学歴がなくても、世界で活躍する人の真実
伊藤穰一×波頭亮(上)
波頭 亮 :経営コンサルタント
2013年08月17日
なぜ、日本企業や日本人は、
グローバルな舞台で苦戦を強いられるのか。
なぜ、日本からアップルやGoogle、Facebookのような
世界を席巻するベンチャーが生まれないのか。
今回は、この問いについて考えてみたいと思う。
ゲストは、日本におけるインターネットの普及に絶大な影響を及ぼした
伊藤穰一氏(親しみを込めて、Joiと呼ばせていただく)である。
デジタルガレージ、ネオテニー、クリエイティブ・コモンズ等々、
次々と活動の場を広げていったJoiは、
日本という枠組みを超え、インターネットというオープンな文化、
そして世界というフィールドに活躍の場を見いだしている。
そのJoiが、MITメディアラボの所長に就任し、
今再び日本に目を向け始めている。
彼の目から見た日本、日本企業、
日本人はどう映っているのか。
また、自身の経験と照らし合わせて、
グローバルな舞台に出ていくというのはどういうことなのか。
日本の次代を担う若者にぜひ耳を傾けてもらいたい。
写真右がコンサルタントの波頭亮氏、
同左がMITメディアラボ所長の伊藤穰一氏
日本からグローバル企業が出にくい理由
波頭亮(以下、波頭)
トヨタ、ソニー以降、グローバルな舞台で
市場を席巻するような活躍を見せる日本企業が出て来ていない。
また、既存の企業が不振であるばかりでなく、
世界へ打って出るような、活きのいいベンチャーも出てこない。
それが日本を覆っている閉塞感の1つの原因であると思うのだけれど、
Joiは、そうした日本の現状をどう見ているのか。
忌憚のないところを聞かせてほしい。
伊藤穰一(以下、伊藤)
当たり前なことから言うと、日本は世界第2位のGDPを成し遂げ、
マーケットが大きくなったから外に出る必要がなかったんだと思います。
そして、そのときにうまく機能していたのが、
「系列」をはじめとする縦割りのやり方だった。
でもその後、世界を取り巻く情勢は大きく変わりました。
特にネットの世界で顕著だけれど、
今は1人の天才が画期的な新製品を生み出すよりも、
いろいろな会社や人がうまく組み合わさって、
自分の得意な分野で協力して製品やサービスを創り上げていく。
それを支援するのがインターネットで、
だからネット上では
さまざまな人が有機的に結びついているんです。
それがグローバルなプロトコル(規定、約束事)になっている。
一方、日本のインダストリーには、
かつて機能していた縦割りのやり方が、
今も残っているようです。
日本のマーケットが大きく、
品質のよい製品を量産する時代はそれでもよかったけれど、
マーケットが縮小し、またグローバルを相手にしなければ
いけなくなると話が違ってきます。
日本のインダストリーのプロトコルを、
現在のグローバルスタンダードのプロトコルに対応させていく必要があります。
波頭
戦後の日本はすごく特殊な設定でしたしね。
物価が安くて、若い労働力がたくさんあって、
セキュリティは米国に依存してローコストで、
十分に大きな国内市場では日本語が通用する。
しかも、米国というキャッチアップモデルまでありました。
日本が高度経済成長を遂げることができたのは、
こうしたたくさんの要素が組み合わさっていたからです。
しかし、あまりにも恵まれた成功体験をしてしまったがゆえに、
これでいいんだと思い込んでしまい、
変化することに消極的になってしまった。
リスクに報いない、残念な社会
波頭
ベンチャーについてはどうですか。
日本で成功を収めたベンチャーというと、
楽天やDeNA、GREEなどがありますが、
米国のマイクロソフトやGoogleのように、
突き抜けた成長を遂げるベンチャーが出てきません。
伊藤
よくいわれていることだけど、
日本はリスクテイクに対してあまり
リウォード(褒美を与える)しないですよね。
そういう環境ではベンチャーは出にくい。
