国連開発計画(UNDP)が10月22日、イスラエルのパレスチナ自治区ガザでの戦闘が社会と経済に及ぼす影響に関する報告書を公表しています。
これによると、ガザの「人間開発指数(HDI)」(平均寿命や所得、教育などの観点から豊かさを測った指標)は1955年時点の推計値に低下、過去69年分の成長が帳消しになったとされています。また、イスラエルの軍事作戦が続くヨルダン川西岸でも過去16年分の開発が損なわれ、パレスチナ全体で2000年時点のHDIに逆戻りしたということです。
UNDPによれば、パレスチナの域内総生産(GDP)は、戦闘が起きなかった場合に比べて35.1%減少。失業率は49.9%減少し、ガザに限れば80%に達する由。パレスチナの推計貧困率は既に74.3%に達していて、新たに困窮した261万人を含め410万人が貧困にあえぐということです。
イスラム原理主義組織「ハマス」は、実質的にパレスチナ自治区を統治しているとされるムスリム同胞団組織です。パレスチナの土地奪還と、パレスチナ人権保護を目的に活動し、イスラエル入植地に対する攻撃により、今回の戦闘の引き金を引いたとされています。
1年前の10月7日に行われたハマスによるイスラエルへの大規模な奇襲攻撃では、およそ1200人がイスラエル人が殺害されたとされ、連れ去られた251人の人質のうち、今も101人が捕らえられたままだということです。
この事件に対し、イスラエル軍は今年9月下旬までに4万以上の標的を空爆。1000以上のロケット弾の発射拠点を破壊したほか、殺害した戦闘員は推定でおよそ1万7000人に上ると発表されています。
一方、10月7日に発表されたハマスの声明によれば、イスラエル軍によってガザ地区を中心に1年間で4万1000人以上のパレスチナ民間人が殺害され、そのほとんどが女性と子どもだったということです。
9月下旬には、イスラエルによる軍事行動は北のレバノンに及び、過去1か月の死者数は既に1552人に及んでいる由。ますます泥沼化していく感のあるイスラエル軍の侵攻をどのように受け止めていくべきなのか。
3月4日の総合情報サイト「Newsweek日本版」に、中東問題に詳しい麗澤大学国際問題研究センター客員教授の飯山 陽(いいやま・あかり)氏が『イスラエルだけの責任ではない「ガザ封鎖」...エジプトが直面する「ハマスのジレンマ」とは?』との論考を残しているので、(なかなかわかりにくい中東問題への理解の一助として)小サイトのその一部を残しておきたいと思います。
「天井のない監獄」としばしば呼ばれるパレスチナ自治区ガザ。しかし、そのガザを鉄条網のフェンスやコンクリート壁で封鎖し、市民を「監獄」に押し込めているのはイスラエルだけではないと飯山氏はこの論考に記しています。
ガザは、西を海に、北と東、南を壁に囲まれた365平方キロほどの地区を指す。もちろん、北と東を封鎖しているのはイスラエルだが、しかし南の国境を封鎖するのは(同じムスリム国家である)エジプトだと氏は指摘しています。
エジプトもイスラエル同様、ガザとの国境にフェンスと壁を複数設置している。昨年10月にハマスがイスラエルへの大規模テロ攻撃を実行し、戦争が開始されて以降もガザ地区の人々が地区外に避難できないのは、(実のところ)エジプトが受け入れを拒否しているからだというのが氏の認識です。
エジプトはパレスチナ同様、アラビア語を話しイスラム教を信じる人が国民の大多数を占める。かつてパレスチナの大義のために、イスラエルと4度にわたり大きな戦争をした過去もあるということです。
にもかかわらず、なぜエジプトはガザ市民の前に国境を閉ざすのか。主たる理由は、ガザを実効支配するハマスが、20世紀初頭にエジプトで誕生したイスラム原理主義組織ムスリム同胞団の下部組織だからだと飯山氏は説明しています。
1987年、ムスリム同胞団のメンバーであるアフマド・ヤーシーンらによって、そのガザ支部として創設されたハマス。氏によれば、同同胞団が目指すのは政治、経済、教育、社会、生活、文化等の全てがイスラム法で統べられる世界だということです。
彼らは、世俗法による統治を行う既存体制の全てを敵視し、国家を打倒し、イスラム革命を実現するという目的のためには暴力をいとわない。アルカイダやイスラム国といったイスラム過激派組織の淵源にあるのが、同同胞団とそのイデオロギーだとされています。
一方、現代エジプトの歴史は、同胞団との戦いの歴史だった飯山氏は指摘しています。イスラエルと和平条約を締結したサダト大統領を「不信仰者」と呼び、暗殺したのも同同胞団の分派組織メンバーとのこと。実際、ハマスもまたエジプトを悩ませ続けてきており、07年にガザ地区を実効支配したハマスは、08年には国境にある壁を爆破し、混乱に乗じ数万人のガザ市民をエジプトに流入させたということです。
また、2011年1月のいわゆる「アラブの春」では、エジプト各地でムバラク政権打倒の運動や暴動が発生するなか、武装勢力が刑務所を襲撃し11カ所から2万人以上が脱獄、犯罪や暴力が激増し治安悪化が極限に達した。その折、複数の当局者が、襲撃犯はトンネルを通ってエジプトに侵入したハマスだと証言しており、脱獄囚の中にはハマスと同胞団のメンバー数十人も含まれていたということです。
そして昨年、エジプトのシシ大統領が「ガザ市民をエジプトに受け入れれば、シナイ半島がイスラエルへの抵抗の拠点になる」と述べたのは、それが現実的な脅威だからだとこの論考で飯山氏は説明しています。
エジプトはハマスがシナイ半島に侵入し、そこを根城に同胞団残党と合流して強大化し、テロを繰り返し、体制を転覆させるシナリオを最も恐れている。ハマスの3大支援国は、イラン、カタール、トルコの3国でいずれも同胞団支援国だが、過激なイスラム原理主義による混乱を避けたいエジプトとは利害を異にしているということです。
もちろんエジプトは、パレスチナ国家建設自体は支持していると氏はしています。しかし自国の安全保障は何物にも代え難い。ガザ問題の複雑さを勘案せずに、その咎をイスラエルだけに負わせても現実的解決にはつながらないと話す飯山氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます