MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1933 ヒトは電脳空間で生き残れるのか?

2021年08月12日 | 科学技術


 先日、米ブラウン大学の研究グループが、世界で初めて脳とコンピューターを接続するデバイスである「Brain computer interface(BCI)」のワイヤレス化に成功したとの報道がありました。

 同グループが開発したBCI「ブレインゲート」は、脳内に移植されてそのシグナルを検出する電極アレイと、シグナルを解読する「デコーダー」で構成されており、両デバイスをワイヤレス接続したものとされています。研究を行ったジョン・シメラル氏らは、「これで物理的に機器に繋がれることなく、ただ思考するだけでコンピューターにアクセスすることが可能となった」と話しているということです。

 また、今年4月には、BCIの実用化に取り組むイーロン・マスク氏率いるニューラリンク社が、実際に(何の入力装置も使わず)思考だけでディスプレイ上のピンポンゲームをプレイするサルの映像を公開し話題となりました。電神経細胞と外部の情報端末を結合させ、電気信号をやりとりすることで脳と外部世界を直結する電脳化の技術は、もはやSF物語の枠を越え、ここまでリアルなものになってきているようです。

 ゲーム機に繋がれたサルに(実際に)どのような景色が見えているのかはわかりませんが、「考えること」と「行動すること」、「現実の世界」と「バーチャルの世界」との区別がだんだんつきにくくなっているのが現状なのでしょう。そうした中、6月15日の情報サイト「東洋経済ONLINE」に、皮膚科学研究者で作家の傳田光洋(でんだ・みつひろ)氏が、「人間の「皮膚」に隠れた壮大すぎる生存戦略の要諦」と題する論考を寄稿しているのが目に留まりました。

 氏が定義する「生物」は、基本的に環境と身体を隔てる境界、広い意味での皮膚を持つことによって形作られていると氏はこの論考に記しています。単細胞生物、たとえばゾウリムシの皮膚は細胞膜であり、樹木は樹皮によって覆われている。遺伝子がむき出しのウイルスは生物だとはみなされず、皮膚によって環境から切り離された空間で活動を保ち続けるのが生物だということです。

 通常、環境中のエントロピーは増大するが、生物の場合、生きている限り境界内の秩序は保たれ、時に世代を生み出して時を超えて存在し続ける。そして、様々な形態の新しい世代を生み出す進化の過程で、(自身と環境や他の個体とを区別する)「意識」が生まれたと氏は話しています。そして人間の場合、「意識」はその存在を意識したときにしか大脳に認識されない存在であり、そういう意味で人間の意識は基本的にスタンドアローンの(そこにしかない)「フィクション」なのだというのがこの論考における氏の見解です。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの体性感覚に加え、過去の記憶をもとに「時間」の存在を妄想し、過去の自分と今の自分、そして未来の自分が同一の存在であると考えること自体がまさにフィクションだと氏は言います。物質として身体を考えれば、過去の自分と今の自分、未来の自分は別の存在である。新陳代謝によりその構成物質は大きく入れ替わっており、さらに人間の意識、言い換えれば、世界に対する自分の見方や考え方は、さまざまな経験から変化し続けている。だから自分は自分であるという意識は、生きている瞬間ごとに作られるフィクションだということです。

 一方、SFの世界では、インターネットのシステムに人間の意識を収納したり、意識のみが人格として電気的に存在したりする「電脳空間」のアイディアをよく見かけると氏はここで話しています。確かに、ある個人の「感覚」や簡単なレベルの「意識」を電気信号に変換し、別の人間の脳に転送するという実験が各地で進んでいる。近い将来、個人の脳の中の意識、つまり脳の中の時空間的な電気化学現象を他人と共有したり、外部に保存したりすることが可能になるかもしれないということです。

 しかし、氏自身は、電脳空間に個人の意識が完全に移行されることは絶対にないだろうととこの論考で断じています。なぜなら、電脳空間には皮膚がないから。絶え間なく膨大な環境情報を感知し脳に送る皮膚という装置があって、個人の意識は作られる。見方を変えれば、個人の意識は、皮膚によって外界と区別される「身体」に付属させられたもので、個人の意識は皮膚から離れられないと氏は言います。

 意識は生物が進化によって獲得した感覚であり、外界と自分を隔てる皮膚を失えば、(個の意識を形成していた様々なものがあっと言う間に流れ出てしまい)私たち人類から「意識」というものは消え去ってしまうということでしょう。言い換えれば、私たちの意識だとか、私たちの考える真理などというものはそれほど脆いもので、個人の外側にある様々な雑音にさらされた途端に形を失ってしまう程度の存在だということかもしれません。

 意識が外界に垂れ流しになる状態は、生物にとってはまさしく「死」に等しい。情報や感情が外界から自由に出入りする環境は、個人にとって肉体が乗っ取られたも同然のつらく苦しい状況と言わざるを得ないでしょう。いずれにしても、有象無象や魑魅魍魎が跋扈する「電脳空間」は、アニメで描かれるほど居心地の良いものではないのだろうなと、氏の論考を読んで私も改めて考えたところです。



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