もっとリスクをとって、それにリウォードするような姿勢を、
特に大企業に期待しています。
波頭
今うまくいっている企業の多くは、オーナー系企業。
良くも悪くもオーナーの一存でリスクをとって
チャレンジできるからでしょう。
ある程度大きなリスクをとってチャレンジしない限り
成功しない時代になったのに、
日本では社会モデル、あるいは文化モデルとして
それができていないということですね。
伊藤
日本も米国も同じ資本主義社会だけど、
今ではその捉え方に少し違いがあり、
その違いが両国のベンチャー企業における差として
表れているようです。
資本主義の根底にあるのは人の欲望で、
欲望がある人たちが集まるとマーケットが形成され、
そこでリソースがうまく分配され、
結果的に社会の発展に貢献するわけです。
一方、ネットの世界の人たちは欲望というよりも、
他人とコラボレーションするのが好き、
コミュニケーションするのが好きだからやっている。
ネットの根っこにあるのはボランティア精神、
だからオープンソースでみんなで共有しようという考え方が出てくる。
ベンチャーのファウンダーも基本的には同じです。
やりたいからやっている、好きだからやっている。
波頭
そうですね。
世の中を変えたいからやっているという起業家が多い。
伊藤
そうなんです。
米国ではそういう、好きだからやっているベンチャーのファウンダーと、
儲けたいという欲望が
根本にある資本主義がうまくマッチしている。
だから、オープンソースの上にビジネスが乗っかって、
ネット起業家やベンチャー起業家にまで
お金が回るシステムができているんです。
ところが日本では、
こういったネット社会に即した資本主義の循環が
まだ機能していないようで、
個人とお金が乖離している。
そういうところでは、みんなで共有して楽しいことを起こそうとか、
社会に役立つことをしようとかいう
ベンチャー精神は起こってこないんじゃないかな。
波頭
今のお話は、米国のIT企業の変遷を、
如実に物語っていますね。
かつてIT業界の巨人といえばIBMで、
1990年代になるとマイクロソフトが覇者となりましたが、
どちらもビジネス動機の企業です。
ところが、近年のIT業界の成功企業は、
GoogleにしてもFacebookやTwitterにしても、
ビジネス動機というより、
やりたいことを追求するベンチャー精神が根本にあります。
初めからビジネスモデルをデザインしていたわけではなく、
面白そうだからやってみたら、
誰か商売のうまい人がマネタイズしてくれて
大成功に結びつき、気づいたら莫大な時価総額になっていた、
というパターンが少なくない。
こういうのがあったらいいよね、これ面白いよね、
というところから新たな試みを展開するのが
ネットの世界の人たちの動機づけ。
そういう動機づけで何かをやる人が、
日本では非常に少ないでしょう。
そんななかでも「2ちゃんねる」をつくった
西村博之さんや「はてな」をつくった近藤淳也さんなどは
稀有な例だと思いますが、彼らのような人が1人、2人ではなく、
50人、100人と出てくるようになれば、
ベンチャービジネスだけでなく
日本社会がもっと変わってくると思うのだけれど。
オリジナリティを持った人材をいかに育成するか
社会のなかを変えるような、
あるいは産業構造を一変させるような活力ある、
そしてグローバルで活躍できる
ベンチャーを創出するためには、
個人が優れたオリジナリティを持たなければいけないと
私は考えています。
これまで日本では、いい人材というと、
人とうまく調和できることが重要視されていました。
もちろん、調和能力がなければ
チームワークを築くことはできませんが、
もはやそれは最優先事項ではない。
波頭
欧米では、自分の意見を持たない人は
価値がないといわれるように、
自分独自の意見を持っていないとグローバルでは通用しません。
あなたの意見は?
あなたのオリジナリティは?
