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<コンビニ>は「飽和」状態?

2014年07月12日 18時09分22秒 | 学習支援・研究
<コンビニ>「飽和」指摘も5万店 
年間売上高10兆円目前

毎日新聞
7月7日(月)9時52分配信


コンビニ売上高と店舗数の推移

大手コンビニエンスストア10社の店舗数は5月末現在、
5万480店。前年同月に比べ5.3%増えた。
年間売上高は約9兆4,000億円に上り、百貨店を約3兆円上回る。
国内5万店は「飽和水準」ともいわれるが、
セブン-イレブンやファミリーマートの今年度の出店計画は、
いずれも過去最高の1,600店。
高齢化に対応した宅配サービスなど時代のニーズを取り込みながら、
新たな出店余地を開拓し続けている。

【コンビニ各社】おかず戦争 家に持ち帰る「中食」に照準 店内調理、充実

米国生まれのコンビニだが、
米国内では伝統的にガソリンスタンド内の小型店舗が強く、
日本型コンビニは少数派。
市街地に複数店舗が密集するようなケースは海外では
ほとんど見られず、日本は世界に例のないコンビニ大国となった。

都道府県別でみると、店舗が最も多いのは東京都
大手5社で6519店が出店
人口10万人あたりに49店がある計算で、
コンビニの密集度合いでも日本一だ。
密集度の2番手は宮城県で、10万人あたりに45店
次いで愛知県の44店と続く。
逆に最も店舗が少ないのは高知県の172店
10万人あたりに22店で、密集度は東京都の半分以下だ。

国内でコンビニの本格展開が始まったのは40年前。
大手スーパーのイトーヨーカ堂が米国のセブンの運営会社と
ライセンス契約を結び、1974年5月、
東京都江東区豊洲にセブン1号店を出店した。
翌年にはダイエーがローソンを設立し、
81年には西友ストアー(現西友)のコンビニ事業を引き継いで
ファミマが発足。大競争時代が始まった。

飛躍のきっかけになったのが、おにぎりの商品開発だ。
家で作るのが一般的だった時代、セブンは原材料やごはんの炊き方を研究。
パリッとしたのりの食感を楽しめる包装フィルムを開発し、
78年に発売して大ヒット。
他社も追随し、コンビニの主力商品となった。

80年代以降、個々の商品がいつ、
どの程度売れたのかを瞬時に把握するPOS(販売時点情報管理)システムの導入が進んだ。
売れ筋商品の仕入れを増やし、
売れない商品を売り場から外すなど、
頻繁に商品を入れ替え、
コンビニは収益力を高めていった。

◇宅配サービスや共同出店を加速
80年代後半になると、コンビニはさらなる進化をとげる。
単身世帯や働く女性が増える中、
「24時間営業」の利点を生かし、
電気、ガス料金の収納業務や、
ATM(現金自動受払機)設置、
住民票の発行などのサービスを次々と導入。
単なる小売店ではなく、社会インフラとしての役割も増していった。
2011年の東日本大震災では、
大手3社の東北地方の店の8割が約2週間で復旧。
被災地への食品の供給を段階的に再開し、
ライフラインとしての役割も注目された。

積極出店を受け、都市部や地方の幹線道路沿いなど
従来型の「一等地」は減っている。
各社ともJRや私鉄の駅構内のいわゆる「エキナカ」や
病院内など、従来になかった場所への出店を強化。
カラオケ店や薬局などとの共同出店も目立つようになった。
高齢者の増加に対応し、宅配サービスも充実させている。
電話やインターネットで注文をすると弁当を届けたり、
一部店舗では食品以外の商品も宅配したりするなど
現代の「御用聞き」の役割も担い、
新たな顧客層を開拓している。

◇日本モデルでの海外展開困難も
海外展開も欠かせない戦略だ。
セブンは現在、海外15カ国に3万6,000超の店舗がある。
05年には本家、米国のセブン-イレブンを子会社化し、
日本型の運営手法を注入。業績を向上させた。
他社もアジアを中心に日本モデルのコンビニ輸出を進めている。

ただ海外展開にはリスクもつきまとう。
ファミマは今年5月、約8,000店舗を展開していた韓国市場から撤退。
独立志向が強い合弁相手との戦略の違いが出たのが原因とみられる。
ミニストップもカザフスタンからの撤退を決めた。
国内外での拡大路線は、一筋縄ではいかない時代に入っている。
【神崎修一】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140707-00000006-mai-bus_allより

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チベットの少女から学んだ「仕事の本質」

2014年07月12日 00時40分05秒 | キャリア支援
チベットの少女から学んだ「仕事の本質」
しごとの未来地図

PRESIDENT
2014年7月14日号


著者:早稲田大学ビジネススクール教授
ローランド・ベルガー会長 遠藤 功

鉄道開業以来、急速に発展するラサ
初めてチベットを訪問した。
死ぬまでに絶対に行きたい場所のひとつだった。
首府ラサの標高は3650メートルと富士山の9合目と同じ。
今回の訪問先には標高4000メートルを超えるところもあった。
高山病がいささか心配だったが、
朝起きたときの手の痺れとシャワーを浴びるときのめまい以外は
なんとか乗り切った。

中国・成都から飛行機で約2時間。
チベット自治区の首府・ラサに到着する。
外国人がチベットに入るには入境許可証が必要だ。
空港では別室に連れていかれ、審査を受ける。
驚いたのは、僧侶たちも私たち外国人同様別室に連れていかれ、
審査を受けている。
僧侶がこうした扱いを受けるのを私は初めて見た。

ラサは今、急速に発展している。
以前はチベット族主体の街だったが、
今では人口50万人の半数以上を漢族が占める。
チベットに隣接する四川省をはじめ中国の他の都市から人が流入している。
これから成長が期待できるラサでは仕事が見つかりやすいからだ。

ラサの西側には漢族の街が出現している。
他の中国の都市と同様に、高層ビル、ショッピングセンター、
高級住宅街などが次々に建設され、
チベットに似つかわしいとは思えない観覧車まである。

2006年7月に青海省のゴルムドとラサを結ぶチベット鉄道が開業してからは、
観光客も急増している。
年間の観光客数は500万人を突破した。
その大半は経済的に豊かになった漢族だ。
鉄道開業以来、80を超えるホテルがラサ市内にオープンした。
近代的な五つ星ホテルがいくつも建設中だ。

ラサには約2,000人の通訳兼ガイドがいるが、
その内1000人以上は中国語の通訳だ。
日本語の通訳はわずか20人にすぎない。

ラサ郊外も建設ラッシュだ。
高速道路や新たな鉄道の建設が行われ、
広大なキャンパスを持つ大学も建設されている。
しかし、ラサと地方をつなぐ舗装もされていない街道では、
貧しい農村から五体投地を繰り返しながら
何年もかけてラサを目指す巡礼者を何人も見かける。
彼らに観覧車は必要ない。

チベットではこれまでに大規模な暴動が何度も起きている。
僧侶たちによる抗議の焼身自殺も後を絶たない。
13年にも2人の僧侶が焼身自殺をした。
ラサ市内では中国の公安がいたるところで目を光らせている。

チベット族は世界全体で約600万人。
チベット自治区内に居住しているのは200万人ほど。
チベット族が経済的に豊かになることは大切なことだ。
しかし、それは彼らの伝統、文化、
そして何より自治が担保されたうえでの
バランスある発展でなくてはならない。

人手に頼っている寺院の修復工事
チベットは見どころ満載の地だ。
チベット族の聖地・ポタラ宮を初めて見たときには
さすがにテンションが上がった。ダライ・ラマの夏の離宮だった
ノルブリンカや庶民に愛されているお寺ジョカン(大昭寺)も忘れられない。

ヒマラヤを望む標高4,441メートルに位置するヤムドゥク湖の雄大な景色は
時を忘れて見入ってしまうほど神秘的だった。
わずか数日間の滞在で、記憶に残る場所が
これだけ数多くある旅を私は初めて経験した。

