるなら、神域へと続く特別な道、要するに古代の参道である。

女山のそれも同じだったが、神籠石の右側は、人がすれ違う事が出来る程の幅があり、尚且つ、掘られている深さは浅い。

一跨ぎで越えられる高さでしかない。

専門家がなんと言おうと、こんな深さの(高さの)防衛設備がある筈ないではないか。

そもそもがである。

高良山の神籠石は、北側斜面には見当らないのだ。

これが防衛ラインであるならば、山をぐるっと囲ってしまわねば意味が無いではないか。

他にもいくつも否定する材料はあるが、山城などでは断じてない。



暫く登って行くと、倒れている神籠石が目立つようになる。

その訳は、



筑紫大地震(679年)だ。

画像は、その際に出来た活断層のずれ。

現在でも約2m程のずれが確認できる。



鷲尾城跡を過ぎ、




急登を登り、




鳳山方向へ。




眼下に高良大社を見ながら進むと、




ここが神籠石の最上部である。

結局神籠石は、麓の虚空蔵堂からスタートし、高良大社の背後に回り込むように終わっている。

くどいようだが、神籠石は参道なのだ。



鳳山(杉の城)通過。




奥宮通過。




この木段を登ったら、




高良山山頂だ。




山頂から降りたら、前回、家内が「ぜんざい!」と騒いだあの売店がある。




「珈琲下さい。」

「はーい。」



ぜんざいも美味しいが、珈琲も本格的なのだ。



ズズズ



暖まるぜ。





さて降りるとするか。

今度は、どのコースで降りようかな。


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

最新の画像もっと見る

最近の「山を行く」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事