それが問われる時代になっているんです。
ところが、日本のベンチャー起業家には、
オリジナリティに対するこだわりを持つ人が少ない。
それが大きな問題だと思っているんです。
伊藤
僕もそうだと思います。
グローバルなステージでは、
オリジナリティがあれば少ない人数でも
レバレッジが利くので、
たくさん人がいるから勝てるというモードではありません。
だから、波頭さんがおっしゃるように、
オリジナリティを持った人たちをいかに
育てていくかということが重要になってくる。
僕は、教育の問題が大きいかなと思っているんです。
日本における大学の意味は、
いい企業に就職するためのブランドでしかない。
将来は大企業のお偉いさんになりたい。
そのためには、この一流大学に入りたい。
一流大学に入るためには、この高校、
この中学がいいということで学校を選んでいます。
何を学ぶかではなく、どの学校に入ったほうが有利か。
こんな教育ではオリジナリティなど生まれるはずがありません。
もっと、自分に投資するという
コンセプトで学ぶ人が増えないと。
波頭
米国は、ある意味で日本以上に学歴社会だけれど、
学歴がなくても突出している人間は
実力で評価するという土壌があります。
あの学歴偏重のゴールドマン・サックスでさえ、
ハーバードでMBAを取っていなくても
実績でエースになれる。
伊藤
米国では学歴はフィルターなんですよ。
大量の人材をふるい分けるためのツール。
学歴そのものが価値だとは思っていない。
波頭
マイクロソフトのビル・ゲイツも、
アップルのスティーブ・ジョブズも
大学中退でしょう。
一般学生のカリキュラムなんて
モタモタしていてつまらないと、
すぐに大学を辞めてしまった。
Joiもそうでしょう。
学歴としては、シカゴ大学中退。
それなのに、教授はもちろんのこと、
ほとんどの学生たちもPh.D.であるMITメディアラボの所長に招かれるというのは、
学歴だけが価値ではないことを証明している。
伊藤
僕が大学を出ていないのにメディアラボの所長になったことは、
むしろメディアラボやMITにとって
自慢のタネになっているんですよ(笑)。
彼らにとっては、学歴がなくても
優秀な人間を見つけてきたのは、
自分たちの見る目が高いことの証明になる。
だから、今いろいろなところから
学位を取らないかという話が来るんですけど、
MITからは「今さら取らないでくれ」と言われています(笑)。
波頭
私もMBAやPh.D.といった肩書を何一つ持っていません。
一時、取ろうかなと思ったこともあったけれど、
すでにマッキンゼーでMBAを取った人たちにも教えていたしね。
上司に相談したら、
「今さら何のために取るんだ」と言われた。
でも、今になってみるとちょっと
後悔もあるんです。
日本はいまだに肩書だの組織だのといった
権威で判断するからね。
権威的な肩書があれば、
私の発言ももう少し影響力を持ったかな、
なんて考えさせられることもある(笑)。
伊藤穰一(いとう・じょういち)
MITメディアラボ 所長
クリエイティブ・コモンズ会長
1966年京都市生まれ。
日本のインターネット普及・伝承の第一人者であり、
創発民主主義者。
日本のインターネット黎明期から
さまざまなネット関連企業の立ち上げにかかわってきた。
郵政省、警視庁等の情報通信関連委員会委員を歴任するほか、
経済同友会メンバー、国際教育文化交流財団理事等各方面で活躍する。
波頭 亮 (はとう・りょう)
経営コンサルタント
1957年生まれ。
東京大学経済学部経済学科卒業。
82年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。
88年コンサルティング会社XEEDを設立。
幅広い分野における戦略系コンサルティングの第一人者として活躍を続ける。
また、明快で斬新なヴィジョンを提起する
ソシオエコノミストとしても注目されている。
著書に『成熟日本への進路』『プロフェッショナル原論』(いずれもちくま新書)、
『リーダーシップ構造論』『戦略策定概論』『組織設計概論』(いずれも産能大学出版部)、
『日本人の精神と資本主義の倫理』(茂木健一郎氏との共著、幻冬舎新書)、
『プロフェッショナルコンサルティング』(冨山和彦氏との共著、東洋経済新報社)などがある。
http://toyokeizai.net/articles/-/17012より
(下)へ続く
伊藤穰一×波頭亮(上)
波頭 亮 :経営コンサルタント
2013年08月17日
なぜ、日本企業や日本人は、
グローバルな舞台で苦戦を強いられるのか。
なぜ、日本からアップルやGoogle、Facebookのような
世界を席巻するベンチャーが生まれないのか。
今回は、この問いについて考えてみたいと思う。
ゲストは、日本におけるインターネットの普及に絶大な影響を及ぼした
伊藤穰一氏(親しみを込めて、Joiと呼ばせていただく)である。
デジタルガレージ、ネオテニー、クリエイティブ・コモンズ等々、
次々と活動の場を広げていったJoiは、
日本という枠組みを超え、インターネットというオープンな文化、
そして世界というフィールドに活躍の場を見いだしている。
そのJoiが、MITメディアラボの所長に就任し、
今再び日本に目を向け始めている。
彼の目から見た日本、日本企業、
日本人はどう映っているのか。
また、自身の経験と照らし合わせて、
グローバルな舞台に出ていくというのはどういうことなのか。
日本の次代を担う若者にぜひ耳を傾けてもらいたい。
写真右がコンサルタントの波頭亮氏、
同左がMITメディアラボ所長の伊藤穰一氏
日本からグローバル企業が出にくい理由
波頭亮(以下、波頭)
トヨタ、ソニー以降、グローバルな舞台で
市場を席巻するような活躍を見せる日本企業が出て来ていない。
また、既存の企業が不振であるばかりでなく、
世界へ打って出るような、活きのいいベンチャーも出てこない。
それが日本を覆っている閉塞感の1つの原因であると思うのだけれど、
Joiは、そうした日本の現状をどう見ているのか。
忌憚のないところを聞かせてほしい。
伊藤穰一(以下、伊藤)
当たり前なことから言うと、日本は世界第2位のGDPを成し遂げ、
マーケットが大きくなったから外に出る必要がなかったんだと思います。
そして、そのときにうまく機能していたのが、
「系列」をはじめとする縦割りのやり方だった。
でもその後、世界を取り巻く情勢は大きく変わりました。
特にネットの世界で顕著だけれど、
今は1人の天才が画期的な新製品を生み出すよりも、
いろいろな会社や人がうまく組み合わさって、
自分の得意な分野で協力して製品やサービスを創り上げていく。
それを支援するのがインターネットで、
だからネット上では
さまざまな人が有機的に結びついているんです。
それがグローバルなプロトコル(規定、約束事)になっている。
一方、日本のインダストリーには、
かつて機能していた縦割りのやり方が、
今も残っているようです。
日本のマーケットが大きく、
品質のよい製品を量産する時代はそれでもよかったけれど、
マーケットが縮小し、またグローバルを相手にしなければ
いけなくなると話が違ってきます。
日本のインダストリーのプロトコルを、
現在のグローバルスタンダードのプロトコルに対応させていく必要があります。
波頭
戦後の日本はすごく特殊な設定でしたしね。
物価が安くて、若い労働力がたくさんあって、
セキュリティは米国に依存してローコストで、
十分に大きな国内市場では日本語が通用する。
しかも、米国というキャッチアップモデルまでありました。
日本が高度経済成長を遂げることができたのは、
こうしたたくさんの要素が組み合わさっていたからです。
しかし、あまりにも恵まれた成功体験をしてしまったがゆえに、
これでいいんだと思い込んでしまい、
変化することに消極的になってしまった。
リスクに報いない、残念な社会
波頭
ベンチャーについてはどうですか。
日本で成功を収めたベンチャーというと、
楽天やDeNA、GREEなどがありますが、
米国のマイクロソフトやGoogleのように、
突き抜けた成長を遂げるベンチャーが出てきません。
伊藤
よくいわれていることだけど、
