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ローソンが犯した出店戦略のミス

2015年02月20日 12時00分51秒 | 学習支援・研究
「260店舗閉店」100円ローソンが犯した出店戦略のミス
経営者online
2月3日(火)12時10分配信


100円ローソンが犯した出店戦略のミス 写真=Thinkstock
 
1月29日コンビニエンスストア大手のローソンが、
100円の商品をメインで扱う「ローソンストア100」の直営店200店を閉鎖する、
方針を明らかにした。
合わせて他のローソンストア100店のうち60店と
ローソンマート全39店を、通常のコンビニエンスストアや
ドラッグストアを併設した高収益性店舗へ転換することが分かった。

もともとローソンストア100は
ローソンが自社で独自に始めた事業ではなく、
2008年に九九プラスが運営する99円ショップの「SHOP99」の完全子会社化にともない、
「ローソンストア100」に転換・統合し出店を進めてきた業態だ。
これまでバリューラインという税込み108円均一の低価格な
ローソンのプライベートブランドを積極的に販売する等、
低価格商品を押し進めてきた。

デフレによる低価格志向の消費者に受け入れられ、
ローソンストア100は最盛期には
1,100店舗近い出店を果たした。
しかし近年では既存店売上高が
前年を下回り続けるなど、苦しい台所事情となっていた。

一方ローソンマートは、提携農場で栽培した生鮮食品を積極的に扱う等、
コンビニとスーパーの良さを併せ持つ店舗として、
2014年2月にスタート。現在では
39店舗を展開するほどになったが、
前年比16%の減を見込むなど業績は低迷している。

立ち位置が曖昧で、顧客に良さを十分に訴求できていない
ローソンストア100とローソンマートは、
ともに立地条件が悪い地域への出店が多い。
とくにローソンマートは、当初は住宅地など
近隣にスーパーがない地域を中心に、
3年で500店を出店するという計画さえあった。
しかし立地条件が悪いため、業績も思ったより振るわず、
わずか1年で事業転換を迫られた格好だ。

ただし、立地条件だけが原因ではない。
ローソンストア100とローソンマートは、
立ち位置が曖昧過ぎた。ローソンストア100は、
コンビニほど品揃えやサービスが良いわけでもなく、
100円均一のように商品が豊富でもない。
ローソンマートもスーパーほど品揃えがいいわけでもなく、
価格的にも低価格商品を扱う小型スーパーには勝ち目がなかった。
地域にこの店しかないのであればともかく、
ちょっと足を運べば品揃え豊富なスーパーがある場合は、
どうしても客足はそちらに向かいがちになる。

一方、イオンが展開する「まいばすけっと」は、
店構えはコンビニのようだが中味は食品スーパーを凝縮したような品揃えを展開。
100円のような均一価格ではないが、
99円や88円といった低価格で生鮮食品を取り扱い、
全国で600店舗近く出店する等、勢いが止まらない。
またスーパーのマルエツが運営する、
食料品メインで24時間営業「マルエツプチ」も店舗を積極的に展開しており、
こうした小型スーパーともいうべき店舗は、
とくに都市部を中心に顧客は確実に流れている。

本業回帰とM&Aのバランスが勝負の分かれ目
ローソン全体の業績は悪くはないが、他のコンビニと同様に
既存店の業績は芳しくない。ただし買収した
高級スーパーの成城石井や、医薬品を扱うコンビニ、
原材料や食品添加物にこだわったナチュラルローソンは好調だ。
とくに医薬品を扱うコンビニの業績がよく、
ドラッグストア大手のツルハホールディングスと提携したことで、
今後3年で医薬品を扱うコンビニを100店舗出す計画だという。

登録販売者の資格が必要ではあるが、
他のコンビニも同様に医薬品を扱う店舗を増やすことが予想される。
コンビニとしての本業を固めるなかで、
成城石井を買収したようにM&Aに資金を振り向けていくか、
つまり本業回帰とM&Aをどうバランスしていくか、
それが勝負の分かれ目の年となりそうだ。

(経営者 online)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150203-00000003-konline-bus_allより

