
生野銀山は807年(大同2年)に発見され、1542年(天文11年)に本格的な採掘が始まる。織田・豊臣・徳川の幕府直轄鉱山として栄え、明治元年には政府直轄、明治22年は皇室財産になる。次いで明治29年に三菱合資会社へ払い下げられ、国内有数の大鉱山として稼行。しかし、昭和48年に閉山し、1200年の長い歴史に幕を閉じた。
↑パンフレットより抜粋

↑人形で当時の作業を再現

↑観音岩
観音様の横顔に似た岩肌。自然の力で造られたもので、落石防止として張った金網が幸いして浮き出たものらしいです。

↑鉱山資料館で見た銀山の模型
蟻の巣のようになってて凄いですよね(笑)。
長い歴史の間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しているようです。
↑パンフレットより抜粋

↑人形で当時の作業を再現

↑観音岩
観音様の横顔に似た岩肌。自然の力で造られたもので、落石防止として張った金網が幸いして浮き出たものらしいです。

↑鉱山資料館で見た銀山の模型
蟻の巣のようになってて凄いですよね(笑)。
長い歴史の間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しているようです。
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