かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

日光道中粕壁宿・業平朝臣が隅田川で都鳥を見た季節(前編)

2022-09-24 19:30:00 | 地域発信情報
公開日:2019/06/28・更新日:2022/09/24
◆ある疑問

「都鳥の碑」と「業平橋」のことを書いてきました。記事を書くにあたって、いろいろ調べてみました。

すると、ある疑問が湧いてきました。今回はそれについて、

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大落古利根川のユリカモメ

◆在原業平朝臣

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在原業平(狩野探幽三十六歌仙)(W ikipedia)

「むかし、男ありけり…」で始まる伊勢物語の主人公とされる在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)は、第51代平城天皇の皇子阿保(あぼ)親王の第五子。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。また、古今和歌集の歌人で六歌仙・三十六歌仙の一人とされています。なお、『伊勢物語』は、古くから在原業平実伝の物語であるとされてきました。

◆伊勢物語

●第九段「東下り」

『伊勢物語』には、

業平朝臣は、藤原氏の権勢が日毎につのりゆくのを憤って、心は常に穏やかならず、平安の都に住むのも厭とわしくなり、東国に居場所を求めて下って行った。と

 そして、九段の「東下り」後段には、

なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大(おほ)きなる河あり。それを隅田河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな、と、わびあへるに、渡守(わたしもり)、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」と言ふに、乗りて、渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京(きやう)に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の、はしあしと赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ魚(いを)を食ふ。京(きやう)には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなん都鳥(みやこどり)」と言ふを聞きて、
名にし負はばいざ言問はむ都鳥
 わが思う人はありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣にけり。

 

『新版伊勢物語』(石田譲二=約注、角川文庫466)、伊勢物語は、作者、成立共に未詳。

訳としては、

そうして旅枕をかさねて、武蔵国と下野国の境にある隅田川の渡し場に着き、渡し守に急かされ、舟に乗って川を渡ろうとしたとき、川の水面に遊ぶくちばしと足が赤く翼の白い水鳥の群れを見て、都では見たこともない鳥と思い、渡し守に尋ねた。
すると、渡し守は「みやこ鳥」と答えたので、業平は京都のことを思い出して、ひしひしと迫る

旅愁とともに懐旧の想いに心乱れて、

「名にしおばいざ言問はん都鳥わが思う人はありやなしやと」と歌を詠まれた。

と、一部略しましたが、概ねこのように書かれています。

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風流錦絵巻伊勢物語歌川春章画。第九段の東下り隅田川の景を描く。(Wikipediaより)

この「東下り」の段は有名ですね。高校生の時習いました。その頃は、当地とは全く無関係でしたが、半世紀を経て、業平のことを書くなんて、今はとても不思議な気がしています。 

ところで、業平朝臣が「東下り」の時、国境の隅田川の渡し場で、都鳥を見たとされる季節は一体いつなのでしょうか? 

どうでもいいことですが、とても気になります。

この点について、後編で愚考したことを書きます。

後編に続く…



【参考図書】


 

 



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