マツダの復活

2015年02月20日 00時02分22秒 | 学習支援・研究
死の淵からマツダを復活させた1本のビデオ
THE PAGE
2月8日(日)14時30分配信


[写真]今や絶好調のマツダだが、かつて手痛い失敗で死の淵を覗いたことがある。写真は広島のマツダ本社

新型デミオの主査は「もう八方美人で誰にでも好かれようと思ってクルマを作るのは止めます」と言った。

先週の記事「アテンザ改良で分かったマツダの哲学」

アテンザとCX-5のマイナーチェンジで取材した主査は
「50%の人に好かれたら、50%の人に嫌われてもいいです」と言った。

二つの取材はほぼ半年間が空いていて、
主査という肩書こそ同じだが、
全く別の人物の発言だ。
にも関わらず奇妙に同じニュアンスが漂い、
言わんとすることは同じに思えた。
「Zoom-Zoom」のようなスローガンなら共有されていてもおかしくないが、
内容は同じでも表現方法はまるで違う。
それらの発言からは、どうも
何かの理念が共有されているように感じられた。

余談だが、この記事は先週の続編だ。
もしマツダに何が起こっているのかがとても気になるようなら、
面倒でも是非先週の記事から読んでほしい。
できる限り読んでいない人にも分かるように書くが、
それには自ずと限界があるからだ。

2人の主査から出た「同じ言葉」
 さて、本題に戻ろう。例えば、
先週の記事で書いたように、アテンザは
マイナーチェンジで外観がほとんど変わっていない。
普通なら販売サイドから突き上げられる。
「もっと違いが分かるようにしてくれ」。
筆者が販売担当でも当然そう言う。
そして「そりゃ他の部署にも都合はあるよな」と大人の事情を飲み込んで、
デザインを一目で分かるように変えるわけだ。
組織と言うのはそういうものだ。
多くの部署が、それぞれの都合を綱引きすることで着地点が決まる。

しかし「変えるために変えることはもうしない。
それはメーカーの都合でしかないから」と主査ははっきり言った。
もちろんそれは理屈として正しい。

何か不具合がある。
あるいはより性能を上げるために変える。
改良とはそういうことだし、本当にユーザーのために
商品を作ろうと思えばそうなるはずだ。
必然性もなくただ新型を分かりやすくアピールするために
変える必要は確かにない。

そこまでは、モノを作る立場の人なら誰もが考えることだろうが、
その正論を組織の中で実現するとなると話は別だ。
あなたが何かの組織に属しているなら「こういうの無意味だよな」ということに
日々直面するだろう。そういう無駄に気付くことは、
そんなに難しいことではない。
大人として真面目に仕事をしていればみんな気付く。
だが、社内を改革して「無意味なことを止めさせる」
ことが果たしてできるだろうか?

もしマツダの社員一人ひとりが「何をすべきか」という理念を
共有できているのだとすればそれは大変なことだ。
従業員10人の零細企業ではない。
会社四季報によれば単独で2万人。
連結なら4万人の社員がいるのだ。
その規模の会社で社員ひとりひとりに理念の共有をさせることが
果たして本当にできるのだろうか?
筆者はもうそれが気になって気になって、
アテンザのことより、そこをどんどん突っ込んで尋ねた。
今回はその話を書きたい。

マツダが一度“死んだ”日
話はバブル末期まで遡る。
マツダは1989年、販売台数100万台を目標に、
課題だった国内販売強化の切り札として、
販売店の5チャネル化を打ち出した。ただ5チャネルと言っても
ピンとこないかもしれない。
分かりやすい指標として他社の動きを見てみよう。
世界一の販売台数を持つトヨタは当然国内他社を大きく引き離す
多商品ラインナップを持っているが、
そのトヨタの販売チャネルですら現在4チャネルである。
別ブランド扱いのレクサスを加えてようやく5つだ。


[写真]マルチチャネル化のアダ花となったユーノス。
ロードスターが有名だが、コスモには
3ローター・ロータリーを搭載した個性的なモデルも存在した


しかしトヨタの4チャネルはもはや例外の様なもので、
日産はかつての5チャネルを今では2チャネルに統合した上で、
その2チャネルでも取り扱い車種の差はない。
ホンダはかつて3チャネルだったが、
日産同様販売車種の差をつけることを止めた。
日産とホンダは現在事実上の1チャネルである。


[写真]同じくマルチチャネル化でマツダオートから名前を変更したアンフィニ店では、
RX-7などが販売された。マツダの名前を使わず
「アンフィニRX-7」を正式名称とした

