前回(「♯1345 なぜ未婚化が問題となるのか」)に引き続き、未婚化が進む日本の若者の実像を追っていきます。
神戸女子学院大学名誉教授で思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏は、総合情報誌「GQ」に連載中の時事コラムにおいて、現代社会における結婚の意味について語っています。(「第52回いまの日本は残念ながら、後進国です」2019.03.10)
この論考において内田氏は、現在の日本ではほとんどの家事労働はアウトソーシングできるので、家事労働のために専従労働者を求めるよりも一人で効率的にお金を稼ぐことに特化した方がはるかに合理的だと説明しています。
しかし、昔はそうはいかなかった。男性の多くは家事労働能力が低く、女性は平均すれば賃金労働能力が低かったために、お互いに相手がいないと生きていけないという仕組みになっていたと氏は言います。
男がある程度の年齢になって親元を離れるということになると、妻なしでは暮らせなかった。この場合の妻は「母」の代用品だったわけで、家事労働がアウトソースできる社会が到来するまで配偶者は男女ともに生活上の必須要素だったということです。
さて、話は現在に戻って、便利な生活インフラの下で40歳まで気楽な一人暮らしをしてきた(あるいは母親に身の回りの世話をしてもらってきた)男性が、同じように一人暮らしをエンジョイしたり母親に家事労働を丸投げしてきた女性と結婚したいと思うかと言えば、それはなかなか難しいだろうと内田氏は指摘しています。
一方、見方を変えれば、これは安全保障上リスクの高い生き方と言えるかもしれないというのが、こうした(現在の若者の)ライフスタイルに対する内田氏の認識です。ふた親が健在のうちは、もしものとき(会社が倒産するとか、重篤な病気に罹るとか)は親を頼ればいい。しかし、両親が死んだらどうなるのか。
そういう意味で言えば、結婚は安全保障上のリスクヘッジの(有効な)手段だと氏はこの論考で説明しています。
夫婦が同時に失業するとか、同時に病気になるということは確率的にはそう高くはない。一方が要支援の状態になったときにでも、他方はパートナーを支援できるくらいの経済力と健康があれば、(その時期さえずれれば)短期間に生活が破綻してホームレスになるというリスクを回避できるということです。
今の日本は、社会福祉制度に関しては残念ながら「後進国」だと、氏は指摘しています。生活保護制度はあるにはあるが、自分で自分を守る手立てを考え備えておくことが前提となっている。
そうした中でリスクをヘッジするためには、とにかくわが身に「もしものこと」があったら、支援してくれる人の頭数を増やしておくことが極めて重要になるということです。
相互支援のネットワークを構築してそのメンバーとして積極的に活動することは、(勝手気ままな生活に慣れた体には)それはそれで確かに面倒だと氏はしています。
相互支援ネットワークはあくまで「もしものとき」に備えての保険なので、「もしものとき」が来ない限り、ずっと「支援の持ち出し」になる。なので、「出した分だけはきっちり回収したい」というような「合理的」な頭の作りの人には、相互支援ネットワークを積極的に作ることはできないということです。
そういう意味では「結婚」も同じことで、その本質は「成員二人の相互支援ネットワーク」だというのが内田氏の見解です。
だから、わが身に「もしものとき」が来るまでは、ずっと「持ち出し」なのは当たり前と考えなくてはならない。収入が多い方の配偶者は「よけいに負担している」と思うし、家事労働が多い方の配偶者は「よけいに負担している」と思う。気づかいの多い方は「よけいな気を使わせられている」と思うし、我慢している方は「よけいな我慢を強いられている」と感じるということです。
でも、安心していただきたい。すべての夫婦がそうであって、そこに例外はないと内田氏はこの論考に記しています。全ての配偶者は「私の方が持ち出しが多い」と思っている。あえて言えば、それは(構造的に)そういうものだからと言えるかもしれません。
相互支援ネットワークというのは「まず持ち出し」から始まって、主観的には(何か万が一のことが起こるまで)「ずっと持ち出し」のままだと氏は言います。
そう考えれば、一見、面倒くさそうで「コスパ」がかなり悪そうに見える結婚も、一旦踏み出してみれば(少なくともリスクヘッジの観点から言えば)そんなに悪いものではないかもしれない。
プラス・マイナスでマイナスのように感じるのは「相互支援ネットワーク」を形成する上での(数少ない)コストであり、それが嫌だという人はこのゲームのプレイヤーにはなれないと結ばれたこの論考における内田氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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