「最大70%OFF」の誘惑
結局あなたが「物欲」に負ける理由
09:20プレジデントオンライン
「最大70%OFF」の誘惑 結局あなたが「物欲」に負ける理由
(プレジデントオンライン)
PRESIDENT Online スペシャル 掲載
お正月のバーゲンセールが始まった。
福袋や初売りの割引品は確かにお得だろうが、
ちょっと待て。ふだんは購入するモノを厳選しているのに、
なぜ人はしばしば衝動買いに走ってしまうのか。
その心理メカニズムは何か。FPの筆者が分析する。
■なぜ、あなたは物欲に敗北するのか?
「need(必要)とwant(欲しい)を区別して、買い物をしよう」
家計管理の心得としてよくいわれる言われるセリフです。
このセリフ、私もはじめて聞いたときは、
「うまいこと言うもんだ」と思いましたが、
最近少し見方が変わりました。
このセリフ、意外と核心をついていない気がしないでもありません。
抜け穴があるのです。
冒頭の言葉は、needはよしとして、
wantはダメな買い物として語られることが多いです。
欲しいものばかりを買っていたらキリがないですから、
確かに至極もっともな話に聞こえます。
とはいえ、正直に言えば欲しいものは
やっぱり欲しいと思うんです。
私も欲しいものがあれば買います。
買えば気持ちは満たされますし、
人生に潤いを感じることもあります。
本当に心から欲しいものは、
生活を豊かにする上で大切でしょう。
ただし、そこに問題がないとは言いません。
もし、自分に「足るを知る」節度が備わっていないと、
欲求は際限なくなり、いくらお金があっても足りません。
当たり前な話、欲は無限で、お金は有限です。
そもそも合致しません。
冒頭の言葉は、「need」なものは買ってもよいが、
「want」なものは我慢しましょう、という戒めです。
私が疑問に思うのは、「want」が悪者扱いされてしまうのは
しかたないにしても、「need」なものは
買ってよいという論理は本当に「善」なのかということです。
最近はむしろ、「need」は意外とくせ者で、
むしろ「悪」の要素も含まれているのではないか
と感じるのです。
■「本当に必要なもの」の9割は不必要?
「必要(need)な買い物」というと、
しっかり大義名分があって、
「ムダづかい」とは正反対、
"正しい買い物"かのような印象を抱きます。
確かに、本来はそのはずです。
“正しい買い物”を象徴する言葉として、
私は「必買(ひつがい)」という言葉を使います。
造語です。「節約」という言葉がどうも好きになれず、
つくり出したのが「必買」でした。
「必要なものだけを買う」から、「必買」。
まさに「need」の買い物を指します。
買うものを必要なものだけに限定する行為は、
いわば節約といえます。
お金を使わないように努めるわけですから、
お金は貯まります。
節約という言葉自体はあまり好きではなくても、
その「効果(お金が貯まる)」は否定できません。
なんとかこれをもっと前向きな言葉で
表現できないかずっと考えていて思いついた言葉でした。
私は家計管理で大事なのは、
節約よりもむしろお金の使い方、
つまり「必買」だと思っているのですが、
この言葉を使い始めてから、壁にぶち当たりました。
「必要」って何? ということです。
つまり「need」の中身です。
当初は、「必要」は「必要」でしょ。
多くを語る必要があるのかしら、と思っていました。
が、いろんな方の家計相談をしていくうちに、
「need」の中身・本質を深く考えたほうが
いいと思い直しました。
「need」には盲点があります。
「それ、本当に本当に必要?」と思う買い物が、
世の中にはすごく多いように思います。
もしかして、それ「want」だったのでは?
と感じることもしばしば。
いま、私たちの「消費」はおかしくなっています。
乱れています。物質的に恵まれ過ぎたためでしょうか、
何が「必要」かが分からない、そんなご時世なのかもしれません。
ここで、「必要」と同時に考えてほしいのが
「便利」と「楽(らく)」です。
結論から言うと、「必要」と「便利」と「楽」を混同させて、
「必要」といってしまっているのではないか、
ということです。それが
乱れた消費の原因ではないかと思うのです。
どういうことなのか、
「エスカレーター」を例に考えてみましょう。
■贅沢品が「絶対必要なもの」になるカラクリ
駅などにあるエスカレーター、
私はなるべく使わないようにしています。
なぜなら「必要」と思わないからです。
足と階段を使えば、階段の上り下りは達成できます。
でも、疲れて階段を上るのがツラいと感じる場面ではどうでしょうか。
重い荷物を持っている、なんてこともあります。
実際、出張などでスーツケースをころがしながらの移動や、
数時間の講演の後などは足がとても疲れているので、
エスカレーターを使うこともしばしばです。
がんばれば階段で上れるかもしれませんが、
エスカレーターを使ってしまいます。
それは、「便利」だからです。
では、まったく足が疲れていなくて、
重い荷物も持っていない場面でエスカレーターを使ったら?