日本はリスクテイクに対してあまり
リウォード(褒美を与える)しないですよね。
そういう環境ではベンチャーは出にくい。
もっとリスクをとって、それにリウォードするような姿勢を、
特に大企業に期待しています。
波頭
今うまくいっている企業の多くは、オーナー系企業。
良くも悪くもオーナーの一存でリスクをとって
チャレンジできるからでしょう。
ある程度大きなリスクをとってチャレンジしない限り
成功しない時代になったのに、
日本では社会モデル、あるいは文化モデルとして
それができていないということですね。
伊藤
日本も米国も同じ資本主義社会だけど、
今ではその捉え方に少し違いがあり、
その違いが両国のベンチャー企業における差として
表れているようです。
資本主義の根底にあるのは人の欲望で、
欲望がある人たちが集まるとマーケットが形成され、
そこでリソースがうまく分配され、
結果的に社会の発展に貢献するわけです。
一方、ネットの世界の人たちは欲望というよりも、
他人とコラボレーションするのが好き、
コミュニケーションするのが好きだからやっている。
ネットの根っこにあるのはボランティア精神、
だからオープンソースでみんなで共有しようという考え方が出てくる。
ベンチャーのファウンダーも基本的には同じです。
やりたいからやっている、好きだからやっている。
波頭
そうですね。
世の中を変えたいからやっているという起業家が多い。
伊藤
そうなんです。
米国ではそういう、好きだからやっているベンチャーのファウンダーと、
儲けたいという欲望が
根本にある資本主義がうまくマッチしている。
だから、オープンソースの上にビジネスが乗っかって、
ネット起業家やベンチャー起業家にまで
お金が回るシステムができているんです。
ところが日本では、
こういったネット社会に即した資本主義の循環が
まだ機能していないようで、
個人とお金が乖離している。
そういうところでは、みんなで共有して楽しいことを起こそうとか、
社会に役立つことをしようとかいう
ベンチャー精神は起こってこないんじゃないかな。
波頭
今のお話は、米国のIT企業の変遷を、
如実に物語っていますね。
かつてIT業界の巨人といえばIBMで、
1990年代になるとマイクロソフトが覇者となりましたが、
どちらもビジネス動機の企業です。
ところが、近年のIT業界の成功企業は、
GoogleにしてもFacebookやTwitterにしても、
ビジネス動機というより、
やりたいことを追求するベンチャー精神が根本にあります。
初めからビジネスモデルをデザインしていたわけではなく、
面白そうだからやってみたら、
誰か商売のうまい人がマネタイズしてくれて
大成功に結びつき、気づいたら莫大な時価総額になっていた、
というパターンが少なくない。
こういうのがあったらいいよね、これ面白いよね、
というところから新たな試みを展開するのが
ネットの世界の人たちの動機づけ。
そういう動機づけで何かをやる人が、
日本では非常に少ないでしょう。
そんななかでも「2ちゃんねる」をつくった
西村博之さんや「はてな」をつくった近藤淳也さんなどは
稀有な例だと思いますが、彼らのような人が1人、2人ではなく、
50人、100人と出てくるようになれば、
ベンチャービジネスだけでなく
日本社会がもっと変わってくると思うのだけれど。
オリジナリティを持った人材をいかに育成するか
社会のなかを変えるような、
あるいは産業構造を一変させるような活力ある、
そしてグローバルで活躍できる
ベンチャーを創出するためには、
個人が優れたオリジナリティを持たなければいけないと
私は考えています。
これまで日本では、いい人材というと、
人とうまく調和できることが重要視されていました。
もちろん、調和能力がなければ
チームワークを築くことはできませんが、
もはやそれは最優先事項ではない。
波頭
欧米では、自分の意見を持たない人は
価値がないといわれるように、
自分独自の意見を持っていないとグローバルでは通用しません。
あなたの意見は?
あなたのオリジナリティは?