 
自動車ディーラーのチャネル統合は、
2000年代の中ごろから終わりにかけて起こった流れではあるが、
思いついてすぐ実行に移せるような簡単な話では無く、
地域とチャネルのマトリックスでそれぞれ独立した無数の販売会社間の調整など、
入念な準備がいることから考えて、
遅くとも1990年代の終わりごろには
もう手を打たねばならないと覚悟するほどの顕著な現実になっていたことが推測される。
多チャネル時代がまもなく終わろうとしているまさにその時に、
マツダは社運を賭けて大勝負に出てしまったことになる。

当然商品も販売チャネルに合わせて多品種化される。
当時筆者は自動車雑誌の編集部にいたが、
編集部でもマツダの商品ラインナップを全て理解しているスタッフが
ほとんどいないようなありさまだった。
クルマで飯を食っている連中でそうだから、
ユーザーに商品が理解されるはずもなく、
マツダが狙った多チャネル化、
多商品化は後にブランド戦略の失敗例として挙げられるほどの見事な不発に終わった。
しかも不運なことに多チャネル化に
カウンターパンチを浴びせるように、
スタート数か月後にバブルが崩壊したのだ。

社内で言われた“変革か死か”
ひとたまりもなかった。
わずか5年で5チャネル構想は終わり、
販売店は統合されて激減する。
あちこちでマツダ倒産の声が真実味を持って語られた。
広島県の経済に及ぼす影響がなければ、
銀行が見放しても少しもおかしくない状況だった。
それだけの危機を乗り越える時に
自動車メーカーが打つ手はほぼ選択の余地がない。
リストラと新型車開発の凍結だ。
まず何よりも先に出血を止めないと確実に死ぬ。

「あの時、人がどんどん辞めて行きました。
会社はバラバラになってしまって、
もう本当にダメかもしれないと私も思いました」。
取材に付き合ってくれた4人のマツダの人のうち、
ベテランと見える人はそう辛そうに回想した。
リストラと開発の停止。
それで士気が落ちないはずはない。
会社の中は日々お葬式のような雰囲気だったことは容易に想像される。

「あそこにだけは戻りたくない。それは全員一緒です」
広報担当の人は苦笑気味にそう言った。
「あの時、社内では Change or Die (変革か死か)と本当に言われていました」。

Change or Dieは「知の巨人」とも「マネジメントの父」とも言われた
経営学の大家ピーター・ドラッカーの言葉だ。
余談だが、世界恐慌後、混乱の渦中にあったGMに招かれて徹底的に社内を調査して
生まれた2冊の著書の内の1冊が、あの『マネジメント』である。
GMはマネジメントによって躍進し、フォードを抜いた。
マツダとフォードの縁(えにし)を考えると何とも壮大な歴史の伏線だ。

今日に至るまで多くの経済人がChange or Dieを至言として挙げるが、
全社員がヒリヒリするほどの危機感を持って
その言葉を受け止めた例は果たしてマツダの他にどれほどあるだろうか。

1996年、メインバンクの働きかけもあって、
以前より提携関係にあったフォードが出資比率を33.4%に引き上げ、
フォードからすでにマツダへ送りこまれていたヘンリーD. G. ウォレス氏を社長に据えた。
以後、7年間にウォレス氏に続いて3人の社長がフォードからやってくる。
歴史にIfは無いというが、それ以前から専務として
コストカットの指揮を執ったゲイリー・ヘクスター氏を含めて、
フォード出身者の尽力がなかったらマツダは瀕死の縁から
這い上がっては来られなかったと言う意見は多い。

3分にも満たないビデオから
そうした人々の中で、マツダの人たちが
特にマツダ再生の原点として挙げるのは、マーク・フィールズ氏だ。
彼は一体何をしたのか?
マツダには「ブランド・エッセンス・ビデオ」というものがある。
3分に満たない短い映像の中に、
マツダは何をして社会に貢献していく会社なのかという
28のショートメッセージがちりばめられているだけで、
饒舌と言うには程遠い動画だ。
この映像を作らせたのがマーク・フィールズ氏だった。
冒頭から4つだけメッセージを切りだしてみる。


[写真]マツダ復活の原点を作ったマーク・フィールズ元CEO。
マツダで指揮を執った4人のCEOはフォードに帰還後も活躍した人が多い

ある日人は生まれ。
感動的な体験をする。
それは「ブーンブーン」とものを動かすときに……
沸きあがるときめき。

こうした短いセンテンスによって、立ち戻るべき原則が定義され、
バラバラになった会社をもう一度ひとつの意思の下に統一する原則が
打ち出されているのだ。意見が対立したらそこに戻ればいい。
「その体験は感動的か?」。
シンプルであるがゆえに堅牢である。

