MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1942 今日はタトゥー(刺青)のお勉強

2021年08月21日 | 文化


 今回の東京オリンピックをテレビの画面越しに見ていて改めて思ったのは、タトゥーを入れている選手が思ったよりも多いなということ。以前はあまり気が付きませんでしたが、小さなものまで含めれば、競技の際に映える様々なポイントにちょっとしたアクセサリーのようなタトゥーが彫り込まれ、鍛え抜かれた身体のアクセントとなっていました。

 選手たちはこうしたタトゥーが示すひとつひとつのメッセージによって、アスリートとしての個性をアピールしているのでしょう。たしかに、競技や表彰式などで見せる小さなしぐさなどに、描かれたタトゥーが忘れられない印象を残す場面もいくつかあったような気がします。

 そこで今日は、(せっかくの機会なので)日本におけるタトゥー(入れ墨)文化のお勉強です。現代の日本の大人社会では眉を顰められることの若者たちのタトゥーですが、そもそも日本における入れ墨の歴史は長く、研究によると、最初に記録に登場する装飾目的の入れ墨は西暦247年に遡るとされています。

 その人気を一般大衆にまで拡大させたのは、江戸時代(1600年代~1868年)の太平の世の中だったとされています。江戸幕府は民衆、中でも下層階級の統制に力を入れており、着物色や素材にも(階級ごとに)厳格なルールを定めていました。そうした中、肉体労働を生業とする下層階級の人々にとって、色とりどりの入れ墨は規制に反抗する一つの手段だったと考えられているようです。

 実際、江戸時代末期から明治初期の日本人の日常生活を示す写真などを見ても、上半身裸で入れ墨姿の車夫や人夫の写真がかなりの割合で記録されています。小柄ながらも日に焼けた筋肉質の身体に精悍な笑顔。そこによく映える入れ墨は、当時の肉体労働者のプライドのようなものだったのかもしれません。

 しかし、明治時代に入ったばかりの1872年、入れ墨が(未開国として)西洋列強からの軽蔑を招くことを懸念した新政府は、入れ墨を入れる行為やそれを見せることを法律で禁じました。それから、終戦後の1948年に廃止されるまで、日本の入れ墨文化はまさに「違法」なものとして受難の時代を迎えることになります。

 彫り物を入れるのは「人の道」を外れた違法覚悟の侠客ということになり、また、その心意気を示す手段として入れ墨が使われる。そんな循環の中で、現在まで続く日本人のタトゥーに対する(偏見とも呼べるような)意識が深まっていったものと考えられます。

 戦後、入れ墨自体は晴れて適法化されたものの、(昭和30年代に人気を誇った)任侠映画などの影響もあり、背中の彫り物は「ヤクザ」と呼ばれる暴力的な反社会勢力のイメージと強く結びつくようになりました。警察も、紋身(もんしん)とみればヤクザの構成員として扱うようになり、銭湯や温泉、プールなどでは入れ墨のある客の入場を禁じるようになりました。こうして、日本独自の「和彫り」と呼ばれる入れ墨文化は国民の日常生活から排除されるようになり、一般の人々の目に触れることは極めて少なくなったと言えるでしょう。

 まあ、それでも私たちが子供の時分(昭和30~40年代)は、銭湯などに行くと竜や虎などの立派な彫り物を入れた男たちをごく普通に見かけたものです。「俺たちは(堅気の皆さんとは)住む世界が違うんだ」と、その背中は無言で語っていたような気がします。

 そう言えば、当時の親たちも「じろじろ見ちゃいけないよ」などと言いながら、彼らの姿にそんなには忌避感を持っていたようには思えません。社会の仕組みからはずれた「反抗する人々」の気概のようなものを、背中の彫り物から感じていたのでしょう。

 時は移り、平成の時代に入ると、今度はアメリカの若者たちの「ヒップホップ系」と呼ばれるようなストリート文化の影響を受けた日本の若者たちの間で、機械で浅く彫りを入れる「タトゥー」が人気を集めるようになります。そのデザインには宗教的なアイコンや自然物、さらには自らのポリシーなどがモチーフとされることが多く、メッセージ性の高いものとなっているのが特徴です。

 若者たちはこうしたタトゥーを(他とは違う)自分の個性を表現するファッションとみなしており、一つ前の世代が持つ「入れ墨」の反社会的なイメージとは、かなり性格が異なっていると言えるかもしれません。

 そして今回の東京オリンピック。サーフィンやスケートボードなのどの「ストリート系」の競技が次々と新採用される中で、3年後のパリではブレイクダンスも種目に加わるとのこと。日本のタトゥー文化はいよいよ次の時代に入るような予感があります。

 アメリカ西海岸やオーストラリアなどの街を歩くと、老若男女が上腕などにタトゥーを入れて歩いている姿に驚かされますが、この日本においても(地域は限られるかもしれませんが)そうした光景を普通に目にする機会が増えて来るかもしれません。

 「親からもらった身体に…」という感覚も既に過去のこと。以前は本当に一部の女性たちのものだったピアスも、気が付けば男性女性を問わずごく普通のファッションとなっています。

 時代のキーワードは「多様性」だという話をよく耳にするようになりました。「人は皆、同じである必要はない」…この先の日本でこうした考え方がごく一般的で「当たり前」なものになれば、タトゥーももっと市民権を得ていくのではないかと、改めて感じるところです。


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