山頂にある今の天守は模擬天守になり、鉄筋コンクリート造、3層4階建ての小牧市歴史館になっています。
京都の西本願寺にある飛雲閣をモデルとして、昭和42年に名古屋の実業家平松茂氏が私財を投じて建設、翌年に小牧市に寄贈されたそうです。
信長時代の小牧山城は美濃を攻略する拠点として築城、城下町を形成し発展した。美濃を攻略した後は岐阜城に移住。4年で廃城になった。
ところで、その時代の小牧山城はまだ天守がなかったそうです。
歴史館は、小牧山・小牧山城・城下町等の歴史に関するモノ、その他が展示されていますが、私個人的に面白いと思ったのは小牧・長久手合戦コーナーです。立体パノラマにして音声・映像で分かりやすく解説されていて勉強になりました。
小牧・長久手合戦…10万を超える秀吉の大軍に家康軍は2万足らず。秀吉の調略により織田信雄が単独で講和してしまい、引き分けの戦いになった。この戦いで秀吉軍の池田恒興、森長可などが討死。
引き分けの戦いとなり家康は撤退、その後の小牧山城は再び廃城。
そして、江戸時代の小牧山は尾張藩、明治時代は尾張徳川家の手厚い保護を受け、昭和5年になり徳川家から当時の小牧町へ寄贈され、今に至る。
最上階4階から望む景色
↑ 名古屋方面。
濃尾平野が一望出来る。
昔と今では見える景色は違いますが、信長公や家康公も同じ高さから見ていたのでしょうか…。歴史ロマンを感じる一瞬です。
殿様気分で景色を眺めていました。
京都の西本願寺にある飛雲閣をモデルとして、昭和42年に名古屋の実業家平松茂氏が私財を投じて建設、翌年に小牧市に寄贈されたそうです。
信長時代の小牧山城は美濃を攻略する拠点として築城、城下町を形成し発展した。美濃を攻略した後は岐阜城に移住。4年で廃城になった。
ところで、その時代の小牧山城はまだ天守がなかったそうです。
歴史館は、小牧山・小牧山城・城下町等の歴史に関するモノ、その他が展示されていますが、私個人的に面白いと思ったのは小牧・長久手合戦コーナーです。立体パノラマにして音声・映像で分かりやすく解説されていて勉強になりました。
小牧・長久手合戦…10万を超える秀吉の大軍に家康軍は2万足らず。秀吉の調略により織田信雄が単独で講和してしまい、引き分けの戦いになった。この戦いで秀吉軍の池田恒興、森長可などが討死。
引き分けの戦いとなり家康は撤退、その後の小牧山城は再び廃城。
そして、江戸時代の小牧山は尾張藩、明治時代は尾張徳川家の手厚い保護を受け、昭和5年になり徳川家から当時の小牧町へ寄贈され、今に至る。
最上階4階から望む景色
↑ 名古屋方面。
濃尾平野が一望出来る。
昔と今では見える景色は違いますが、信長公や家康公も同じ高さから見ていたのでしょうか…。歴史ロマンを感じる一瞬です。
殿様気分で景色を眺めていました。