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#2601 幸せな結婚生活のために知っておくべきこと

2024年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 離婚を経験したり夫や妻と死別したりした後、熟年に足を踏み入れた人々が、新たな伴侶を求めて2度目の結婚に挑戦する動きが広がっていると、6月16日の産経新聞が伝えています。(特集「これから 100歳時代の歩き方」)

 孤独や介護、金銭面への不安、再婚に向けた動機は人によってそれぞれ異なるもの。しかし、既に子供がいる人も多く初婚とは異なる事情もあって、財産、介護、さらには家族との関係などのさまざまなハードルをどう乗り越えるかがカギを握る場合も多いと記事は綴られています。

 統計データだけで見れば結婚するカップルの3組に1組は離婚するとされる昨今、そんなままならない結婚でも、もう一度トライしてみたいと思えるのは(それはそれで)幸せなことでしょう。しかし、同じことを繰り返すのは、もう「うんざり」という人も多いはず。結婚生活を(今度こそ)幸せなものにするために、私たちはどのような努力をすればよいのでしょうか。

 6月13日の経済情報サイト「東洋経済ONLINE」が、韓国の精神科医で作家キム・ヘナム氏の近著「人間として最良のこと as a person」を抜粋し、『夫婦の仲を維持し親密にする最も大きな力とは?』と題する興味深い記事を掲載していたので、参考までに(2回にわたり)概要を小欄に残しておきたいと思います。

 1人の人間が楽しむには、その裏で支えてくれる別の人の犠牲が必要だと、キム氏はその冒頭で語っています。

 幼いときの遠足で子どもたちが楽しめるのは、早朝から子どもの弁当やカバンの準備をしてくれるお母さんの苦労があってのこと。ところが、幼いころから母親が世話をしてくれるのが当然の環境で育ってきた人たちは、実際に結婚生活が始まると、幸せは(無償の愛をもって誰かが作ってくれるものではなく)何等かの形で努力をしなければ得られないという現実を突き付けられると氏はしています。

 退屈でつまらない毎日が繰り返される夫婦生活。こんなに大変な思いをしているのにそれをわかってくれない相手が冷たく感じられ、本当に私のことを愛しているのか、自分が楽をしようとして結婚したのではないかと疑うようになる。仕事に不慣れの場合はさらにそれがつらく感じられ、家事の分担への不満を発端として際限のない要求ばかりが大きくなったりするということです。

 そこで氏は、まずは「わたしが幸せなら当然相手も幸せだろう」という錯覚を捨てることから始めては…とこの著書で提案しています。本当の愛は思いやりを土台に成長するもの。相手が苦労している部分を分かち合おうと努力すれば、日常の退屈でつまらないことに邪魔をされずに幸せを培っていくことができるというのが氏の感覚です。

 一方、「選ばなかった道」への悔いは誰にでもあり、特に現状を不幸だと感じている人ほどその思いが強いはず。しかし、そんな思いを抱きつづけていると、幸せになる可能性を退けてしまった自分が愚かに思え、同時に、現在の不幸を耐えていくのが難しくなると氏は言います。

 可能性と現実の間で大きくなる葛藤の存在。そして、結婚とともに恋愛時のロマンチックさは消え失せる。繰り返される日常と経済的プレッシャーにあえいでいると、愛していた記憶はぼんやりとしか思い出せなくなり、配偶者の無能で気に入らない部分が、さらに我慢できなくなるということです。

 さらに時が経つと、配偶者は「不幸の原因」となる。そうした状況では、両親の束縛から救い出してほしいといまの配偶者に望んだ時のように、今度は結婚という不幸と監獄から救い出してくれる別の相手を夢見るようになると氏は話しています。

 さびしさから逃れようと結婚したのに、配偶者を見ながらもっと深いさびしさに襲われる時期がある。そうなると、過去に付き合ったか、好感を持っていた人たちのことが頭に浮かび、その人たちのブログやSNSをひんぱんに見にいくようになる。あるいは、同じ職場で毎日顔を合わせる同僚に個人的な悩みを打ち明けて、恋に落ちることもあるということです。

 そこでは、配偶者への叶わない欲求が満たされ、愛が燃え上がる。いわゆる「不倫」は、その言葉が持つ重さに比べるといとも簡単に始まるもの。秘密めいているのでさらに熱く刺激的で、愛に対する夢だけを共有する二人の関係は、いっそう甘くなかなか手放せないものになると氏は言います。

 ところがその結末は、いつも思ったほどに幸せなケースとは限らない。よく考えてみればわかるように、その相手と日常を一緒に過ごすようになってもはたして幸せでいられるのか。今は自分に気を遣ってくれていても、ともに生活するようになるとまたつまらないことで衝突し、喧嘩をするようになる(場合も多い)というのが氏の指摘するところです。

 考えるべきは、もしも(順番が違って)、その人と結婚生活をしていて、後に現在の配偶者に出会っていたとしたらどうだったのか?相手が違うだけで、同じことが繰り返されたのではないか?ということ。まったく同じように、結婚生活で失望した部分をほかの人で埋め合わせしようとしたのではないかと氏は話しています。

 今足りていない何かを、ほかの優しさで補おうとしているだけ。本当に必要なのは、パートナーへのほんのちょっとした思いやりだけなのに、気が付けば自分の抱く不満が相手の人格と入れ替わっている状況。こうした中で生まれた、「私が不幸せなのはすべてアイツのせい」「アイツさえいなければ全てが上手くいく」というのは、大いなる錯覚に過ぎないということのようです。

 さて、そこでです。こうした過ちの中で隘路にはまり、一度の失敗を経験してしまったあなたは、一体どうすればよいのか?

 もしも、あなたが再出発を求めるのであれば、(まず言えるのは)はその辺のところを十分点検したうえで、同じ過ちを繰り返さないよう(それはもう)注意深く努力していかなければならないということでしょう。

 結婚生活には、(そのあちらこちらに)かくも多くの迷い道が隠されている。時にそうした(変な)道に迷いこまないよう、極めて慎重に歩みを進めていかなければならいのだろうと、氏の指摘から私も改めて感じたところです。(^^;)



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