今練習している事、それは
「好きか」「嫌いか」
「楽しいか」「楽しくないか」
どんな時もそれを意識して考え、考える事を手放さず
あきらめない事。
それは意外に難しい。
女だからとか、主婦だからとか、親だからとか、
そんな縛りを外側から、また自分から作ってしまって
ありのままの自分の声が聞きとれなくなってしまった。
そんな時、人間て
「人はなんで生きてるのかな」
と思うらしい。
「私は何のために生きるのか」は私しか知らないから
もう一度私は自分に聞いてあげなくてはならないんだ。
さぁ、今日の私の幸せってなぁに?
「好きか」「嫌いか」
「楽しいか」「楽しくないか」
どんな時もそれを意識して考え、考える事を手放さず
あきらめない事。
それは意外に難しい。
女だからとか、主婦だからとか、親だからとか、
そんな縛りを外側から、また自分から作ってしまって
ありのままの自分の声が聞きとれなくなってしまった。
そんな時、人間て
「人はなんで生きてるのかな」
と思うらしい。
「私は何のために生きるのか」は私しか知らないから
もう一度私は自分に聞いてあげなくてはならないんだ。
さぁ、今日の私の幸せってなぁに?
そこから解き放たれることができれば、一歩ふみだせるような気が、私もしています。
そういう「型」や「枠」(=社会の中での役割)は、自分にとって果たすべき役割を与えてくれますが
そこに縛られてしまっては人生が窮屈になってしまうんですよね・・・
長く役割を演じているとそれが自分である様な錯覚を持ってしまうんです。
でも気がつくとその役割が選択する方を選んでいる。
社会的な、または役割的な自分を演じているという自覚が意識されていれば、
本来の自分らしさがなにかがわかってくるはずだと思うのです。
つまり思うまま健全に役割の仮面を着け外し出来るようになるということですよね。
がんばって練習中ですーー;
「考えてもどうせわからないなら考えない」
これは私にピッタリだ!と感激しました
自分の生きる意義は、たぶん死ぬ時にわかるのかもしれませんね。
そのまま死ぬまで生きていけます。
その点では羨ましいです。
でも女は、娘だったり妻だったり母だったり
ころころと立場や役割が変わって次にどう生きたらいいか
わからなくなる時があるんです。
あれ~?私って誰だったかしら・・ってね^^