二の丸側にある埋門跡です。
↑二の丸側にある石に刻印が刻まれています。それは、石垣工事に携わった大名を表す符号になります。
篠山城は天下普請(江戸幕府が諸大名に命令し土木工事を行わせる)により築いた城で、多くの大名家が動員されました。
身分や財力により割普請され、各々の大名家が競い合って築城工事に従事したそうです。時には混乱も起きたようで、それを避ける為にも目印として石に刻印を記したそうです。
説明板には「普請総奉行を勤めた池田三左衛門輝政(織田信長の重臣・池田恒興の次男)の刻印“三左之内”は埋門の外側で見ることが出来る」と書いてあったので行ってみる事にしました。
↑外側の下から観た埋門跡
↑階段を昇って近くで観た埋門跡。下から3番目の石に“三左之内”と刻印されてますが、お分かりになるでしょうか?
↑更によく分かるように石をクローズアップで撮りました。“三左之内”と刻印されています。
私はこれを観てとても感激しました!! 嬉しさのあまりに刻印を指でなぞりました。(^∀^)ノ 約400年前に彫られたであろう字と私の人差し指が合体(笑)。素晴らしい!! 歴史ロマンを感じましたわ。!(b^ー°) ここまで来れて良かったです。感謝感激!! ありがと~う。m(__)m
↑二の丸側にある石に刻印が刻まれています。それは、石垣工事に携わった大名を表す符号になります。
篠山城は天下普請(江戸幕府が諸大名に命令し土木工事を行わせる)により築いた城で、多くの大名家が動員されました。
身分や財力により割普請され、各々の大名家が競い合って築城工事に従事したそうです。時には混乱も起きたようで、それを避ける為にも目印として石に刻印を記したそうです。
説明板には「普請総奉行を勤めた池田三左衛門輝政(織田信長の重臣・池田恒興の次男)の刻印“三左之内”は埋門の外側で見ることが出来る」と書いてあったので行ってみる事にしました。
↑外側の下から観た埋門跡
↑階段を昇って近くで観た埋門跡。下から3番目の石に“三左之内”と刻印されてますが、お分かりになるでしょうか?
↑更によく分かるように石をクローズアップで撮りました。“三左之内”と刻印されています。
私はこれを観てとても感激しました!! 嬉しさのあまりに刻印を指でなぞりました。(^∀^)ノ 約400年前に彫られたであろう字と私の人差し指が合体(笑)。素晴らしい!! 歴史ロマンを感じましたわ。!(b^ー°) ここまで来れて良かったです。感謝感激!! ありがと~う。m(__)m