MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2715 プラトンが予言するこれからの米国

2025年01月17日 | 国際・政治

 欧州から米国に逃れたユダヤ系難民の両親のもとで育った米イェール大学哲学教授のジェイソン・スタンリー氏は、世界的なファシズムの傾向に対し、言語哲学や認識論の立場から警鐘を鳴らしてきた哲学者として世界的に知られています。

 そんなスタンリー氏は、米国大統領選挙後に行われたNHKのインタビューに応え、「トランプ氏は、『内部の敵を標的にし破壊しなければならない。さもなければ国家は滅びるだろう』と訴えることで、有権者の恐怖と不安をあおり、その解決者としてみずからを誇示している」と話しています。

 「内なる敵(enemies from within)」という言葉が指しているのは、アメリカ国内の民主党左派やリベラル系メディアのこと。前回の選挙戦までは、イラン、中国、ロシアなど外国を(こうした言葉で)「敵視」することが多かったトランプ氏が、今回はついに「敵は国内にいる」という論調を強めたことに、スタンリー氏がさらなる危機感を抱いていることが見て取れます。

 そんなスタンリー氏が、総合経済誌「週刊東洋経済」の11月30日号に「プラトンを読めばトランプ現象は完全に予測可能」と題する論考を寄せているので、参考までにその主張を小欄にも残しておきたいと思います。

 民主主義国では(もちろん)誰もが選挙に出馬できるが、そこには政府組織を率いるのに完全に不適格な人物も含まれる。そして、そうした不適格性をはっきりと示す兆候の一つは「息を吐くように嘘をつく」姿勢で、その代表例が「国民の敵」とされるものに対し自身を「守り手」と位置付けるものだと、スタンリー氏はこの論考に記しています。

 プラトンは、普通の人々を「感情によって容易く支配される存在」、すなわち嘘のメッセージに感化されやすい存在と見なした。この議論は、彼の大衆政治理論の真の礎となっていると氏は話しています。

 民主政治の成功が必ずしも約束されていないことも、哲学者にとっては昔からの「常識」に過ぎない。ルソーが論じたように、民主政の危うさは不平等が定着し、目に余るようになったときに頂点に達するということです。

 (少し冗長な言い回しになりますが)社会と経済の深い格差はデマゴーグ(←煽動的民衆指導者)が人々の怒りを食い物にする条件を生み出し、民主政がプラトンの述べた転落へと最終的に進む条件となるとのこと。民主政には「幅広い平等が必要」だという結論にルソーが至ったのもこのためだと氏は説明しています。

 そして、現在の米国にはまさしく、健全で安定した民主政を可能とする(そのような)物理的な条件が欠けている。それどころか米国は、富の圧倒的格差が国の際立った特徴になってしまっているというのが氏の指摘するところ。大衆政治理論の2300年の歴史が示しているのは、このような条件下では民主政は持続不能という事実であり、したがって今回の選挙結果に驚きはないということです。

 だとしたら、なぜもっと早くにこうならなかったのか。その大きな理由は、「甚だしく分断を煽る暴力的な政治手法」には手を出さないという暗黙の了解が、これまでの政治家の間に存在していたからだと氏は話しています。

 振り返れば、2008年の大統領選の折、民主党のオバマと戦った共和党候補のマケインが(自身の支持者の一人が「オバマは外国生まれのアラブ人だ」と発言した際)「それは違う」とたしなめたのは有名な話。その後マケインは選挙には敗れたが、高潔な政治家として人々に記憶されたということです。

 そう、確かにこれまでの米国の政治家達は、もっと微妙な形で人種差別や同性愛嫌悪に訴えることが多かった。そして結局のところ、それが選挙に勝つ有効な戦略ともなっていたと氏は言います。ただ、(先述の理由から)差別をあからさまに訴えることは(それはそれで)巧妙に避けられてきた。そうしたことは、わかる人だけにはわかる「犬笛」などを通じて行われてきたということです。

 ところが、深い格差の下では、暗号化された政治の効力は露骨な政治に劣化する。トランプが2016年以降に行ってきたのは、古い不文律を投げ捨てて移民に「害虫」のレッテルを貼り、対抗勢力を「内なる敵」と呼ぶことだと氏は指摘しています。

 「われわれ対やつら」の露骨な政治手法が極めて効果的なことは、哲学者には以前から知られてきた。要するに(2500近く前に著された)プラトンの大衆政治理論は、現代のトランプ現象を正しく分析できているという事で、悲しいかな、それは次に起こることにも、はっきりとした予言を与えているとスタンリー氏はこの論考の最後に綴っています。

 プラトンによれば、このような政治手法に訴える人物は、最終的には「暴君」となって国や人々を支配する由。選挙期間中と1期目のトランプの言動を踏まえれば、この点でもプラトンの正しさが証明されるだろうと話す氏の指摘を、私も強い懸念とともに読んだところです。



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