名勝耶馬溪。
青の洞門、羅漢寺、一目八景と見所は多い。
なのに何故か縁が薄く、随分とご無沙汰である。
「紅葉が見頃みたいやぞ。行くか。」
「行く。」
先ずは本耶馬渓は、
青の洞門から。
菊池寛の『恩讐の彼方に』のモチーフとなったのは有名である。
禅海和尚の手掘りの跡が今も残る。
これは方向を間違えてしまい、途中で方向変換した跡なんだとか。
明かり取りの穴。
競秀峰探勝道。
遠い夏の日、
子供らがまだ小さかった頃、ここを家族で登った。
と、思っていた。
だが、家内に言わせると、
「そんな筈はなか。鎖場とかあって、子供には難しい所ばっかりだったよ。」
「そうかなあ。子供の手を引いて登ったような・・・」
ここを登ったという記憶は共通だが、その中身はかなり曖昧である。
確かに、完全な山登りである。
鎖場が続く。
家内が言うように、子供にとっては結構な難易度と言っていい。
ちょっと寄り道していくか。
細尾根を渡ると、
釣鐘岩?
尖った岩にしか見えんけど。
探勝道本道に戻る。
競秀峰は修験の山である。
石仏が置かれた、手掘りの洞穴が続く。
11の岩峰が競い合うように連なることから、競秀峰と名付けられたんだとか。
ヤツが履いているのは、地下足袋タイプのスニーカー。
「ここは危なかぞ。滑ったら谷底やけんな。そんな靴で大丈夫か。」
「全然大丈夫。むしろ歩きやすい。」
地下足袋スニーカーは、こんな難所でもスイスイである。
この岩場を登ると、
陣の岩頂上だ。
下っ腹がムズムズするような高度感である。
右端に見えるのが、さっき尖塔にしか見えなかった、釣り鐘岩である。
この角度から見たら納得。
「ね、子供はいなかったって。オッチャンはきっと・・・」
「えーい、黙らんか!ここは鎖もないし。集中せんか!」
陣の岩から降りても、まだまだ難所は続く。
やっと、弘法寺の瓦屋根が見えてきた。
ゴールである。
「やれやれ。確かに、小さい子供の手を引いては絶対登れんな。」
「そうよ。多分、二人で登ったとよ。」
「うんにゃ。二人だけで耶馬溪に行った事ないやんか。うーーーん。」
当時の写真もないし、ましてやブログという便利な備忘録もなかった時代だ。
30年前の私達の思い出は、今となっては霧の中である。
続く