MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2748 今日のバラマキは明日の増税

2025年02月18日 | 社会・経済

 野党各党の要求が出そろった国の2025年度予算案の審議も、修正をにらみ実務者間で大詰めの協議が進められているようです。自民、公明両党と日本維新の会は、維新が求める所得制限を設けない高校授業料の無償化について2月中旬までに一定の結論を出す方向だと報じられています。

 衆院で過半数を持たない自公両党にとって、維新から予算案への賛成を引き出すことは最重要課題。財源が7~8兆円必要とされる「103万円の壁の178万円への引き上げ」にこだわる国民民主にはもう付き合いきれない。維新の議席を足せば衆院で過半数に達するので、6000億円と言われる財源には目をつぶって、こっちに乗り換えた方が「安上り」といった算段もあるのでしょう。

 政府の予算案を巡っていつまでこうしたやり取りが続くのかはわかりませんが、何かと物入りの政府に対し、ガソリンの暫定税率の廃止やら高額療養費の見直しやら給食費の無償化やらと、(この時とばかりに)齧りつく野党の姿勢に、「で、お金の方はどうするつもりなの?」と聞きたくなるのは私だけではないでしょう。

 そうした折、1月9日の日本経済新聞のコラム「経済教室」に、政策研究大学院大学教授の北尾早霧氏が『時代遅れの政策、転換が必要』と題する(ある意味「気合の入った」)論考を寄せていたので、ここで指摘の一部を残しておきたいと思います。

 日本の1人当たりGDPは主要7カ国の首位から最下位へ転落し、経済力で大差をつけていた国々にも次々に追い抜かれ、世界34位まで後退した。この20年あまりで日本は成長のロールモデルから、停滞の教訓を学ぶ対象へと変わったと氏はこの論考の冒頭に記しています。

 出生率低迷で労働人口は減り、婚姻率が低下して家族のあり方も多様化。人々の価値観や行動規範も変化して、技術革新が進む世界の中で、日本の政策のアップデートは遅く成長から取り残されているというのが氏の認識です。

 氏によれば、(そんな時に)変化に背を向け、場当たり的な政策を繰り返しても持続的な成長は望めないとのこと。時代遅れの政策は、経済活動の足かせとなって構造的な成長を妨げる。持続的成長を実現するには、長期的視点に基づく転換が必要だということです。

 そうした中で、最も「足かせ」となっているものの一つとして、氏は経済対策として行われる定額給付などの弊害を挙げています。低所得層支援や老後の安心はもちろん重要なこと。しかし日本で平均資産が最も多いのは高齢者で、逆に貧困が深刻なのは20〜50代の若年層だと氏は指摘しています。

 勤労世帯に税を課し、豊かな老後に公費を注ぐことは日本の最優先課題ではない。低所得層支援を掲げて繰り返す住民税非課税世帯へのバラマキは、大半が裕福な高齢者に届き、格差を拡大するというのがこの論考における氏の見解です。

 貧困層の支援は、生活保護など本来のルートを通じて対象を絞るべき。生活保護がうまく機能しないなら、解決策は高齢者を含むバラマキではなく制度の整備だろうということです。

 一刻を争う新型コロナ危機時の一律給付金には一定の意義があった。しかし、5年を経た今も、焦点のぼやけたバラマキを続けるのはなぜか。経済の構造的な停滞は経済危機とは異なる。経済対策と称し膨大な行政コストを伴う給付や補助を乱発し、成長を祈るのは無責任でしかないと氏は言います。

 一時的な政府支出や消費の増加は、むしろ持続的な成長を阻害する。なぜかと言えば、平時の給付金で所得が一時的に増えた国民は消費を拡大し、生産者も恩恵を受けるが、その原資となる増税が先送りされる中、需要増に供給が追い付かなければ価格の上昇につながるから。さらに、翌年には所得が元に戻るだけでなく、先送りされた課税で将来の手取りが減るため、結果、消費は先細るというのが氏の認識です。

 突発的な給付による需要増では、企業が長期的な生産増強や雇用拡大に踏み切るインセンティブは生まれない。企業は需要減を見越して生産を縮小するということです。

 また、変則的な給付に伴う事務コストも、税負担を増大させる一つの要因になると氏は続けます。今日のバラマキは明日の増税であり、将来負担の増加は投資意欲をそぐ。結果として生産力は低下し、成長は鈍化するというのが氏の指摘するところです。

 (成功体験の下で)神頼みの政策を繰り返せば、長期的な停滞を招くだけだと氏は言います。成長に結びつかない政策が出るたび将来負担が増し、政府債務の行方はますます不透明になる。本来、政策の役割は不確実性を減らし、安心して投資や消費をできる環境を整えることだが、日本では政策そのものが不安材料だということです。

 結局のところ、持続的な経済成長には、労働者と企業の生産性を高め、生涯所得と生産を増やす以外に道はないと氏は話しています。政府が企業に賃上げを求めても成長は続かない。それよりも、焦点を欠いた給付や「思いつき」の政策をやめ、働く意欲や所得成長の壁を取り除くほうが効果は大きいというのが氏の感覚です。

 (宝くじを引くように)確実な成長分野や将来のユニコーン企業を政府(の役人たち)が予測するのは不可能なこと。人的資本投資を通じて(地道に)国民全体のスキルを底上げし、人々や企業が自律的に成長の源泉を見いだせるよう後押しすべきだと氏は言います。

 選挙目当てに有権者の御機嫌取りをしてその場を取り繕っても、結局そのツケは将来世代の負担となって帰って来るだけ。「米百俵」ではありませんが、同じコストを投じるなら、将来世代のスキルアップや活躍のための環境整備にこそ力を入れるべきということでしょう。

 そこで、まず手掛けるべきは、古い価値観や慣行に縛られた経験則を指針にせず、多様性を尊重し、挑戦を促し、失敗を受け入れる環境を作ることだと氏は最後に提案しています。これは政策に限らず、企業や大学を含む教育・研究現場にも当てはまること。多様な個人のスキルと生産技術が自由に伸びる環境なくして持続的な成長はありえなのだから…とコラムを結ぶ北尾氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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