それは、単に「楽(らく)」をしたいからに他なりません。
仮に、足腰を痛めている人がエスカレーターを使うとしたら、
それは「必要」だからでしょう。
「急いでいるから」というのであれば、
それは「便利」だからですよね。
また、「ただ何となく」であるなら、
それは「楽(らく)」だからかもしれません。
同じ「エスカレーターを使う」場面であっても、
どういった「理由」で使うかによって、
「必要」か「便利」か「楽」なのかが異なってきます。
家計でいうならば、同じ「費目」であっても、
それが正しい買い物なのか、ムダづかいなのか
判断できないのと同じです。
「何(費目)」ではなく、
「なぜ(理由)」買ったのかのほうが重要なのです。
以前、こちらのコラムで「贅沢」に基準はない、
という主旨の文を書きました。
「必要(need)」も同じではないかと思うのです。
「必要」の明確な基準はありません。
人によって「必要」の基準はまちまちです。
実は、そこに「便利」や「楽」が潜んでいるにもかかわらず
「必要」とくくってしまうと、たちまち大義名分ができて、
「必要だから削れない」となりかねません。
一度、自身のお金の使い方が「必要」「便利」
「楽」のどこに該当するのか考えてみてはいかがでしょうか。
冒頭で「want」にキリがないと申しましたが、
「便利」や「楽」も同様でしょう。
「あれば便利」「これがあったらもっと楽」にも
キリがありません。どこかで「なくても平気」
という線引きが必要ではないでしょうか。
「贅沢」「want」「need」――。
ちょっと贅沢したい、これが欲しい、必要だ、
となれば、どれも正当な買い物のようでもあるし、
見方によってはムダづかいでもあります。
結局、「need(必要)とwant(欲しい)を区別して……」
というのは言葉遊びなのかもしれません。
言葉で理屈をどう説明しようが、自分のお金ですから、
最終的に自身の価値観で使うのは悪いことではありません。
ただし、人間は弱い生き物で、
歯止めが利かなくなることが
あることを知っておくべきでしょう。
「なぜ」買ったのか問われたときに、
自信をもって「(自分の人生に)必要だ」
「買ってよかった」と言えるかどうか。
それが、“正しい買い物”か
否かの境界となるのではないでしょうか。
(ファイナンシャルプランナー 八ツ井慶子=文)
http://news.goo.ne.jp/article/president/life/president_17026.htmlより
結局あなたが「物欲」に負ける理由
09:20プレジデントオンライン
「最大70%OFF」の誘惑 結局あなたが「物欲」に負ける理由
(プレジデントオンライン)
PRESIDENT Online スペシャル 掲載
お正月のバーゲンセールが始まった。
福袋や初売りの割引品は確かにお得だろうが、
ちょっと待て。ふだんは購入するモノを厳選しているのに、
なぜ人はしばしば衝動買いに走ってしまうのか。
その心理メカニズムは何か。FPの筆者が分析する。
■なぜ、あなたは物欲に敗北するのか?
「need(必要)とwant(欲しい)を区別して、買い物をしよう」
家計管理の心得としてよくいわれる言われるセリフです。
このセリフ、私もはじめて聞いたときは、
「うまいこと言うもんだ」と思いましたが、
最近少し見方が変わりました。
このセリフ、意外と核心をついていない気がしないでもありません。
抜け穴があるのです。
冒頭の言葉は、needはよしとして、
wantはダメな買い物として語られることが多いです。
欲しいものばかりを買っていたらキリがないですから、
確かに至極もっともな話に聞こえます。
とはいえ、正直に言えば欲しいものは
やっぱり欲しいと思うんです。
私も欲しいものがあれば買います。
買えば気持ちは満たされますし、
人生に潤いを感じることもあります。
本当に心から欲しいものは、
生活を豊かにする上で大切でしょう。
ただし、そこに問題がないとは言いません。
もし、自分に「足るを知る」節度が備わっていないと、
欲求は際限なくなり、いくらお金があっても足りません。
当たり前な話、欲は無限で、お金は有限です。
そもそも合致しません。
冒頭の言葉は、「need」なものは買ってもよいが、
「want」なものは我慢しましょう、という戒めです。
私が疑問に思うのは、「want」が悪者扱いされてしまうのは
しかたないにしても、「need」なものは
買ってよいという論理は本当に「善」なのかということです。
最近はむしろ、「need」は意外とくせ者で、
むしろ「悪」の要素も含まれているのではないか
と感じるのです。
■「本当に必要なもの」の9割は不必要?
「必要(need)な買い物」というと、
しっかり大義名分があって、
「ムダづかい」とは正反対、
"正しい買い物"かのような印象を抱きます。
確かに、本来はそのはずです。
“正しい買い物”を象徴する言葉として、
私は「必買(ひつがい)」という言葉を使います。
造語です。「節約」という言葉がどうも好きになれず、
つくり出したのが「必買」でした。
「必要なものだけを買う」から、「必買」。
まさに「need」の買い物を指します。
買うものを必要なものだけに限定する行為は、
いわば節約といえます。
お金を使わないように努めるわけですから、
お金は貯まります。
節約という言葉自体はあまり好きではなくても、
その「効果(お金が貯まる)」は否定できません。
なんとかこれをもっと前向きな言葉で
表現できないかずっと考えていて思いついた言葉でした。
私は家計管理で大事なのは、
節約よりもむしろお金の使い方、
つまり「必買」だと思っているのですが、
この言葉を使い始めてから、壁にぶち当たりました。
「必要」って何? ということです。
つまり「need」の中身です。
当初は、「必要」は「必要」でしょ。
多くを語る必要があるのかしら、と思っていました。
が、いろんな方の家計相談をしていくうちに、
「need」の中身・本質を深く考えたほうが
いいと思い直しました。
「need」には盲点があります。
「それ、本当に本当に必要?」と思う買い物が、
世の中にはすごく多いように思います。
もしかして、それ「want」だったのでは?
と感じることもしばしば。
いま、私たちの「消費」はおかしくなっています。
乱れています。物質的に恵まれ過ぎたためでしょうか、
何が「必要」かが分からない、そんなご時世なのかもしれません。
ここで、「必要」と同時に考えてほしいのが
「便利」と「楽(らく)」です。
結論から言うと、「必要」と「便利」と「楽」を混同させて、
「必要」といってしまっているのではないか、
ということです。それが
乱れた消費の原因ではないかと思うのです。
どういうことなのか、
「エスカレーター」を例に考えてみましょう。
■贅沢品が「絶対必要なもの」になるカラクリ
駅などにあるエスカレーター、
私はなるべく使わないようにしています。
なぜなら「必要」と思わないからです。
足と階段を使えば、階段の上り下りは達成できます。
でも、疲れて階段を上るのがツラいと感じる場面ではどうでしょうか。
重い荷物を持っている、なんてこともあります。
実際、出張などでスーツケースをころがしながらの移動や、
数時間の講演の後などは足がとても疲れているので、
エスカレーターを使うこともしばしばです。
がんばれば階段で上れるかもしれませんが、
エスカレーターを使ってしまいます。
それは、「便利」だからです。
では、まったく足が疲れていなくて、
重い荷物も持っていない場面でエスカレーターを使ったら?
それは、単に「楽(らく)」をしたいからに他なりません。
仮に、足腰を痛めている人がエスカレーターを使うとしたら、
それは「必要」だからでしょう。
「急いでいるから」というのであれば、
それは「便利」だからですよね。
また、「ただ何となく」であるなら、
それは「楽(らく)」だからかもしれません。
同じ「エスカレーターを使う」場面であっても、
どういった「理由」で使うかによって、
「必要」か「便利」か「楽」なのかが異なってきます。
家計でいうならば、同じ「費目」であっても、
それが正しい買い物なのか、ムダづかいなのか
判断できないのと同じです。
「何(費目)」ではなく、
「なぜ(理由)」買ったのかのほうが重要なのです。
以前、こちらのコラムで「贅沢」に基準はない、
という主旨の文を書きました。
「必要(need)」も同じではないかと思うのです。
「必要」の明確な基準はありません。
人によって「必要」の基準はまちまちです。
実は、そこに「便利」や「楽」が潜んでいるにもかかわらず
「必要」とくくってしまうと、たちまち大義名分ができて、
「必要だから削れない」となりかねません。
一度、自身のお金の使い方が「必要」「便利」
「楽」のどこに該当するのか考えてみてはいかがでしょうか。
冒頭で「want」にキリがないと申しましたが、
「便利」や「楽」も同様でしょう。
「あれば便利」「これがあったらもっと楽」にも
キリがありません。どこかで「なくても平気」
という線引きが必要ではないでしょうか。
「贅沢」「want」「need」――。
ちょっと贅沢したい、これが欲しい、必要だ、
となれば、どれも正当な買い物のようでもあるし、
見方によってはムダづかいでもあります。
結局、「need(必要)とwant(欲しい)を区別して……」
というのは言葉遊びなのかもしれません。
言葉で理屈をどう説明しようが、自分のお金ですから、
最終的に自身の価値観で使うのは悪いことではありません。
ただし、人間は弱い生き物で、
歯止めが利かなくなることが
あることを知っておくべきでしょう。
「なぜ」買ったのか問われたときに、
自信をもって「(自分の人生に)必要だ」
「買ってよかった」と言えるかどうか。
それが、“正しい買い物”か
否かの境界となるのではないでしょうか。
(ファイナンシャルプランナー 八ツ井慶子=文)
http://news.goo.ne.jp/article/president/life/president_17026.htmlより