朝食を食べながら、朝ドラを見る。
私の毎朝のルーティンである。
番組が終わり、おちょやんの行末を案じつつ、
「さてと、高良山に登りに行くかな。」
これまたルーティンの山歩きに出かけようとしたら、
「森林公園の売店は開いとるやろか?」(家内)
「昨日登った時は、まだ休んどったな。ばってん、いくらなんでん、今日は開けとるやろ。」
「んじゃ私も行く。」
参道は市内の中学、高校の生徒らで賑わっている。
どうやら今日は、部活初めであるらしい。
トレーニングがてら参道を走り、今年の活躍を祈願する為、大社に参拝するようだ。
私らはと言うと、正面参道から高良大社方向へ向かうも、参拝はスルー。
大社脇から鳳山への登山道を行く。
鳳山。別名杉ノ城。
南北朝時代、南朝方主力の菊池勢が固めていた郭跡である。
奥の院。
武内宿禰の墓と伝えられている。
「そもそも武内宿禰と玉垂命の関係がどうなのか。更に、倭の五王は誰に比定されるべきか。ここら辺が実に・・・・」
「あ、メジロがいた。」
「貴様、話ば聞かんか!!」
などと話をしながら登っていると、
いつのまにやら高良山山頂である。
別名は毘沙門城。
南朝方総大将の懐良親王が陣していた郭跡だ。
家内リクエストの森林公園売店はすぐ下。
「あそこのぜんざい、美味しかっちゃん(^^♪」
どうやらヤツの山登りの目的は、ぜんざいだったらしい。
休みである。
「あいとるって言ったやんね!」
「しょんなかやんか。大社下の望郷亭にも、ぜんざいは売っとるぞ。」
「ここのじゃなかといかーーん(大泣)」
こんなヤツほっといて、とっとと降りよっと。
北面コースを行く。
誰がしてくれたのか、木々には、その名前と花期が添えられている。
ボロボロの木。
ベニツチカメムシはこの木の実しか食べない。
そう言えば、明星山のベニツチカメムシは、どこでどうしてるのだろうか。
北面コースは、大社下まで延びている。
中高生の他には、背広姿の参拝客が目立つ。
この街では『仕事始めは高良大社参拝から!』と言う企業が多いのだ。
「いか焼き食べたくない?」
ヤツが後ろで小声で呟いている。
ぜんざいの穴をいか焼きで埋める魂胆のようだ。
ぜんざいといか焼き。
どこに共通項があるのか、皆目理解不能だが、好きな様にさせておくのが得策である。
「いか焼き下さーい。」
「へーい。毎度ありぃ。」
いか焼きを食べ終わったら下山だ。
吉見嶽コースを行く。
望郷亭のすぐ横に、石標が立っている。
ここから左が、善道寺、大宰府方面への追分と書かれている。
このルートは昔の街道なのだ。
コース名となっている吉見嶽。
ここも山城跡である。
戦国末期、
薩摩征伐の為、久留米に立ち寄った秀吉は、ここ吉見城に滞在している。
現在は琴平神社となっている。
拝殿の後ろに石造りの祠がある。
『奉新建金毘羅大権現石祠壱基』と彫られ、
願主代表は『当山十六世座主大僧都亮忠』となっている。
そうなのだ。
高良山は神社のイメージが強いが、江戸期までは仏法の山として栄えていた。
文政五年に建立されたようだ。
裏面には施主の名が彫られ、久留米の庄屋達の連名となっている。
スポンサーだったのか、周りを取り囲む石柵には、久留米の商家名が彫られている。
薩摩屋要左衛門、米屋善蔵、萬家左十、豆腐屋利作、旗崎屋次作、御船屋文吉、八百屋吉次郎、綿屋元次等々。
職種が直ぐに想像できて、中々に面白い。
吉見嶽から麓まで降りて来ると、
手打ち蕎麦屋がある。
「蕎麦食うぞ。」
古民家風に作られた店内。
前菜の蕎麦粥と小鉢六点盛。
私が頼んだのは、あおさがタップリと入った暖かい蕎麦。
ズルズルズルー
美味しかあ!
年越しそばがあるなら、年明け蕎麦だってありやろ。
「デザートの蕎麦羊羹でございます。」
どれもこれも美味しゅうございました。
どうだ。
ぜんざいの文句は言わせんぞ。