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東京都内と神奈川県の東急線沿線を中心とした22店舗で学童保育事業を展開する株式会社キッズベースキャンプは、東急電鉄の100%子会社です。
スタッフが(東急沿線に暮らす)小学校学齢期の子どもたちを学校まで車で迎えに行き、おやつや食事を与え、休日も含め22時まで預かって時間になれば家に送り届けてくれる。その間、単に遊ばせるばかりでなく、生活習慣の習得や学習習慣のサポート、キッズコーチによるコーチングなどの様々なサービスを提供してくれるということです。
気になる料金は、入会金が30000円で月会費は週5日コースで50000円前後。そのほか、1日5000円前後でスポット利用もできるようです。
また、学習塾や子供の英会話スクールなどを国内外でおよそ1,300教室展開する株式会社やる気スイッチグループホールディングスでは、共働き世帯の増加で需要が高まる学童保育に独自の英語プログラムをプラスして、英語で預かる学童保育「Kids Duo」をフランチャイズ方式で展開しています。
全国に109ある送迎付きの施設で未就園児から小学生までの子どもたちを最長20時30分まで預かり、ネイティブや日本人バイリンガルの保育者により「すべて英語」で過ごさせるというものです。
因みに料金は、入会金が20000円で、小学生週5回の送迎付きで月額65000円程度。食事は昼夜とも600円でお弁当も提供されるということです。
さて、ネットで検索すると、こうした民間の学童保育サービスは、都市部を中心に今やたくさん見つかります。それぞれ結構いい値段のプライスタグが付いていますが、それでも十分経営が成り立つほど、都市部におけるこのような学童保育への需要は大きいということでしょう。
もちろん、学校や公共施設などで行われている「放課後クラブ」などの事業も、各自治体において様々に行われています。しかし、(「小1の壁」などという言葉もあるように)こうした公的サービスについては、女性の社会進出と共に急増する(保育)ニーズに追いついていないのが現実なのかもしれません。
11月から12月にかけては、多くの自治体で翌年度の学童保育の申し込みが始まる時期に当たります。「学童保育に入れるのだろうか?」…来春、小学校に入学する子供を持つ親ごさんたちも、恐らく不安に思っていることでしょう。
11月28日のYahoo newsでは、NPO法人アフタースクール代表理事の平岩国泰氏が「学童保育はなぜ足りないか」と題する論評において、逼迫する学童保育需要の実態に迫っています。
そもそも学童保育とは、日中に保護者が家庭にいない小学生児童(=学童)に対し授業の終了後に適切な遊びや生活の場を与え、児童の健全な育成を図る保育事業の「通称」です。法律上の正式名称は「放課後児童健全育成事業」と言い、(文部科学省ではなく)厚生労働省が所管しているということです。
平岩氏によれば、この「放課後児童健全育成事業」は、児童福祉法において「小学校に就学している児童であってその保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与え、その健全な育成を図る(福祉)事業」と規定されているということです。
2000年代に入り、共働きの拡大とともに都市部を中心にこの学童保育の利用者は増え続けていましたが、当然すぐに人や施設が対応できるものではありません。結果的に待機児童の急増を招き、保育園をようやく乗り切ったと思った保護者が(子供が小学生になって)仕事と生活の両立が難しくなる、「小1の壁」に直面するケースが増えたということです。
平岩氏はその要因を、主に子供を取り巻く社会と「放課後の過ごし方」の変化にあるとしています。
「小学生をなぜ預ける必要があるのか?」「昔は子どもだけで地域で遊んでいた」「今時の子どもはゲームばかりでけしからん」…こうした話はよく耳にしますし、私にも共感できる部分があるのは事実です。
確かに昭和の子どもたちの間には(そして親たちの間にも)、何も施設を用意してあげなくても「小学生になったら子どもだけで遊ぶ」という常識があったと平岩氏はこの論評で説明しています。
当時も「鍵っ子」と呼ばれる子たちは(それなりには)いたけれど、何より地域に「預かり機能」があったというのが、その時代の子育てに関する平岩氏の認識です。
そうしたイメージを持つ人たちは、「なぜ学童が必要なのかわからない」と不思議に思うかもしれない。しかし、現代の保護者はそのような感覚は持ち得えないと氏は言います。
日本全国で起こる子どもが襲われる事件や、学校などから携帯に頻繁に届く不審者情報を見ていると、「どこか安全なところで放課後を過ごしてほしい」と思うのは(親として)当然のことだということです。
このような社会を作ってきたのは(紛れもない)私たち大人であり、また時計の針を昔に戻せるわけでもないと平岩氏はこの論評に記しています。
昭和の時代の放課後は子どもたちに自由があった。行動範囲は狭かったけど、どこに行くか、何をするか、みんなで話して決められた。そして、年齢を重ねるごとに行動範囲も広がり、放課後の選択肢も増えたということです。
しかし、現在では、他の選択肢も含めて子どもたちが自由に放課後の過ごし方を選べる世の中ではなくなっていると平岩氏はしています。学童保育ばかりでなく、公園、児童館、図書館、空き地、野山など、子どもが過ごすフィールドは(本来は)もっともっとあるべきだという指摘です。
結局、本当に必要なのは「放課後を子どもたちの手に戻す」ことではないかと氏はこの論評をまとめています。
学童保育が本来果たすべき機能は、子どもの安全を確保したり、生活習慣を管理したり、遊びを提供したりすることなどではなく、自分たちの力でルールやコミュニティーを作ったり、一緒に過ごす時間を楽しんだりする力を育むこと。
そして、それが可能となる環境を提供することが、この時代に生きる私たちの責務なのかもしれないと考える平岩氏の指摘を、現代に生きる大人として私たちも重く受け止める必要があると感じたたところです。
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