かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(前編)

2022-12-28 19:30:00 | 地域発信情報

公開日:2018/12/31・更新日:2022/1228

◆除夜の鐘?

 粕壁宿の大落古利根川に架かる「新町橋」を渡ると、毎年大晦日の夜、12時近くに、除夜の鐘の音ではなく、「トントコトントコ」という軽やかな太鼓の音と威勢のよい掛け声が聞こえてきます。

 「えっ何?、えっもしかしてお神輿?」、そうですそのお神輿なのです。

 太鼓とお神輿の威勢の良い掛け声は、かすかべ大通りを高層マンションの交差点を右折し、新町橋を渡り、次の信号の先にある地元の氏神さま「八坂香取稲荷合社」から出る大きな神輿の担ぎ手の声。

◆八坂香取稲荷神社


鳥居

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拝殿

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本殿

◆由緒

社名に合社とあるのは、八坂、香取、稲荷の三神(はしら)が一緒に相殿(合殿)されていることから合社とされています。

この神社は、室町時代の永享(えいきょう)元己酉年(1429)に下総国一宮香取神社を勧請したと伝えられ、隣の仲蔵院より古いようです。

 社蔵の棟札や嘉永(かえい)3年(1850)の「鎮守香取大明神来歴」によると、永禄(えいろく)元年(1558)に別当を務めていた真言宗神林山仲蔵院住職秀宥(しゅうゆう)により再建されたとのこと。

 その後当地が武蔵国葛飾郡となった頃より、相殿に八幡大菩薩を勧請し、共に当村の鎮守産土神(ちんじゅ・うぶすながみ)として祀ったと言われています。

 現在の社号にある八坂と稲荷については末社として祀られたもので、江戸時代までは当社が別当仲蔵院境内に鎮座する形になっていたが、明治時代になって境内が独立したと思われます。

  明治36年(1906)上地林(じょうちりん)の境内編入に合わせて、三社が合殿(相殿とも)とされた。明治45年に字樋籠(ひろう)の香取神社とその境内社が合祀されました。

◆ご祭神

ご祭神は、以下の三神(みはしら)です。

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八坂素戔嗚命(やさかすさのおのみこと)

 素戔嗚命は天照大神の御弟神で八岐の蛇(やまたのおろち)を退治されたことで有名です。この神様の別名を牛頭天王(ごずてんのう)と呼ばれているところから天王様と呼んでいます。

 この神様は、厄病除けや災難除けの御利益があるとされています。

▼香取経津主命(かとりふつぬしのみこと)

 日本の建国に大功を立てられた国家鎮護の神様であります。

 経津主命も武甕槌神(たけみかづちのかみ)と同じく、火の神・軻遇突智(かぐつち・愛宕神社の祭神)の死の際に生まれた神で、霊剣の神とされています。剣が物を斬る音を表す「ふつ」という古代語があります。

 これは、現在の「ぶっつり」「ぷっつり」という言葉に繫がるもので、剣が物を斬る音を神格化した神がこの神様です。つまり「悪霊を斬り退けてくれる神」という意味の神様です。そのためこの経津主命は武芸の神とも言われています。

▼稲荷豊受姫命(いなりとようけひめのみこと)

 生命の下になる米の生成をお守りになり、又商売繁盛にも優れた御神徳を輝かしておられます。

 この神様は、伊勢神宮の外宮の御祭神です。外宮は、伊勢神宮の御饌(みけ)の神だとされ、御饌、即ち天照大神の食物の調達を請け負った神様がこの豊受姫命とされています。

 また、この神様は、本来は天照大神の家来の神でしたが、中世以降、農民たちの農耕神としてこの神様への信仰が高まり、外宮が内宮と並んで伊勢参りの目的地とされました。

◆千貫神輿

 圧巻は、勇壮な千貫神輿

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 この写真は、夏の祭礼の時に撮影したものです

 続く…



【八坂香取稲荷合社】

 

 

 備考:この記事を書くにあたっては、「埼玉の神社北足立、児玉、南埼玉」(埼玉県神社庁)、「春日部の神社」(須賀芳郎著)、「狛犬探訪」(久保田和幸著、㈱さきたま出版社)を参考にさせて頂きました。