「続けられる仕組みをフォードが作って、
マツダがそれを継続してきたのです」
マツダの再生ストーリーを主査はそう表現した。
「ロールフォワードではなくバックキャスティングでやっていくのです」――
これは多分「フォアキャスティングではなく」の言い間違いだと思うが、
勝手に発言を変えるわけにもいかないので、
一応筆者の修正付きだと断って解釈したい。

デジタル大辞泉によれば、フォアキャスティングとは
「過去のデータや実績に基づいて、
その上に少しずつ物事を積み上げていくやり方。
また、その方法で将来を予測すること」。
バックキャスティングとは「将来を予測する際に、
持続可能な目標となる社会の姿を想定し、
その姿から現在を振り返って今何をすればいいかを考えるやり方。
目標を設定して将来を予測すること。」

辞書だけでは分かりにくい。
彼らは現実のクルマ作りの時に「理想は何なのか?」と議論し続けるのだそうだ。
筆者はその言葉に正直ちょっと引いた。
「理想って、本当にそんなに青臭い言葉を使うんですか?」。
「理想なんて本来青臭いものです。青臭くなきゃおかしいじゃないですか」。
なるほど辞書の定義は正確だ。
理想を遠くの目標に置いて、そこに到達するために今できることを考える。
彼らはそうやってクルマを作っていると言う。

2002年、マツダはどん底を抜け出し黒字転換を果たした。
日本人社長が久しぶりに就任した。
前後して新たなブランドメッセージとして「Zoom-Zoom」が展開される。
マツダの説明によれば、Zoom-Zoomとは子供がクルマの走行音を表す際に使う
「ブーブー」の英語版で、おもちゃのクルマなどに夢中になった、
子供のころの動くものに対する感動を表現している。

それはブランド・エッセンス・ビデオのメッセージを
ほぼそのまま引用したものだ。

「ブーンブーン」とものを動かすときに沸き上がるときめき
ものを作るにはリファレンス(基準)がいる。
「いいクルマ」と言ったところで人それぞれだ。
しかし一台3万点と言われる恐ろしい数の部品の集合体であるクルマを作る時に、
人それぞれでは困る。マツダは
それを1本の動画で共有することに成功した。

マツダは何をしていく会社なのか
そうした明確なリファレンスがあって、
「SKYACTIV」のような基盤技術が生まれて来る。
2010年にSKYコンセプトとしてスタートしたSKYACTIVテクノロジーは、
省エネと低環境負荷、高い安全性能と走行性能など、
クルマに求められる多元的性能を総合的に引き上げる基盤技術群だ。

「妥協のない製品」と人は簡単に言うが、そんなものはあり得ない。
モノづくりとはいくつもの相反する要素の最適な折り合いポイントを見つけることだ。
モノづくりの本質は妥協そのものなのだ。
ではその折り合いはどういうものでなければならないのか?
その答えがこのブランド・エッセンス・ビデオにあるのだ。

「池田さん。今度マツダの株を買ってください。
株主総会は必ずブランド・エッセンス・ビデオから始まります。
株主だけじゃないです。マツダの全スタッフも年に一度全員で集まって、
必ずこのブランド・エッセンス・ビデオを見ます。
設計とか販売とかだけじゃないんです。
工場でクルマを組み立てるスタッフも、
広島の本社の側にあるマツダ病院の看護師も、
全員で見るんですよ。そうやってマツダは
何をしていく会社なのかを確認して共有するんです」

ブランド・エッセンス・ビデオは、
登場するクルマの映像などをわずかに差し替えながら、
1999年に作られた時からずっと彼らの中で共有され続けている。

5チャネル化で見た100万台の夢は最悪の悪夢に終わったが、
2015年3月期 第3四半期の決算説明資料には、
次の様に書かれている。
「グローバル販売台数は、対前年5%増の140万台の見通し」
「通期利益見通しは、営業利益2,100億円、
当期純利益1,600億円と変更なし」。

(池田直渡・モータージャーナル)

■マツダ・ブランド・エッセンス・ビデオ(Youtube 公式)
動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=PBdrouLr388

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150208-00000006-wordleaf-ind