◆いつもの余談
※あくまでも自分の考えです。
この粕壁神明社(神明神社)のご祭神は天照大神ということです。天照大神は、皇祖神とされ、伊勢神宮内宮の主祭神です。
平安時代の初め頃までは、貴族など上流階級の限られた人しか参拝できませんでした。
その後、伊勢神宮は財政難に陥り、打開策として神職の御師(おんし)を全国に派遣し、伊勢信仰の普及に努めました。
そして、江戸時代中期頃には、一般庶民の間にも「一生に一度はお伊勢参り」などと庶民の信仰を集めてきました。
※御師(おんし)とは、伊勢神宮に仕える神職で伊勢参りを広めるのに、大きな役割を果たしたとされる。御師は各地でお札を配り、お得意先を勧誘。道中の手配や宿泊、神楽奉納も請け負った。言わば、現在の旅行会社やガイドの草分け的な存在であった。その「営業」範囲は、北は津軽、南は、九州・薩摩にまで及んだという。
なお、12月のことを陰暦で「師走」と言いますが、その「師」とは御師のことを指す、つまり御師が忙しく走り回ることから「師走」と呼ばれたという説もあります。
◆疲弊・困窮した時代
特に粕壁神明社が祀られたとされる天明年間は、大飢饉、浅間山の噴火など世の中が騒然とし、民が疲弊・困窮した時代でした。
恐らく粕壁宿周辺も例外ではなかったと思われます。九里四郎兵衛が屋敷内を開墾していたのも、甘藷(サツマイモ)など食料確保の意味があつたのかも知れません。
そのような時代背景もあり、粕壁宿の商人の間に「お伊勢さん」信仰が広がったのではないでしょうか。
今でも、粕壁宿周辺の神社には、「伊勢講」に関する石碑が数多く見られます。
もしかしたら、「御師」(おんし)も当地に普及に来たのかも知れません。
そして、明治期以降は、商売繁盛の神として、宿場の守り神として、人々の信仰を集め、230年ほど経ったこの令和の時代にも変わらず多くの方が参拝に訪れています。
終わり