中国の習近平国家主席は5月末に行われた共産党最高指導部の政治局常務委員らが参加する学習会の講話で、「謙虚で、信頼され、愛され、敬われる中国を目指せ」と指示を出したと報じられています。
発言は様々に解釈されているようですが、少なくとも習近平氏に、現在の中国政府が国際社会から「傲慢」とみなされ、信頼されておらず、愛されてもおらず、(その国力に見合うだけの)尊敬を得ていないという自覚があること自体はわかりました。まず誰の目にもはっきりしているのは、現在中国が発信しているものの考え方や行動が、決定的に国際世論から離れてしまっているということ。そして、そうした評価に中国がいら立ちを覚えているという事実でしょう。
少数民族に対する人権的な抑圧や香港における言論の弾圧などを非難する国際世論の声は大きく、相次ぐ中国国内発のサイバー攻撃やコロナウイルスに関する情報開示などの責任も果たしていないと、G7をはじめ多くの国々が指摘しています。また、南シナ海などにおける武力による海洋進出や、オーストラリア(そして少し前なら日本や韓国)などへの(度重なる)あからさまな経済的嫌がらせなど、経済力や軍事力にものを言わせた強引な姿勢も批判の的となっているようです。
中国は強く大きくなった。もはや大国なのだからルールは自分で決めるということなのでしょうが、(漫画「ドラえもん」にでてくるジャイアンのような)子供じみた横暴さを振り回すだけでは、成熟した国際世論はそう簡単には受け入れてはくれません。こうして同国の「異質感」が際立つ中、(中国の)王毅外相は7月3日、北京で開かれたシンポジウムで香港や台湾をめぐり、「今の中国は100年前とは違う。中国国民が国家の主権、安全、発展利益を守る断固たる意思と強大な能力を過小評価してはならない」と述べ、中国への圧力を強めるアメリカを強くけん制したと伝えられています。
しかし、このような中国の(「戦狼外交」とも呼ばれる)攻撃的な外交姿勢は、他国との関係改善につながらないばかりか、かえって反発を招き不必要な不信感や反発を招いているようにも見えます。それではなぜ、中国政府は国際世論に向け(相手を挑発するような)強い言葉を発信し続けているのか。
勿論、大国を自認する中国の「いら立ち」がそうさせるのでしょうが、だからといって現在の国際世論の反発は、(おそらくは)王毅外相の言うように中国を「過小評価」しているために沸き起こっているわけではないでしょう。つまり、武力弾圧などの手法で現状を強引に変更しようとする姿勢自体が「正しくない」と批判されていることが理解できていない。言い換えれば、「強い者なら何でもできる」というのが彼らの前提となっていること自体が、国際社会と相容れない部分なのではないかと考えるところです。
習近平国家主席は、冒頭で紹介した講話において、「中国共産党の宣伝能力の強化」を進め、「国際新秩序を形成すべく国際社会を導いていく」ことを強調したと伝えられています。そこにあるのは、国際社会に「愛される国」になろうと努力する謙虚さではなく、宣伝工作により中国のイメージ向上を図り国際的な発言力を強めようという、あくまで力の増強を求める姿勢なのでしょう。
国際社会での好感度は、他国の人々が中国の実際の立ち振る舞いを見て上がるもの。野蛮で一方的な言動を繰り返す政治体制への信頼はありえず、謙虚さがなければ愛されることも尊敬されることも叶いません。共産党の支配の下、力がすべてを解決する中国国内での政治体制であればともかく、国際社会では必ずしも「金と力」(だけ)がものをいうわけではないことを、中国の指導者はもう少し理解する必要があるのではないでしょうか。
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