そんな中で、今回私が最も印象に残っているのは、
ラサから車で1時間ほど行ったところにあるガンデン寺(甘丹寺)というお寺だった。
標高4,000メートルを超える山の稜線近くに
いくつもの建物が林立する姿に圧倒される。

この寺の歴史は古い。チベット仏教最大宗派であるゲルク派の創始者である
ツォンカパによって1409年に創建された。
ダライ・ラマもゲルク派である。
最盛期には7,000人もの僧侶がここで修業していた。

しかし、1950年代に中国人民解放軍がチベットに侵攻。
59年3月、ダライ・ラマ14世は
インドへ亡命し、チベットは中国政府の統治下に置かれた。


写真:ラサ郊外にあるガンデン寺へ石を運ぶ少女


それと同時にチベット仏教の寺院はことごとく破壊された。
総本山であるガンデン寺は徹底的に破壊され、
廃墟と化した。多くの僧侶たちはインドに亡命した。
90年代になり、中国政府の方針変更によって寺院の再建が始められた。
ガンデン寺も修復工事が始まり、
建築物は少しずつ復元されている。
修復工事といっても、重機などは一切使われていない。
ほとんどを人手に頼っている。
建物に使われる重い石材を年端もいかない少女たちが
いくつも背中に背負わされ、
舗装もされていない急坂の上り下りを繰り返している。

私はその姿を見て、言葉を失った。
これではまるで“奴隷”だ。
こんなことを絶対にさせてはいけない。
私の胸は怒りと哀しみでいっぱいになった。

仕事に「喜び」を感じられるか
チベット人通訳兼ガイドのローさんが少女に声を掛けた。
そして、私にこう教えてくれた。
「彼女の日当は200元です」。
日本円にすると3200円ほどだ。

3,200円の日当があの労苦に見合っているかどうかは私にはわからない。
奇跡の成長を遂げてきた中国の一部とはいえ、
経済的に貧しいチベットでは貴重な現金収入に違いない。

彼女が他の手段で200元の日当を手に入れるのは容易なことではないだろう。
そして、彼女の収入は彼女だけのものではない。
大家族主義のチベットでは、
彼女の収入が家族の生活を支えている。

「それにしても、もっとほかに仕事はあるでしょう……」。
ローさんに食ってかかってもしようがないのに、
私は怒りを抑えられずそう呟いた。

すると、ローさんは小さな声でこう私に囁いた。
「でも、彼女はお寺の再建の仕事をしているから幸せなのです」。

私はガーンと頭を殴られたようなショックを覚えた。
それはけっして高地で空気が薄いからではなかった。
年端もいかない少女が背中に重い石を積んで運ぶ。
その姿だけを見れば、あまりにも理不尽で、
非人間的だ。常識的な人間であれば、
そんなことをさせてはいけないと感じるだろう。

でも、チベットの人たちにとって、
彼女の仕事は単なる「石運び」ではない。
彼女は「お寺の再建」に関わっている。
だから、仕事の内容がどうであれ、
彼女は幸せなのだとローさんは言うのだ。

彼女自身がどう思っているかは知る由もない。
しかし、おそらくローさんと同じ思いを持って
仕事に励んでいるのだろう。


図を拡大:仕事に対する2つの物差し

私たちは仕事の「価値」を社会的、
客観的な物差しで判断しがちだ。
たとえば、警察官や医者、看護師といった仕事は社会的に役に立ち、
価値が大きいと評価する。

それはそれで間違ってはいないのだが、
実は仕事に対する物差しはもうひとつある。
それは仕事の「喜び」だ。周囲から「つまらない」
「大変そう」と思われようが、その仕事を通じて
「喜び」を感じることができるのであれば、
それはけっして苦痛ではない。
主観的な物差しである仕事の「喜び」がなければ、
どんな仕事も無味乾燥なものになってしまう。

「何をしているのか?」(What)だけが大事なのではない。
「なんのためにしているのか?」(Why)も
大事なんだよということを私は
チベットの少女に教えてもらった気がしている。

http://president.jp/articles/-/12846

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