それが問われる時代になっているんです。
ところが、日本のベンチャー起業家には、
オリジナリティに対するこだわりを持つ人が少ない。
それが大きな問題だと思っているんです。
伊藤
僕もそうだと思います。
グローバルなステージでは、
オリジナリティがあれば少ない人数でも
レバレッジが利くので、
たくさん人がいるから勝てるというモードではありません。
だから、波頭さんがおっしゃるように、
オリジナリティを持った人たちをいかに
育てていくかということが重要になってくる。
僕は、教育の問題が大きいかなと思っているんです。
日本における大学の意味は、
いい企業に就職するためのブランドでしかない。
将来は大企業のお偉いさんになりたい。
そのためには、この一流大学に入りたい。
一流大学に入るためには、この高校、
この中学がいいということで学校を選んでいます。
何を学ぶかではなく、どの学校に入ったほうが有利か。
こんな教育ではオリジナリティなど生まれるはずがありません。
もっと、自分に投資するという
コンセプトで学ぶ人が増えないと。
波頭
米国は、ある意味で日本以上に学歴社会だけれど、
学歴がなくても突出している人間は
実力で評価するという土壌があります。
あの学歴偏重のゴールドマン・サックスでさえ、
ハーバードでMBAを取っていなくても
実績でエースになれる。
伊藤
米国では学歴はフィルターなんですよ。
大量の人材をふるい分けるためのツール。
学歴そのものが価値だとは思っていない。
波頭
マイクロソフトのビル・ゲイツも、
アップルのスティーブ・ジョブズも
大学中退でしょう。
一般学生のカリキュラムなんて
モタモタしていてつまらないと、
すぐに大学を辞めてしまった。
Joiもそうでしょう。
学歴としては、シカゴ大学中退。
それなのに、教授はもちろんのこと、
ほとんどの学生たちもPh.D.であるMITメディアラボの所長に招かれるというのは、
学歴だけが価値ではないことを証明している。
伊藤
僕が大学を出ていないのにメディアラボの所長になったことは、
むしろメディアラボやMITにとって
自慢のタネになっているんですよ(笑)。
彼らにとっては、学歴がなくても
優秀な人間を見つけてきたのは、
自分たちの見る目が高いことの証明になる。
だから、今いろいろなところから
学位を取らないかという話が来るんですけど、
MITからは「今さら取らないでくれ」と言われています(笑)。
波頭
私もMBAやPh.D.といった肩書を何一つ持っていません。
一時、取ろうかなと思ったこともあったけれど、
すでにマッキンゼーでMBAを取った人たちにも教えていたしね。
上司に相談したら、
「今さら何のために取るんだ」と言われた。
でも、今になってみるとちょっと
後悔もあるんです。
日本はいまだに肩書だの組織だのといった
権威で判断するからね。
権威的な肩書があれば、
私の発言ももう少し影響力を持ったかな、
なんて考えさせられることもある(笑)。
伊藤穰一(いとう・じょういち)
MITメディアラボ 所長
クリエイティブ・コモンズ会長
1966年京都市生まれ。
日本のインターネット普及・伝承の第一人者であり、
創発民主主義者。
日本のインターネット黎明期から
さまざまなネット関連企業の立ち上げにかかわってきた。
郵政省、警視庁等の情報通信関連委員会委員を歴任するほか、
経済同友会メンバー、国際教育文化交流財団理事等各方面で活躍する。
波頭 亮 (はとう・りょう)
経営コンサルタント
1957年生まれ。
東京大学経済学部経済学科卒業。
82年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。
88年コンサルティング会社XEEDを設立。
幅広い分野における戦略系コンサルティングの第一人者として活躍を続ける。
また、明快で斬新なヴィジョンを提起する
ソシオエコノミストとしても注目されている。
著書に『成熟日本への進路』『プロフェッショナル原論』(いずれもちくま新書)、
『リーダーシップ構造論』『戦略策定概論』『組織設計概論』(いずれも産能大学出版部)、
『日本人の精神と資本主義の倫理』(茂木健一郎氏との共著、幻冬舎新書)、
『プロフェッショナルコンサルティング』(冨山和彦氏との共著、東洋経済新報社)などがある。
http://toyokeizai.net/articles/-/17012より
(下)へ続く